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ガラスのティーポットから、二つの白いティーカップに熱い液体が注がれる。ふわっとベルガモットの香りが漂う。わざわざ茶葉から淹れるのが、彼のこだわりだ。夕食後のティータイムは、すっかり二人の習慣になってしまった。
差し出されたティーカップに手を付ける前に、その相手に感謝を伝える。
「ありがとうね、天哉」
名前を呼ぶと、彼はふっと相好を崩した。
「こちらこそいつもありがとう、水火」
一口紅茶を口に入れると、仕事で緊張していた体がほどけていく。天哉が淹れ方をしっかり学んできっちりやってくれているから、いつもおいしいお茶を私は飲むことができる。
そんなティータイムのときに、突如鳴り響くコール音。
「すまない、水火。ちょっと出てくる」
「うん、わかった」
旦那は部屋の外に足早で行ってしまった。仕事に関することだろうか。ドアの閉まる音が聞こえると、私は一人になる。アールグレイの赤い水面が、私の顔を映している。
一人になるとふと思い出してしまうことがある。彼のこと。八百万さんと一緒になった、いとこのこと。忘れようとしても忘れられない、あの時確かに恋をしていた、彼のこと。
私に向けられていたと勘違いしていた笑顔が、呼んでくれたその声が、まだ心の中に思い出として根を張っている。
「……しょうと」
ひっそりと、誰にも聞こえぬよう口にする。こんなことをしたって、相手の気持ちがこちらに向くわけでもない。ただ、過去のことを思い出してつらくなるだけだ。だというのに、どうしても口は勝手に動いてしまう。
「轟君のことを思い出していたのか?」
気づくと、天哉がそばに立っていた。いつの間に電話を終えたのだろう。
「あ、ご、ごめん......」
思わず目をそらして、過去にまだ執着してしまっている自分を責める。夫の顔を見ることができない。
「いいんだ。それだけ水火の中で大切な人だったんだろう?」
「……」
黙っていると、天哉はこちらに椅子を持ってきて、隣に座る。顔を見ると、彼は眉を下げて寂しそうに笑った。
部屋を出た途端、涙があふれてしまった。ショックと悲しみから来るそれは、止まりそうにない。
嘘だと思った。嘘ならどれだけよいだろうと思った。嘘ではなかった。確かに彼は、私の想いを受け取ってくれなかった。
また私は、迷惑をかけてしまった。こんな恋なんて、しなければよかったんだ。かけてきた時間も、募らせた恋情も、必死に隠してきた努力も、全部全部、無駄なものだったんだ。そもそも、私がいなければよかったんだ。私さえいなければ、こんなことにはならなかった。私さえ、いなければ。
エレベーターでロビーまで降りると、A組のみんなが私の様子を見ておろおろしている。応援していたのにまさかの失恋だなんて、予想していなかったのだろう。こんなところにいても余計みんなに迷惑をかけるだけだ。早く、出よう。早く帰ろう。
みんなに背を向けて寮を出ようとしたら、声をかけられた。
「水火君!」
振り返ると、にじんだ視界に眼鏡の彼が映る。クラスからどよめきの声が上がる。クラスで一番真面目で、こんな色恋沙汰に関与するには向いていない彼が真っ先に声をかけたことに、みな驚いている。
「何かあったのか?」
近くに寄ってくる。差し出された手には、ポケットティッシュがあった。新品の、質がいいと有名なものだった。無言のままの私に、彼は優しく語り掛けるように言う。
「俺は学級委員長だ。他クラスの生徒であっても、泣いているところを見過ごすことなんてできない」
顔を上げると、飯田君は私のぐずぐずの目を見ていた。
「力になりたいんだ。よかったら、相談してくれないか」
