HQ短編
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そろそろ片付けるか。
部屋でゴロゴロしていると、引っ越し以来一度も触っていないダンボールの事が頭に浮かんだ。すぐに使わないものを入れていたので、めんどくさくて結局荷解きしないまま放置していたのだ。湧いてきたやる気が逃げぬうちにとクローゼットを開けば、所々ビリビリのダンボールが鎮座している。幸い、ホコリは被っていない。ガムテープを剥がして一番最初に目に飛び込んできたのは、前に使っていたポーチだった。
「うわっ、結構色々入ってるじゃん」
ガサゴソと漁れば引越しの時に適当に詰め込んだまま放置されていた懐かしい品々が飛び出してきた。
セールで買ったけど使ってないストール、捨てるに捨てられないお土産で貰った写真立て、下ろしてない新品のタオル、UFOキャチャーで取った犬のぬいぐるみ。無くしたと思ってた手袋まで見つけた。
「ここに入れたのすっかり忘れてたなぁ。……あれ?」
次々と中身を外に出していくと、ひとつだけ見覚えのない物が出てきた。手に取ると、四角い容器の中でアンバーの液体が揺らめいている。香水だ。この中に入っているということは私の物なはず、けど。
「私、こんなの買ってたっけ? 貰ったんかな?」
特徴的なロゴを見てもピンとこない。首を捻りながら、容器をクルクルと回して観察した。どうやら未開封のようだ。
そうだ、嗅いだら思い出すかもしれない。
キャップを外し、手首に弱く吹きかけた。たちまち香った爽やかなシトラスは私の好みにドンピシャで、懐かしさが込み上げてきた。私は絶対これを知っている。
けれど、自分で買った記憶もなければ貰った記憶もない。忘れるほど前のものなのか。いやでも、こんなに好きな匂いなら忘れないはず。うんうん悩んであれこれ考えていると、突然脳みその奥から記憶が降ってきた。
「あー! これ、あいつの香水だ!」
思い出したら一気に記憶が蘇ってきた。そうだ、これ元彼がたまーに付けてた香水だ。ブランド物のすっごい高いやつ。カッコつけて買った割には勿体ぶって滅多に使ってなかったな。
いやはや、自分が恐ろしい。5年も付き合った初彼なのに、別れてから2年でもう存在を忘れていたとは。今の彼氏が最高すぎるせいかな。
「持ってきた記憶ないけど、間違って入れちゃったか」
元彼との破局は呆気なかった。付き合って5年目に同棲を始めたら、2ヶ月で浮気されて別れた。家に帰れば常に彼女 がいるものだから、将来家庭に縛られる未来を想像して魔が差したんだって。結婚しちゃいけないタイプの人間だった。あの時は積み重ねた5年が一瞬でパァになったことに絶望してたし、無心で荷造りしてたからきっとその時入れちゃったんだろう。今となってはあんなやつと結婚しなくてすんで心の底から安堵している。
香水を服にもひと吹きしてみる。うん、やっぱりいい匂い。心地良さだけが胸に残って、あいつの顔なんで全然浮かんでこない。
もったいないし、使っちゃえ。
返してなんて連絡来たことないから向こうも忘れてるんだろうし、別にいいや。
思わぬ掘り出し物にウキウキしながらまだまだ残っているダンボールの中身に手を伸ばした。
♢
見つけてからというもの、あの香水を部屋に吹きかけるのが習慣になった。職場につけていくのはちょっと気恥ずかしくて、部屋の芳香剤代わりにしている。自分で買ったものじゃないから全く惜しくない。部屋を満たすシトラスの香りに日々のQOLが爆上がりしてる気がする。
今日はお休みだからとのんびり起きて、朝の支度を済ませる。一段落してソファに座り、適当にテレビをつけた。クッションを抱きしめながらチャンネルを回すと、ちょうどお昼の旅番組でおにぎり屋さんが紹介されている。アップで映されるホカホカのおにぎりに、彼氏の作るおにぎりとどっちが美味しいんだろう、なんて考えてしまう。
お昼ご飯に食べに行こうかな。
時計を見上げるとまだ営業時間前だ。おにぎりの準備をしてるんだろうな。
