第8章 憐憫

「蘭は、あんたらも知っての通り夷人の子や。父親は誰か分からんが、多分阿蘭陀人やろ。母親は長崎の出島の遊女やった」
「へぇ……だから目の色が違ったんだ。納得。って事は『蘭』って名前は阿蘭陀から取ったって事? 単純だね」

 総司が冷たい目で蘭を見ながら言う。雅がぎろりと睨みつけると、ペロリと舌を出して肩を竦めた。

「本来夷人との子を懐妊したら幕府に届けを出し、父親には養育の義務が生じるんやけど、その男は届け出どころか姿を消してしもたらしゅうてな。更には遊女屋が密かに子供を殺せと言うてきたらしくて、蘭の母親……おサエは蘭を連れて逃げたんや」
「逃げたぁ? 足抜けしたってことか? よく捕まらなかったよな」

 平助の驚きの声に、他の者達も頷く。
 足抜けの罪は想像以上に重い。容赦なく追手を差向けられ捕えられ、厳しい折檻を受けるのが定石だ。しかし今こうして蘭が生きているという事は、うまく逃げ切れたのだろう。

「どうやって逃げ延びられたかは分からんけど、流れ流れて京に辿り着いて、うちの兄に出会うたらしいわ。そして兄とおサエは恋仲になった。この頃一度だけ偶然おサエに会うたんやけど、とても可愛らしい女子はんやったわ。蘭はおサエによう似てはる」

 優しく蘭の頬に手を当てて見つめる雅の顔は、何故か少し悲しげだ。それは『憐憫』の眼差しを向けている、とでも言おうか。

「おサエに会うた時、蘭についての話は全く聞かされんかった。……二人してそん時は蘭の存在を隠しとったんやろな。おサエに子供がいると聞いたんは、二人が殺されるほんの数日前。しかも『息子』て話やった。蘭を守るために、身内にすら曲げた情報を流しとったんや。それだけ追い詰められとったんやろ」

 雅の話に聞き入る新選組の者達の表情は真剣そのものだ。初めは茶化していた総司ですら、話の先が気になるのか身を乗り出すようにして聞いていた。

「そして二人が何者かに殺された当日。連絡を受けたうちらはすぐに現場に駆けつけたんやけど、もちろん犯人に繋がる証拠は何も無うてな。遺された子供も消息が不明なまま時が過ぎてしもた。その場に死体が無かったよって、生きている可能性が高い思て必死に情報を集めてたんやけど、結局見つかる事はなかったんや。……そやからこうして今目の前にいてくれるんは、ほんまの偶然。八木から最初に『緑の目のモンを見つけた』て聞いた時は、飛び上がってしもたんえ」
「ってぇ事は、こいつは追っ手から隠れながら一人で生きて来たって事か?」

 驚いたように言う土方に、雅が頷く。

「そうやろな。詳細は本人から聞かな分からんけど、実際こうしてここにおるんやし。ずっとうちらも手を尽くして探しとったのに、十年もの間手がかりすら無かったんは、よっぽど上手い事隠れとったんやろ」

 年端もいかない子供が一人で生きるのは、どれほどまでに大変か。しかも緑色の瞳を持ちながらとなると……。
 先ほどまで忌々しそうに蘭を見ていた総司も、この話を聞いてさすがに表情が変わる。一言も発することなく座っている近藤と一も、複雑な顔をしていた。その時ふと平助が気付く。

「雅さん……今、探し始めてから何年って言った?」
「は? だから十年言うたやろ」
「蘭って……年はいくつだ?」
「聞いた話通りやったら、数えで二十と違うか」
「……えぇっ!?」

 その場にいた、雅以外の全員が驚きの声をあげた。
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