色んな感情であふれて片付いていない頭のまま、頷いて、ティッシュを受け取る。「行こう」と人のいないところまで連れていかれる。嗚咽でうまく呼吸のできない私から言葉が出てくるまで、彼はただひたすらに待っていてくれた。
「私、なんて馬鹿なんだろう」
目の前に人がいるというのに、出てきたのは自責の言葉だった。
「迷惑ばかりかけて、早く、いなくなっちゃえばいいのに」
口にしてから、いけないことを口にしてしまったと思った。口が一瞬開き、また涙がこぼれる。
「俺は」
相手の声が聞こえて、顔を見る。震えた声だった。
「俺は、水火君にいなくなって欲しくない。テストで張り合う仲間がいなくなってしまうじゃないか」
そう言って、彼は優しく笑った。じんわり出てきた涙が、次第にぼろぼろとあふれた。
私は、この人に必要とされているんだ。
たった一人、仲間がいるというだけで、ここにいてもいいというあたたかな安堵が心の中に生まれる。重たい失恋の感情は押し出され、私の目から涙となってこぼれおちる。
「ごめん、なさい」
「いいんだ。つらい気持ちになるときは誰にでもあるからな。気の済むまで話を聞こう」
「……いいの?」
「ああ。水火君の力になりたいんだ」
そこから彼とは徐々に言葉を交わすようになり、勉強を教えあう仲になった。クラスは違えど、昼休みや放課後など時間を合わせてお互いのわからないところを教えあった。二人で先生に聞きに行くときもあった。先生方からは仲良しだね、なんて言われていた。おかげで二人ともとてもいい成績をとることができた。
それだけではない。彼のよさや面白さ、抱えていることの重さや未来へ向かおうとする努力を間近で感じることができ、それらは私も頑張ろうという気持ちにさせ、受験勉強に打ち込むことに繋がった。無事、志望していた医大に合格することができた。
そして、卒業式に彼の方から告白された。テンプレートに沿ったかのような、「ずっと前から好きでした。付き合ってください」だった。笑って頷いたのを覚えている。私の受験が終わるまで待っていてくれたのだそうだ。
優しく真面目な彼に、ゆっくりと惹かれていった。
「……心配で。うまくやってるかなって」
「大丈夫さ。水火が心配することじゃない。彼は彼で、八百万君と元気にやっているだろう。俺たちも進んでいこう。……な?」
首を傾げて私に同意を求める天哉に、私は小さく頷く。
「もう忘れていいことなのにね……ごめんなさい」
「いや、いいんだ。水火がそう思うのは無理もない。親族や親戚というのは、切っても切れない縁だからな」
少しの間ののち、口を開く。
「俺は、彼の代わりにはなれない。だが、水火を支えることはできる。こんな俺で嫌かもしれないが……」
「そんなことない。天哉のおかげでここまで来れたんだもん。大好きだよ!」
声の調子を上げて伝えると、彼は一瞬目を開き、伏せた。
「……そうか。俺も大好きだ、水火」
顔だけを向けて視線を合わせてくれない天哉。このままではいけないと、私は彼の身体に手を伸ばす。わき腹や首筋に手を這わせ、くすぐりを仕掛けていく。
しかし、彼は身じろぎ一つしない。ロボットのようにそのまま固まっているだけ。
「……あれ? くすぐりが……効かない……!?」
そういうタイプの人なのだろうか。疑問を口にすると、彼が眉間にしわを寄せていることに気づいた。
「耐えているんだ……!」
よく見ると、への字にして耐えている口がぷるぷると震えている。
「なら、それがどこまで続くか試させてもらいましょうかねぇ?」
いたずら心に自然と口角が上がっているのを感じる。手を伸ばすと、その腕をつかまれた。
「もう、やめたまえ!」
そのまま私の腕をばんざいさせると、天哉は私にくすぐりを仕掛けてきた。
「あはは! あっ、ちょ、そこはやめっ……! あーはっは!」
両手の指すべてを使って行われるこそばゆい感覚に私は爆笑してしまう。この人、もしかしてくすぐりの才能があるかもしれない。
