本編
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治が途遥を好きになったのは、ひいては寂れかけの弁当屋でバイトすることになったのは偶然だった。
入学してすぐの帰り道、前を歩いていた男が隣の男に“サンキチ”という弁当屋の話を始めた。なんでも、数量限定のミニ弁当が安いらしい。買い食いを検討していた治は弁当屋へ向かう男2人組をこっそり尾行した。
弁当屋さん吉は住宅街の中に昭和の姿のままあった。看板も外壁も古ぼけていて、手動の扉は重く、店内は油が染み付いている。治はあっさり買えたミニ弁を適当な公園で食べた。あんなにボロそうなのに長年やっていけるのが納得の味だった。
以来、週3のペースで買い食いを続け、ふた月経つ頃には店員と世間話をするくらいには常連になった。
「治くん、あっこの制服を着とるっちゅーことは調理関係の仕事したいん?」
今日の会計は店長だった。話好きなのでうっかり捕まると長い。
「そうです。自分、飯が好きなんで。将来は自分の店持ちたいって思ってて」
一刻も早く弁当を食べたいが、唐揚げ1個サービスの恩から無下にできず会話に付き合う。
「はぁー、そら偉いなぁ。じゃあバイトも飲食関係?」
「まだしてへんけど、そっち方面で探してます」
いい加減にバイトして自分で買い食い代を稼げ、と母からせつかれて求人を見ているが、どこがいいのかまだ悩んでいた。
「せやったら、治くんここでバイトせんか?」
「ここバイト募集してるんですか」
「募集しよ思てたとこやねん。松崎さんが腰いわしてなぁ、1人欲しいんよ」
「そうなんですか」
通いつめてからしばらく経つが松崎さんがどのおばちゃんなのかは分からない。せっかくの誘いに気持ちが傾かないでもないが、明らかに時給が安そうで躊躇 う。弁当屋の仕事は気になるが、待遇も気にしたい。
「……あの「ぶっちゃけ時給安いけどな」安いんかい」
あっはっはっは! 店長のデカイ笑い声が響く。
「せやけど、その代わり賄いは奮発するで。昼入りならオリジナルで弁当作って食ってええし、夜入りなら余った分持ち帰り放題や。もちろん天引きなし! さらに、平日は治くん用にミニ弁取り置きしたる。入る前に食べてええから」
どや、いいところもあるやろ?
ドヤ顔の店長に引き込まれる。
賄いか時給か、揺れ動く天秤は賄いに傾いた。
「履歴書、明日持ってきます」
さん吉は昼営業、夜営業の2部制、人数は3人体制だ。店長または店長の奥さんが必ず居て、残り2人はパートかバイト。持ち場はローテーションで組まれる。
「シフトは2週間ごとに提出で、シフト表はここ。レターボックスはこれ。後で名前入れとくからな」
履歴書を持ってきた当日に採用を決められて、今日は挨拶だけと厨房に連れてこられた。
「おう! 新人が入るで、宮治くんや! 治くん、このおばあちゃんが相田さん」
「よろしくお願いします」
「誰がおばあちゃんやストライキしたろか」
見たことのあるおばちゃんが目の前で青筋を立てて弁当を盛り付けている。昨日までカウンターの向こう側だったところにいる自分に、ほんとにここで働くんやなぁ、と遠かった実感がわいてきた。
「で、こっちのイケメンが途遥くん。ピチピチの大学生や」
「よろしくお願いします」
ポテトサラダをパックに詰めていた途遥は顔を上げて目を細めた。
「治くん、よろしくね」
シュッとしてて、爽やかな笑顔は確かにイケメンだ。イントネーションが違うから、こっちの方の出身ではない。出会ってすぐの角名を思い出した。あちらの方が胡散臭いが。
「途遥くん、治くんの教育頼んでええ?」
「僕でいいんですか?」
「3年も居れば立派なベテランなんやから、遠慮せんでええって。歳の近い男から教わった方が治くんも気兼ねせんやろ」
な? と尋ねられ、はい、と適当に返したら、途遥が教育係になることで話が決まった。治からしたらおばちゃんも大学生も知らないのでどっちでも一緒だと思っていた。
♢
途遥は教えるのが上手かった。店の中で浮いている最新レジスターの使い方も、店の機械の取り扱い方も、料理の作り方も、どれも丁寧な説明だった。途遥は塾の個別指導のように理解を確かめながら仕事を教えた。
