第8章 憐憫

 皆が寝静まった頃。
 雅は、八木と共に縁側に座りながら月を見上げていた。

「色々おおきにな。会津相手は骨が折れたん違うか?」

 先程までの、豪快で強気な態度とはまるで違うしおらしさを見せる雅に、八木は優しい笑みを向ける。長年夫婦として暮らしてきているのだ。八木には今の雅の心情が手に取るように分かっている。

「この程度でわてがへばると本気で思うとるんか? それよりお前の方が疲れとるやろ。気ぃ張り続けとったしな」
「こんくらい、蘭の苦労を思たら……」

 そう言った雅の表情は、悲しみに満ちていた。



 夕刻、蘭がピストルを持った者達に襲われていた頃。八木は会津藩の者と顔を突き合わせていた。

「ではそういう事で、蘭はわてらが責任持って預かりますよって、よろしおすな」

 会津候直下の使者と対峙しながらも全く物怖じせぬその態度は、ともすればその場で手打ちになってもおかしくはない。だが、八木にはそれを許されるだけの実績と密約が存在していた。

「お主の事だ。信用に値する事は承知しているが、まさか『隠れ慧眼』と噂されてた者が『あの夷人』の子だったとは……少なくとも穏やかには過ごせぬぞ?」
「重々承知しとりますわ。そやからわてらが預かる言うてますのや。ここやったら新選組もおりますしな」
「だが彼らは何も知らんのだぞ? それとも全てを語るのか?」
「それは状況次第ですな。何にせよ、若い彼らがおることで蘭は救われると思うんですわ。会津藩にご迷惑はおかけしまへん。わてが全ての責任を取りますよって」
「相分かった、好きにせい。だが事が起こった時は……分かっておるな?」
「承知しとります」

 そのような会話が交わされていた時に飛び込んできた、不逞の輩による蘭への襲撃と平助の怪我の一報。血相を変えた雅が邸を飛び出して行ったのを見て、八木はますます蘭を守ろうとする意識が高まる。
 だが、会津の使者が八木を見る目は厳しかった。

「もう既に事が起こっているようだが?」

 しかしここで退くわけにはいかない。

「いざという時には、壬生総上げで動きますよって」

 口の端を上げ、笑みを浮かべる八木の目は鋭く冷たい。そこに八木の本気を見た使者は、ゴクリと唾を飲み込みながら小さく頷き、それ以上何も言わなかった。



「お前の実家に取りに行かせた暗号解読の紙も間に合うたし、この件で会津を後ろ盾にした事で動きも取りやすうなる。蘭はもうわてらの手の内におるんや。安心せえ」
「ん……ほんまおおきに」

 好々爺のごとくニコニコと笑みを浮かべて言う八木の言葉には、蘭は勿論だが、それ以上に雅への愛情が込められている事がよく分かる。実際八木は普段から、あまり表には出さずとも雅を大切に想っていた。

「改めて惚れ直したやろ?」
「そやな。……今夜は二人で月見酒と洒落こみまひょか」
「さっすが雅や。話が分かるな」
「調子のええやっちゃ」

 雅がため息を吐きながら、酒の準備に厨へと向かう。だがその顔には八木への全幅の信頼が見て取れる、穏やかな笑みが浮かんでいたのだった。
10/10ページ
応援👍