会いたいなぁ、なんてのんびりくつろいでいるとチャイムが鳴った。はーい、と返事をして玄関に向かう。誰だろう。ドアを開ける前に来訪者を確かめようと覗き穴から伺うと、そこには先ほどまで会いたいと思っていた治の姿があった。
「えっ!? 治!」
慌てて扉を開いた目の前には普段着の治が立っていた。
「どうしたの? お店は?」
「この前、連休で店開けてたから振り替えで休みにしてん」
「連絡してくれたらよかったのに」
「驚かせたろ思って」
ふっふ、と笑う彼の目論見は大成功だ。上がって、と治に声をかけてリビングに招き入れた。飲み物を出そうと冷蔵庫を開くとお茶とコーヒーしかなかった。
「あ、買い物行ってないんだった。治、お茶とコーヒー、どっちがいい?」
聞いたのに、治からの返事が返ってこない。不思議に思って治を見やると、リビングの入口で眉間に皺を寄せて突っ立っていた。
「治?」
睨むような怖い顔のまま無言で近づいてきて、がしりと両肩を掴まれた。衝撃に、1歩よろける。
「どこや?」
「どこって?」
「男、どこに隠れた?」
男、と言われても、私はここにずっとひとりでいた。言っている意味が分からない。
「そんなのいないよ、急になんの話しして」
「しらばっくれんなや! これだけ匂ぉてんねん、まだこの家におるんやろ。はよ言えや」
「匂い……あっ!」
ハッとなった。そうか、治は私が香水を使いだした経緯を知らない。元彼の存在を嫌う治には知らせずに自分だけで使って終わらせるつもりでいたのが仇になった。
「匂いに気づかんくらい一緒におったん? それとも、俺が気づかへんくらいアホだとでも思てたん?」
闇堕ち寸前みたいな顔で凄まれて、背中に冷や汗が伝った。
やばい、盛大に勘違いされてる……!
「違う! 治、話を聞いて!」
「言い訳か? ええよ、聞いたる」
ハイライトの消えた昏い目に形だけの笑み。こんなに怖い治は久しぶりに見た。
「香水をね、芳香剤の代わりに私が使ってるの。クローゼットの中を片付けてたら見つけたから」
「ふぅん。自分で買うたん?」
「それは、違う」
「じゃあ誰に貰ったん?」
「えっと……」
マズイ。治に元彼の話はNGだ。絶対激怒する。でも、説明しないと誤解が解けない。万事休す。
「言い訳が考えつかへんの? じゃあ俺、男探してくるからその間に考えとって」
上手い言葉を探してまごついていたら、黒いオーラを放つ治が離れていく。待って、やだ、違うの。このまま誤解が広がって取り返しのつかないことになんて、なりたくない。
……怒られてもいい、腹を括ろう。
「待って、ちゃんと全部話すから」
「あれ、降参してまうの」
「違うよ、全部違うんだってば」
彼の腕を掴んで、香水の置いてある所まで誘導する。素直についてくるのに、じっとりとした視線が怖い。
「はい、これ」
中身の減ったアンバーの液体を治に差し出すと、彼は訝しげにそれを眺めて1プッシュを空中に押し出した。部屋のシトラスがより一層濃くなる。
「くっさ。で、これがなん?」
「その香水はね、元々は元彼の」
「はあ゛ぁ!?」
怒気を孕んだがなり声に喉がヒュッとなった。逃げ出したい気持ちを必死に抑えて、手を握りしめる。
「も、元彼のやつなの! 同棲解消する時に間違って持ってきちゃったみたいで、この前ダンボールを片付けてたら見つけて、私も最初は思い出せなかったから、試しに使ってみたらいい匂いがして、それでっ、開けちゃったからそのまま使ってたの!」
よし、言えた。勢いのまま一息で言い切った。治は無言のままだ。怖くて下げていた視線を、勇気をだして恐る恐る上げてみる。さっきよりも真っ暗な目が、じっとりと私を睨んでいた。
あ、終わった。
頭が真っ白になって固まっていると、治は手に持っていた香水を放り投げた。放物線を描いたガラスの容器はソファのクッションに当たって跳ね返り、カーペットに転がる。投げられた香水を呆然と見ていると、体当たりに近い勢いで抱きしめられた。いや、抱きしめるというか、締められている。
「ちょっ、い、いたっ」
「あいつんとこ、戻るんか?」
「えっ」
5年も付き合っておきながら同棲して2ヶ月で浮気した男のところに、戻る??