治にとってこの手の人間は初めてだった。治が身を置いていたのは男臭い運動部の世界であり、つるむのも体育会系の男子が多い。こんなに丁寧に扱われるとかえってむず痒かった。北も丁寧な男だったが、あれは正論マシーンで土俵が違う。だから、途遥という全く関わったことの無いタイプに戸惑った。
出勤回数を重ねると、他の人のことがわかってきた。相田や主婦の戸谷は機嫌が悪いとあからさまに態度に出る。この程度で凹むほど繊細では無いが、不機嫌を浴びせられても何もやり返せない分侑よりタチが悪い。店長もガサツでしばしば大きな音をたてる。その度に集中を削がれるので腹が立つ。特に最悪だったのは、途遥の代わりに戸谷が教育係をやった日だった。19時予約の大量注文をさばくのに忙しく、戸谷の雑な指示をなんとか理解して作業していたら、ベテランパートの駒井に凄まれた。それどころか余計な小言まで言われ、こればかりは治も、ぶん殴ったろかこのオバハン、とキレそうになった。後から聞いたが、あの人は決まった人としか組まない人で、どうしても都合が合わずに戸谷と組まされたことでへそを曲げていたらしい。戸谷にも治にも失礼な話だ。駒井を窘め、治に頭を下げる店長の奥さんが可哀想だった。
親にこのことを話せば、社会なんてそんなもんだと言われた。父の会社のもっと大変な話を聞けば、治もそういうもんか、と諦めがついた。多少嫌な面もあるが、料理も接客もどちらも学べるし、常連ばかりなので客と会話するのも楽しい。賄いのこともあって辞める気はさらさらない。
ただ、治が痛感したのは、あの弁当屋で1番マシなのは間違いなく途遥であるということだ。途遥は忙しい時に治が質問したり、ミスをしても決して機嫌が悪くなったりしない。#途遥の柔和な態度はいつだって崩れず、どんなときも柔らかい言葉で話す。指示も明確で、視野が広いのか治の行動を把握している。それと、見かけによらず図太くて世渡りが上手い。不機嫌MAXの相田に臆せず、人懐っこく話しかけている。
優しいだけのなよなよ男の印象的は崩壊した。あれこそ仕事が出来る人と言うやつだろう。教育係が途遥なことに今更ながら感謝した。
途遥へ好感を持つようになってから、治は途遥に懐いた。途遥も寄ってくる治が可愛いのかよく目をかけた。仏頂面とは無縁の穏やかな表情で名前を呼ぶ途遥の隣に居心地の良さすら感じていた。
入学してすぐの帰り道、前を歩いていた男が隣の男に“サンキチ”という弁当屋の話を始めた。なんでも、数量限定のミニ弁当が安いらしい。買い食いを検討していた治は弁当屋へ向かう男2人組をこっそり尾行した。
弁当屋さん吉は住宅街の中に昭和の姿のままあった。看板も外壁も古ぼけていて、手動の扉は重く、店内は油が染み付いている。治はあっさり買えたミニ弁を適当な公園で食べた。あんなにボロそうなのに長年やっていけるのが納得の味だった。
以来、週3のペースで買い食いを続け、ふた月経つ頃には店員と世間話をするくらいには常連になった。
「治くん、あっこの制服を着とるっちゅーことは調理関係の仕事したいん?」
今日の会計は店長だった。話好きなのでうっかり捕まると長い。
「そうです。自分、飯が好きなんで。将来は自分の店持ちたいって思ってて」
一刻も早く弁当を食べたいが、唐揚げ1個サービスの恩から無下にできず会話に付き合う。
「はぁー、そら偉いなぁ。じゃあバイトも飲食関係?」
「まだしてへんけど、そっち方面で探してます」
いい加減にバイトして自分で買い食い代を稼げ、と母からせつかれて求人を見ているが、どこがいいのかまだ悩んでいた。
「せやったら、治くんここでバイトせんか?」
「ここバイト募集してるんですか」
「募集しよ思てたとこやねん。松崎さんが腰いわしてなぁ、1人欲しいんよ」
「そうなんですか」
通いつめてからしばらく経つが松崎さんがどのおばちゃんなのかは分からない。せっかくの誘いに気持ちが傾かないでもないが、明らかに時給が安そうで
「……あの「ぶっちゃけ時給安いけどな」安いんかい」
あっはっはっは! 店長のデカイ笑い声が響く。
「せやけど、その代わり賄いは奮発するで。昼入りならオリジナルで弁当作って食ってええし、夜入りなら余った分持ち帰り放題や。もちろん天引きなし! さらに、平日は治くん用にミニ弁取り置きしたる。入る前に食べてええから」
どや、いいところもあるやろ?
