第5章 温もり
一方その頃蘭はと言うと、壬生寺に駆け込んでいた。
表門から一直線に本堂に向かい、裏手に回る。誰もいない事を確認すると、その場にへたり込んだ。
「一体何だって言うんだ!? あの家族は!」
長く伸ばした前髪を避け、グイと目をこする。未だうっすらと残っていた涙が手の甲を湿らせ、不快だった。
「ズケズケと人の心に入り込もうとして……」
空を睨み付けるようにしながら、蘭が怒る。だが日の光を受けた美しい『緑の瞳』には、戸惑いの色も見えた。
「私を懐柔して、何かをしようと企んでいるのか? 家族? 娘?……ふざけるな!」
大きく頭を振り、叫ぶ。
「私は誰も信じない! 生きる為に信じちゃいけないんだ!」
ドン、と拳で地面を強く叩くと小石が手に傷を付け、血が流れた。それがぽたりと落ち、地面を赤く染める。その横に少し遅れて小さな水たまりが出来た頃には、蘭の心も落ち着いていた。
「何者も信じるな、蘭」
そう、自分に言い聞かせられる程に。
涙が乾き、いつもの自分を取り戻した蘭は、八木邸に戻ろうと表門を目指した。その時一匹の子猫を見つけ、そっと近寄る。警戒する事を知らないのか、差し出した蘭の手にすり寄ってニャーと鳴くその姿は、蘭の口元に笑みを浮かばせた。
「どうした? 親はいないのか?」
優しく抱き上げ、辺りを見渡す。だが親猫らしき姿は見当たらず、兄弟すら見つからない。
どうしたものかと困っていると、南門の外にカラスが群がり始めている事に気付いた。嫌な予感がして、子猫を抱きながら向かうと案の定。息の無い、子猫と同じ模様の猫が倒れていた。
子猫が蘭の腕から飛び出し、倒れていた猫にすり寄ると、カラスが一斉に声を上げて上空を旋回し始める。そして次の瞬間、その中の一羽が、子猫を目掛けて急降下して来た。しかしカラスは目標を捉えることなく、地面に叩き落される。
その姿を見たからか、仲間たちはもう降りてこようとはしなかった。頭の良いカラスは、勝ち目がない事を悟ったのだろう。蘭が空を見上げると、カァー、と一声鳴いて去って行った。
そんな事などお構いなしに、子猫はニャーニャーと鳴いて親猫を舐める。蘭が触れてみると、親猫はほんの少しだけ温かかった。死んだのは、つい先程かも知れない。
「お前の親は死んだんだ。諦めろ」
蘭は子猫を抱き上げ、言った。しかし子猫はまたすぐに蘭の腕から抜け出し、親猫の所へと向かって鳴き続ける。
「死んだ者は生き返らないんだ。お前は独りぼっちになったんだよ」
蘭の言葉など耳に入らないのか、子猫はただひたすらに鳴き、親を呼び続けた。その鳴き声は聞いているだけで辛く、悲しい。
「諦めるしか……ないんだっ!」
堪らず子猫を抱きしめた蘭は、叫んだ。
「お前は生きるんだ! 誰の助けも借りず、自分の力で生き抜け!」
突然強く抱きしめられた子猫は、驚きのあまり蘭に爪を立てたが、小さく震えながら抱きしめ続ける蘭に何かを感じたようで、やがて自らの付けた傷をぺろぺろと舐め始めた。
その行為に気付いた蘭が子猫を見ると、つぶらな瞳で蘭を見つめ、ニャーと鳴く。それはまるで『私は大丈夫だよ』と言っているように感じられた。
子猫の変化が嬉しかったのだろう。蘭はニコリと微笑むと、子猫を肩に乗せてやる。そして親猫をそっと抱き上げ、境内の隅にある木の根元に埋葬した。
不思議そうに見ていた子猫だったが、かぶせた土の上に体を掏りつけるようにしていたのは、弔いのつもりだったのだろうか。最後に目印の石を置くと、蘭はそっと手を合わせた。
