第1章 出会い

 ここ数年、蘭はこの廃屋を塒として暮らしていた。
 洛外にあり、その中でもひときわ人の出入りの少ないこの場所は、絶好の隠れ家だ。外から見れば今にも崩れそうなボロ屋なのだが、住んでいる者の几帳面さが現れており、中はそれなりに整っている。

「ただいま……っと」

 誰もいないのは分かっているのに、声をかける。いつだって蘭は一人だったが、この挨拶だけは不思議と欠かすことが無い。

「今日は最後に大きな収穫があったな。少し休んだら食い物を調達してくるか」

 懐の財布を放り投げ、古ぼけた畳にゴロリと横になった。
 思い切り体を伸ばすと、意外と疲れがたまっていた事に気付かされ、ついうとうととしてしまう。だがそろそろ陽は傾いており、下手に寝てしまえば買い物に行く事が出来なくなるだろう。

「やっぱり休む前にもう一度出かけてくるか」

 気怠さを振り払って体を起こす。さて今日はどこまで行こうかと、思案に暮れ始めた時だった。
 不意にピリリと不穏な空気を感じ、蘭が身構える。じりじりとその場を移動し、手を伸ばしたのは一本の大刀。全身を突き刺すような殺気は、相手がかなりの手練れだという事を伝えてきていた。
 気配を探ると、数は二つ。蘭は腰を落とし、抜刀の構えで相手の出方を待った。だが、すぐに飛び込んでくる様子は無い。しかもその気配が移動を始める。

「二手に分かれたか……裏口の方が『弱い』な」

 そう判断した蘭は突如走り出し、裏口の戸を蹴破った。

「うわっ!」

 まさか自ら出てくるとは思わなかったのだろう。刀を構えていた一人の若者が一瞬怯んだ。それを見逃さず、蘭は若者の脇の下を潜り抜けると全速力で走っていく。

「あ……待てっ!」

 若者も慌てて追いかけてきたが、この一帯は蘭にとっては自分の庭の様なものだ。若者が必死に追いかけるも叶わず、あっさりと撒かれてしまう。

「くそっ……! 逃げられちまった」

 悔しがる若者に、表口から回ってきたもう一人の若者が、その状況にそぐわぬ楽しそうな声で言った。

「まさか平助が一太刀も浴びせる事無く逃がしちゃうなんてね。土方さんに知られたら切腹モノじゃない?」
「なんだよ、総司だって近くにいたのに何もできなかったじゃないか」

 平助と呼ばれた若者は、頬を膨らませて拗ねている。その顔を見ながら、総司と呼ばれた若者はますます楽しそうに言った。

「未だそんなに遠くには行ってないんじゃない? あれが奴の塒なら戻ってくるだろうし、しばらく調べながら待ってみようか」
「え? ああ、そうだな。……俺の財布あるかなぁ。土方さんから預かった金も入ってるから、スられたなんて知れたら命がいくつあっても足りねぇよ」

 気が抜けてしまいそうな緩い会話だが、その目は決して笑ってはいない。二人は先程の家まで戻ると、警戒しながら中へと入っていった。
 その姿を実はすぐ近くで見ていたのは、蘭だ。気配を消して物陰から、二人の様子を伺っていた。

「ちっ、すぐに帰るかと思ってたのに厄介だな。今日は戻れないか」

 どうやら先程スった財布の持ち主が、あの平助と言う若者らしい。長年培ってきた蘭のスリの腕は相当な物なのだが、こうして塒を見つけられたという事は、すぐにスった事がばれてそのままつけて来られたという事だろう。つけられていた事に気付けなかったのは、間違いなく蘭の気の緩みが原因だ。

「今回ばかりは相手が悪そうだな。一時的な塒を探すか、ここを捨てるしかない、か」

 そう忌々しげに呟いた時だった。

「あれは……っ!」
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