短篇
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目の前に立つ男を凝視する。ツートンの髪、やたら洒落っ気のあるグラスコード、陰険そうな目、生白い皮膚。この男の名は村雨礼二。司会の梅野がそう紹介した。嘘だと思いたくても、こんな人間、2人といるはずが無い。今回の相手はどう見ても、私がかつて在籍していた医大の同級生、村雨礼二だ。
「……雪村が言ってた死神って村雨くんの事だったのね。どうしてここに居るの?」
最後に見た姿と全く変わっていない容姿に思わずどうして居るのか、なんて聞いてしまった。
「それはあなたにも同じことが言える」
「それも……そうね。こんな所で会うなんて考えもしなかったものだから」
意外すぎて案外頭が回ってないのかもしれない。ここは賭場、命を賭ける場所。懐かしい顔を見たせいで致命傷を受けた気分だった。いや、もう既に致命的だ。なんせあの 村雨礼二なのだから。
「お二人はお知り合いという節が有力ですね。では、別段紹介は要らないでしょう。ルール説明に入ります。その後デモンストレーションを行いますので、まずはそれぞれガラス張りの個室へお入りください」
梅野の指示に従って透明な箱の中に入る。足元に不穏なダクトがある以外はまるでゲームセンターのトレーディングカードアーケードゲームみたいだ。今にも100円を入れてプレイ出来そうな見た目をしている。
「では、説明致します……」
梅野のゲーム説明が始まる。簡単に言えば見た目通りカードゲームだ。ペナルティはダクトから出てくる有毒ガス。毎ターンの結果に応じて濃度数値が蓄積され、終了時に精算として合計された濃度のガスが流入される。限界濃度を超えれば最悪命を落とす。1/2ライフなら当然のペナルティだ。
デモンストレーションが終われば本番の始まり。
先行は向こう。手札越しに村雨を見ればやっぱり 何もわかるはずがなかった。
「千路、あなたは大学から急に姿を消したな」
早々に札を出して、私に話しかけてきた。
「まぁね。大学を辞めるなんて、言いふらしたい話じゃなかったし。周りに深く突っ込まれたくなかったから無かったことにしたかっただけよ」
手札と村雨を交互に睨む。彼の考えてることを読めたことなんて、今まで一度もない。村雨が話しかけて集中力を削ごうなんて考えるタイプじゃないことは確か。だから、この会話は向こうの余裕綽々の現れ。随分舐められていると思う。
「そうか。あと一年で卒業だというのに、辞めるなどと話せば理由を聞かれるのはあなたの周りを考えれば必至だったろうな」
覚えているとは思いがけなかった。凄く親しい訳じゃないけれど、それなりに村雨とは親交があった。ただ、そんなことを逐一覚えているように見えなかった。
そう、あの時はそれしか無かった。ただでさえ金がないのに、あと一年分の大学費さえも払う余裕なんかなかった。それさえなければ、私は今頃こんなところには居なかったはずだ。友達が多かったから、余計に言えなかった。思い出そうとすれば、友達だったはずなのに顔は浮かんでも名前が出てこなかった。
札を出せばモニターにはお互いの手が明かされている。これは上々な結果。
2ターン目に入った。村雨はまた直ぐ札を選んだ。
「村雨くんは今何してるの」
自分ばかりが考えさせられるのが癪でこちらからも質問を返した。見ても分からないと知ってて、反応を伺わずにはいられない。
「大学病院で勤務医をしている」
簡潔な回答だった。
「随分いいところに就いたのね。ここに居る必要あるの?」
「ここへは患者代を稼ぎに来ているだけだ」
「患者代? 慈善事業でもしてるの?」
そんな人じゃないでしょ、村雨くんは。
札は決まった、制限時間も多少ある。
「違う。オークションで人を買い、自宅で腹の中を見ている」
「……なにそれ。自分の家で人間を解剖してるってこと? 死体はどうしてるのよ」
「殺してはいない。また手術出来なくなるからな。中を見て閉じるだけだ」
突拍子もないことを言われた。変人だとは思っていたけれど、まさか自宅でそんなことをしているなんて、何を言っているんだという気持ちの方が強い。
「まぁ、村雨くん手術が 好きだって昔言ってたものね……」
実習で一緒になった時の会話でそんな話をしていた。当時は好きこそ物の上手なれと言うし、別にいいんじゃないとか思ってたけれど、自宅で解剖は普通じゃない。だが、ここに居るくらいなのだから、頭のネジが外れているのも納得できる。
