Northern Lights(種無印)
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36話 終わらない明日へ
<宙域のザフト全軍、ならびに地球軍に告げます。現在、プラントは地球軍及びプラント理事国との停戦協定に向け、準備を始めています。それにともない、プラント臨時最高評議会は、現宙域におけるすべての戦闘行為の停止を地球軍に申し入れます>
先程までモニターのあちこちを彩っていた閃光や、交錯していた通信、警告音が嘘のように消え、今は宇宙本来の姿である静寂な空間が目の前に広がる。
だが、そこが戦闘宙域であったことを物語るように、多くのモビルスーツが塵となって漂っていた。
その中に、黄金の輝きを宿しながらも、本来の機体の面影を無くすほど大破したアマテラスの姿があった。
辛くもジェネシスの直撃は免れたアマテラスだったが、プロヴィデンスとの激闘でエネルギーを使い果たしてしまい、どうすることも出来ないまま、いつになるかも分からない救助をただ静かに待っていた。
コックピットに身を任せたまま、シオンは虚ろな表情で、ただ目の前に広がる空間を眺めていた。
――なぜ……こうなった……ラウ
――……すまないサリア……俺はまた、この手で……人を……
――俺が選んだ道は正しかったのでしょうか……ウズミ様
胸に去来する想いが、止め処なく零れだす。
プロヴィデンスを撃った――ラウ・ル・クルーゼの最期の瞬間、その光景が何度も甦り、シオンを襲った。
操縦桿に伝わった衝撃は、間違いなく自らが彼を撃ったのだという証明。
機体が爆炎に飲み込まれる直前、彼が口にした言葉の真意は何だったのか――。
考えれば考えるほどに、他に方法はなかったのかと、自らの両手のひらを眺め自問自答する。
あの時差し出された手を取り、ラウの隣に居れば……敵対することも撃つこともなかっただろう。
でも、それでは世界は変わらない。破滅への道を進むだけだった。
だからといって、武器を手に取り、ラウを敵として撃つことが正義だったのだろうか。
これが戦争だと頭では理解していても、大切な人を守るために他の誰かを傷つける矛盾に胸が痛む。
シオンは震える拳を握り締めるときつく目を閉じた。
『必ず帰ってきてくださいね……わたくしのもとへ』
必ず戻ると、約束を交わしたあの日が遠い昔の出来事のように感じる。
まるで水の中を漂っているような、心地よくも痛いほどの静けさに、無意識に言葉を紡いでいた。
「――ラクス……」
愛しい名を唇に乗せれば、疲れきった心と身体が温かいもので満たされる気がする。
「ラクス……ッ」
この手を血に染め、いくつもの罪を抱えながら、心と身体を磨り減らして生きてきた日々があった。それに耐え切れず、永遠の眠りについた大切な人サリア。
その彼女が望んだのは平和な世界――シオンがもう二度と人を殺めずにすむ世界で、サリアの分も生きていくことだった。
そして、死を覚悟したこの戦いの中、サリアと同じように「生きて」と願ってくれたラクス。
けれど、更に罪を重ねてしまったこの手でラクスに触れることが叶うのだろうか。
それでも会いたい。ただ、会いたくて仕方なかった。
その髪に、その頬に触れて、彼女の温もりを感じたいと、ただそう思った。
しかし、戻りたくとも、エネルギーを使い果たした愛機は何の反応も示してはくれない。
何度も試したシステムの再起動をもう一度最初からやりなおすが、結果は変わらなかった。
「……っくそ!」
苛立ちをぶつけるように、シオンは拳をキーボードに叩きつけた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
デブリ帯の中をフリーダムが漂うようにゆっくりと飛行する。
センサーだけに頼らず、可能な限りの映像をモニターに映し出し、それらを慎重にチェックしていった。
自分に代わり、ラウ・ル・クルーゼと戦っていたシオンを探す為に――。
「シオンさん……」
モビルスーツや戦艦の残骸が漂う光景は、まさに墓場と呼ぶに相応しい。
生体反応など微塵も感じられないような静かな空間を移動しながら、キラは溢れそうになる涙を必死に堪えて、モニターの映像へと神経を集中させた。
やがて、一つのモニターの端にキラリと光る存在に気づいたキラは、慌てて映像を拡大して物体の確認をする。
それは見間違うことなどない機体――黄金の機体アマテラスだった。
「見つけた! シオンさん!! こちらフリーダム、キラ・ヤマト、アマテラス応答してくださいっ! シオンさん!」
通信回線を開き、アマテラスへと呼びかけるが何の反応もない。
機体には乗っていないのか、意識を失っているのか、それとも――。
嫌な考えばかりが脳裏を過ぎるが、それらを必死に振り払うように頭を振ると、キラはシオンの名を何度も呼びながらフットペダルを踏み込んだ。
そんなに離れてはいない距離のはずが、やけに遠く感じられ、不安だけが募る。
アマテラスを目視できる距離までたどり着いたフリーダムは、速度を落としてゆっくりと機体を寄せた。
キラははやる気持ちを抑えながら、フリーダムのコックピットハッチを開くと、アマテラスへと乗り移る。
『シオンさん! 大丈夫ですか! シオンさん!! 』
いまだ何の応答もないアマテラスへと体を滑らせ、外からコックピットハッチを開いた。
開いたハッチの向こうに見えたのは、力なくシートに体を預けているシオンの姿。
目を閉じ、ぐったりとしているシオンの姿を目にしたキラは、彼の肩を力任せに揺すって泣きそうな声で必死に彼の名を呼ぶ。
バイザー越しでは顔色の判別が出来ない。とにかく、彼の意識を引き戻すことに必死だった。
『シオンさんっ、シオンさん!』
『――キラ……くん?』
シオンは俯いていた顔を起こし、ゆっくりと瞼を上げると視線をキラと絡ませる。
一体どれくらいの時間眠っていたのだろうか……と考えるが、目の前のキラの表情を見て、そんな考えはすぐに消えていった。
必死に涙をこらえながらも本当に嬉しそうに笑うその表情に、どれほど自分を心配してくれていたのかを思い知る。
『よかった……・・シオンさん、無事で……』
『無事……とは、言いがたいかな……』
弱々しい声ではあるものの「アマテラスはこんな状態だしね」と、笑みを湛えるシオンの姿に安心したキラは、とうとう耐え切れなくなり、ぽろぽろと大粒の涙を零した。
涙の粒は無重力のヘルメットの中をふわふわと漂う。
『でも生きてる……本当に……よかったっ』
『あぁ……キラ君も無事でよかった』
そう言ってキラの頭をヘルメット越しに軽く撫でた。
いつもなら少し硬い亜麻色の髪の感触がシオンの手に伝わるが、今は酸素のない宇宙空間でパイロットスーツを着ているのだからそれは叶わない。
当然、キラのヘルメットの中を漂う涙を拭ってやることもできない。
