土方慕情
人の『死』なんざ、腐るほど見てきたはずだった。
いくつもの命を奪い、数えきれない程の屍を踏み越えてここまで来たんだ。命の重みは分かっちゃいるが、それでも俺の心は人の死に慣れていると思っていた。それなのに……。
腕の中で迎えた、死。
それは愛する者との永遠の別れで。引き裂かれるような心の痛みと共に、俺はその時初めて、人は死ぬとその体の重みが増す事を知った。
苦しい息の中で必死に言葉を紡ぐ琴尾を、俺は強く抱きしめていた。その体は俺を庇った傷によって弱り、小さく軽くなっていて。だが間違いなく未だそこに温もりは存在し、生きていたのだ。
「歳三……はん……」
俺の為に無理やり見せる笑顔はただひたすらに痛々しくて、悲しくて。
どうして俺は、愛する女を守れないんだ!? どうしてこの苦しみを、俺が変わってやれないんだ!?
「琴尾……っ!」
いつも俺が名を呼ぶと、花の様な笑顔を見せてくれていたのに。
今目の前にあるのは、俺に心配かけまいと苦しみを隠すためのもの。
「ごめ……な……」
何でお前が謝るんだよ。お前は俺を庇って、こんな辛い目に合ってるんだぞ?
俺を憎んだって良いんだ! 恨んだって良いんだ!
だから……死なないでくれ! 生きる事を諦めないでくれ!!
だがそんな願いも虚しく、泡沫を見たら思い出せと言う勝手な約束をだけを残して、お前は俺の腕の中で逝った。
命の火が消えた瞬間、その体がずしりと重くなった事で俺はお前の『死』を実感したんだ。
「琴尾~~っ!」
恥も外聞もかなぐり捨ててお前の名を叫んだのは、それを信じたくなかったから。
ひょっとしたら、俺の声を聞いてまたお前が息を吹き返すかもしれないなんて、夢物語を本気で考えたから。
俺の中にこんな女々しい部分があるなんて知らなかった。それ程までに、お前は俺にとって大きな存在だったんだよ。
海の波間に沈みゆくお前を見送った時、俺の心も海に沈んだ。俺は今も生きてはいるが、この体は生きる屍だ。
だってそうだろう?お前は俺の全てだったんだから。命を懸けて守りたかった、唯一無二の女だったんだから。
ついさっきまでお前と共に感じていた潮風は、更に冷たさを増している。体が冷え切っているのは分かっていたが、どうしてもお前のいる海から目を離せなかった。
お前が自らを泡沫と言ったんだ。次々と生まれて消えていく泡沫のどこに、お前がいるかも分からないしな。万が一見逃しでもしたら、お前は絶対怒るだろう?
そんな俺を気遣ってか、声をかけてくる者はいない。
少しずつ皆が船室に戻り始め、甲板の人影がまばらになっても俺は立ちつくしたまま。だってこんな冷たい海の中、お前を一人になんてさせられるわけねぇだろ?
いっそこのまま俺もこの海に……なんて、つい物騒な事を考えてしまった時、まるで計っていたかのように総司が声をかけてきた。
「それは何ですか?」
総司が指をさしたのは、俺の手の中。
それは、死んでしまった琴尾を腕から離した時から、ずっと握りしめていた巾着だった。
中には以前俺が買ってやった髪飾りと、琴尾の髪が入っている。この髪飾りは俺からの初めての贈り物だからと、巾着に入れて片時も離さず大事に持ち歩いていたそうだ。傷を受けた後も変わらず、意識が無くても魘されながらその所在を確認していたらしい。
お陰で戦のどさくさに紛れて失くしてしまう事も無く、今こうして俺の手の中にある。
髪は、俺がついさっき切り落とした物だ。内海によって切られ、短くなってしまった事を本人はずっと気にしていたようだったが、長さが変わっても琴尾の美しさには何の影響も無かったんだがな。
心の内を知っていただけに少々の迷いはあったが、どうしても琴尾が存在していた証が欲しくて、ほんの少しだけ切り取ったのだ。
その髪を髪飾りにはさむようにしてやると、あいつが初めて頭に付けた時に見せたはにかむような笑顔を思い出し、胸が痛かった。だから――。
「琴尾の形見だ」
総司には、それだけを答える。
この巾着は、琴尾と俺とを繋ぐ唯一の物なのだ。例え総司であっても、教えたくはない。
この巾着を持っていれば、誰よりもお前を感じられるはずだった。それ程までに俺はお前と深い結びつきがあると信じていたんだ。
それなのに、今際の際に言っていたお前の言葉はどこにある? 海に生まれる泡沫は、幾度となく弾けているというのに。
「お前は嘘つきだな……俺には聞こえねぇよ」
お前の叫びは届いていない。俺の心にあるのはただぽっかりと空いた穴と、そこを通り抜ける冷たい潮風だけだ。
もう一度聞きたい。愛するお前の唇から紡がれる言葉を。
もう一度感じたい。愛しいお前のぬくもりを。
俺は海を見つめたまま、手の中の巾着をぎゅっと握りしめた。
いくつもの命を奪い、数えきれない程の屍を踏み越えてここまで来たんだ。命の重みは分かっちゃいるが、それでも俺の心は人の死に慣れていると思っていた。それなのに……。
腕の中で迎えた、死。
それは愛する者との永遠の別れで。引き裂かれるような心の痛みと共に、俺はその時初めて、人は死ぬとその体の重みが増す事を知った。
苦しい息の中で必死に言葉を紡ぐ琴尾を、俺は強く抱きしめていた。その体は俺を庇った傷によって弱り、小さく軽くなっていて。だが間違いなく未だそこに温もりは存在し、生きていたのだ。
「歳三……はん……」
俺の為に無理やり見せる笑顔はただひたすらに痛々しくて、悲しくて。
どうして俺は、愛する女を守れないんだ!? どうしてこの苦しみを、俺が変わってやれないんだ!?