「千路さん、制限時間が迫ってきています」
梅野の声にハッとして慌てて札を出す。
モニターの画面は思ってたのと違った。今のは不味かったかも。5ターンで決着が着くこのゲーム。私のガス濃度はだいたい手足の痺れで済む程度。対して村雨は無害レベル。完全に読み違えた。
3ターン目。村雨は札を出すより先に話した。
「……ところで、私が私的に手術した人物の内の一人千路藤子という女性がいた。オークションで競り落としたのだが、しきりにある名前を呼ぶので手術前に話をした」
何気ない会話から急変した話題に、正確には村雨の出した名前に思考が止まった。千路藤子は母の名前だ。忘れもしない。とうの昔に縁の切れた、全ての元凶。私の全てを歪めた女。
「聞けばある男に唆され、あらゆるところから借金を重ね、それでも足らずに開業医の夫の運営資金からも横領。だが、全てが明るみになり、家を追い出され、男の所に身を寄せたが捨てられたそうだ。最終的に金を求めて銀行にたどり着いたと言っていた」
村雨の語る人間は紛れもない母の事だ。
私が大学で寮暮らしをしている間に母は得体の知れない男に嵌った。仕事ばかりで家族に構うことの無い父、挫折し妥協して整体師になった劣等感から攻撃的になった兄、勉強ができず家族の中で一番出来が悪いといわれ続けた妹。家族はめちゃくちゃだった。母が悪い男に引っかかるのも当然だった。引っかかって、そのまま消えるだけだったらよかったのに、母はあらゆる借金を父に押し付けて消えた。そのせいで初めは父の気が狂った。周囲からの浮気された夫という憐れみにも耐えられなかったのだろう。金があればいいという妄執に取りつかれて無闇に株に手を出した。次は兄だった。両親の状態に耐えきれず、感情のままに飲み散らかしては誰彼構わず拳をあげた。仕事はクビになり、引きこもりが続いている。当然妹も荒れた。抑えていたものが爆発したかのように非行に走り、寂しさを埋めるかのように物を買い漁っている。
それら全てを私が賭場で稼いだ金で賄っている。
もうどうしようもないと分かっていても、捨てることが出来ないまま大学を辞めてからずっと続いている。
「……それで、その女はどうしたの?」
乾いた喉は正常に動いた。
「腹を見た。酷い中身だった。タバコで肺は真っ黒。無茶な食生活からか胃も腸も荒れていた。特に肝臓は肝硬変寸前だった」
村雨は顔色を変えない。とっくに決め終えた札はギリギリまで出さないらしい。
「そのあとは? どうなったの?」
「そのまま腹を閉じた。その後は知らん。どのみちあの中身では長くは無いだろう」
村雨は札を出した。私の番が回ってきた。
「……どうしてその話をしたの」
動揺を誘ってる訳じゃない。そんなの、この男には必要ない。
「オークションでしきりに名前を呼んでいたと言っただろう。それはあなたの名前だ。千路霞晶」
「ちょっと、質問の答えになってない」
「黙って聞け。……彼女はあなたの名前を呼んでこう言っていた。『霞晶、見ているなら助けて』と」
「……ぇ」
おかしい、ありえない。どうして母さんは私がオークションを見ていると思った? なんで私が銀行にいるって知ってる?
「変だろう。なぜ彼女はあなたが銀行で稼いでいることを知っていたのか。それはあなたが金を稼ぎ続けているからだ」
「……どういう、こと」
考えがまとまらない。札も考えなくちゃいけないのに、そこまで余裕が無い。今更なんで私に縋ってくるの、全部貴女が悪いのに。
「彼女はあなたが破綻した家族生活を金で支えていることを嗅ぎつけたのだ。だから銀行にきた。あなたを探すために」
「なんで、だって金を求めてきたって言ったじゃない。それはギャンブルで稼ごうとしたんじゃ」
「正しいだろう?あなた を探しに来たのだから」
分かってしまった。あの人は変わってなどいなかった。私のことをいつまでも金の成る木にしか思っていない。父の次に優秀な金の成る木。父が亡くなったら私に跡を継がせて楽をする気だったことなんて、とっくに見抜いていた。そんな所も嫌いだった。
「だが安心しろ。彼女があなたのところに来ることはない」
「なんで言い切れるの……?」
「それは札を選んでから教えてやろう」
横を向いた村雨に釣られて同じほうを向けば、タイマーはギリギリだった。今から思案したってもう遅い。もしかして、この展開を狙ってたの?
