それぞれの話
おなまえをおしえてね
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中学生になった頃から、僕は世の中では「きもちわるい」と形容される種類の人間だと気が付いた。
それまではあまり気にしていなかったけれど、中学校に上がった途端、みんなは大人になった気分に浸って、女子はスカートを短くしたり、男子は髪型を気にしたりし始めた。僕といえば、ゲームやアニメが楽しかったので、あまり気にしていなかった。
一年生の頃はすこし辛かったが、二年生になると、同類の仲間を見つけて教室の隅っこでアニメの評価をし合ったり、ゲームの攻略を教え合ったりして、それなりに楽しかった。陰口や視線は、極力無視した。「きもちわるい」という言葉は、いつの間にか僕の一部になっていた。どうだ。僕はきもちわるいんだ。
そんな頃淡い恋をした。いや、恋だなんて立派なことは言えないくらいの、一方的な気持ち。
その子は普通の子だった。普通に挨拶してくれて、普通に話をしてくれて、普通に接してくれる、普通の子だった。それだけで特別だった。
ある日のことだった。移動教室で、彼女は僕の隣の席だった。ふと、彼女はペンを落とした。それは、僕の足元に転がってきた。だから、拾って、返した。
それは咄嗟のことだった。下心が湧く隙もないほどの瞬間的なことだった。
「ありがとう」
彼女はペンを受け取ってくれた。そしてそのペンを机の端に置いた。そして別のペンを使った。そのまま、授業が終わって、教室を移動した。
以降、彼女がそのペンを握ることは無かった。
そのとき学習したのだ。世の中で「きもちわるい」と呼ばれる人間は、人に親切にする権利すらないのだと。一瞬の行動でさえ、許されないのだと。それはそうだ。だって、きもちわるいんだから。
「あ」
プネブマに来てからひとりで暮らしていた頃。どうしても自分の足で買い物に行かなければならなかった。袋の中にカロリンフレンドが10箱入で特売だったので、それを買う。帰りの道中で、気付いた。
袋には11箱入っていたのだ。
咄嗟に踵を返して、立派な角の生えた店員に言った。
「あの」
「はい!」
「こ、これ……さっき、買ったんです、けど」
「はい」
「1個、多くて」
「えっ? ……あっ! 申し訳ございません!」
「あの……1個分、払うので……精算を」
「よろしいんですか?」
「はい」
店員は笑った。
「ありがとうございます!」
クリスタルは受け渡されて、引き出しの中に自然としまわれた。
バルチカたちがまだ試験段階だった頃、依頼があって、ちょっとした装置を作った。研究費用の足しになればと引き受けたのだ。作ったのは映像を映し出すプロジェクターのようなものだった。依頼してきた犬型の老夫婦は、装置を手渡すと丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございます」
ときどきその夫婦からは手紙が届く。今も大切に使っています、孫が気にって大変で。この間バルチカにメンテナンスに行かせた。
ペンが落ちた。指揮官さんが落としたのだ。訓練室でベンチプレスを死にものぐるいになって上げていた僕のところへ、そのペンは転がってきた。
ペンだ。
今僕は汗だくで、多分、最強にきもちわるい状態だ。僕は躊躇った。指揮官さんはペンを探している。一緒にいたフィックスさんもキョロキョロしている。ペンはここにある。
拾っていいんだろうか。僕が。指揮官さんは予備のペンを持っていないと嘆いている。カールスバーグさんが「スペアくらい持っていろ!」といつもの調子で怒った。ペンはここにある。僕が拾わないときっと誰も気づかない。そして指揮官さんはカールスバーグさんに怒られる。
「あの」
僕は、なるべく汗を拭いて、ペンを拾った。
みんなの視線がこっちに向いた。息が苦しくなった。
「こ、ここに……」
「あ!」
すぐに指揮官さんが駆け寄ってきた。
「すみません、ありがとうございます!」
「い、いえ……」
指揮官さんは笑って手を出してくれた。よかった。大丈夫だ。そう思って差し出した時、汗の雫がぽたりと、髪の毛を伝って、ペンの上に、落ちた。
「あ」
もう駄目だ。
なんでもっとちゃんと汗を拭いてから拾わなかったんだ。最悪じゃないか。別の意味で息が苦しくなった。このまま消えてしまいたい。存在も記憶もすべてなかったことになりたい。いい人ぶって結局僕は「きもちわるい」人間なんだ。汗の一滴に気を配れない人間には、どこまでも人に親切にする権利なんてないのだ。
指先からペンが抜き取られた。指揮官さんは自分のタオルで落ちた雫を拭いた。
「助かりました! カールスバーグさんすぐ怒るんだから」
「何か言ったか!?」
「別に!」
そうして颯爽と元いた場所へ戻って、そのペンを使って、仕事を再開した。フィックスさんも「よかったねえ」と言って、ランニングマシンに戻った。
指揮官さんは訓練室から出ていくまで、そのペンを使っていた。
出ていってから捨てたかもしれない。どこかに投げやったかもしれない。そして手を念入りに洗ったかもしれない。けれど。
少なくとも目に見えるところでの拒否はなかった。
「……ふっ」
思わずにやけた。ああ、うん、きもちわるい。すごく今きもちわるい。わかる。でも。
ここではきもちわるい人間にも権利がある。
親切にしてもいいのだ。もちろん限度はあるだろう。だけどいいのだ。許されるのだ。少なくとも、買い物でこっちが得をしてしまったときとか、頼まれごとに応えたときとか、落ちたペンを拾ったりとか、そういうくらいは、許されるのだ。
「……ふひっ」
最高にきもちわるい顔は、なかなか直らなかった。仕方ない。ぼくは、きもちわるいんだから。
(「今ノ ゴ主人、メチャクチャニ キモイ」)