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取捨

 男は気が狂いそうだった。
「あなた様。こんな物を作ったのですが、如何でしょうか?」
「……やぐら
「はい? 何でしょうあなた様」
「すごい、な」
「あなた様にそう言っていただけてうれしゅうございます」
 彼、倉持くらもちの目の前にいる女性。彼の妻櫓の手には一つの反物。
 その反物には綺麗な百合の花が刺繍してある。彼がどうやっても作ることが出来ないでいた立体感のある百合の花。
 それが反物の中で綺麗に咲いている。
 それはそもそも倉持が必死に取ってきた無茶な注文で、絵心のない彼には到底できまいと侮られ、苦渋を飲みながら持ってきた仕事だった。
 やってやる。馬鹿にしたやつらを見返してやると三日三晩、幾つもの反物を駄目にしながら試作していたはずのもの。
 だと言うのに、自身の妻の手にはその完成系がそこにある。
「ささ、あなた様。これを持ってあいつらを見返してやりましょう」
「あ、ああ……」
 その反物に咲いている百合の花を見て発注した客はそれを気に入り、それを見た人々はその反物をどこで作ったのかと尋ね。その作り手とされている倉持の名は見事に都に広まったのだが、倉持自身は店を閉め今は別の仕事に手を出していると聞く。
 彼が必死になっていたのは己が作り、己が驚かせ、己が完成させたいからだったはずだ。
 だが、彼の妻である櫓がそれを完成させてしまったのだからその反物は彼にとって価値がないものになり下がった。
 それは悲劇と言えるだろうか?
 それは余計な手出しだっただろうか?
 悔しいし、悲しい。そして努力が水泡に帰したのだから虚しかっただろう。

「おい、見ろよ。あそこに飾られてる反物の模様!」
「まあ、まるで本物みたい」

 そこには、へらへら笑いながら店番をする倉持の姿があり、その奥には針仕事をする櫓の姿があった。

「いらっしゃい! どうぞ、この反物を見て買ってくだせぇ私の妻が作った物でごぜぇます」

 そこにいるのは案外楽しそうに商売をする倉持の姿があった。

 店は繁盛、都に名は知れ渡り貴族や豪族も買っていく上等な反物屋として彼等の屋号は名を馳せた。

 めでたしめでたし。と言いたいが、それは倉持にとっては幸せなものだったのだろうか?

 その成功は彼にとって価値のあるものだろうか?

 失敗だったとしても、彼にとってはそちらの方が価値のあるものだったかもしれないと言うのに……。
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