「右から二番目だ」
「は?」
「二度も言わせるなマヌケ。右から二番目の札を出せ」
悩んでいる暇は無い。反射的に言われた札を出した。結果は私の数値がまた少し増えた。着実に近づく敗北の足音が耳に聞こえそうだった。
4ターン目も村雨はすぐに出さなかかった。
「あなたはどうして銀行で金を稼ぐ?」
母が私のところへは来ない理由を話す気はあるんだろうか。
「さっきの質問に答えてくれるんじゃなかったの?」
「そう急くな。話が逸れると命取りになるぞ」
命を取るのは貴方でしょ。時間切れのことを言いたいのだろう。この会話もギャンブルも。
「……そうするしか、ないのよ。」
「なぜ」
曖昧な答えは許さない、と鋭い視線が飛んでくる。無数の目に刺されているような感覚が嫌で村雨から目線を逸らした。
「金が無いと、家族がバラバラになるのよ」
「その理由は」
矢継ぎ早に聞かれる。一切合切喋るまでこの尋問を止める気はないらしい。
「母さんがああなってから、父さんは狂ったように株をやり続けてる。マイナスになってもまた注ぎ込めば逆転が狙えると思ってるの。完全にギャンブルに嵌った人ね。兄もずっと引きこもってる。仕事はしないけれど、散財はするの。妹もそう、グレてからは買い物で憂さ晴らししてる。だから、いくらあっても足りないの」
「それで大学を辞めたのか」
「家がすっからかんになっちゃってね、残り一年の学費すら用意できなくなったから……」
村雨の顔色は始まった時から何も変わっていない。
本当に人間なのか確かめたくて、手を触ったことが何度かある。嫌がってたなぁ。逃避したくてそんなことが頭に浮かんだ。
「自分でも分からないの。そんな家族さっさと見切りをつければいいのに……」
「それは家族を捨てた千路藤子と同じになりたくないからだろう」
バッサリ切り捨てられた。
「……簡単に言ってくれるのね」
「このまま金を運び続けることが悪手だと分かっていても、母親と同じ存在になることを拒否して行動できないのだろう。それはあなたの弱さだ」
村雨はいつの間にか札を出していた。
「まぁ、それがあなただろう」
突き刺さる目が止んだ。心做しか村雨自身の目も和らいだような気がする。さっきまでの圧がなくなっている。
「なに、急に」
「左から三番目の札だ。まだ出さなくていい」
当たり前のように指示を出してくる。
「ねぇ、これもうギャンブルじゃないんだけど」
視線を梅野に投げかければ、ルール違反では無いので、とだけ返ってきた。
ギャンブルで策略でもないのに相手に誘導されるなんて、普通ありえない。でも、私は知っていた、村雨が正解を外すことなんてないと。
「千路藤子があなたの元に訪れることがないとと断言出来る理由……だったか」
村雨は先の質問の回答を口にした。
「それはあなたが今日負けるからだ」
「答えになってないんだけど」
「マヌケめ。その鈍さでよく1/2ライフで荒稼ぎできていたな」
「村雨くん程優秀じゃないのよ。成績で勝てたとこなんて一度もないし」
大学時代のような軽口。錯覚しそうになる。
何が面白いのか、彼は口角を上げた。
「そうか、では教えてやろう。千路藤子にあなたがギャンブルで私に負けて金を失うと伝えたからだ。彼女は薄情だな。途端に会う気を無くしていった」
「お気遣いどうも。あの人に情なんてものは無いわよ。だとすると、村雨くんは前から私がここに居ることを知ってたのね」
「そうだな。つい2週間ほど前の話だ」
ギクリとした。そんなに最近だなんて思わなかった。
「あなたがここにいることが分かったので、すぐに調べた。あなたが先程述べた事柄を私は既に知っている。あれはただの確認だ」
「……なんの確認なの」
意味がわからない。所在不明の旧友の居場所が分かったから気になって調べた? そんなことしないでしょ。それに、確認で一体なんの……?
「時間だ。千路、札を出せ」
札を持つ手が戸惑う。さっきまで受け入れてたはずの指示に従うことが恐ろしくなってきた。村雨は正解しか選ばない。彼が選ぶならそうした方がいい。その信頼はどこから来てる? 相手は村雨だから、悪いようにはならないだろう、なんて無意識に思ったの? ここは大学じゃない、賭場だ。自分の意思で選ばなくていいの……?