そのことに苦笑いを浮かべていると、キラが口を開いた。
『フリーダムに移りますか?』
『いや、ここがいい』
『わかりました』
キラはアマテラスのコックピットを後にし、フリーダムへと戻る。
コックピットを閉じると、フリーダムの両手でアマテラスをしっかりと抱え、帰艦すべく操縦桿を握った。
『フリーダム、キラ・ヤマトよりアークエンジェル、エターナル、クサナギへ。アマテラスを発見、パイロットも無事です。これより帰艦します』
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
燃料切れを起こしたデュエルを抱えた状態で、停戦放送を聞いていたディアッカは、ひとまず終わりを告げた戦いに小さく息をついた。
そして、イザークへと通信を繋ぎ、傍らに佇むモビルスーツ――オーブのM1アストレイに搭乗しているパイロットが、実はかつての仲間であったことを告げたのだった。
『――なっ、なっ……なぜそれを早く言わんのだ!! ディアッカーー!』
『あの状況で言ったって再会を喜べるわけでもないし? 仕方ないでしょ』
ディアッカの当然の言葉にイザークは口を噤む。
彼らの存在をディアッカは知っていて自分は知らなかった――そんな状況を腹立たしく思ったが、そんなのは一瞬のことで、MIAだと知らされた仲間が生きていたことが本当に嬉しかった。
ディアッカとイザークがぎゃあぎゃあと騒いでいるところへ、フリーダムがアマテラスと思われる機体を伴って合流した。
モビルスーツとしての原型をなんとか保っている状態のアマテラスを前に、ミゲル達は一瞬絶句するも、パイロットであるシオンが無事だと分かると次の行動へと移る。
『シオン、通信は生きてるのか?』
『辛うじてこの距離なら……』
ミゲルはシオンに通信を繋ぐと、イザークの機体――デュエルの補給を願い出た。
同じザフトの機体でも、ディアッカのバスターは既にアークエンジェル側の機体といっても過言ではない状態だ。補給にわざわざ許可は必要ない。
だが、イザークは立場が違う。
ミゲルの申し出に、ディアッカも「俺が責任持ってイザークの面倒を見るし」と言うと、小馬鹿にしたようなラスティの笑い声が聞こえた。
『いやいや、お前が責任取るって言ったところで信用できるかっての。シオン、補給中のイザークの行動に関しては俺やミゲルも責任もつからさ』
『――大丈夫だ、分かってる』
会ったこともないザフト――正確には一度、声だけ聞いたことがある人物――を、そう簡単に信用すべきではないとは思うが、アスランやミゲル、ラスティ、ニコル、ディアッカの仲間だというのなら、それだけで信用に値すると、そう思った。
シオンの静かな声が響いた。
『キラくん、フリーダムからエターナルに通信を繋いでくれないか』
『え? あ、はいっ。今、ハッチ開けます』
シオンはアマテラスのコックピットから飛び出すと、ふわりと身体を踊らせ、最小限の動きでフリーダムのコックピットへと滑り込んだ。
『少し狭くなるな……すまない』
『いえ、大丈夫です。通信OKです』
『ありがとう。――こちらアマテラス……いやフリーダム、シオン・フィーリア。エターナル、聞こえるか?』
シオンはアークエンジェルでもクサナギでもなく、エターナルに通信を繋ぎ、着艦の許可を求めた。
自艦であるクサナギか整備スタッフが充実しているアークエンジェルに着艦するのが得策と思ったが、デュエルがザフト軍所属の機体だということを考慮し、エターナルへと向かうことを選択する。
そんなシオンの考えを聞くまでもなく理解したラクスはそれをすぐに許可した。
自力での移動が不可能なアマテラスをフリーダムから引き継いだミゲルのアストレイはゆっくりとエターナルへと着艦する。
先にディアッカと共にエターナルに着艦していたイザークはシオンの着艦を待っていた。
ほどなく、ミゲルのM1アストレイと共に大破した黄金のモビルスーツが格納庫内に姿を現し、黒いパイロットスーツに身を包んだパイロット――シオンがコックピットから降りてきたのを確認したイザークは、無重力の中を一蹴りでシオンの前へと降り立った。
「おま……あなたが指揮官のシオン・フィーリアだな。俺はイザーク・ジュール。今回は着艦と補給修繕の許可を出してもらったことに感謝する。それと、ディアッカから聞いた……仲間の生命を助けてくれたそうだな。そのことにも感謝する」
イザークは握手の手を差し出した。
停戦したとはいえ、ほんの少し前までは敵として銃を向けていた相手だ。イザークの表情にも緊張が走る。
シオンはゆっくりとヘルメットを取ると脇に抱え、空いた手で握手に応えた。
「いや、こちらこそ。ジェネシス第一射の時は君に助けられた。ありがとう」
ふわりと微笑むシオンに、毒気を抜かれたイザークは挨拶以外の言葉を失う。
オーブを率いる『代表代理』であり、ザフトにも連合にも属さない第三勢力をまとめた『指揮官』であるシオン・フィーリアという人物。
どれほどの人物なのかと想像だけが膨らんでいたが、今握手を交わしている人物はあまりにも想像からかけ離れていた。
それだけではない。よくよく見ると、自分達とそんなに年齢は変わらないような印象さえ受ける。
そんなイザークの様子に、シオンは少し困ったような表情を浮かべながらも言葉を続けた。
「――オーブでは彼らと一緒で中々楽しい生活をさせてもらって感謝するのはこちらのほうだ。それに……戦争は終わったんだ。補給と修繕に関しては当然の処置だ」
「そう言ってもらえるとありがたい」
「じゃあ、俺はまだすることがあるから行くよ。折角だ、補給の間は彼らとゆっくり話でもしているといい」
軽く手を上げ、シオンはブリッジへと向った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ブリッジへと続く通路は意外にも人の気配がなく、シオンは小さく息を吐いた。
(まだまだしなければならないことが山積みだ。感傷に浸っている時間はない)
何も考えずにひとりで居たいと思う気持ちを抑え、ブリッジを目指してたシオンは、不意に現れた人の気配に顔を上げた。
「――ラクス……」
「……」
戦いの最中、アマテラスのシグナルをロストしたと聞いた時の衝撃。
生存を信じて捜索に出たキラからシオンが見つかったとの報告を聞いた時の安堵。
そして、このエターナルに着艦すると聞いた時の喜び――居ても立ってもいられなくなり、ラクスはバルトフェルドに後のことを頼んでブリッジを飛び出してきてしまった。
戦いを終えて、約束どおり帰ってきた彼。
疲労とは違う何かを感じさせる雰囲気に、かけるべき言葉が出てこない。
その胸に飛び込んで良いのかすら分からず、ラクスは彼の名を唇に乗せるのが精一杯だった。
「シオン……」
そんなラクスの不安を感じたのか、シオンはポケットから銀色のリングを取り出すとそれを目の前にかざして微笑んだ。
