数珠丸恒次

「催し物も終わったことだし、飲もうぜ」

 鶴さんが珍しく数珠丸さんに声をかけているなぁと思った。二人とも同じ部隊に入ってもらうことが多いけど、会話しているところはあまり見たことがなかったから。

 イベントの最後の日、第一部隊のみんなから報告を受けたところだった。怪我をした男士は手入れ部屋へ、なんとなく残った二振りと私がなんとなく話していたのだ。

「お誘いはありがたいのですが……私は僧ですので」
 そうだよね、と心の中で頷く。彼ががぶがぶとお酒を飲むイメージはない。

「飲もうぜ」
 それでも引かない鶴さん。

「……」
 数珠丸さんは眉根を寄せて黙ってしまった。

「ほら、鶴さん、数珠丸さん困ってますし……!」

「いいだろー?」
「仕方ないですね。少しだけなら」
「お、いいのかい? 光坊にうまい料理頼んでおくよ!」
 数珠丸さんの静かな返答に答えると、鶴さんは颯爽と台所へ走っていった。

「……大丈夫ですか?」
「えぇ。飲んだふりしておきますよ」
「ご心配なく」と数珠丸さんは言う。その声はいつものトーンで、私は少し安心した。

   ◇

 書斎で仕事を片付ける。このイベントで消費したもの、受け取ったもの、そんな収支を報告する。

 いつもなら近侍が手伝ってくれるけれど、彼は今鶴さんと宴会中だ。戦で疲れているだろうからぜひ楽しんできてほしいと、手伝おうとする彼の手を止めた。

 さらさらと万年筆を走らせ、収支を記載する。行灯の明かりが机上を優しく照らしている。

 ふと、数珠丸さんは鶴さんとうまくやっているだろうかと考える。もしかしたら、鶴さんがなにか数珠丸さんにアドバイスしてくれているかもしれない。……逆かも。


 数珠丸さんと私は恋人だ。私の方から気持ちを伝えて、それを彼が受け入れてくれた形だ。

 しかし、困ったことがある。いや、困っているのは私だけなのかもしれないけれど。

 数珠丸さんはあまり恋人らしいことをしてくれないのだ。

 恋人になる前、主と近侍という関係のときにやってくれたこと(仕事の手伝いや外出時の護衛など)はしてくれるのだが、その先、恋人になったときにするようなことをしてくれたためしがない。

 一緒に手をつないだり、ぎゅってしたり……そういうことをしてくれないのだ。

 私からなにかアプローチしてみるのもいいかな、と思ったこともあるけど、彼は僧侶だ。ルールを破ってしまうのが怖くて、なにもできずにいた。

 ルールがあろうとなかろうと、彼が私に手を出してこないのは多分、私を大切にしてくれているからだと思う。それだけ数珠丸さんは理性的な人なのだろう。

 でも、なんだかさみしい。もっと距離を縮めたいと思っているのは私だけなのだろうか。

 報告が終わり、道具を片付けながら時計を見る。作業開始から一時間が経とうとしていた。

   ◇

 うちの本丸で宴会をするといえば、大抵一番大きな広間を使う。でも、今回は二人だからあの部屋かな、と向かうと部屋の外に上半身を放り出し、床で寝転がっている鶴さんを見つけた。

「つ、鶴さん!」
「なんだ、きみかぁ〜」
 鶴さんは赤い顔でにへっと笑う。お酒の匂いがする。

 ということは、もしかして数珠丸さんも……?
 不安になって恐る恐る障子を開くと、案の定数珠丸さんがいた。彼はぼーっと前を見つめている。
「……」

 机には飲み散らかしたお酒の瓶と、料理の乗っていたであろう皿。
 驚いてぽかんと口を開けていると、こちらに近づく足音が聞こえた。燭台切さんだった。

「ごめんね主、珍しくあの鶴さんが数珠丸さんと飲むだなんて言うから、僕も料理張り切っちゃって……」
 ため息をついて、彼はこの状況に呆れているようだ。

「台所にこもってたらこんなことに……ごめん!」
「いえ、私も休憩がてら抜け出して様子を見に来ていれば……!」
 私はぺこりと謝る。燭台切さんは苦笑いした。

「鶴さん、部屋に戻るよ!」
 燭台切さんが鶴さんを叱る。

「まだ……まだ飲ませてくれ……いつも静かな数珠丸の驚いた顔が見たいんだ……!」
「ダメだよ! 驚いた顔が見たいならいつもみたいにおどかせばいいでしょ! 今日はもう寝る!」
「嫌だ!」とグズる鶴さんを無理やり引っ張っていく燭台切さん。大変だな……。

