沖田慕情

「土方さん……山崎さんって一体なんだったんでしょうね」

 もう皆が船室へと戻って行ったのに。ただ一人、海を見つめて動こうとしない土方さんに言う。

「いつの間にか現れて、いつの間にか消えてしまって……それなのに、誰よりも印象深い。不思議な人だったなぁ」
「あいつは泡沫なんだとよ」
「はい?」

 ずっと沈黙していた土方さんが、突然言ったのは意味の分からない言葉。私は首を傾げて土方さんを見た。その眉間には、深いしわが刻まれている。

「泡沫……ですか?」
「あいつは時の中を揺蕩う泡沫だったらしい。だから……消えちまった」

 手すりに乗せられた土方さんの手は、白くなる程に強く握りしめられていた。潮風の冷たさに、もう感覚も無いのではなかろうか。体温を感じさせないその色は、まるでこのまま広い海へと吸い込まれてしまいそうな錯覚に陥ってしまう。

「山崎さんが……言ったんですか?」
「ああ……」

 土方さんの目は、一度も私を見てはいない。海が作り出す泡沫をずっと見つめたままだ。
 そんな土方さんが、私は少し羨ましかった。私も山崎さんを好きだったけれど、こんなになるまで愛せていたかと聞かれると……。
 この動乱の世で、自分を見失いそうな程に愛せる人に出会えた土方さんは幸せ者じゃないですか。そんな風に思ってしまうのは、単なる妬みなんですかね。

「じゃあ、またすぐ会えますね。だって泡沫ってあちこちで生まれてるじゃないですか。ほら、そこにもあそこにも」

 私が海を指さすと、土方さんが訝しげに私を見る。光を失っている瞳に苦笑しながら、私は続けた。

「水のある所、山崎さんだらけですね。怖いなぁ。弾ける度に色々な突っ込みを入れられそうです。『さっさと薬を飲んで下さい!』とか『甘い物ばかり食べないで食事をしなさい!』とか」

 わざとらしく肩を竦めてみせる。しばらく私をポカンと見ていた土方さんだったが、やがてフッと小さく笑い、再び海を見た。

「そうだな……あいつなら言いそうだ」
「でしょう? あの人怖いんですよ。可愛い顔して、やり手婆みたいに口うるさいんですから」
「……お前、直接言ったら締め上げられてたぞ」

 苦笑いしながら言う土方さんの表情は、ほんの少しだけ明るくなっている。
 ぽっかりと空いているであろう、山崎さんがいるはずだった部分の穴は埋められないけれど。この先に残された土方さんの人生は、新撰組が支えられるはずだから。そうでなければ、私がここに生きている意味は無い。きっと、山崎さんもそれを望んでいるはずだ。

 土方さんの想いには到底敵わないけれど、私なりに貴女への想いを形にするなら、土方さんを支える事が一番だろう。

「そろそろ船室に戻りましょう。さすがに体が冷え切ってしまっています。もうすぐ江戸に着くってのに、風邪でも引いてたら松本先生にどやされます」
「……だが……」
「土方さんの手の中の山崎さんも、風邪をひいちゃいますよ。温かくしてあげて下さい」

 私の言葉にハッと気付いたように手を見た土方さんは、一瞬泣きそうな顔になった。だがすぐにぐっと下唇を噛み、小さく頷く。

「……そうだな」
「あまり寝ていないんでしょう?仮眠を取っておいてくださいね。これからますます激化する戦いを、睡眠不足が原因で負けてたらかっこ悪いですから」
「分かってらぁ」

 ポン、と私の頭に手を置き、小さく「ありがとよ」と言った土方さんは、そのまま船室へと向かって行く。
 その姿を見送った私はゴホッと一つ咳をし、増えた血痰を確認して海を見た。

「お疲れ様でした、山崎さん。すぐに私も行きますから、待っていて下さいね。それまでは一人で寂しいかもしれませんが、そちらで土方さんを見守っていて下さい」

 小さく頭を下げ、踵を返す。最後に目にした海の泡沫が「承知しました」と言いながら弾けたように思えたのは、気のせいではないだろう。
 ほんの少しだけ心が温かくなった気がした私は、背にした海にひらひらと手を振ると、そのまま振り返る事無く船室へと戻ったのだった。

~了~
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