「これ……約束どおり、ちゃんと返しに来たよ」
「……シオンっ」
零れ落ちそうなほどの涙をその瞳に湛え、ラクスは床を蹴るとシオンのもとへと向かう。
そんなラクスをシオンは両手を広げて受け止めた。
「お帰りなさい……っ」
「ただいま」
小さく震えながら繰り返しシオンの名を呟くラクス。ずっと信じて、待って、そして自分を迎える言葉をくれる彼女が愛しくてたまらない。
腕の中の温もりに、今やっと、自分は生きているのだと実感したような気がする。
泣きたいくらいに彼女が愛おしい。
無意識に抱きしめる腕に力がこもる。
「ラクス……君が待っていてくれたから……俺は生きて帰ってこようと思った」
「――なら、これからもずっとシオンの帰りを待ちます……だから、何があっても生きて……わたくしの側に」
シオンの胸に顔を埋めながら、ラクスは祈るような気持ちで言葉を紡ぐ。
ただ、この人がこうして側にいてくれるだけでいい。
自分の名を呼んで、抱きしめてくれるだけで――。
その言葉はまるで将来を誓う言葉のようで、シオンの心の底に小さくも温かい灯をともした。
これから歩んでいく日々に彼女の存在は不可欠なのだと、そう強く感じたシオンは、抱きしめていた腕の力を緩めると、顔を埋めているラクスへと囁く。
「そういうセリフは先に言わせて欲しかったな」
そう言ってシオンが小さく笑うと、ラクスがシオンを見上げてふわりと微笑んだ。
「こう見えても……わたくし、負けず嫌いなんですのよ」
その笑みと言葉があまりに愛らしく、一度解放した彼女をまた腕の中へと収め、力いっぱい抱きしめる。
彼女が側で微笑んでくれる、腕の中で自分の名を呼んでくれる、そんな些細な幸せを大切にしたいと感じた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
エターナルのブリッジに入ったシオンは、バルトフェルド達と順に固い握手を交わすとクサナギに通信を入れた。
指揮官として事後処理をしなくてはならない。
「キサカ、負傷者の回収状況と残存部隊は?」
<負傷者の回収率は現在8割といったところだ。シグナルの確認が出来ていない部隊もまだある。すべての処理が終了するまで後数時間は必要だ>
「そうか。では、何かあれば随時報告を。俺もこちらでの用件が終わり次第、クサナギに戻る」
<了解>
「――カガリ」
キサカとの通信中、その隣で画面越しに自分を睨んでいたカガリへと声を掛けると、待ってましたと言わんばかりの勢いでカガリが画面へと顔を寄せてくる。
<兄様! 遅いぞ!>
あまりのカガリの勢いに圧倒され、苦笑とともにシオンの表情が一瞬で“兄”のものへと変わる。
「……すまない。約束……守ってくれたみたいだな、ありがとう」
総力戦になると予想したこの戦い。敬愛するウズミから託されたカガリに無理をするなと釘を刺したのは自分だ。
そして無事に帰艦したカガリと、こうして会話が出来ている現状に、肩の荷がひとつ降りた気がする。
<兄様もちゃんと約束を守ってくれたのは分かった! けど、まだ残ってるぞ>
「え? あ……そうだな。すぐ戻るよ」
一瞬、何のことかと目を見開いたシオンだったが、そのことを思い出すと、ふわりと笑う。
――カガリとの約束――シオン自身も無茶な戦闘はせず帰艦すること。そして、戻った自分を出迎えろとカガリに約束させた。
それは、共に生きてクサナギで再会するための約束だった。
<本当にすぐだぞ! でなければ私も約束を最後まで守れないんだからな>
「あぁ、待っててくれ」
モニターがブラックアウトするのを確認したシオンは小さく息を吐くと、バルトフェルドと今後の動きについて大まかな話し合いをする。
詳細については、この宙域ですべき事を終わらせてからアークエンジェルやカガリも交えないと決めることはできないが、ある程度の指針は必要だ。
その間も、あちこちからシオンに指示を仰ぐ通信が途切れることなく入り、シオンの疲労もピークに達しようとしていた。
だが、疲れているのは皆同じだと言い聞かせて指揮に集中するものの、予想以上の疲労感は思考回路の処理速度を鈍らせる。
それに気づいたシオンが、少し休んだほうが良いかも知れないと思った矢先、側にいたラクスが口を開いた。
「シオン……クサナギへ戻って、少し休んでください」
「――……」
ラクスの言葉に驚いたようにシオンが一瞬目を見開く。
そんな自分の心中が分かるのか、彼女は微笑んで続けた。
「しばらくは大変な道のりが続くでしょう。嫌でもシオンに頼ってしまうことになります。どうかそれまで少しでも休息を……今はわたくし達だけでも大丈夫です」
ふわりと微笑むラクスに、シオンは申し訳なさそうな表情を浮かべ「いや……でも……」と歯切れの悪い言葉を口にする。
誰もが傷つき疲れきっているというのに、自分だけが休息をとるなど……と思い、言葉を詰まらせていると、ラクスに手を引かれ通路へと導かれた。
「……ラクス」
「カガリさんもお待ちです。今、シオンが優先すべきことは、カガリさんとの約束を果たすことではないのですか?」
ブリッジと通路を隔てるドアが開き、シオンだけが外へと足を踏み出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
<兄様の顔色が優れないようだったが……何か知らないか? ラクス>
シオンがクサナギへと戻ってしばらくすると、カガリからラクスへと通信が入った。
ちょうどアークエンジェルとエターナルが通信中だったため、自然とマリューも交えた三隻間で通信がなされる。
「いえ、わたくしは何も。確かにお疲れの様子ではありましたが……」
カガリとラクスの言葉にキラの表情が強張った。
『キラ君……あなた何か知ってるの?』
ラクスの側に佇むキラの動揺を見抜いたマリューが画面越しに問いかけると、エターナル内の周囲の視線もキラに集中した。
突き刺さるような視線を全身に浴びながら、キラは言葉を選ぶように口を開く。
「――多分……最後の……ラウ・ル・クルーゼって人との戦いのせいだと思う」
本当に強い相手だったし、と付け足された言葉に、“クルーゼ隊”であった面々は納得したが、ラクスはただ一人、表情を暗くする。
「クルーゼ隊長と……そうですか」
シオンとクルーゼの関係を聞かされていたラクスは、シオンの胸中を思って表情を曇らせた。
兄のように慕い尊敬した人と敵対する立場になっただけでなく、その人と戦うことになってしまった彼。
その苦悩を誰にも吐露することなく、心の中にしまい込み、戦後のこの混乱を収めようと先程まで指揮を執っていた。
あの疲弊した様子は肉体的な疲労だけが原因ではないのだと、今初めて理解したラクスは言葉を失う。
「……ラクス?」