「そんなの許さへん。お前はもう俺のもんや」
地を這うような声は、言い聞かせるみたいだった。力がより強くなって、骨が軋んて痛い。
「も、戻らないよ」
「部屋中にあいつの香水振りまいとるのに?」
「本当に、匂いが好きで使ってただけ。全然、これっぽっちも深い意味なんてないよ」
「……ほんまに?」
腕の力がほんの少し緩む。反対に、私は治の背中に手を伸ばしてそっと体を寄せた。
「うん。……確かにこれは元彼の香水だけど、当人はケチって全然つけてなくてね。私の中で、この匂いと元彼は全く結びついてないの。ただの、いい匂いの香水でしかないの」
寄せていた体が離れて、今度は優しく両肩に手を置かれた。すぐ近くに、しかめっ面。その奥にある、不安に揺れる目は私のせい。
トラブルを避けようとして別の問題を発生させてしまうくらいなら、初めっから素直に話していればよかった。こんなに私を愛してくれている人を、これ以上悲しませないようにしなきゃいけない。
「ごめんなさい。勘違いさせるようなことして」
「ほんまの、ほんまに、なんでもないんやな?」
「なんでもない。私には治だけだよ」
「嘘やないんやったら、あれ、捨ててもええ?」
「うん、いいよ」
気に入っていたけれど、治が嫌がるのなら未練なんてない。即答すれば、治の表情は強ばりが解けていった。
「疑ぉてごめんな。肩も、加減せんと掴んでもぉたし」
痛かったよな、とさすってくれる手つきは優しい。その両手を取って、ぎゅと握り締めた。
「ううん、大丈夫。原因は私にあるんだし。……それに、そんなに怒るくらい愛されてるんだなぁって分かって、その、変なんだけど、ちょっと嬉しい」
こんな状況を引き起こしてしまって思うことじゃないかもしれないけれど、あんなに怒ってくれるくらい好きなんだって見せられたら、舞い上がっちゃうって。
はにかみながら伝えたら、急に動いた治にがばりと抱きしめられた。潰さないような、優しい加減で。
「俺、錦花以上に好きになる人なんかおらん。錦花が他の男に取られるって、いや、ほかの男のもんだったってことも考えたないねん。そんだけお前に惚れとるんや」
グリグリと首元に顔を埋める姿は大型犬のようで。可愛いな、とよしよししてたら首筋に一瞬痛みが走った。
「なぁ、今から代わりのもん買いに行こか」
俺の選んだやつ、つけて。
耳元で囁かれるセリフに、顔が真っ赤になって頷いた。
部屋でゴロゴロしていると、引っ越し以来一度も触っていないダンボールの事が頭に浮かんだ。すぐに使わないものを入れていたので、めんどくさくて結局荷解きしないまま放置していたのだ。湧いてきたやる気が逃げぬうちにとクローゼットを開けば、所々ビリビリのダンボールが鎮座している。幸い、ホコリは被っていない。ガムテープを剥がして一番最初に目に飛び込んできたのは、前に使っていたポーチだった。
「うわっ、結構色々入ってるじゃん」
ガサゴソと漁れば引越しの時に適当に詰め込んだまま放置されていた懐かしい品々が飛び出してきた。
セールで買ったけど使ってないストール、捨てるに捨てられないお土産で貰った写真立て、下ろしてない新品のタオル、UFOキャチャーで取った犬のぬいぐるみ。無くしたと思ってた手袋まで見つけた。
「ここに入れたのすっかり忘れてたなぁ。……あれ?」
次々と中身を外に出していくと、ひとつだけ見覚えのない物が出てきた。手に取ると、四角い容器の中でアンバーの液体が揺らめいている。香水だ。この中に入っているということは私の物なはず、けど。
「私、こんなの買ってたっけ? 貰ったんかな?」
特徴的なロゴを見てもピンとこない。首を捻りながら、容器をクルクルと回して観察した。どうやら未開封のようだ。
そうだ、嗅いだら思い出すかもしれない。
