第6章 秘匿
蘭は、ここに来てしまった事を心底後悔していた。
ずっと張りつめていた物が、せっかくほんの少しでも緩みかけていたのに。いや、それは自分の甘さが悪いのだ。手が大刀に触れ、素早く抜刀する。
「私に近付いた目的は何だ!?」
蘭から殺気が噴き出す。それは、とてつもなく鋭くて冷たい、恐ろしい物だった。
だが、意外な事に雅はけろりとした顔をしている。
「お~こわ。そない殺気丸出しにせんでも、話はできるんえ」
そう言って笑みさえ見せる雅に、蘭は薄ら寒さを覚えた。この得体の知れない存在は、果たして蘭の敵か味方か……。
「安心しなはれ。うちらは敵やない。ま、おいおい分かるやろけど、先にそれだけは言うておくわ」
「そんな事を言われてすぐに、はいそうですかと信じられるはずが無いだろう」
「ほな、信じんでもええしな。……せやけど蘭も難儀やなぁ。そないいつも気ぃ張りながら生きるんは辛いやろ」
少し困った顔をして蘭を見る雅は、聞き分けのない子供を見る母のようだ。慣れない視線に苛立ちを覚えた蘭は、抜き身を構えたまま言った。
「同情される謂れは無い。私は私の生き方を貫くだけだ」
その答えに、雅が小さく笑う。雅の一挙手一投足は蘭の心をかき乱し、苛立ちを募らせるばかりだ。
「何がおかしい!」
蘭にしては珍しい激昂をぶつけた言い方に、雅の笑みは更に深まった。
「おかしいんやない。嬉しいんや。あんたはも少し感情を表に出した方がええ。あんたがここに来たんはきっと……の……」
「きっと……何だと言うんだ?」
いつもは留まる事を知らず喋り続ける雅が、ふと言い淀んだのを訝しく思い、蘭が聞く。だが雅はにこにこと笑ったまま、何の事かと受け流すように言った。
「きっと、うちらや新選組の皆と仲良うするためやろ。あんたは多分彼らと気ぃ合うで。生き方が似とるしな。頭の固い所がそっくりや」
くすくすと笑いながら、雅は畳に散らばった煮干しを拾い出す。因みに子猫は、既に腹を膨らませているようだ。
「あの子ら、どんだけ持って来はったんや? こないたくさんあったかて、食べきれるわけあらへんのに」
全てを綺麗に拾い上げ、最後に子猫の頭を優しく撫でてやると、雅は部屋を出ようとする。相変わらず蘭は抜き身を手放す事無く、その動向を見つめていた。
振り返った雅の目に映る蘭は、まるで手負いの獣のようだ。その姿に小さくため息を吐くと、雅は言った。
「生き物は、とりあえず何かを食べれば空腹を満たせる。せやけど空の心を満たすんは、何でもええいうわけやない。……あんたの心を満たすもん、ここで見つかるとええな」
「それは一体……?」
雅の言葉は、いつも謎を秘めている。蘭はその真意を問いただそうとしたが、雅はニコリと笑みを残しただけで何も言わずに襖を閉めてしまった。
すぐに追えば良いのだろうが、何故かそれが出来なくて。蘭は刀を鞘に納めながら呟いた。
「ここは魔物の巣窟か……?」
満腹で眠たくなったのか、丸くなっている子猫を抱き上げ、部屋の隅に座る。膝に乗せて撫でていると、やがて子猫はすやすやと眠り始めた。
「八木の者達と言い、新選組と言い、面倒な輩しかここにはいない。気など合う筈がないだろう。もし何かで心を満たせと言うのなら……」
幸せそうな子猫の寝顔を見る蘭の口元が、小さく緩む。
「こいつで良いさ」
子猫が完全に眠ったのを確認すると、撫でていた手の動きを止めた。そしてふぅっと小さく息を吐くと、蘭も目を閉じる。余程疲れていたのだろう。子猫の寝息に誘われるかのように、そのまま蘭も静かな寝息を立て始めたのだった。