まるで何かを知っていて口を噤んでいるように見えるラクスへとアスランが声を掛けるが、俯き視線を落とすその表情に何も問えずにいた。
<キラ?……ラクス?>
カガリは、歯切れ悪く言葉を紡いだキラへと不審げな視線を向けていた。
歯切れが悪いだけでなく、これ以上のことは聞くなと言わんばかりの表情と雰囲気にカガリは不機嫌さを露わにする。
挙句、その隣では「何も知らない」と言っていたラクスが表情を曇らせているではないか。
<お前たち! なにを隠してる!!>
カガリが画面越しにキラとラクスに対して苛立ちをぶつけた。
クサナギに戻ってきた兄は、本当に嬉しそうに自分の無事を喜んでくれた。
だが、いつも見せる柔らかな笑みに見え隠れする疲労の色を感じ、それを追求したい衝動を抑え、兄に休息を取るよう頼んで今に至る。
帰艦前に立ち寄ったエターナルで何かあったのかと思い、ラクスへと通信を繋げばこの状況だ。
<兄様のことで隠し事ができると思うな! 洗いざらい吐いてもらうからな!!>
「いや……・僕は……何もっ」
カガリの勢いに圧倒されたキラが、助けを求めるように周囲を見渡すと、無常にも全員がカガリに賛同して首を縦に振っている。
「アスラ~ン」
最後の頼みとばかりに親友に助けを求めれば「素直に吐いたほうが身のためだぞ」と捨てられた。
観念したキラは「僕が話したってことは絶対、絶~対! 言っちゃ駄目だからね!」と念入りに前置きをおいて話し始めたのだった。
「シオンさんとラウ・ル・クルーゼは……幼馴染だったみたいなんだ」
メンデルでクルーゼから聞かされた自分とシオンの出生の秘密。
その部分には触れることなく、キラは必要最小限の事実だけをこの場で話した。
初めて明かされた事実に皆が息を飲む。が、シオン本人から聞かされていたラクスは驚く様子もなく、ただ表情を曇らせていた。
“幼馴染”という言葉にアスランは驚き、言葉を詰まらせた。そしてほぼ同時にキラと視線が絡まる。
幼馴染――親友と敵対し、殺し合う戦争の悲惨さは誰よりも分かっているつもりだ。
だからこそ、シオンの胸中も痛いほど理解できた。
「……なぜ、あの宙域でクルーゼ隊長とシオンが……」
言外に“行動を共にしていたんじゃなかったのか”とキラに問う。
当初、アマテラスとフリーダムがジェネシス破壊へと向かっていた。なら、一緒にいたはずのフリーダムは何をしていたのか、と。
「僕が……最初に彼と戦ってた。彼とシオンさんを戦わせちゃ駄目だって思ったから……でも、僕の力が足りなかったから……結局シオンさんが彼と戦って……撃つことに……」
悔しそうに俯いて唇を噛み締めるキラを見て、アスランもまた拳を震わせた。
キラを殺した――そう思って自暴自棄になりかけた自分に、救いの言葉と考える時間をくれたシオン。
自分達は何度となく対峙したが、今はこうして同じ道を歩いている。
だがシオンは大切な人と道を違えたまま敵対し、撃って、自分は生き残って……そんな彼の心中を思うと、やり切れない思いでいっぱいになった。
「シオンさんの元気がなかったのはそのせいなんだ! 僕がラウ・ル・クルーゼを倒していれば……っ」
激しい戦いの後、やっとの思いで見つけたアマテラス。宇宙を漂うそのコックピットで垣間見た、憔悴したシオンの表情を思い出したキラが悔しさに拳を握り締める。
その瞳にはうっすらと涙が滲んでいた。
<キラのせいじゃないだろ……仕方ないよ、これが戦争なんだから……兄様ならきっとそう言う>
静かに呟かれたカガリの言葉に、その場にいた全員が言葉をなくす。
そして誰もが祈った。
こんな悲しみに覆われる世界が、一日も早く、平和で幸せな世界へと変わっていくようにと。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
キラの話を聞き、すぐにクサナギへとやってきたラクスはカガリに頼み込んでシオンの私室へと案内してもらった。
インターフォンを押し、部屋の主の名を呼ぶ。
返事がなければそのまま帰ろうと思っていたが、意外にも早くドアが開かれ、部屋の中へと導かれた。
「ごめんなさい……お休みの邪魔をしてしまって……」
「いや、――せっかく来てくれたんだ。どうぞ」
部屋に備え付けの小さなテーブルと椅子があり、そこに座るよう促された。
狭い部屋だからこれしかないけど、と言い紅茶まで淹れてくれるシオンに必死に笑顔を向ける。
気を抜けば涙が浮かんできそうだった。
何を言っても気休めにしかならないのは分かっている。
けれど、かけるべき言葉を用意して来た訳でもない。
それでも会いたいと、会わなければと思って来たはずなのに……。
静かな沈黙が部屋を覆う。
「――ラクス……」
向かい合った形でベッドに腰を掛けていたシオンが静かに口を開いた。
カップに両手を添え、そこに映る自分へと視線を落としていたラクスは、シオンに呼ばれてゆっくりと顔をあげる。
「……はい」
「誰かに……何か聞いてここへ来た?」
お見通しだと言わんばかりの苦笑いを湛えてシオンがラクスを見つめる。
誰か、とは言っても予想は簡単につくが。
「……」
何かを伝えたくてここへ来たのは確かだったが、一体どんな言葉を彼に伝えればいいのか分からず、ラクスはただ泣きそうな表情でシオンを見つめるしか出来ずにいた。
そんな彼女の様子に、シオンは困ったような笑みを浮かべると、言葉を選ぶように静かに呟く。
「――ありがとう」
気遣ってくれて、側に駆けつけてくれて。
――けれど……。
「すまない……今は一人に……」
ラクスの瞳が一瞬だけ見開かれ、膝に置かれた白い小さな手が小さく震えているのが分かる。
心配してくれる彼女に、ひどい言葉を発したとは思う。
だけど今は、本当にひとりになりたかった。
――ただ敵対しただけのラウを撃つことが本当に正しかったのか。
争いの火種を消すために武器を手にする――それが本当に正しいことなのか。
撃たれるべきは自分ではなかったのか。
なぜ自分は生きているのか。
まるで迷路に迷い込んだように、ぐるぐると同じことばかり考えてしまい何の成果も得られないが、なにか一つの答えに行き着けば自分が納得できるような気がしていた。
だから、今はひとりになりたい。ただそれだけだった。
「……シオン」
「ラク、ス……?」
不意に立ち上がったラクスが出口とは反対方向、つまり自分へと向いた事に疑問符が浮かぶ。
すると細い腕が自分の両脇を素通りし、そのまま頭をふわりと抱え込まれた。
一瞬何が起こったのか理解できず呆然としていたシオンだったが、頬をかすめた柔らかなピンクの髪と彼女の香りに、自分が置かれた現状を理解する。
戸惑い、離れようとしたが、告げられた言葉に身体が固まった。
「……辛い、戦いだったのでしょう? キラから聞きました……クルーゼ隊長と戦ったのだと」
「…………」
「わたくしは……ただ、あなたの無事を祈るだけで……」