「千路」
名前を呼ばれて顔を上げた。村雨はこちらを見ている。そのかんばせに感情なんて欠片も見えない……そう思ったのに。
「……ちょっと、やめてよね。絶対わざとでしょ。ここでやらないでくれる」
滅多に見せない縋るような目。私だって二回しか見たことない表情。一回目は村雨が教授の私物に珈琲をぶちまけた時、二回目は駅で知らない子供に大声でパパと呼ばれてひっつかれた時。不機嫌そうな顔か上機嫌で不気味な顔の両極端しか表情パターンがないのに、そういう時だけ何とかしてほしそうにこちらを見てきた。
「…………はぁ。わかったわよ」
だから、そんな目で見つめないでよ。本当に昔に戻ったみたいでしょ。
大人しく札を置く。モニターはもう見たくなかった。
最後の5ターン目が始まる。村雨はやはりすぐに動かない。
「なんの確認か、そう聞いたな」
「え、答えてくれるの」
「聞きたくないなら構わん」
「いや聞く。ほんと珍しいね、やたらとよく説明してくれる。いつもは何か聞くと嫌な顔してため息ついてからどうしようもない時だけ渋々教えてくれるのに」
「いったいいつの話をしている。……あなたが変わっていないかの確認をしただけだ」
「なんの意味があって? 」
「それは今に分かる」
村雨は札を出した。
「もうひとつ、確認するとしよう」
さっきよりも笑みを深めた村雨は言う。
「真ん中の札を出せ」
それは死刑宣告だった。
この状況において村雨が出す札なんて分かりきってる。指定された札を出せば確実にガスの濃度は致死量を超える。さっきまでの日常会話をぶった斬る残酷な神託。
「ねぇ、言ってること分かってる?」
「当然だ」
「さっきまでの和気藹々が台無し」
「いつそんなに馴れ馴れしくなった」
「……信じらんない。私、村雨くんの考えてることなんにも分かんないんだけど」
「あなたに読まれるほどマヌケでは無い」
どう考えても殺す気でしょ。それだけは分かる。村雨の態度が昔と変わらなさすぎて忘れかけてたけれど、これはデスゲーム。
「はぁぁ……」
札を眺める。制限時間もそんなに多くない。
村雨に言われて気づいた。見て見ぬふりをしてきた、母さんと同じになりたくない、という思いを。でももうどうしようも無いのだ。あの家族が正常に戻ることはきっと無い。今まで散々呼びかけた私の声は届かなかった。現状維持に必死になって、目を逸らし続けた結果がこれだ。
――破綻した家族を守るために、幾人も地獄に送ってきた。
負ける日が来るまで、このことに気づくことは無かっただろう。もっと早く見切りをつけるべきだった。抑え込んでいた、ウンザリしていた気持ちがぶり返してきた。
「……あーあ、馬鹿馬鹿しいなぁ。あんなのの為に命を掛けてまで稼いでたなんて……。今際の際なのに、恨みしか出てこないならこんなことしなければ良かった」
真ん中の札をとる。
「村雨くんが言うとなんでも正しく聞こえてくるなぁ。昔からそうだった。実際正しいんだけど。はぁ、私もそれなりに間違ってないつもりだったんだけどなぁ」
札を置いた。
「村雨くんの考えてること全く分からないけど、そう言うのならそれが正解なんでしょ」
全てのターンが終了した。モニター画面には致死量の数値が出るはずだ。画面を凝視する。
表示は……致死量ではなかった。
「……っえ?」
ガス濃度の数値が示す身体への異常は意識の混濁。
死ぬか生きるか、生きても後遺症が残るかなんとも中途半端な結果だった。
呆気に取られて村雨を見る
今日一の笑顔を浮かべた村雨は上機嫌に喋る。
「やはり変わっていなかったな。」
「あなたは一人でいる時は間違うが、そこから何かを得て正せる人間だ。マヌケだらけの世界の中で、とてもマシなマヌケだ。さらに言えば、私 に従順なところも好ましい。正しいものに追従する性質も変わることがないな」
聞きたかったこととは全く違うことが返ってきた。
「私そんなに好感度高かったの? 覚えがないんだけど。それよりこの結果はなに?」
「自覚がないか。謀略など私の前では無意味だからな、当然だな」
「ねぇ、怖いんだけど。……今のはどう考えても村雨くんがキングを置いてるはずでしょ。なんでガーディアンなの」
「大マヌケめ。キングを置いたら致死量に達してしまうだろう」
「だから、なんでそうしなかったのか聞いてるんだけど」
「……言っただろう。『確認した』と」
「私が変わってなかったかってことを? なんのた、めに……」
それって……。
「……私が昔と変わらなければ生かして、変わってたら殺す気だったってこと?」
「ようやく分かったか」
肩から力が抜けていく。決して安心できるペナルティでは無いが、確実な死からは逃れた安堵があった。
「好感度が高くてよかったわ」
「そうだな、喜ぶといい。あなたにはこれからオークションで売られる。が、既に私が予約してあるので銀行による治療後は私のところへ届けられる予定だ。ガスによる後遺症は心配するな。私の手にかかれば問題ない」
オークション? 予約? え?