私のことを一番に考えてくれるこの人を、一番大切にしよう。もうあの道は歩めない。それでも。
笑う彼の顔を見ながら、私は私の道を歩もうと思い直した。
差し出されたティーカップに手を付ける前に、その相手に感謝を伝える。
「ありがとうね、天哉」
名前を呼ぶと、彼はふっと相好を崩した。
「こちらこそいつもありがとう、水火」
一口紅茶を口に入れると、仕事で緊張していた体がほどけていく。天哉が淹れ方をしっかり学んできっちりやってくれているから、いつもおいしいお茶を私は飲むことができる。
そんなティータイムのときに、突如鳴り響くコール音。
「すまない、水火。ちょっと出てくる」
「うん、わかった」
旦那は部屋の外に足早で行ってしまった。仕事に関することだろうか。ドアの閉まる音が聞こえると、私は一人になる。アールグレイの赤い水面が、私の顔を映している。
一人になるとふと思い出してしまうことがある。彼のこと。八百万さんと一緒になった、いとこのこと。忘れようとしても忘れられない、あの時確かに恋をしていた、彼のこと。
私に向けられていたと勘違いしていた笑顔が、呼んでくれたその声が、まだ心の中に思い出として根を張っている。
「……しょうと」
ひっそりと、誰にも聞こえぬよう口にする。こんなことをしたって、相手の気持ちがこちらに向くわけでもない。ただ、過去のことを思い出してつらくなるだけだ。だというのに、どうしても口は勝手に動いてしまう。
「轟君のことを思い出していたのか?」
気づくと、天哉がそばに立っていた。いつの間に電話を終えたのだろう。
「あ、ご、ごめん......」
思わず目をそらして、過去にまだ執着してしまっている自分を責める。夫の顔を見ることができない。
「いいんだ。それだけ水火の中で大切な人だったんだろう?」
「……」
黙っていると、天哉はこちらに椅子を持ってきて、隣に座る。顔を見ると、彼は眉を下げて寂しそうに笑った。
部屋を出た途端、涙があふれてしまった。ショックと悲しみから来るそれは、止まりそうにない。
嘘だと思った。嘘ならどれだけよいだろうと思った。嘘ではなかった。確かに彼は、私の想いを受け取ってくれなかった。
また私は、迷惑をかけてしまった。こんな恋なんて、しなければよかったんだ。かけてきた時間も、募らせた恋情も、必死に隠してきた努力も、全部全部、無駄なものだったんだ。そもそも、私がいなければよかったんだ。私さえいなければ、こんなことにはならなかった。私さえ、いなければ。
エレベーターでロビーまで降りると、A組のみんなが私の様子を見ておろおろしている。応援していたのにまさかの失恋だなんて、予想していなかったのだろう。こんなところにいても余計みんなに迷惑をかけるだけだ。早く、出よう。早く帰ろう。
みんなに背を向けて寮を出ようとしたら、声をかけられた。
「水火君!」
振り返ると、にじんだ視界に眼鏡の彼が映る。クラスからどよめきの声が上がる。クラスで一番真面目で、こんな色恋沙汰に関与するには向いていない彼が真っ先に声をかけたことに、みな驚いている。
「何かあったのか?」
近くに寄ってくる。差し出された手には、ポケットティッシュがあった。新品の、質がいいと有名なものだった。無言のままの私に、彼は優しく語り掛けるように言う。
「俺は学級委員長だ。他クラスの生徒であっても、泣いているところを見過ごすことなんてできない」
顔を上げると、飯田君は私のぐずぐずの目を見ていた。
「力になりたいんだ。よかったら、相談してくれないか」
色んな感情であふれて片付いていない頭のまま、頷いて、ティッシュを受け取る。「行こう」と人のいないところまで連れていかれる。嗚咽でうまく呼吸のできない私から言葉が出てくるまで、彼はただひたすらに待っていてくれた。
「私、なんて馬鹿なんだろう」