キャップを外し、手首に弱く吹きかけた。たちまち香った爽やかなシトラスは私の好みにドンピシャで、懐かしさが込み上げてきた。私は絶対これを知っている。
けれど、自分で買った記憶もなければ貰った記憶もない。忘れるほど前のものなのか。いやでも、こんなに好きな匂いなら忘れないはず。うんうん悩んであれこれ考えていると、突然脳みその奥から記憶が降ってきた。
「あー! これ、あいつの香水だ!」
思い出したら一気に記憶が蘇ってきた。そうだ、これ元彼がたまーに付けてた香水だ。ブランド物のすっごい高いやつ。カッコつけて買った割には勿体ぶって滅多に使ってなかったな。
いやはや、自分が恐ろしい。5年も付き合った初彼なのに、別れてから2年でもう存在を忘れていたとは。今の彼氏が最高すぎるせいかな。
「持ってきた記憶ないけど、間違って入れちゃったか」
元彼との破局は呆気なかった。付き合って5年目に同棲を始めたら、2ヶ月で浮気されて別れた。家に帰れば常に
香水を服にもひと吹きしてみる。うん、やっぱりいい匂い。心地良さだけが胸に残って、あいつの顔なんで全然浮かんでこない。
もったいないし、使っちゃえ。
返してなんて連絡来たことないから向こうも忘れてるんだろうし、別にいいや。
思わぬ掘り出し物にウキウキしながらまだまだ残っているダンボールの中身に手を伸ばした。
♢
見つけてからというもの、あの香水を部屋に吹きかけるのが習慣になった。職場につけていくのはちょっと気恥ずかしくて、部屋の芳香剤代わりにしている。自分で買ったものじゃないから全く惜しくない。部屋を満たすシトラスの香りに日々のQOLが爆上がりしてる気がする。
今日はお休みだからとのんびり起きて、朝の支度を済ませる。一段落してソファに座り、適当にテレビをつけた。クッションを抱きしめながらチャンネルを回すと、ちょうどお昼の旅番組でおにぎり屋さんが紹介されている。アップで映されるホカホカのおにぎりに、彼氏の作るおにぎりとどっちが美味しいんだろう、なんて考えてしまう。
お昼ご飯に食べに行こうかな。
時計を見上げるとまだ営業時間前だ。おにぎりの準備をしてるんだろうな。
会いたいなぁ、なんてのんびりくつろいでいるとチャイムが鳴った。はーい、と返事をして玄関に向かう。誰だろう。ドアを開ける前に来訪者を確かめようと覗き穴から伺うと、そこには先ほどまで会いたいと思っていた治の姿があった。
「えっ!? 治!」
慌てて扉を開いた目の前には普段着の治が立っていた。
「どうしたの? お店は?」
「この前、連休で店開けてたから振り替えで休みにしてん」
「連絡してくれたらよかったのに」
「驚かせたろ思って」
ふっふ、と笑う彼の目論見は大成功だ。上がって、と治に声をかけてリビングに招き入れた。飲み物を出そうと冷蔵庫を開くとお茶とコーヒーしかなかった。
「あ、買い物行ってないんだった。治、お茶とコーヒー、どっちがいい?」
聞いたのに、治からの返事が返ってこない。不思議に思って治を見やると、リビングの入口で眉間に皺を寄せて突っ立っていた。
「治?」
睨むような怖い顔のまま無言で近づいてきて、がしりと両肩を掴まれた。衝撃に、1歩よろける。
「どこや?」
「どこって?」
「男、どこに隠れた?」
男、と言われても、私はここにずっとひとりでいた。言っている意味が分からない。
「そんなのいないよ、急になんの話しして」
「しらばっくれんなや! これだけ匂ぉてんねん、まだこの家におるんやろ。はよ言えや」
「匂い……あっ!」
ハッとなった。そうか、治は私が香水を使いだした経緯を知らない。元彼の存在を嫌う治には知らせずに自分だけで使って終わらせるつもりでいたのが仇になった。
「匂いに気づかんくらい一緒におったん? それとも、俺が気づかへんくらいアホだとでも思てたん?」
闇堕ち寸前みたいな顔で凄まれて、背中に冷や汗が伝った。
やばい、盛大に勘違いされてる……!