黙ったまま動かないシオンを、ラクスは愛しそうに更に抱きしめる。
「あなたの気持ちを、何も理解しようとしないまま、無事だったのが嬉しくて……ごめんなさい」
「――……」
「わたくしでは、シオンの支えになれませんか? 悲しみや辛さを少しでもわたくしに分けてはくださいませんか?」
今まで、自身のことは誰にも話さず自分で全て抱え込んできた。
自分のことを解決できるのは自分だけだと、そう思っていたからだ。
けれど、こうして自分の心の奥底へと寄り添ってくれようとする彼女の存在がとても有難く、そして嬉しく感じる。
悲しいこと、辛いこと、悩んで解決しないこと……自分だけで抱え込むには無理が生じる数々のこと……それらをほんの少しでも分けることが出来れば心の負担が軽くなる。
これがどれほど有難いことなのかを、今思い知った。
重ねた罪すら赦されるような気がして、身体の奥から熱いものが込み上げてくる。
「ッ……すまない……」
たまらず、彼女の背に手を回す。
流れる涙を止めることが出来ないシオンは、ただ謝罪の言葉を繰り返し、ラクスに縋るように腕に力をこめた。
「……父を亡くしたとき、あなたがそうしてくださったように、わたくしもあなたの力になれたら……」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
オーブへと戻ったシオンは、連合の領土となっていた祖国を解放し、闇の獅子の全権を持って、国家立て直しへと全身全霊を注ぐ。
そして、ユニウス条約が締結され、一時的とはいえ、世界に平和が訪れた。
「少し、寂しくなるな」
プラントへと向かうシャトルを見送るシオンが寂しそうに笑う。
シオンと向かい合うように立っているのはザフトの軍服に身を包んだミゲル、ラスティ、ニコル。ディアッカは一足先にイザークとプラントへと戻っていた。
「世話になったな。本当に……」
「こっちこそ」
年齢が近いせいもあり、まるで長年の友人のように付き合えたミゲル。
お互いに、言葉に出来ない思いが溢れ、逆に短い言葉しか出てこないことに苦笑いを浮かべる。
交わした握手を解くと、隣のラスティと向き合う。
「どう? 俺の軍服姿」
「本当にザフトの赤だったんだな」
「信じてなかったって? さらっとひどいこと言うね」
冗談めかして笑うシオンにラスティも笑いながら握手を求める。
「ありがとう、俺ら助けてくれてさ」
「いいや、俺も助けられた……ありがとう」
握手を解いてニコルの前へと移動し、固く握手を交わす。
「本当にありがとうございました。もっと伝えたいことがあるんですが……こんな言葉しか今は思いつきません」
「あぁ、俺もだ。君達には感謝してもし足りない……いや、逆に謝らなければと……」
故郷でもないオーブのために、同胞と敵対させてしまう事態に巻き込んでしまったのだ。
申し訳ない、という言葉だけでは足りないだろう。
握手を解いたニコルは、少し俯きがちのシオンへと微笑む。
「そのことは言わないでください。僕たちが納得して選んだことです。逆に、僕たちのわがままを聞き入れてくれたシオンに感謝しているんですから。でしょ? ミゲル、ラスティ」
「そうそう」
ミゲルとラスティの声が重なる。
「――落ち着いたら、ぜひプラントへ来てください」
「あぁ、必ず」
「シオン――」
ミゲルがちらりと、シオンより少し離れた位置に佇むアスランとラクスへと視線を向けて口を開く。
「ラクス嬢のことは言うまでもないが……アスランのこと頼む」
「分かってる」
悩んだ結果、オーブへと亡命することを決めたアスラン。
それを受け入れたオーブ。
世界が平和への道を歩き始めたといっても、アスランがプラント――ザフトへこのまま戻るには様々な危険因子があまりにも多く、これが最適な選択だとの判断だった。
「そろそろ出発の時間だな……また会おう」
そう言って、シオンが右手を掲げて敬礼のポーズをとると、ミゲル達も表情を引き締めて敬礼を返した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ある日の夜遅く、シオンはアスハ邸を訪れた。
「兄様? こんなに遅くに珍しい……何か急ぎの用件か? あっ、マーナ。お茶を頼む」
「すまないな、こんな夜分遅くに……すこしテラスで話さないか?」
マーナが入れた特製のお茶を一口啜り、シオンは『懐かしいな』と呟いて久しぶりに訪れた懐かしい景色をぐるりと見渡す。
脳裏に甦るのは、ウズミとカガリとサリアと……まるで本当の家族のように食卓を囲み、心穏やかに過ごしていた頃の思い出。
今はもういない大切な人との時間。
シオンはゆっくりとカップを置き、一拍おいて口を開いた。
「――今夜を限りに『闇の獅子』は姿を消そうと思う。後のことは、お前と新しい首長たちでこの国を導いていってほしい」
「そんな! 今のオーブにはまだ兄様の力は必要だ! 姿を消すなど……っ、私にはまだ……っ!」
テーブルを叩いて激高するカガリを無視するように、シオンは続ける。
「獅子の国を導くのは獅子の子であるお前だ。俺じゃない。それは分かるだろう? 俺の役目は次の指導者たるお前がスムーズに政務が行えるレベルまでこの国を立て直すことだ。表舞台に居続けることじゃない」
そう呟いて目を伏せるシオンの表情に、カガリは言葉を無くす。
疲労の色と、例えようのない深い悲しみを感じさせるその横顔は、停戦直後の頃と何一つ変わっていない。
文句のない手腕を発揮させ、眠る時間さえ惜しんでオーブ復興へと尽力してくれたシオン。どれだけの時間が経過しようと、その心の傷は、いまだ癒えていないのだとカガリは確信する。
そんなシオンを引き止める言葉など持ち合わせてはいないカガリは、ただ黙り込むだけだ。
俯くカガリを尻目にシオンはスッと立ち上がった。
「兄様……っ!」
「大丈夫、お前なら出来る」
いつものように優しく微笑み、カガリの頭を撫でるシオン。
その大きな手に不安が消えていくのも、いつもと同じだった。
けれど、そのシオンは姿を消そうとしている。その決断を止める権利と言葉を、今のカガリは持ち合わせてはいなかった。
「……マーナ、お茶ご馳走さま。おいしかった」
そう言って自分に背を向けたシオンを、カガリはただ黙って見送った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ほんの数ヶ月足らずでオーブをある程度まで立て直したシオンは、すべてをカガリに譲り、突如人々の前から姿を消した。
その後、軍部の必死の捜索にもかかわらず、シオンの行方はようとして知れず、時の経過と共に人々の口からは死亡説すら流れた。
―――― オーブ周辺の離島 ――――
人の来訪を拒む崖の上にその墓はあった。
潮風に髪をなびかせ、青年はそこにたたずんでいた。
