第7章 胸裏

「……離せ」
「……え?」
「離してくれ!」
「は、はいっ!!」

 ビクリと驚いて腕の力を抜いた平助から、弾かれたように蘭が飛び出る。

「……あれ?」

 庭を背にしてじりじりと後退している蘭に、平助は慌ててしまう。

「ひょっとして、俺が一番蘭を困らせてねぇ?」
「多分、戦いを挑まれるよりも強烈な一撃だったと思うけどね。」

 鼻で笑いながら言う総司に、土方と一は大きく頷いた。どうやら蘭も小さく頷いているようだ。

「え~!? でも蘭が倒れ込むくらい追い詰められてたから、助けようとしただけだぜ? 何も攻撃的な事なんかしてねぇじゃん。」
「膝枕して、抱きしめて、何度も可愛い言うて……さっきも言うたけど、そこまでしたら口説いてんのと同じですやん」
「膝枕ぁ!?」

 一斉に声が上がると同時に、薄笑いを浮かべながら玄関から入ってきたのは山崎だった。

「副長。先程の者たちは全て会津藩に引き渡しました」
「あ、ああ、そうか」

 動揺しながらも報告を聞いた土方だったが、先程の言葉と山崎の表情が気になってしまう。

「全部報告しろ。山崎」
「はっ。先刻屋敷から出た彼女は、不定の輩によって襲撃を受けました。中にはピストルを所持していた者もおり、最終的に計五名を捕縛しております」

 山崎はそこまで言うと、何故かチラリと意味ありげに平助を見た。

「その際、藤堂さんが彼女を助けようとしたものの、着地に失敗して後頭部を打ちました。そしてどさくさに紛れ、往来のど真ん中で彼女に膝枕をしてもらい、更には『綺麗』だの『可愛い』だのと殺し文句を連発しておられた次第です」
「ちょ……何だよ、その悪意の塊でしか無い説明は!」

 山崎が必死に笑いを堪えながら報告する。それを聞いた土方は、眉間に深いしわを寄せながら頭を抱えた。

「……平助、お前なぁ……」
「わぁ、これからは平助の事を『へ~助平』って呼んだ方が良さそうだな」
「へいすけべい……? ってふざけんな、総司!」

 つい先ほどまでの緊迫感はどこへやら。ふざけた会話の応酬により、気が付けば蘭の存在は忘れられてしまっていた。

「こいつらは馬鹿なのか……?」

 ならばこの隙にその場から立ち去れないだろうか。そう考えていた蘭だったが、先程取り上げられた刀を置いたままには出来ず、葛藤する。
 蘭にとってあの刀は、決して捨て置くわけにはいかない物だった。それが例え、自らを追い込むことになろうとも。
 今蘭の刀を持っているのは、中の間の一番後ろにいる、平助が『一』と呼んだ男だ。

「あれが私の刀を砥いだ男と言う訳か」

 複雑な思いを胸に抱きながら、蘭は深く息を吸う。そして皆の意識が完全に平助に向かっている瞬間を見計らい、走った。
 蘭の動きに気付いて咄嗟に皆が構えたものの、その素早さに対応するには一瞬遅く、一の手から刀が奪われる。勢いのまま、蘭は玄関に向かって走った。

「そいつを捕まえろ!」

 土方の号令と同時に、総司と一も走り出す。更には外に待機していた者達も、土方の声が聞こえたのか玄関の前で刀を構えて蘭を待ち受けていた。見たところ、全員が新選組の隊士のようだ。まさに絶体絶命。
 そんな中、蘭は何故か冷静だった。
 先程取り返した自らの刀を鞘に納め、玄関先に待ち受けていた者の一人に走り寄ると、あっさりと蹴り倒して刀を奪う。その刀を使って、斬りかかってくる者達をことごとく沈めて行った。

「お前達に敵う相手じゃないよ! 退いててくれる?」

 蘭を取り囲む者達に向かって言い放ったのは、蘭を追って走って来た総司。遅れて土方と一も蘭の前に立ったのを確認し、隊士達はすぐにその場を離れた。

「見事な統率力だな」
「お褒めに預かり光栄だ。しかしそれを認めてくれるんなら、ついでにここからは逃げられないってのも認めて欲しいもんだが」

 土方が楽しそうに言う。普段は冷静沈着な男だが、生来は戦いを好む気質なのだろうか。既に抜刀しており、今にも飛び掛からんとうずうずしているように見える。

「最後にもう一度だけ聞くぞ。お前が選ぶのは……」
「お前達との縁を断ち切る。それだけだ」
「総司! 斎藤!」
「承知!」

 蘭の言葉を確認したと同時に、三人は目を合わせてお互いの意思を確認すると、まずは総司が蘭へと斬りかかった。頭部へと真っ直ぐに振り下ろされた刀を、ギリギリの所でかわす。その流れで蘭が下から斬り上げると、総司の前髪が宙を舞った。

「……ちっ!」

 総司の舌打ちに合わせて、一の刀が襲いかかる。斜めに振り下ろされて来た刀を受け止めると、一の腹を蹴り飛ばした。「くっ!」と一瞬うめき声を上げた一だったが、さすがと言うべきか、頽れる事無く刀を構え直す。
 その二人の戦いの最中、蘭の背後に回っていた土方が突きを繰り出すと、蘭は体を回転させてよけながら、横薙ぎに土方に斬りかかった。
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