「違う! 治、話を聞いて!」
「言い訳か? ええよ、聞いたる」
ハイライトの消えた昏い目に形だけの笑み。こんなに怖い治は久しぶりに見た。
「香水をね、芳香剤の代わりに私が使ってるの。クローゼットの中を片付けてたら見つけたから」
「ふぅん。自分で買うたん?」
「それは、違う」
「じゃあ誰に貰ったん?」
「えっと……」
マズイ。治に元彼の話はNGだ。絶対激怒する。でも、説明しないと誤解が解けない。万事休す。
「言い訳が考えつかへんの? じゃあ俺、男探してくるからその間に考えとって」
上手い言葉を探してまごついていたら、黒いオーラを放つ治が離れていく。待って、やだ、違うの。このまま誤解が広がって取り返しのつかないことになんて、なりたくない。
……怒られてもいい、腹を括ろう。
「待って、ちゃんと全部話すから」
「あれ、降参してまうの」
「違うよ、全部違うんだってば」
彼の腕を掴んで、香水の置いてある所まで誘導する。素直についてくるのに、じっとりとした視線が怖い。
「はい、これ」
中身の減ったアンバーの液体を治に差し出すと、彼は訝しげにそれを眺めて1プッシュを空中に押し出した。部屋のシトラスがより一層濃くなる。
「くっさ。で、これがなん?」
「その香水はね、元々は元彼の」
「はあ゛ぁ!?」
怒気を孕んだがなり声に喉がヒュッとなった。逃げ出したい気持ちを必死に抑えて、手を握りしめる。
「も、元彼のやつなの! 同棲解消する時に間違って持ってきちゃったみたいで、この前ダンボールを片付けてたら見つけて、私も最初は思い出せなかったから、試しに使ってみたらいい匂いがして、それでっ、開けちゃったからそのまま使ってたの!」
よし、言えた。勢いのまま一息で言い切った。治は無言のままだ。怖くて下げていた視線を、勇気をだして恐る恐る上げてみる。さっきよりも真っ暗な目が、じっとりと私を睨んでいた。
あ、終わった。
頭が真っ白になって固まっていると、治は手に持っていた香水を放り投げた。放物線を描いたガラスの容器はソファのクッションに当たって跳ね返り、カーペットに転がる。投げられた香水を呆然と見ていると、体当たりに近い勢いで抱きしめられた。いや、抱きしめるというか、締められている。
「ちょっ、い、いたっ」
「あいつんとこ、戻るんか?」
「えっ」
5年も付き合っておきながら同棲して2ヶ月で浮気した男のところに、戻る??
「そんなの許さへん。お前はもう俺のもんや」
地を這うような声は、言い聞かせるみたいだった。力がより強くなって、骨が軋んて痛い。
「も、戻らないよ」
「部屋中にあいつの香水振りまいとるのに?」
「本当に、匂いが好きで使ってただけ。全然、これっぽっちも深い意味なんてないよ」
「……ほんまに?」
腕の力がほんの少し緩む。反対に、私は治の背中に手を伸ばしてそっと体を寄せた。
「うん。……確かにこれは元彼の香水だけど、当人はケチって全然つけてなくてね。私の中で、この匂いと元彼は全く結びついてないの。ただの、いい匂いの香水でしかないの」
寄せていた体が離れて、今度は優しく両肩に手を置かれた。すぐ近くに、しかめっ面。その奥にある、不安に揺れる目は私のせい。
トラブルを避けようとして別の問題を発生させてしまうくらいなら、初めっから素直に話していればよかった。こんなに私を愛してくれている人を、これ以上悲しませないようにしなきゃいけない。
「ごめんなさい。勘違いさせるようなことして」
「ほんまの、ほんまに、なんでもないんやな?」
「なんでもない。私には治だけだよ」
「嘘やないんやったら、あれ、捨ててもええ?」
「うん、いいよ」
気に入っていたけれど、治が嫌がるのなら未練なんてない。即答すれば、治の表情は強ばりが解けていった。
「疑ぉてごめんな。肩も、加減せんと掴んでもぉたし」
痛かったよな、とさすってくれる手つきは優しい。その両手を取って、ぎゅと握り締めた。
「ううん、大丈夫。原因は私にあるんだし。……それに、そんなに怒るくらい愛されてるんだなぁって分かって、その、変なんだけど、ちょっと嬉しい」
こんな状況を引き起こしてしまって思うことじゃないかもしれないけれど、あんなに怒ってくれるくらい好きなんだって見せられたら、舞い上がっちゃうって。
はにかみながら伝えたら、急に動いた治にがばりと抱きしめられた。潰さないような、優しい加減で。
「俺、錦花以上に好きになる人なんかおらん。錦花が他の男に取られるって、いや、ほかの男のもんだったってことも考えたないねん。そんだけお前に惚れとるんや」
グリグリと首元に顔を埋める姿は大型犬のようで。可愛いな、とよしよししてたら首筋に一瞬痛みが走った。
「なぁ、今から代わりのもん買いに行こか」
俺の選んだやつ、つけて。
耳元で囁かれるセリフに、顔が真っ赤になって頷いた。
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