目の前に人がいるというのに、出てきたのは自責の言葉だった。
「迷惑ばかりかけて、早く、いなくなっちゃえばいいのに」
口にしてから、いけないことを口にしてしまったと思った。口が一瞬開き、また涙がこぼれる。
「俺は」
相手の声が聞こえて、顔を見る。震えた声だった。
「俺は、水火君にいなくなって欲しくない。テストで張り合う仲間がいなくなってしまうじゃないか」
そう言って、彼は優しく笑った。じんわり出てきた涙が、次第にぼろぼろとあふれた。
私は、この人に必要とされているんだ。
たった一人、仲間がいるというだけで、ここにいてもいいというあたたかな安堵が心の中に生まれる。重たい失恋の感情は押し出され、私の目から涙となってこぼれおちる。
「ごめん、なさい」
「いいんだ。つらい気持ちになるときは誰にでもあるからな。気の済むまで話を聞こう」
「……いいの?」
「ああ。水火君の力になりたいんだ」
そこから彼とは徐々に言葉を交わすようになり、勉強を教えあう仲になった。クラスは違えど、昼休みや放課後など時間を合わせてお互いのわからないところを教えあった。二人で先生に聞きに行くときもあった。先生方からは仲良しだね、なんて言われていた。おかげで二人ともとてもいい成績をとることができた。
それだけではない。彼のよさや面白さ、抱えていることの重さや未来へ向かおうとする努力を間近で感じることができ、それらは私も頑張ろうという気持ちにさせ、受験勉強に打ち込むことに繋がった。無事、志望していた医大に合格することができた。
そして、卒業式に彼の方から告白された。テンプレートに沿ったかのような、「ずっと前から好きでした。付き合ってください」だった。笑って頷いたのを覚えている。私の受験が終わるまで待っていてくれたのだそうだ。
優しく真面目な彼に、ゆっくりと惹かれていった。
「……心配で。うまくやってるかなって」
「大丈夫さ。水火が心配することじゃない。彼は彼で、八百万君と元気にやっているだろう。俺たちも進んでいこう。……な?」
首を傾げて私に同意を求める天哉に、私は小さく頷く。
「もう忘れていいことなのにね……ごめんなさい」
「いや、いいんだ。水火がそう思うのは無理もない。親族や親戚というのは、切っても切れない縁だからな」
少しの間ののち、口を開く。
「俺は、彼の代わりにはなれない。だが、水火を支えることはできる。こんな俺で嫌かもしれないが……」
「そんなことない。天哉のおかげでここまで来れたんだもん。大好きだよ!」
声の調子を上げて伝えると、彼は一瞬目を開き、伏せた。
「……そうか。俺も大好きだ、水火」
顔だけを向けて視線を合わせてくれない天哉。このままではいけないと、私は彼の身体に手を伸ばす。わき腹や首筋に手を這わせ、くすぐりを仕掛けていく。
しかし、彼は身じろぎ一つしない。ロボットのようにそのまま固まっているだけ。
「……あれ? くすぐりが……効かない……!?」
そういうタイプの人なのだろうか。疑問を口にすると、彼が眉間にしわを寄せていることに気づいた。
「耐えているんだ……!」
よく見ると、への字にして耐えている口がぷるぷると震えている。
「なら、それがどこまで続くか試させてもらいましょうかねぇ?」
いたずら心に自然と口角が上がっているのを感じる。手を伸ばすと、その腕をつかまれた。
「もう、やめたまえ!」
そのまま私の腕をばんざいさせると、天哉は私にくすぐりを仕掛けてきた。
「あはは! あっ、ちょ、そこはやめっ……! あーはっは!」
両手の指すべてを使って行われるこそばゆい感覚に私は爆笑してしまう。この人、もしかしてくすぐりの才能があるかもしれない。
私のことを一番に考えてくれるこの人を、一番大切にしよう。もうあの道は歩めない。それでも。
笑う彼の顔を見ながら、私は私の道を歩もうと思い直した。