始まりの時

「それは申し訳ありません。私は倒れている彼と同じく入隊試験を受けに参りました、山崎と申します。鍼医の性と申しましょうか、目の前で倒れている人間を見るとつい体が動いてしまうんです。もう彼には戦う気力も残っていないようですし、ここは竹刀を収めていただけませんか?」

 そう言いながらニコリと笑って見せると、その青年は少し驚いたように目を見開いた。だがすぐにまた冷たい目に戻ると、持っていた竹刀を構え直す。

「残念ながら、そういう訳にはいきません。これは正式な試合ですからね。『試合』は『死合』……新選組がどういう場所か、入隊前に身をもって知っておいて下さい……よっ!」

 そう言いながら青年は、私に向けて竹刀を振り下ろした。その速さは凄まじく、とても避けきれるものではないと判断した私は、咄嗟に苦無を取り出すと青年の懐に飛び込んだ。

「な……っ」

 青年が驚きの声を上げ、私の頭擦れ擦れの所で竹刀の動きをピタリと止める。と同時に私の苦無は、青年の喉元に向けられていた。

「へぇ……」

 だが喉元の苦無に怯える事無く、青年は笑みを浮かべる。

「面白い人ですね。あなたはどこかの間者か何かですか?」
「そんなわけ無いじゃないですか。突然攻撃されたので、咄嗟に身を守っただけです」
「その割には、随分場馴れした動きでしたよね。こんな風に懐に入り込むなんて、普通の人にはできませんよ」
「師匠に教えて頂いた賜物です。私は非力ですので、襲われた時の対処法だけは人より厳しく叩き込まれています」

 それは決して嘘ではない。新選組の面々はもちろん、今日こうして入隊試験を受けに来ている者達と比べても、私は一際小さい体つきをしている。その為、先ほどの原田助勤との試合中は、力で弾き飛ばされる事がほとんどだった。それならば、小さい体を生かした素早い動きで対抗するしかない。
 これは『あの人』から徹底的に力説され、体に叩き込まれていた事だ。

「でも私の動きに驚きながらも、あなたは手を抜きましたよね。えーっと……」
「沖田です。副長助勤の沖田総司」
「では改めまして沖田助勤。あなたはこの苦無を避けて竹刀を振り下ろす余裕があったにも関わらず、止めましたよね。本来ならこのような体勢になることは無く、私が倒れていてもおかしくなかった。違いますか?」

 苦無を下ろし、竹刀を避けて立ち上がると、私は正面から沖田助勤を見つめた。

「実力の差があり過ぎると判断されたからでしょうか。だとしたら、もっと精進しなければなりませんね」

 そう言って苦無を懐にしまった時、いつの間にか周りの者達が自分を見ている事に気付いた。入隊希望者はともかく、幹部連中までポカンとした表情でこちらを見ているのはいささか納得がいかなくて。

「あの……?」

 さすがにこの視線には戸惑ってしまう私だったが、何故か沖田助勤が楽しそうに言った。

「山崎さん、でしたっけ? あなた面白いです。私、気に入っちゃいました」
「はぁ……ありがとうございます」

 何だかよく分からないが、とりあえず気に入られたようだ。私が礼を言うと、沖田助勤は満面の笑顔を見せる。

「私と対峙して無傷でいられるのって、滅多に無い事なんですよ。これ、重要なので覚えておいて下さいね」
「承知……しました」

 上機嫌に言う沖田助勤に、私は頷く事しか出来なかった。
 そんな彼は言いたい事を言って満足したのか、「じゃあこの試合は終わりという事で、彼の事はお願いしますね。山崎先生」と茶化すように言い残し、そのまま道場の外へと出て行ってしまう。

「おい総司! まだ試験は残ってるぞ!」

 慌てたように、これまた幹部と思しき青年が叫んだが「平助に任せますよ。あとは宜しく」と手をヒラヒラさせながら、振り向きもせず立ち去ってしまった。

「ええ~? 嘘だろ? いくらなんでも総司の分までこなすのは無理だって!」

 平助と呼ばれた青年が頭を抱える。だが他の者達もそれぞれの割り当てがあるらしく、助け舟は出そうに無かった。

「くっそー、こうなりゃヤケだ。時間もねぇし、二人ずつかかってきやがれ!」

 そう言った彼は、その後本当に二人ずつを相手にする。だが誰一人彼を倒せる者はおらず、これはこれでまた新選組の実力を見せ付けられた一件だった。
 ちなみに先ほど沖田助勤に打ちのめされた男は、手拭いで患部を冷やしてやる事で落ち着いたらしい。けれども恐怖心を拭い去る事は出来なかったようで、面接の時間になる頃には姿を消していた。まぁあの程度で萎縮してしまうようでは、例え入隊できたとしても長続きはしなかっただろう。
 やがてようやく私の面接の順番が回ってきた。
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