ドヤ顔の店長に引き込まれる。
賄いか時給か、揺れ動く天秤は賄いに傾いた。
「履歴書、明日持ってきます」
さん吉は昼営業、夜営業の2部制、人数は3人体制だ。店長または店長の奥さんが必ず居て、残り2人はパートかバイト。持ち場はローテーションで組まれる。
「シフトは2週間ごとに提出で、シフト表はここ。レターボックスはこれ。後で名前入れとくからな」
履歴書を持ってきた当日に採用を決められて、今日は挨拶だけと厨房に連れてこられた。
「おう! 新人が入るで、宮治くんや! 治くん、このおばあちゃんが相田さん」
「よろしくお願いします」
「誰がおばあちゃんやストライキしたろか」
見たことのあるおばちゃんが目の前で青筋を立てて弁当を盛り付けている。昨日までカウンターの向こう側だったところにいる自分に、ほんとにここで働くんやなぁ、と遠かった実感がわいてきた。
「で、こっちのイケメンが途遥くん。ピチピチの大学生や」
「よろしくお願いします」
ポテトサラダをパックに詰めていた途遥は顔を上げて目を細めた。
「治くん、よろしくね」
シュッとしてて、爽やかな笑顔は確かにイケメンだ。イントネーションが違うから、こっちの方の出身ではない。出会ってすぐの角名を思い出した。あちらの方が胡散臭いが。
「途遥くん、治くんの教育頼んでええ?」
「僕でいいんですか?」
「3年も居れば立派なベテランなんやから、遠慮せんでええって。歳の近い男から教わった方が治くんも気兼ねせんやろ」
な? と尋ねられ、はい、と適当に返したら、途遥が教育係になることで話が決まった。治からしたらおばちゃんも大学生も知らないのでどっちでも一緒だと思っていた。
♢
途遥は教えるのが上手かった。店の中で浮いている最新レジスターの使い方も、店の機械の取り扱い方も、料理の作り方も、どれも丁寧な説明だった。途遥は塾の個別指導のように理解を確かめながら仕事を教えた。
治にとってこの手の人間は初めてだった。治が身を置いていたのは男臭い運動部の世界であり、つるむのも体育会系の男子が多い。こんなに丁寧に扱われるとかえってむず痒かった。北も丁寧な男だったが、あれは正論マシーンで土俵が違う。だから、途遥という全く関わったことの無いタイプに戸惑った。
出勤回数を重ねると、他の人のことがわかってきた。相田や主婦の戸谷は機嫌が悪いとあからさまに態度に出る。この程度で凹むほど繊細では無いが、不機嫌を浴びせられても何もやり返せない分侑よりタチが悪い。店長もガサツでしばしば大きな音をたてる。その度に集中を削がれるので腹が立つ。特に最悪だったのは、途遥の代わりに戸谷が教育係をやった日だった。19時予約の大量注文をさばくのに忙しく、戸谷の雑な指示をなんとか理解して作業していたら、ベテランパートの駒井に凄まれた。それどころか余計な小言まで言われ、こればかりは治も、ぶん殴ったろかこのオバハン、とキレそうになった。後から聞いたが、あの人は決まった人としか組まない人で、どうしても都合が合わずに戸谷と組まされたことでへそを曲げていたらしい。戸谷にも治にも失礼な話だ。駒井を窘め、治に頭を下げる店長の奥さんが可哀想だった。
親にこのことを話せば、社会なんてそんなもんだと言われた。父の会社のもっと大変な話を聞けば、治もそういうもんか、と諦めがついた。多少嫌な面もあるが、料理も接客もどちらも学べるし、常連ばかりなので客と会話するのも楽しい。賄いのこともあって辞める気はさらさらない。
ただ、治が痛感したのは、あの弁当屋で1番マシなのは間違いなく途遥であるということだ。途遥は忙しい時に治が質問したり、ミスをしても決して機嫌が悪くなったりしない。#途遥の柔和な態度はいつだって崩れず、どんなときも柔らかい言葉で話す。指示も明確で、視野が広いのか治の行動を把握している。それと、見かけによらず図太くて世渡りが上手い。不機嫌MAXの相田に臆せず、人懐っこく話しかけている。
優しいだけのなよなよ男の印象的は崩壊した。あれこそ仕事が出来る人と言うやつだろう。教育係が途遥なことに今更ながら感謝した。
途遥へ好感を持つようになってから、治は途遥に懐いた。途遥も寄ってくる治が可愛いのかよく目をかけた。仏頂面とは無縁の穏やかな表情で名前を呼ぶ途遥の隣に居心地の良さすら感じていた。