一体どれほどの時間、そこにいたのか。青かった空はすでに色を変え、海がオレンジ色に染まる。
「遅くなって悪かったな。オーブを立て直した後にも色々する事があって――なぁ……なんで最期のあの時『生きろ』なんて言ったんだ? 結局、最後の最後まで自分の言いたいことだけ言って……勝手なやつだな……」
泣き笑うような表情で墓を見る。
「人に『生きろ』って言うなら自分も生き延びろよ……世界が憎いなら、俺を撃ってでも世界を滅ぼせよ……なんで、なんで俺を残して……っ」
堪えきれず感情のままに言葉があふれ出す。
言っても仕方ないことだとは分かっている。
誰も答えてはくれないことも分かっている。
けれど、「なぜ」と問いかけずにはいられなかった。
――なぜ自分だけが生きているのだろう。
「……シオン。そろそろ戻らないと身体が冷えますわ」
帰りの遅いシオンを心配し、迎えに来たラクスが遠慮がちに言葉をかける。
「あぁ……今行く」
心配そうなラクスを安心させるため、柔らかな微笑みを向ける。
戦いに赴く前、彼女の元へ生きて帰ると誓った。
戦いの最中、彼女を、大切な人達がいる世界と守りたいと思った。
そして戦いの末、彼女と共に生きて行きたいと思った。
――だから生きてここにいる。
「――じゃあな、また来るよ『兄さん』」
小さく呟くと、墓に背を向けて歩き出す。
――――― …… ―――――
風に吹かれ、その声は確かにシオンの耳に届いた。
シオンは足を止め、ゆっくりと墓を振り返った。
『それ』が見えたように感じたのは、ただの願望が見せた幻だったのかもしれない。
ふわりと微笑んだシオンは、今度こそ振り返らず、ラクスと肩を並べて自分を待つ人たちのいる家へと戻った。
【Northan Light】完
<宙域のザフト全軍、ならびに地球軍に告げます。現在、プラントは地球軍及びプラント理事国との停戦協定に向け、準備を始めています。それにともない、プラント臨時最高評議会は、現宙域におけるすべての戦闘行為の停止を地球軍に申し入れます>
先程までモニターのあちこちを彩っていた閃光や、交錯していた通信、警告音が嘘のように消え、今は宇宙本来の姿である静寂な空間が目の前に広がる。
だが、そこが戦闘宙域であったことを物語るように、多くのモビルスーツが塵となって漂っていた。
その中に、黄金の輝きを宿しながらも、本来の機体の面影を無くすほど大破したアマテラスの姿があった。
辛くもジェネシスの直撃は免れたアマテラスだったが、プロヴィデンスとの激闘でエネルギーを使い果たしてしまい、どうすることも出来ないまま、いつになるかも分からない救助をただ静かに待っていた。
コックピットに身を任せたまま、シオンは虚ろな表情で、ただ目の前に広がる空間を眺めていた。
――なぜ……こうなった……ラウ
――……すまないサリア……俺はまた、この手で……人を……
――俺が選んだ道は正しかったのでしょうか……ウズミ様
胸に去来する想いが、止め処なく零れだす。
プロヴィデンスを撃った――ラウ・ル・クルーゼの最期の瞬間、その光景が何度も甦り、シオンを襲った。
操縦桿に伝わった衝撃は、間違いなく自らが彼を撃ったのだという証明。
機体が爆炎に飲み込まれる直前、彼が口にした言葉の真意は何だったのか――。
考えれば考えるほどに、他に方法はなかったのかと、自らの両手のひらを眺め自問自答する。
あの時差し出された手を取り、ラウの隣に居れば……敵対することも撃つこともなかっただろう。
でも、それでは世界は変わらない。破滅への道を進むだけだった。
だからといって、武器を手に取り、ラウを敵として撃つことが正義だったのだろうか。
これが戦争だと頭では理解していても、大切な人を守るために他の誰かを傷つける矛盾に胸が痛む。
シオンは震える拳を握り締めるときつく目を閉じた。
『必ず帰ってきてくださいね……わたくしのもとへ』
必ず戻ると、約束を交わしたあの日が遠い昔の出来事のように感じる。
まるで水の中を漂っているような、心地よくも痛いほどの静けさに、無意識に言葉を紡いでいた。
「――ラクス……」
愛しい名を唇に乗せれば、疲れきった心と身体が温かいもので満たされる気がする。
「ラクス……ッ」
この手を血に染め、いくつもの罪を抱えながら、心と身体を磨り減らして生きてきた日々があった。それに耐え切れず、永遠の眠りについた大切な人サリア。
その彼女が望んだのは平和な世界――シオンがもう二度と人を殺めずにすむ世界で、サリアの分も生きていくことだった。
そして、死を覚悟したこの戦いの中、サリアと同じように「生きて」と願ってくれたラクス。
けれど、更に罪を重ねてしまったこの手でラクスに触れることが叶うのだろうか。
それでも会いたい。ただ、会いたくて仕方なかった。
その髪に、その頬に触れて、彼女の温もりを感じたいと、ただそう思った。
しかし、戻りたくとも、エネルギーを使い果たした愛機は何の反応も示してはくれない。
何度も試したシステムの再起動をもう一度最初からやりなおすが、結果は変わらなかった。
「……っくそ!」
苛立ちをぶつけるように、シオンは拳をキーボードに叩きつけた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
デブリ帯の中をフリーダムが漂うようにゆっくりと飛行する。
センサーだけに頼らず、可能な限りの映像をモニターに映し出し、それらを慎重にチェックしていった。
自分に代わり、ラウ・ル・クルーゼと戦っていたシオンを探す為に――。
「シオンさん……」
モビルスーツや戦艦の残骸が漂う光景は、まさに墓場と呼ぶに相応しい。
生体反応など微塵も感じられないような静かな空間を移動しながら、キラは溢れそうになる涙を必死に堪えて、モニターの映像へと神経を集中させた。
やがて、一つのモニターの端にキラリと光る存在に気づいたキラは、慌てて映像を拡大して物体の確認をする。
それは見間違うことなどない機体――黄金の機体アマテラスだった。
「見つけた! シオンさん!! こちらフリーダム、キラ・ヤマト、アマテラス応答してくださいっ! シオンさん!」
通信回線を開き、アマテラスへと呼びかけるが何の反応もない。
機体には乗っていないのか、意識を失っているのか、それとも――。
嫌な考えばかりが脳裏を過ぎるが、それらを必死に振り払うように頭を振ると、キラはシオンの名を何度も呼びながらフットペダルを踏み込んだ。
そんなに離れてはいない距離のはずが、やけに遠く感じられ、不安だけが募る。
アマテラスを目視できる距離までたどり着いたフリーダムは、速度を落としてゆっくりと機体を寄せた。
キラははやる気持ちを抑えながら、フリーダムのコックピットハッチを開くと、アマテラスへと乗り移る。
『シオンさん! 大丈夫ですか! シオンさん!! 』
いまだ何の応答もないアマテラスへと体を滑らせ、外からコックピットハッチを開いた。
