短編集・その他

 都会のアパートの一室で、少女はさめざめと泣いている。

 天気は晴れで、星空はこんなにも綺麗なのに、彼女の心はどしゃ降りの雨模様だった。
 二階のアパートの窓は開いており、遮光の黒いカーテンが夜風にはためく。

 ある事実に気がついてしまったのだ。
 少女の病気は、どんな薬を使っても、どんなに健康的な生活をしても、絶対に治らないものだと。

 認めたくなかった。病気を抱えたまま生きていくなんて。
 小さい頃、元気で、なにも考えず生きていたあの頃が懐かしい。まだ十五歳なのにそんなことを考える。

 随分前の診察で言われた病名が、大きな石のようにずしりと彼女にのしかかる。
 一生、この病気という邪魔者を抱えたまま生きていかなければならないのだ。

「もう、嫌だな……」

 少女は机の上に視線を動かす。そこには、今日の診察で処方された一ヶ月分の薬があった。
 シートの錠剤は物言わず無機質に、部屋の明かりを反射する。

 そのシートを手に取り、少女はぱちんぱちんと薬を取り出していく。その量は通常の量ではなかった。

 絶望した彼女は、もう生きるのをやめようと考えたのだ。どうせ治らないのだ、それならここでやめてしまおう。

 できた錠剤の山、そこから五錠ずつ取りながら服薬していく。五錠までなら一気に飲んでもいける。長い闘病生活の末、彼女は一度に飲み込める量を把握してしまっていた。

 何度も繰り返していると、喉の異物感が襲ってくる。それでも、彼女は錠剤の山を減らすことを止めようとはしなかった。

 最後の五錠を飲み込むと、視界がふらふらし始めた。いつも見ている自室の風景が歪み、手が震えているのがわかる。
 座っていられなくなって、少女は床に倒れ込む。天井の蛍光灯が近づいたり遠くなったりする。

「よかった、これで……」
 その目はぐるぐると渦巻いている。

 突如、彼女の視界になにかが現れた。最初、人だと思った。しかし、それは人ではなかった。化け物だった。人形の怪物だった。頭が白と黒のバクなのだ。
 その化け物を少女は気持ち悪いと思った。

 死神……?
 そう思うと、死を司るのだから気持ち悪くても仕方ないような気もした。

 化け物はこちらに両手を伸ばす。そして、少女の首をぎゅっと握った。
「ぐッ……」
 視界がくにゃりと歪む。酸欠だ。心臓がどくどく、早い鼓動が気持ち悪い。

 あぁ、私、死ぬんだ。このまま死神に首絞められて死ぬんだ。
 死ぬって、こんなにつらかったっけ。もっと安らかに逝けるものじゃなかったっけ。

 化け物は少女を見つめてにんまりと笑っている。少女の死を喜んでいるかのように。

「や、だッ……!」
 少女は最期に必死に抵抗する。力の入らない体で、どうにか化け物の拘束から逃れようとする。
 苦しいのは嫌だ!

「だれ、か……!」
 誰か、助けて……!

 そのときだった。

断末魔法ダンマツマジカル・トゥインクルハンガー!」
 知らない女の子の力強い声が聞こえた。

 その瞬間、ふっと首のあたりの締め付けがなくなって、少女は意識を手放す。
 暗転の直前、ロープと星のような女の子が見えたような気がした。

   ◇

 目を覚ますと、見慣れた天井が広がっている。ベッドに寝転がっているようだった。

「大丈夫?」
 知らない声に視線を動かすと、そこには女の子がいた。ピンクの髪の毛、緑色の目。短いツインテールが女の子の快活さを示している。

 私と真逆の、キラキラと星のように輝く女の子。

「私……」
「あっごめん、不法侵入だよねっ! すぐ退散しますので……」
「待って」
 逃げようとする女の子を引き止めて、少女は身を起こす。

「あなた……助けてくれたんだよね?」
 変な白黒のバクの頭の化け物を、この子がロープで吊るして倒しているのを見たのだ。

「そう!」
 女の子はにっこりと肯定して自己紹介をする。

「あたし、青木ヶ原きらり! スーサイドガール、やってます!」
 星ははっきりと言い切った。

「スーサイド……」

 そうだ、私は自らの命を投げ出そうとして……。
 少女は少し前、錠剤をたくさん飲んでいたことを思い出す。

「……」
 少女は下を向いた。

「どうしたの? あたしで良ければ、お話聞くよ?」

 初対面の女の子にこんな重いこと、話しても良いのだろうか。闘病なんて、重たい話……。

「なんでもいいよ! 今、つらいんでしょ?」
 悩んで口を開けないでいると、星は優しく微笑む。

「あたしもね、つらいことあったんだ。でも、友達と話して楽になったの。完全には癒えてないんだけど、少しつらいのが減ると楽になると思うの。だからあなたも、話してほしいな」

「あっもちろん無理にとは言わないけどねっ!」と星は慌てる。そんな様子に少女はくすりと笑い、この人なら話してもいいかな、と考えた。

 少女はことの顛末を話した。
 絶対に治らない病気を抱えていること。
 終わりのない闘病生活に嫌気が差して、もう終わりにしようと思ったこと。

「もう……つらくて……」
 洗いざらい全て話すと、少女はひとつため息をついた。ほろり、涙がこぼれる。
 やっぱり、闘病生活ってつらい。

「うぅっ……頑張ってるんだねぇ……!」
 震える声に星の顔を見ると、彼女はズビズビと泣いていた。少女は枕元のティッシュを星に差し出す。星は「ありがとう」と言ってティッシュで鼻をかむ。