表門から一直線に本堂に向かい、裏手に回る。誰もいない事を確認すると、その場にへたり込んだ。
「一体何だって言うんだ!? あの家族は!」
長く伸ばした前髪を避け、グイと目をこする。未だうっすらと残っていた涙が手の甲を湿らせ、不快だった。
「ズケズケと人の心に入り込もうとして……」
空を睨み付けるようにしながら、蘭が怒る。だが日の光を受けた美しい『緑の瞳』には、戸惑いの色も見えた。
「私を懐柔して、何かをしようと企んでいるのか? 家族? 娘?……ふざけるな!」
大きく頭を振り、叫ぶ。
「私は誰も信じない! 生きる為に信じちゃいけないんだ!」
ドン、と拳で地面を強く叩くと小石が手に傷を付け、血が流れた。それがぽたりと落ち、地面を赤く染める。その横に少し遅れて小さな水たまりが出来た頃には、蘭の心も落ち着いていた。
「何者も信じるな、蘭」
そう、自分に言い聞かせられる程に。
涙が乾き、いつもの自分を取り戻した蘭は、八木邸に戻ろうと表門を目指した。その時一匹の子猫を見つけ、そっと近寄る。警戒する事を知らないのか、差し出した蘭の手にすり寄ってニャーと鳴くその姿は、蘭の口元に笑みを浮かばせた。
「どうした? 親はいないのか?」
優しく抱き上げ、辺りを見渡す。だが親猫らしき姿は見当たらず、兄弟すら見つからない。
どうしたものかと困っていると、南門の外にカラスが群がり始めている事に気付いた。嫌な予感がして、子猫を抱きながら向かうと案の定。息の無い、子猫と同じ模様の猫が倒れていた。
子猫が蘭の腕から飛び出し、倒れていた猫にすり寄ると、カラスが一斉に声を上げて上空を旋回し始める。そして次の瞬間、その中の一羽が、子猫を目掛けて急降下して来た。しかしカラスは目標を捉えることなく、地面に叩き落される。
その姿を見たからか、仲間たちはもう降りてこようとはしなかった。頭の良いカラスは、勝ち目がない事を悟ったのだろう。蘭が空を見上げると、カァー、と一声鳴いて去って行った。
そんな事などお構いなしに、子猫はニャーニャーと鳴いて親猫を舐める。蘭が触れてみると、親猫はほんの少しだけ温かかった。死んだのは、つい先程かも知れない。
「お前の親は死んだんだ。諦めろ」
蘭は子猫を抱き上げ、言った。しかし子猫はまたすぐに蘭の腕から抜け出し、親猫の所へと向かって鳴き続ける。
「死んだ者は生き返らないんだ。お前は独りぼっちになったんだよ」
蘭の言葉など耳に入らないのか、子猫はただひたすらに鳴き、親を呼び続けた。その鳴き声は聞いているだけで辛く、悲しい。
「諦めるしか……ないんだっ!」
堪らず子猫を抱きしめた蘭は、叫んだ。
「お前は生きるんだ! 誰の助けも借りず、自分の力で生き抜け!」
突然強く抱きしめられた子猫は、驚きのあまり蘭に爪を立てたが、小さく震えながら抱きしめ続ける蘭に何かを感じたようで、やがて自らの付けた傷をぺろぺろと舐め始めた。
その行為に気付いた蘭が子猫を見ると、つぶらな瞳で蘭を見つめ、ニャーと鳴く。それはまるで『私は大丈夫だよ』と言っているように感じられた。
子猫の変化が嬉しかったのだろう。蘭はニコリと微笑むと、子猫を肩に乗せてやる。そして親猫をそっと抱き上げ、境内の隅にある木の根元に埋葬した。
不思議そうに見ていた子猫だったが、かぶせた土の上に体を掏りつけるようにしていたのは、弔いのつもりだったのだろうか。最後に目印の石を置くと、蘭はそっと手を合わせた。