開いたハッチの向こうに見えたのは、力なくシートに体を預けているシオンの姿。
目を閉じ、ぐったりとしているシオンの姿を目にしたキラは、彼の肩を力任せに揺すって泣きそうな声で必死に彼の名を呼ぶ。
バイザー越しでは顔色の判別が出来ない。とにかく、彼の意識を引き戻すことに必死だった。
『シオンさんっ、シオンさん!』
『――キラ……くん?』
シオンは俯いていた顔を起こし、ゆっくりと瞼を上げると視線をキラと絡ませる。
一体どれくらいの時間眠っていたのだろうか……と考えるが、目の前のキラの表情を見て、そんな考えはすぐに消えていった。
必死に涙をこらえながらも本当に嬉しそうに笑うその表情に、どれほど自分を心配してくれていたのかを思い知る。
『よかった……・・シオンさん、無事で……』
『無事……とは、言いがたいかな……』
弱々しい声ではあるものの「アマテラスはこんな状態だしね」と、笑みを湛えるシオンの姿に安心したキラは、とうとう耐え切れなくなり、ぽろぽろと大粒の涙を零した。
涙の粒は無重力のヘルメットの中をふわふわと漂う。
『でも生きてる……本当に……よかったっ』
『あぁ……キラ君も無事でよかった』
そう言ってキラの頭をヘルメット越しに軽く撫でた。
いつもなら少し硬い亜麻色の髪の感触がシオンの手に伝わるが、今は酸素のない宇宙空間でパイロットスーツを着ているのだからそれは叶わない。
当然、キラのヘルメットの中を漂う涙を拭ってやることもできない。
そのことに苦笑いを浮かべていると、キラが口を開いた。
『フリーダムに移りますか?』
『いや、ここがいい』
『わかりました』
キラはアマテラスのコックピットを後にし、フリーダムへと戻る。
コックピットを閉じると、フリーダムの両手でアマテラスをしっかりと抱え、帰艦すべく操縦桿を握った。
『フリーダム、キラ・ヤマトよりアークエンジェル、エターナル、クサナギへ。アマテラスを発見、パイロットも無事です。これより帰艦します』
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
燃料切れを起こしたデュエルを抱えた状態で、停戦放送を聞いていたディアッカは、ひとまず終わりを告げた戦いに小さく息をついた。
そして、イザークへと通信を繋ぎ、傍らに佇むモビルスーツ――オーブのM1アストレイに搭乗しているパイロットが、実はかつての仲間であったことを告げたのだった。
『――なっ、なっ……なぜそれを早く言わんのだ!! ディアッカーー!』
『あの状況で言ったって再会を喜べるわけでもないし? 仕方ないでしょ』
ディアッカの当然の言葉にイザークは口を噤む。
彼らの存在をディアッカは知っていて自分は知らなかった――そんな状況を腹立たしく思ったが、そんなのは一瞬のことで、MIAだと知らされた仲間が生きていたことが本当に嬉しかった。
ディアッカとイザークがぎゃあぎゃあと騒いでいるところへ、フリーダムがアマテラスと思われる機体を伴って合流した。
モビルスーツとしての原型をなんとか保っている状態のアマテラスを前に、ミゲル達は一瞬絶句するも、パイロットであるシオンが無事だと分かると次の行動へと移る。
『シオン、通信は生きてるのか?』
『辛うじてこの距離なら……』
ミゲルはシオンに通信を繋ぐと、イザークの機体――デュエルの補給を願い出た。
同じザフトの機体でも、ディアッカのバスターは既にアークエンジェル側の機体といっても過言ではない状態だ。補給にわざわざ許可は必要ない。
だが、イザークは立場が違う。
ミゲルの申し出に、ディアッカも「俺が責任持ってイザークの面倒を見るし」と言うと、小馬鹿にしたようなラスティの笑い声が聞こえた。
『いやいや、お前が責任取るって言ったところで信用できるかっての。シオン、補給中のイザークの行動に関しては俺やミゲルも責任もつからさ』
『――大丈夫だ、分かってる』
会ったこともないザフト――正確には一度、声だけ聞いたことがある人物――を、そう簡単に信用すべきではないとは思うが、アスランやミゲル、ラスティ、ニコル、ディアッカの仲間だというのなら、それだけで信用に値すると、そう思った。
シオンの静かな声が響いた。
『キラくん、フリーダムからエターナルに通信を繋いでくれないか』
『え? あ、はいっ。今、ハッチ開けます』
シオンはアマテラスのコックピットから飛び出すと、ふわりと身体を踊らせ、最小限の動きでフリーダムのコックピットへと滑り込んだ。
『少し狭くなるな……すまない』
『いえ、大丈夫です。通信OKです』
『ありがとう。――こちらアマテラス……いやフリーダム、シオン・フィーリア。エターナル、聞こえるか?』
シオンはアークエンジェルでもクサナギでもなく、エターナルに通信を繋ぎ、着艦の許可を求めた。
自艦であるクサナギか整備スタッフが充実しているアークエンジェルに着艦するのが得策と思ったが、デュエルがザフト軍所属の機体だということを考慮し、エターナルへと向かうことを選択する。
そんなシオンの考えを聞くまでもなく理解したラクスはそれをすぐに許可した。
自力での移動が不可能なアマテラスをフリーダムから引き継いだミゲルのアストレイはゆっくりとエターナルへと着艦する。
先にディアッカと共にエターナルに着艦していたイザークはシオンの着艦を待っていた。
ほどなく、ミゲルのM1アストレイと共に大破した黄金のモビルスーツが格納庫内に姿を現し、黒いパイロットスーツに身を包んだパイロット――シオンがコックピットから降りてきたのを確認したイザークは、無重力の中を一蹴りでシオンの前へと降り立った。
「おま……あなたが指揮官のシオン・フィーリアだな。俺はイザーク・ジュール。今回は着艦と補給修繕の許可を出してもらったことに感謝する。それと、ディアッカから聞いた……仲間の生命を助けてくれたそうだな。そのことにも感謝する」
イザークは握手の手を差し出した。
停戦したとはいえ、ほんの少し前までは敵として銃を向けていた相手だ。イザークの表情にも緊張が走る。
シオンはゆっくりとヘルメットを取ると脇に抱え、空いた手で握手に応えた。
「いや、こちらこそ。ジェネシス第一射の時は君に助けられた。ありがとう」
ふわりと微笑むシオンに、毒気を抜かれたイザークは挨拶以外の言葉を失う。
オーブを率いる『代表代理』であり、ザフトにも連合にも属さない第三勢力をまとめた『指揮官』であるシオン・フィーリアという人物。
どれほどの人物なのかと想像だけが膨らんでいたが、今握手を交わしている人物はあまりにも想像からかけ離れていた。
それだけではない。よくよく見ると、自分達とそんなに年齢は変わらないような印象さえ受ける。
そんなイザークの様子に、シオンは少し困ったような表情を浮かべながらも言葉を続けた。