「琴尾……っ!」
いつも俺が名を呼ぶと、花の様な笑顔を見せてくれていたのに。
今目の前にあるのは、俺に心配かけまいと苦しみを隠すためのもの。
「ごめ……な……」
何でお前が謝るんだよ。お前は俺を庇って、こんな辛い目に合ってるんだぞ?
俺を憎んだって良いんだ! 恨んだって良いんだ!
だから……死なないでくれ! 生きる事を諦めないでくれ!!
だがそんな願いも虚しく、泡沫を見たら思い出せと言う勝手な約束をだけを残して、お前は俺の腕の中で逝った。
命の火が消えた瞬間、その体がずしりと重くなった事で俺はお前の『死』を実感したんだ。
「琴尾~~っ!」
恥も外聞もかなぐり捨ててお前の名を叫んだのは、それを信じたくなかったから。
ひょっとしたら、俺の声を聞いてまたお前が息を吹き返すかもしれないなんて、夢物語を本気で考えたから。
俺の中にこんな女々しい部分があるなんて知らなかった。それ程までに、お前は俺にとって大きな存在だったんだよ。
海の波間に沈みゆくお前を見送った時、俺の心も海に沈んだ。俺は今も生きてはいるが、この体は生きる屍だ。
だってそうだろう?お前は俺の全てだったんだから。命を懸けて守りたかった、唯一無二の女だったんだから。
ついさっきまでお前と共に感じていた潮風は、更に冷たさを増している。体が冷え切っているのは分かっていたが、どうしてもお前のいる海から目を離せなかった。
お前が自らを泡沫と言ったんだ。次々と生まれて消えていく泡沫のどこに、お前がいるかも分からないしな。万が一見逃しでもしたら、お前は絶対怒るだろう?
そんな俺を気遣ってか、声をかけてくる者はいない。
少しずつ皆が船室に戻り始め、甲板の人影がまばらになっても俺は立ちつくしたまま。だってこんな冷たい海の中、お前を一人になんてさせられるわけねぇだろ?
いっそこのまま俺もこの海に……なんて、つい物騒な事を考えてしまった時、まるで計っていたかのように総司が声をかけてきた。
「それは何ですか?」
総司が指をさしたのは、俺の手の中。
それは、死んでしまった琴尾を腕から離した時から、ずっと握りしめていた巾着だった。
中には以前俺が買ってやった髪飾りと、琴尾の髪が入っている。この髪飾りは俺からの初めての贈り物だからと、巾着に入れて片時も離さず大事に持ち歩いていたそうだ。傷を受けた後も変わらず、意識が無くても魘されながらその所在を確認していたらしい。
お陰で戦のどさくさに紛れて失くしてしまう事も無く、今こうして俺の手の中にある。
髪は、俺がついさっき切り落とした物だ。内海によって切られ、短くなってしまった事を本人はずっと気にしていたようだったが、長さが変わっても琴尾の美しさには何の影響も無かったんだがな。
心の内を知っていただけに少々の迷いはあったが、どうしても琴尾が存在していた証が欲しくて、ほんの少しだけ切り取ったのだ。
その髪を髪飾りにはさむようにしてやると、あいつが初めて頭に付けた時に見せたはにかむような笑顔を思い出し、胸が痛かった。だから――。
「琴尾の形見だ」
総司には、それだけを答える。
この巾着は、琴尾と俺とを繋ぐ唯一の物なのだ。例え総司であっても、教えたくはない。
この巾着を持っていれば、誰よりもお前を感じられるはずだった。それ程までに俺はお前と深い結びつきがあると信じていたんだ。
それなのに、今際の際に言っていたお前の言葉はどこにある? 海に生まれる泡沫は、幾度となく弾けているというのに。
「お前は嘘つきだな……俺には聞こえねぇよ」
お前の叫びは届いていない。俺の心にあるのはただぽっかりと空いた穴と、そこを通り抜ける冷たい潮風だけだ。
もう一度聞きたい。愛するお前の唇から紡がれる言葉を。
もう一度感じたい。愛しいお前のぬくもりを。
俺は海を見つめたまま、手の中の巾着をぎゅっと握りしめた。
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