「死ぬまで終わらないのに、それでも前を向いてお薬飲んで病院に行ってるんだね……!」
「えっあっ」
 星は少女よりもたくさん泣いていた。ティッシュがびしょ濡れになってもなお、涙は止まらない。

 星に追加のティッシュを渡しながら少女は思う。
 この子、優しい子なんだ。

 ひとしきり泣いたあと、涙を拭って星は言う。

「明日、よかったらシーサイドカフェにおいでよ! おいしいスイーツがたくさんあるからさ、気晴らしに来て! あたしのバイト先なんだ」

「シーサイドカフェ……?」
 聞いたことのない店名に少女は首を傾げた。

「うん! 目々戸森めめともりにあるカフェなんだ。ここから少し歩くかな?」
 カレンダーを見る。明日の予定はない。

「行ってみよう……かな」
「来てくれるの!? やったー! 明日張り切って準備しちゃうぞっ!」
 星はニコニコと笑っている。

 この女の子のいるカフェなら、安心して行ける。だって、私をあの死神から救ってくれた人だもん。
 そう少女は確信していた。

 窓から差し込む月明かりが、二人の少女を照らしていた。

   ◇

 時刻は朝の十時。スズメがちゅんちゅんと鳴き、目々戸森市には穏やかな午前中の空気が漂っている。

 そんな中、歩く少女が一人。昨日自らの命を投げ捨ててしまおうと思っていた少女だった。
 少女の指はスマホの上にある。液晶画面は地図を表示しており、目的地には「シーサイドカフェ」とある。もうすぐ着くようだ。

「ここ……」
 少女は歩みを止める。

 駅から少し離れた場所にあるそのカフェは、決して大きくはないがおしゃれだ。見た目からして純喫茶だろうか。
 ドアを開けるとカランカラン、ベルの音が少女を出迎えた。

「いらっしゃいませ! って、昨日の子!」
 メイド服を着た桃髪の少女が現れる。紛れもない、昨日会った星だった。

 ここ、メイドカフェなのかな……。星の制服を見ながら、少女はそんなことを考える。

「来てくれたんだ! あ、こちらのお席へどうぞ!」
 星は端っこの一人席を勧めてくれた。案内されるままに座る。ソファーのクッションが柔らかく歩き疲れた少女の体を包み込む。
 朝早いのにカフェはそこそこ混んでいる。人気のお店なのだろうか。

「メニューです!」
 星にメニューを渡される。

「あ、ありがとう……」
 感謝を伝えると星は口角を上げる。

 メニューを開くと、キラキラした文字列が襲ってきた!

「恋のスキ☆トキメキクリームソーダ」!?

 少女は目を見開く。
 やっぱりメイドカフェなのかな……。それとも店長さんのネーミングセンスがすごいだけなのかな?

 少女が横文字に目を滑らせながらどれにしようか迷っていると、星が口を開いた。

「おすすめは『太陽のプリン』なの。あたしが考案したメニューでね……流汐るしおさん……マスターにもおいしいって好評だったメニューなんだ」
「じゃあ……それで」

「はーい! 『太陽のプリン』、入りまーす!」
 そう言うと星はキッチンの方へ行ってしまった。

 店内を見渡すと、色んな年齢層のお客さんが来ているようだった。みんな楽しそうにしている。

 こんなおしゃれなカフェが近くにあるなんて、知らなかった。目々戸森には買い物とかで結構寄るけど、シーサイドカフェの存在は知らなかった。

 キラキラした感情がお店に漂っている。素敵な場所だな……。

「お待たせしました、『太陽のプリン』です」

 落ち着いた声。星ではない水色のおかっぱ髪の店員がプリンを持ってきてくれた。
 少女は「ありがとうございます」と会釈する。店員は営業スマイルで「ごゆっくりー」と言って戻って行った。なんだかどこかで——動画サイトで見たような気がするけど、気のせいか。

 机に置かれたプリンにはクリームがちょこんと添えられていて、その上にさくらんぼが乗っかっている。可愛らしいプリンだ。

 写真を撮る。少女は外食のときは写真を撮るのだ。今この瞬間を記録し、あとで見返して思い出に浸るためだ。

 スプーンを手に取り、一口食べる。そして、少女は気づく。

 ただのカスタードプリンなんかじゃない、これ、チョコが入ってる!
 噛み締めるように、プリンを食べていく。

 優しい、優しい味がする。心の中に、じんわりと染み込んでいく。
 昨夜絶望していた少女を、星が救ってくれたように。

「おいしい……」
 ぽろ、と少女の瞳から涙があふれた。

 太陽のプリンを食べ終わり、しばらく余韻に浸ってから会計へ向かう。星が接客してくれた。

「どう? 太陽のプリン、おいしかったかな……?」
「うん。すっごくおいしかった! おいしすぎて泣いちゃったよ」
「そんなにおいしかったの!? へへ、嬉しいなぁ」
 星の笑顔につられて、少女も笑顔になる。

 お金を払って、店から出る直前、振り返って少女は言う。
「また、来ます」

 星は「やったー! 待ってるね!」と嬉しそうに手を振った。

 店を出ると、優しい日差しが少女を包む。

 今度の診察が終わったら、またこのカフェに来よう。今度は恋のスキ☆トキメキクリームソーダに挑戦してみようかな。

 星ちゃんに会ったり、このカフェに行けるなら、まだ生きていてもいいかも。

 少女の口角は上がっている。それは、前に進もうという決意が現れている証拠だった。

 少女は一歩、足を踏み出す。また始まる闘病生活を、乗り越えようと決意して。
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