「ちょっと、村雨くん、何言って……」
「村雨様、千路様、時間が迫っておりますので精算を行います」
私の困惑をよそに梅野はゲームの続きを進行してしまう。
「いや、それどう言う……」
「今回の掛け金は8億円。千路様は少々口座の金額が足りませんので、特別融資を行います。」
嘘でしょ、そうだったっけ、覚えてない。
焦っていれば、足元から風が噴射された。ガスが急速に密室を満たしていく。薄いピンクに色づく視界がグラグラ揺れはじめた。座ってるはずなのに、世界が回る。
「千路、次に目が覚めた時、あなたは私のものだ。家族のことは、もう気にしなくていい」
働かない頭に、村雨くんの声がやたらと響いて、そこから先は真っ暗になった。
「……雪村が言ってた死神って村雨くんの事だったのね。どうしてここに居るの?」
最後に見た姿と全く変わっていない容姿に思わずどうして居るのか、なんて聞いてしまった。
「それはあなたにも同じことが言える」
「それも……そうね。こんな所で会うなんて考えもしなかったものだから」
意外すぎて案外頭が回ってないのかもしれない。ここは賭場、命を賭ける場所。懐かしい顔を見たせいで致命傷を受けた気分だった。いや、もう既に致命的だ。なんせ
「お二人はお知り合いという節が有力ですね。では、別段紹介は要らないでしょう。ルール説明に入ります。その後デモンストレーションを行いますので、まずはそれぞれガラス張りの個室へお入りください」
梅野の指示に従って透明な箱の中に入る。足元に不穏なダクトがある以外はまるでゲームセンターのトレーディングカードアーケードゲームみたいだ。今にも100円を入れてプレイ出来そうな見た目をしている。
「では、説明致します……」
梅野のゲーム説明が始まる。簡単に言えば見た目通りカードゲームだ。ペナルティはダクトから出てくる有毒ガス。毎ターンの結果に応じて濃度数値が蓄積され、終了時に精算として合計された濃度のガスが流入される。限界濃度を超えれば最悪命を落とす。1/2ライフなら当然のペナルティだ。
デモンストレーションが終われば本番の始まり。
先行は向こう。手札越しに村雨を見れば
「千路、あなたは大学から急に姿を消したな」
早々に札を出して、私に話しかけてきた。
「まぁね。大学を辞めるなんて、言いふらしたい話じゃなかったし。周りに深く突っ込まれたくなかったから無かったことにしたかっただけよ」
手札と村雨を交互に睨む。彼の考えてることを読めたことなんて、今まで一度もない。村雨が話しかけて集中力を削ごうなんて考えるタイプじゃないことは確か。だから、この会話は向こうの余裕綽々の現れ。随分舐められていると思う。
「そうか。あと一年で卒業だというのに、辞めるなどと話せば理由を聞かれるのはあなたの周りを考えれば必至だったろうな」
覚えているとは思いがけなかった。凄く親しい訳じゃないけれど、それなりに村雨とは親交があった。ただ、そんなことを逐一覚えているように見えなかった。
そう、あの時はそれしか無かった。ただでさえ金がないのに、あと一年分の大学費さえも払う余裕なんかなかった。それさえなければ、私は今頃こんなところには居なかったはずだ。友達が多かったから、余計に言えなかった。思い出そうとすれば、友達だったはずなのに顔は浮かんでも名前が出てこなかった。
札を出せばモニターにはお互いの手が明かされている。これは上々な結果。
2ターン目に入った。村雨はまた直ぐ札を選んだ。
「村雨くんは今何してるの」
自分ばかりが考えさせられるのが癪でこちらからも質問を返した。見ても分からないと知ってて、反応を伺わずにはいられない。
「大学病院で勤務医をしている」
簡潔な回答だった。
「随分いいところに就いたのね。ここに居る必要あるの?」
「ここへは患者代を稼ぎに来ているだけだ」
「患者代? 慈善事業でもしてるの?」
そんな人じゃないでしょ、村雨くんは。
札は決まった、制限時間も多少ある。
「違う。オークションで人を買い、自宅で腹の中を見ている」
「……なにそれ。自分の家で人間を解剖してるってこと? 死体はどうしてるのよ」
「殺してはいない。また手術出来なくなるからな。中を見て閉じるだけだ」
突拍子もないことを言われた。変人だとは思っていたけれど、まさか自宅でそんなことをしているなんて、何を言っているんだという気持ちの方が強い。
「まぁ、村雨くん手術
