バルチカ
おなまえをおしえてね
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
イカが空を飛んでる。
青空いっぱいにイカが、ぬめぬめと飛んでる。侵略! イカ……イカだな。イカだ。
眺めていると、突然イカたちはぴしりと規律の取れた編隊を組んで、ある方向に向かって一直線に進み始めた。追いかけていくと、耳慣れた電子音声が聞こえてきた。
「ハハハハハ、私ハ万能アンドロイド」
ちゅどーんちゅどーん、遅い来るイカたちをバルチカが撃ち落としている。落ちたイカはほかほかなイカ焼きになっていて、とてもいい香りがした。
一個くらい食べてもいいよね、落ちたイカ焼きを拾って、かじろうとした。いい匂いだ。お腹がすいた。でも口に入るその瞬間、とてもとてもその匂いで気持ちが悪くなった。あ、これ、これは吐くやつ。イカ焼きを落とし口をおさえて、
「ウワ」
吐いた。
枕元が吐いたものでびちゃびちゃになった。ぼたぼた落ちる汁が止められない。鼻の奥が痛い。何が起きてるのかわからなくて、呆然とただ広がる嘔吐物の溜まりを見下ろしていた。胃がまだ痙攣しているし、喉は熱い。
「指揮官」
片付けなくちゃ、ティッシュかな?トイレットペーパーかな?トイレットペーパーだな、トイレに行かなきゃ、ベッドから出ようとしたけど目が回って、そのまま嘔吐物の池に頭からダイブ、
「あさひ!」
するところだった。
「……」
「……」
「……片付ケルカラ」
「ばるち」
「ソノママ ストップ」
「ん」
どうしてなのかバルチカがいた。肩をおさえられてすんでのところでゲロダイブは免れた。ありがたい。でもなんでいるの? というか私はどうしたの? ぽかんとしてるとバルチカはてきぱきとシーツを引っ張って(「マットレスガ ダメニナッタ可能性 63%」)回収し、そして燃やした。燃やし…燃やした。えっ燃やした。
「焼クノガ1番衛生的」
あ、そうなんだ。そのあとコナさんも連れてきて(シーツの燃えカスを見て全身震えてた)全てを片付けると、新しくシーツをはりなおして(37%を引いてなんとか消臭しただけでマットレスは無事だった)、寝かしつけられた。コナさんはせめて吐くなら床に吐いてくれと言って帰って行った。
「……………」
「……ヤレヤレ」
「……いやいや」
「何?」
「なんで私寝てるの」
「測定ノ結果 体温38.7度ヲ検知」
「わお」
「嘔吐ハ 熱デ 胃腸ガ荒レテイルノガ原因ト 思ワレマス」
「はー」
全身がふわふわする。気持ち悪さはもうないけれど、眠気と寒さと暑さが全部いっぺんにぐるぐると巡っていて、横にいるバルチカがゆらゆら揺れていた。バルチカ。あれ?なんで?
「なんでバルチカがいるの?」
「目ノ前デ倒レタ」
「まじか」
「体調管理モ 指揮官ノ仕事ト シュヴァルツ 二 叱ラレテイタ」
「おっしゃる通りです」
「…………」
「…………」
「……運んでくれたの?」
「ウン」
「ありがとう」
天井がぐるぐる。変な夢を見たのは熱のせいかな。焼きイカの匂いを思い出した。なんでイカだったのかはわからない。なんでだろう。侵略!イカ…………イカだったな。うん。
バルチカが青い目でじっとこっちを見ていた。やっぱり何を考えているのかわからない。心配してるのか呆れてるのか。呆れてるのかな。それっぽいな。そうだよな。体調管理も指揮官の仕事。それができないんだから。でも熱が出ちゃったもんはしょうがなくない? なくない? なくなくなくない? あれ?
お腹が鳴った。
「おなかすいた」
「今吐イタ バッカリダロ」
「おなかすいた」
「睡眠ヲ推奨シマス」
「おなかすいた」
「薬ヲ飲ンデ 睡眠ヲ推奨シマス」
「空きっ腹に薬飲んだらまた吐くよ」
バルチカは目を細めた。ジト目ってやつかな。怒ったかな。目もチカチカし始めた。バルチカの目がチカチカ。はははは。……………はい。
「モー」
すたすたとバルチカは出ていってしまった。
出ていってしまっ……しまった。
「……………」
やっぱり呆れたんだ。熱で倒れたくせにお腹空いたとか馬鹿の極みだ。第一ウルケルさんの薬なら空きっ腹に飲んで胃が荒れるなんてことはない。急に周りが静かなのを思い出したし、自分がここにひとりだということに気が付いた。
病気の時は気弱になる。脳天気な性格でも悲しくなったり怖くなったりする。今の胸の中の状態を言葉にできるほど語彙力が無くて、ぐるぐるする気持ちが背骨を伝って目に入ってきて、涙になってこぼれた。
「ごめんねえ……」
ごめんねえ、馬鹿な指揮官でごめんねえ、誰もいないのに声が出た。声にしないと胸が爆発して死んじゃいそうだったからだ。日が陰って外が暗くなってきた。1時間くらい経った頃だろうか。涙が鼻水になって一緒に垂れてくるから顔は酷い有様で、枕を汚さないように起きた。腰が痛い。