「主! 数珠丸さん、見てくれる? 彼、鶴さんほど酔ってはいないと思うから」
「はい!」
「よろしく!」
 騒ぐ声が遠ざかっていく。私は数珠丸さんの様子を見る。

「……主」
 いつもよりゆっくりと、彼は口を動かした。

 白い頬がほのかに赤く染まっている。上気したその顔は、普段の彼とは違う雰囲気があった。

「数珠丸さん、大丈夫ですか?」
「えぇ、大丈夫ですよ」
 返答はいつも通りで、私は大丈夫なんだな、と安心する。

「では、お部屋に戻りましょうか。片付けは私と燭台切さんでやっておきますので」
「そんな、私もお手伝いします」

 数珠丸さんは立ち上がる。しかし、ふらっとして座り込んでしまった。

 ……酔ってる。

「うぅ……」と弱々しい声を出すその様はいつもの穏やかな彼とは違っていて、私は珍しいなとふと思う。

「お水持ってきます」
「待ってください、主」
「どうかしましたか?」
 私は数珠丸さんの前に座る。

「なにか、体調悪いとか……」

「主」
「はい」

「好きです」
 いきなりの愛の告白に、私は目を白黒させた。

「……えっ?」
 好き、だなんて彼から言われたことはほとんどない。だからこの状況を信じられなかった。

「そのお顔も、髪も、体も。全てが愛おしい」
「数珠丸、さん……?」
 ふふ、と微笑んで彼は私に近づく。

「大好きです、主」
 そして、ぎゅっと私に抱きついた。

 お酒の匂いに混じって、睡蓮の甘い香りがする。いつもそばにいてくれるときに感じていた香りが、より色濃くなって私の脳に刺激を与える。

「ずっと、こうしたかったのです」
「じゅ、数珠丸さん……えっと……」
 緊張で声が上ずってしまう。

 私も本当はこうしてくれる日を今か今かと待ち望んでいた。だから断れなかった。

 でも、お酒の入ってるときになんて……!
 これは本心なのだろうか。それともただの彼なりのからかいなのだろうか。わからない。

「あるじ、あーるじ……ふふ」
 満足そうな声が降ってくる。

「はぁ……ずっと、ずーっとこうしていたいです」
 数珠丸さんの心臓は落ち着いているのに、私だけバクバクと動いていて、バカみたいだ。

「ずっと、ずっと、あなたのお側に置いてください。ね、主……」
 低い声で言われて、私はそのお願いに対して返事をすることができなかった。

 燭台切さんが戻ってくるまで、数珠丸さんは絶対に私から離れようとしなかった。

   ◇

「申し訳ありませんでした」

 翌日、目覚めると数珠丸さんが部屋の前に来ていた。どうしたのだろう、と部屋に入るようにうながすと、開口一番謝られた。

「主、本当にすみませんでした」
 数珠丸さんは頭を地面に伏せたまま動かない。彼の結われた豊かな髪が畳の上にさらさらと広がる。

「主、その……」
「何度も謝らなくて大丈夫ですよ。顔を上げてください」
「すみません」
 やっと顔を上げてくれた。その表情は曇っている。

「その、昨晩のことなんですが……」
 彼は静かに話し出す。

「お酒を飲んでいたとはいえ……あのような……主の体に許可なく触れるなど……失礼なことを……」
 そこまで言うと数珠丸さんは顔を伏せた。

 彼は昨日の出来事――抱きつくという行為――を反省している。しかし、私はそれが……嬉しかったのだ。

 そのことを伝えるのか、ほんの少し迷って私は口を開く。

「でも、恋人なら……」
 緊張で震える唇、うまく彼のことを見つめられずに、彼から視線を外して私は伝える。

「あのくらい……いいのではないのかと思うのです」
 ちら、と数珠丸さんを見る。彼はハッとした顔をして「そう、なんでしょうか」と言った。

「では、あのように気持ちを伝えることも……?」
「人によると、思いますけどね。全然大丈夫だと思いますよ」
「……そうですか」
「私はむしろ……そういうの、嬉しい、です」
 顔が熱くなって、見られないようにと下を向いてしまう。

 言ってしまった……! もっと恋人らしいことがしたいと、ついに伝えてしまった……!

 あぁ、こんな感情、引かれないだろうか。彼ともっと仲良くなりたいなんて、そんな欲望、彼はどう思うのだろう。

「では」
 好きな人の声に、私はつい赤い顔のまま顔を上げてしまう。

「大好きです、主。これからもあなたのお側にいます」
「……!」
 私は目を見開く。

 お酒の入っていない状態で彼は私に「大好き」だと言ってくれた。
 その言葉に、胸がきゅっとなる。

「私、も。大好きです。数珠丸さん……!」
 お返しに今の気持ちを伝えると、彼は優しく微笑んだ。

「これからは、たくさん伝えます。あなたのことが好きだと。大好きだと」
「わ、私もそうします……! 今度現世のデートスポット巡りとか、しませんか?」
「それは楽しそうですね! 私なんかでよければ」
「数珠丸さん、が、いいんです……!」
「ふふ、わかりました」

 会話をしていたら、障子の向こうが騒がしいことに気づく。そろそろ朝餉の時間だ。

「ご飯、食べましょうか」
「えぇ、行きましょう」
「あ、でもその前に鶴さんの様子見なきゃ! 二日酔い大丈夫でしょうか……?」
「どうでしょうね。私も一緒に行きます」
 障子を開けると、ドタバタしたいつもの本丸の朝が私たちを迎える。

「主」
「はい」
 数珠丸さんは穏やかに笑う。

「今日も、よろしくお願いしますね」
「こちらこそ」

 少しだけ変わった私たち二人を、朝のやわらかな日差しが照らしていた。
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