実習で一緒になった時の会話でそんな話をしていた。当時は好きこそ物の上手なれと言うし、別にいいんじゃないとか思ってたけれど、自宅で解剖は普通じゃない。だが、ここに居るくらいなのだから、頭のネジが外れているのも納得できる。
「千路さん、制限時間が迫ってきています」
梅野の声にハッとして慌てて札を出す。
モニターの画面は思ってたのと違った。今のは不味かったかも。5ターンで決着が着くこのゲーム。私のガス濃度はだいたい手足の痺れで済む程度。対して村雨は無害レベル。完全に読み違えた。
3ターン目。村雨は札を出すより先に話した。
「……ところで、私が私的に手術した人物の内の一人千路藤子という女性がいた。オークションで競り落としたのだが、しきりにある名前を呼ぶので手術前に話をした」
何気ない会話から急変した話題に、正確には村雨の出した名前に思考が止まった。千路藤子は母の名前だ。忘れもしない。とうの昔に縁の切れた、全ての元凶。私の全てを歪めた女。
「聞けばある男に唆され、あらゆるところから借金を重ね、それでも足らずに開業医の夫の運営資金からも横領。だが、全てが明るみになり、家を追い出され、男の所に身を寄せたが捨てられたそうだ。最終的に金を求めて銀行にたどり着いたと言っていた」
村雨の語る人間は紛れもない母の事だ。
私が大学で寮暮らしをしている間に母は得体の知れない男に嵌った。仕事ばかりで家族に構うことの無い父、挫折し妥協して整体師になった劣等感から攻撃的になった兄、勉強ができず家族の中で一番出来が悪いといわれ続けた妹。家族はめちゃくちゃだった。母が悪い男に引っかかるのも当然だった。引っかかって、そのまま消えるだけだったらよかったのに、母はあらゆる借金を父に押し付けて消えた。そのせいで初めは父の気が狂った。周囲からの浮気された夫という憐れみにも耐えられなかったのだろう。金があればいいという妄執に取りつかれて無闇に株に手を出した。次は兄だった。両親の状態に耐えきれず、感情のままに飲み散らかしては誰彼構わず拳をあげた。仕事はクビになり、引きこもりが続いている。当然妹も荒れた。抑えていたものが爆発したかのように非行に走り、寂しさを埋めるかのように物を買い漁っている。
それら全てを私が賭場で稼いだ金で賄っている。
もうどうしようもないと分かっていても、捨てることが出来ないまま大学を辞めてからずっと続いている。
「……それで、その女はどうしたの?」
乾いた喉は正常に動いた。
「腹を見た。酷い中身だった。タバコで肺は真っ黒。無茶な食生活からか胃も腸も荒れていた。特に肝臓は肝硬変寸前だった」
村雨は顔色を変えない。とっくに決め終えた札はギリギリまで出さないらしい。
「そのあとは? どうなったの?」
「そのまま腹を閉じた。その後は知らん。どのみちあの中身では長くは無いだろう」
村雨は札を出した。私の番が回ってきた。
「……どうしてその話をしたの」
動揺を誘ってる訳じゃない。そんなの、この男には必要ない。
「オークションでしきりに名前を呼んでいたと言っただろう。それはあなたの名前だ。千路霞晶」
「ちょっと、質問の答えになってない」
「黙って聞け。……彼女はあなたの名前を呼んでこう言っていた。『霞晶、見ているなら助けて』と」
「……ぇ」
おかしい、ありえない。どうして母さんは私がオークションを見ていると思った? なんで私が銀行にいるって知ってる?
「変だろう。なぜ彼女はあなたが銀行で稼いでいることを知っていたのか。それはあなたが金を稼ぎ続けているからだ」
「……どういう、こと」
考えがまとまらない。札も考えなくちゃいけないのに、そこまで余裕が無い。今更なんで私に縋ってくるの、全部貴女が悪いのに。
「彼女はあなたが破綻した家族生活を金で支えていることを嗅ぎつけたのだ。だから銀行にきた。あなたを探すために」
「なんで、だって金を求めてきたって言ったじゃない。それはギャンブルで稼ごうとしたんじゃ」
「正しいだろう?
分かってしまった。あの人は変わってなどいなかった。私のことをいつまでも金の成る木にしか思っていない。父の次に優秀な金の成る木。父が亡くなったら私に跡を継がせて楽をする気だったことなんて、とっくに見抜いていた。そんな所も嫌いだった。
「だが安心しろ。彼女があなたのところに来ることはない」
「なんで言い切れるの……?」
「それは札を選んでから教えてやろう」
横を向いた村雨に釣られて同じほうを向けば、タイマーはギリギリだった。今から思案したってもう遅い。もしかして、この展開を狙ってたの?