ずっと張りつめていた物が、せっかくほんの少しでも緩みかけていたのに。いや、それは自分の甘さが悪いのだ。手が大刀に触れ、素早く抜刀する。
「私に近付いた目的は何だ!?」
蘭から殺気が噴き出す。それは、とてつもなく鋭くて冷たい、恐ろしい物だった。
だが、意外な事に雅はけろりとした顔をしている。
「お~こわ。そない殺気丸出しにせんでも、話はできるんえ」
そう言って笑みさえ見せる雅に、蘭は薄ら寒さを覚えた。この得体の知れない存在は、果たして蘭の敵か味方か……。
「安心しなはれ。うちらは敵やない。ま、おいおい分かるやろけど、先にそれだけは言うておくわ」
「そんな事を言われてすぐに、はいそうですかと信じられるはずが無いだろう」
「ほな、信じんでもええしな。……せやけど蘭も難儀やなぁ。そないいつも気ぃ張りながら生きるんは辛いやろ」
少し困った顔をして蘭を見る雅は、聞き分けのない子供を見る母のようだ。慣れない視線に苛立ちを覚えた蘭は、抜き身を構えたまま言った。
「同情される謂れは無い。私は私の生き方を貫くだけだ」
その答えに、雅が小さく笑う。雅の一挙手一投足は蘭の心をかき乱し、苛立ちを募らせるばかりだ。
「何がおかしい!」
蘭にしては珍しい激昂をぶつけた言い方に、雅の笑みは更に深まった。
「おかしいんやない。嬉しいんや。あんたはも少し感情を表に出した方がええ。あんたがここに来たんはきっと……の……」
「きっと……何だと言うんだ?」
いつもは留まる事を知らず喋り続ける雅が、ふと言い淀んだのを訝しく思い、蘭が聞く。だが雅はにこにこと笑ったまま、何の事かと受け流すように言った。
「きっと、うちらや新選組の皆と仲良うするためやろ。あんたは多分彼らと気ぃ合うで。生き方が似とるしな。頭の固い所がそっくりや」
くすくすと笑いながら、雅は畳に散らばった煮干しを拾い出す。因みに子猫は、既に腹を膨らませているようだ。
「あの子ら、どんだけ持って来はったんや? こないたくさんあったかて、食べきれるわけあらへんのに」
全てを綺麗に拾い上げ、最後に子猫の頭を優しく撫でてやると、雅は部屋を出ようとする。相変わらず蘭は抜き身を手放す事無く、その動向を見つめていた。
振り返った雅の目に映る蘭は、まるで手負いの獣のようだ。その姿に小さくため息を吐くと、雅は言った。
「生き物は、とりあえず何かを食べれば空腹を満たせる。せやけど空の心を満たすんは、何でもええいうわけやない。……あんたの心を満たすもん、ここで見つかるとええな」
「それは一体……?」
雅の言葉は、いつも謎を秘めている。蘭はその真意を問いただそうとしたが、雅はニコリと笑みを残しただけで何も言わずに襖を閉めてしまった。
すぐに追えば良いのだろうが、何故かそれが出来なくて。蘭は刀を鞘に納めながら呟いた。
「ここは魔物の巣窟か……?」
満腹で眠たくなったのか、丸くなっている子猫を抱き上げ、部屋の隅に座る。膝に乗せて撫でていると、やがて子猫はすやすやと眠り始めた。
「八木の者達と言い、新選組と言い、面倒な輩しかここにはいない。気など合う筈がないだろう。もし何かで心を満たせと言うのなら……」
幸せそうな子猫の寝顔を見る蘭の口元が、小さく緩む。
「こいつで良いさ」
子猫が完全に眠ったのを確認すると、撫でていた手の動きを止めた。そしてふぅっと小さく息を吐くと、蘭も目を閉じる。余程疲れていたのだろう。子猫の寝息に誘われるかのように、そのまま蘭も静かな寝息を立て始めたのだった。