ティッシュ。どこだっけ。ベッドから降りて探す。どこだっけ。あれ?枕元に置いてあったような。ドアが開く音がした。
「睡眠ヲ推奨ッテ言ッタダロ」
バルチカだった。目を細めてやっぱり今度こそ呆れてた。でもそれよりも戻ってきてくれたことが嬉しかったので、また泣いた。今度はじわじわじゃなくて、サタンちゃんみたいにぼろぼろと涙が落ちた。
「バルチカ〜〜〜」
「ウワ 顔 拭イテクダサイ」
「ティッシュどこ〜〜〜?」
「ソコニ 落チテル」
「あった〜〜〜」
ティッシュ!ベッドの脇に落ちていた。探し求めたティッシュを2枚くらい抜き取って、鼻水を拭いてもう1枚取って、目の当たりを拭いて、顔がすっきりしたところで改めて見ると、バルチカが土鍋とタッパーを持ってることに気が付いた。
「…………土鍋熱くないの?」
「私ハ アンドロイド デスヨ。コレクライノ熱ハ ヘッチャラノ ポイ」
「ぽい」
「……指揮官ノ体温ガ 先程ヨリ 0.6度上昇シテイマス」
「あれえ」
「寝ロ」
「はい」
足元がふわふわした。今度は素直に布団に入った。バルチカは持っていた土鍋とタッパーをサイドボードに置いて、ベッド脇に持ってきた。
いい匂いがする。
「それ何?」
バルチカは無言で土鍋の蓋を開けた。おかゆだ。
「おかゆだ」
「発熱時ハ オカユ」
「おかゆだあ」
「アト コッチハ 切リ干シ大根」
「きりぼしだいこん」
「昨晩ノ 残リ物」
お米の甘い香りが湯気にのってふわりと漂う。吸い込んでも、イカ焼きのように気持ち悪くならなかった。勝手に食器棚を開けてお椀とスプーンを出すと、バルチカは適量をお椀によそって、上に切り干し大根をそっと乗せた。手慣れている。ハイトさんが熱を出した時もこんなふうにしているのだろうか。さすが万能アンドロイド。
「……いいの?」
「……」
怒って、帰ったんじゃ、なかったんだろうか。すこし恐る恐るきいてみる。バルチカは、ハァー、と、ふかーくふかくため息をついた。
「腹減ッタ ト ウルサカッタノハ ドコノ誰デスカ」
「わたしです」
「指揮官ハ 善良デ 努力モ認メラレルガ ソウイウトコロガ 非常二」
「非常に」
「ポンコツ」
「ポンコツ」
「アンドロイド ナラ スクラップ レベル」
「ひどい」
「デモ」
「……」
「……」
「……」
「……」
「?」
突然バルチカは黙った。口が開きっぱなしだ。湯気が段々減ってきた。冷めてきたのかな。
バルチカはぱっと土鍋の蓋を閉めながら、何故か天井を仰いだ。
「……」
「何?」
「……」
「ねえ」
「……」
「おーい」
「…………ナンデモアリマセン」
「むご」
スプーンが口に突っ込まれた。適温に冷めていてあったかい。おいしい。口の中からじんわりあったまる。お米の甘さと切り干し大根の塩っぱさがちょうどいい。
「サッサト 食ッテ 寝ロ」
「んぶ」
「ゴ主人モ 気ニシテイテ」
「んご」
「ウルサイ カラ 私ハ」
「ふぐ」
「早ク 帰リタイノデス」
「んぐ」
「明日モ 来テヤルカラ」
「ん!?」
「早ク 寝テ 治シテクダサイ」
「んまっ、待って」
喋りながら間髪入れずおかゆを口の中に入れてくるので、バルチカの手を掴んで止めた。あ、これはね、これはわかるよ、これはね、睨まれてるね。
「あのね」
「ハイ」
「もうちょっと味わって食べたい」
「ハア?」
「おいしいんだもん、これバルチカが作ってくれたんでしょ?」
「……土鍋ゴト イキマスカ」
「なんで!?」
結局手を振り払われ、おかゆ食べさせマシーンと化したバルチカと、おかゆ食べるマシーンと化したこの口が、無言で土鍋を空にするまで数十分続いた。土鍋はそもそも小さいし、量も大したことは無い。タッパーの切り干し大根が少し残った。
「満足シマシタカ?」
「……しました」
「……残リハ 明日」
「はーい」
「……食イ意地ダケハ 立派ナンダカラ」
「だっておいしいんだもん」
「指揮官ノ 思考回路ハ トテモ トテモ ソレハソレハ トテモ シンプル」
「褒めてる?」
「ケナシテル」
「ひどい!」
「ハイ モウ オシマイ」
ぽいぽいとお椀もスプーンも土鍋に突っ込んで、バルチカは立ち上がった。器用に全部持っている。さすがだ。
「私ハ 帰リマス」
「帰るの?」
「帰リマス」
「そっか」
「……」
「……」
「明日モ 来ルカラ!」
「明日はうどんがいい!」
「永眠シマスカ?」
「しません」
「ヨロシイ」
ソレデハサヨウナラ! バルチカは颯爽と帰って行った。足だけでよくもまあ器用にドアを開け閉めできるもんだと感心した。さすがだ。
また部屋の中が静かになったけれど、今度は胸の中はぐるぐるしていなくて、ぽかぽかしていた。おかゆのおかげだ。布団にもぐると、すぐに眠気がやってきた。
夢を見た。今度は夢だってわかるんだ。空にはやっぱりイカが飛んでいた。バルチカもやっぱりイカを撃ち落としていた。だけど笑っていなかった。
何を言ってるのかは聞こえなかった。
(翌日きちんとうどんが来る)