「右から二番目だ」
「は?」
「二度も言わせるなマヌケ。右から二番目の札を出せ」
悩んでいる暇は無い。反射的に言われた札を出した。結果は私の数値がまた少し増えた。着実に近づく敗北の足音が耳に聞こえそうだった。
4ターン目も村雨はすぐに出さなかかった。
「あなたはどうして銀行で金を稼ぐ?」
母が私のところへは来ない理由を話す気はあるんだろうか。
「さっきの質問に答えてくれるんじゃなかったの?」
「そう急くな。話が逸れると命取りになるぞ」
命を取るのは貴方でしょ。時間切れのことを言いたいのだろう。この会話もギャンブルも。
「……そうするしか、ないのよ。」
「なぜ」
曖昧な答えは許さない、と鋭い視線が飛んでくる。無数の目に刺されているような感覚が嫌で村雨から目線を逸らした。
「金が無いと、家族がバラバラになるのよ」
「その理由は」
矢継ぎ早に聞かれる。一切合切喋るまでこの尋問を止める気はないらしい。
「母さんがああなってから、父さんは狂ったように株をやり続けてる。マイナスになってもまた注ぎ込めば逆転が狙えると思ってるの。完全にギャンブルに嵌った人ね。兄もずっと引きこもってる。仕事はしないけれど、散財はするの。妹もそう、グレてからは買い物で憂さ晴らししてる。だから、いくらあっても足りないの」
「それで大学を辞めたのか」
「家がすっからかんになっちゃってね、残り一年の学費すら用意できなくなったから……」
村雨の顔色は始まった時から何も変わっていない。
本当に人間なのか確かめたくて、手を触ったことが何度かある。嫌がってたなぁ。逃避したくてそんなことが頭に浮かんだ。
「自分でも分からないの。そんな家族さっさと見切りをつければいいのに……」
「それは家族を捨てた千路藤子と同じになりたくないからだろう」
バッサリ切り捨てられた。
「……簡単に言ってくれるのね」
「このまま金を運び続けることが悪手だと分かっていても、母親と同じ存在になることを拒否して行動できないのだろう。それはあなたの弱さだ」
村雨はいつの間にか札を出していた。
「まぁ、それがあなただろう」
突き刺さる目が止んだ。心做しか村雨自身の目も和らいだような気がする。さっきまでの圧がなくなっている。
「なに、急に」
「左から三番目の札だ。まだ出さなくていい」
当たり前のように指示を出してくる。
「ねぇ、これもうギャンブルじゃないんだけど」
視線を梅野に投げかければ、ルール違反では無いので、とだけ返ってきた。
ギャンブルで策略でもないのに相手に誘導されるなんて、普通ありえない。でも、私は知っていた、村雨が正解を外すことなんてないと。
「千路藤子があなたの元に訪れることがないとと断言出来る理由……だったか」
村雨は先の質問の回答を口にした。
「それはあなたが今日負けるからだ」
「答えになってないんだけど」
「マヌケめ。その鈍さでよく1/2ライフで荒稼ぎできていたな」
「村雨くん程優秀じゃないのよ。成績で勝てたとこなんて一度もないし」
大学時代のような軽口。錯覚しそうになる。
何が面白いのか、彼は口角を上げた。
「そうか、では教えてやろう。千路藤子にあなたがギャンブルで私に負けて金を失うと伝えたからだ。彼女は薄情だな。途端に会う気を無くしていった」
「お気遣いどうも。あの人に情なんてものは無いわよ。だとすると、村雨くんは前から私がここに居ることを知ってたのね」
「そうだな。つい2週間ほど前の話だ」
ギクリとした。そんなに最近だなんて思わなかった。
「あなたがここにいることが分かったので、すぐに調べた。あなたが先程述べた事柄を私は既に知っている。あれはただの確認だ」
「……なんの確認なの」
意味がわからない。所在不明の旧友の居場所が分かったから気になって調べた? そんなことしないでしょ。それに、確認で一体なんの……?
「時間だ。千路、札を出せ」
札を持つ手が戸惑う。さっきまで受け入れてたはずの指示に従うことが恐ろしくなってきた。村雨は正解しか選ばない。彼が選ぶならそうした方がいい。その信頼はどこから来てる? 相手は村雨だから、悪いようにはならないだろう、なんて無意識に思ったの? ここは大学じゃない、賭場だ。自分の意思で選ばなくていいの……?
「千路」
名前を呼ばれて顔を上げた。村雨はこちらを見ている。そのかんばせに感情なんて欠片も見えない……そう思ったのに。
「……ちょっと、やめてよね。絶対わざとでしょ。ここでやらないでくれる」
滅多に見せない縋るような目。私だって二回しか見たことない表情。一回目は村雨が教授の私物に珈琲をぶちまけた時、二回目は駅で知らない子供に大声でパパと呼ばれてひっつかれた時。不機嫌そうな顔か上機嫌で不気味な顔の両極端しか表情パターンがないのに、そういう時だけ何とかしてほしそうにこちらを見てきた。
「…………はぁ。わかったわよ」
だから、そんな目で見つめないでよ。本当に昔に戻ったみたいでしょ。
大人しく札を置く。モニターはもう見たくなかった。
最後の5ターン目が始まる。村雨はやはりすぐに動かない。
「なんの確認か、そう聞いたな」
「え、答えてくれるの」
「聞きたくないなら構わん」
「いや聞く。ほんと珍しいね、やたらとよく説明してくれる。いつもは何か聞くと嫌な顔してため息ついてからどうしようもない時だけ渋々教えてくれるのに」
「いったいいつの話をしている。……あなたが変わっていないかの確認をしただけだ」
「なんの意味があって? 」
「それは今に分かる」
村雨は札を出した。
「もうひとつ、確認するとしよう」
さっきよりも笑みを深めた村雨は言う。
「真ん中の札を出せ」
それは死刑宣告だった。
この状況において村雨が出す札なんて分かりきってる。指定された札を出せば確実にガスの濃度は致死量を超える。さっきまでの日常会話をぶった斬る残酷な神託。
「ねぇ、言ってること分かってる?」
「当然だ」
「さっきまでの和気藹々が台無し」
「いつそんなに馴れ馴れしくなった」
「……信じらんない。私、村雨くんの考えてることなんにも分かんないんだけど」
「あなたに読まれるほどマヌケでは無い」
どう考えても殺す気でしょ。それだけは分かる。村雨の態度が昔と変わらなさすぎて忘れかけてたけれど、これはデスゲーム。
「はぁぁ……」
札を眺める。制限時間もそんなに多くない。
村雨に言われて気づいた。見て見ぬふりをしてきた、母さんと同じになりたくない、という思いを。でももうどうしようも無いのだ。あの家族が正常に戻ることはきっと無い。今まで散々呼びかけた私の声は届かなかった。現状維持に必死になって、目を逸らし続けた結果がこれだ。
――破綻した家族を守るために、幾人も地獄に送ってきた。
負ける日が来るまで、このことに気づくことは無かっただろう。もっと早く見切りをつけるべきだった。抑え込んでいた、ウンザリしていた気持ちがぶり返してきた。
「……あーあ、馬鹿馬鹿しいなぁ。あんなのの為に命を掛けてまで稼いでたなんて……。今際の際なのに、恨みしか出てこないならこんなことしなければ良かった」
真ん中の札をとる。
「村雨くんが言うとなんでも正しく聞こえてくるなぁ。昔からそうだった。実際正しいんだけど。はぁ、私もそれなりに間違ってないつもりだったんだけどなぁ」
札を置いた。
「村雨くんの考えてること全く分からないけど、そう言うのならそれが正解なんでしょ」
全てのターンが終了した。モニター画面には致死量の数値が出るはずだ。画面を凝視する。
表示は……致死量ではなかった。
「……っえ?」
ガス濃度の数値が示す身体への異常は意識の混濁。
死ぬか生きるか、生きても後遺症が残るかなんとも中途半端な結果だった。
呆気に取られて村雨を見る
今日一の笑顔を浮かべた村雨は上機嫌に喋る。
「やはり変わっていなかったな。」
「あなたは一人でいる時は間違うが、そこから何かを得て正せる人間だ。マヌケだらけの世界の中で、とてもマシなマヌケだ。さらに言えば、
聞きたかったこととは全く違うことが返ってきた。
「私そんなに好感度高かったの? 覚えがないんだけど。それよりこの結果はなに?」
「自覚がないか。謀略など私の前では無意味だからな、当然だな」
「ねぇ、怖いんだけど。……今のはどう考えても村雨くんがキングを置いてるはずでしょ。なんでガーディアンなの」
「大マヌケめ。キングを置いたら致死量に達してしまうだろう」
「だから、なんでそうしなかったのか聞いてるんだけど」
「……言っただろう。『確認した』と」
「私が変わってなかったかってことを? なんのた、めに……」
それって……。
「……私が昔と変わらなければ生かして、変わってたら殺す気だったってこと?」
「ようやく分かったか」
肩から力が抜けていく。決して安心できるペナルティでは無いが、確実な死からは逃れた安堵があった。
「好感度が高くてよかったわ」
「そうだな、喜ぶといい。あなたにはこれからオークションで売られる。が、既に私が予約してあるので銀行による治療後は私のところへ届けられる予定だ。ガスによる後遺症は心配するな。私の手にかかれば問題ない」
オークション? 予約? え?
「ちょっと、村雨くん、何言って……」
「村雨様、千路様、時間が迫っておりますので精算を行います」
私の困惑をよそに梅野はゲームの続きを進行してしまう。
「いや、それどう言う……」
「今回の掛け金は8億円。千路様は少々口座の金額が足りませんので、特別融資を行います。」
嘘でしょ、そうだったっけ、覚えてない。
焦っていれば、足元から風が噴射された。ガスが急速に密室を満たしていく。薄いピンクに色づく視界がグラグラ揺れはじめた。座ってるはずなのに、世界が回る。
「千路、次に目が覚めた時、あなたは私のものだ。家族のことは、もう気にしなくていい」
働かない頭に、村雨くんの声がやたらと響いて、そこから先は真っ暗になった。
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