「――オーブでは彼らと一緒で中々楽しい生活をさせてもらって感謝するのはこちらのほうだ。それに……戦争は終わったんだ。補給と修繕に関しては当然の処置だ」
「そう言ってもらえるとありがたい」
「じゃあ、俺はまだすることがあるから行くよ。折角だ、補給の間は彼らとゆっくり話でもしているといい」
軽く手を上げ、シオンはブリッジへと向った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ブリッジへと続く通路は意外にも人の気配がなく、シオンは小さく息を吐いた。
(まだまだしなければならないことが山積みだ。感傷に浸っている時間はない)
何も考えずにひとりで居たいと思う気持ちを抑え、ブリッジを目指してたシオンは、不意に現れた人の気配に顔を上げた。
「――ラクス……」
「……」
戦いの最中、アマテラスのシグナルをロストしたと聞いた時の衝撃。
生存を信じて捜索に出たキラからシオンが見つかったとの報告を聞いた時の安堵。
そして、このエターナルに着艦すると聞いた時の喜び――居ても立ってもいられなくなり、ラクスはバルトフェルドに後のことを頼んでブリッジを飛び出してきてしまった。
戦いを終えて、約束どおり帰ってきた彼。
疲労とは違う何かを感じさせる雰囲気に、かけるべき言葉が出てこない。
その胸に飛び込んで良いのかすら分からず、ラクスは彼の名を唇に乗せるのが精一杯だった。
「シオン……」
そんなラクスの不安を感じたのか、シオンはポケットから銀色のリングを取り出すとそれを目の前にかざして微笑んだ。
「これ……約束どおり、ちゃんと返しに来たよ」
「……シオンっ」
零れ落ちそうなほどの涙をその瞳に湛え、ラクスは床を蹴るとシオンのもとへと向かう。
そんなラクスをシオンは両手を広げて受け止めた。
「お帰りなさい……っ」
「ただいま」
小さく震えながら繰り返しシオンの名を呟くラクス。ずっと信じて、待って、そして自分を迎える言葉をくれる彼女が愛しくてたまらない。
腕の中の温もりに、今やっと、自分は生きているのだと実感したような気がする。
泣きたいくらいに彼女が愛おしい。
無意識に抱きしめる腕に力がこもる。
「ラクス……君が待っていてくれたから……俺は生きて帰ってこようと思った」
「――なら、これからもずっとシオンの帰りを待ちます……だから、何があっても生きて……わたくしの側に」
シオンの胸に顔を埋めながら、ラクスは祈るような気持ちで言葉を紡ぐ。
ただ、この人がこうして側にいてくれるだけでいい。
自分の名を呼んで、抱きしめてくれるだけで――。
その言葉はまるで将来を誓う言葉のようで、シオンの心の底に小さくも温かい灯をともした。
これから歩んでいく日々に彼女の存在は不可欠なのだと、そう強く感じたシオンは、抱きしめていた腕の力を緩めると、顔を埋めているラクスへと囁く。
「そういうセリフは先に言わせて欲しかったな」
そう言ってシオンが小さく笑うと、ラクスがシオンを見上げてふわりと微笑んだ。
「こう見えても……わたくし、負けず嫌いなんですのよ」
その笑みと言葉があまりに愛らしく、一度解放した彼女をまた腕の中へと収め、力いっぱい抱きしめる。
彼女が側で微笑んでくれる、腕の中で自分の名を呼んでくれる、そんな些細な幸せを大切にしたいと感じた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
エターナルのブリッジに入ったシオンは、バルトフェルド達と順に固い握手を交わすとクサナギに通信を入れた。
指揮官として事後処理をしなくてはならない。
「キサカ、負傷者の回収状況と残存部隊は?」
<負傷者の回収率は現在8割といったところだ。シグナルの確認が出来ていない部隊もまだある。すべての処理が終了するまで後数時間は必要だ>
「そうか。では、何かあれば随時報告を。俺もこちらでの用件が終わり次第、クサナギに戻る」
<了解>
「――カガリ」
キサカとの通信中、その隣で画面越しに自分を睨んでいたカガリへと声を掛けると、待ってましたと言わんばかりの勢いでカガリが画面へと顔を寄せてくる。
<兄様! 遅いぞ!>
あまりのカガリの勢いに圧倒され、苦笑とともにシオンの表情が一瞬で“兄”のものへと変わる。
「……すまない。約束……守ってくれたみたいだな、ありがとう」
総力戦になると予想したこの戦い。敬愛するウズミから託されたカガリに無理をするなと釘を刺したのは自分だ。
そして無事に帰艦したカガリと、こうして会話が出来ている現状に、肩の荷がひとつ降りた気がする。
<兄様もちゃんと約束を守ってくれたのは分かった! けど、まだ残ってるぞ>
「え? あ……そうだな。すぐ戻るよ」
一瞬、何のことかと目を見開いたシオンだったが、そのことを思い出すと、ふわりと笑う。
――カガリとの約束――シオン自身も無茶な戦闘はせず帰艦すること。そして、戻った自分を出迎えろとカガリに約束させた。
それは、共に生きてクサナギで再会するための約束だった。
<本当にすぐだぞ! でなければ私も約束を最後まで守れないんだからな>
「あぁ、待っててくれ」
モニターがブラックアウトするのを確認したシオンは小さく息を吐くと、バルトフェルドと今後の動きについて大まかな話し合いをする。
詳細については、この宙域ですべき事を終わらせてからアークエンジェルやカガリも交えないと決めることはできないが、ある程度の指針は必要だ。
その間も、あちこちからシオンに指示を仰ぐ通信が途切れることなく入り、シオンの疲労もピークに達しようとしていた。
だが、疲れているのは皆同じだと言い聞かせて指揮に集中するものの、予想以上の疲労感は思考回路の処理速度を鈍らせる。
それに気づいたシオンが、少し休んだほうが良いかも知れないと思った矢先、側にいたラクスが口を開いた。
「シオン……クサナギへ戻って、少し休んでください」
「――……」
ラクスの言葉に驚いたようにシオンが一瞬目を見開く。
そんな自分の心中が分かるのか、彼女は微笑んで続けた。
「しばらくは大変な道のりが続くでしょう。嫌でもシオンに頼ってしまうことになります。どうかそれまで少しでも休息を……今はわたくし達だけでも大丈夫です」
ふわりと微笑むラクスに、シオンは申し訳なさそうな表情を浮かべ「いや……でも……」と歯切れの悪い言葉を口にする。
誰もが傷つき疲れきっているというのに、自分だけが休息をとるなど……と思い、言葉を詰まらせていると、ラクスに手を引かれ通路へと導かれた。
「……ラクス」
「カガリさんもお待ちです。今、シオンが優先すべきことは、カガリさんとの約束を果たすことではないのですか?」
ブリッジと通路を隔てるドアが開き、シオンだけが外へと足を踏み出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
<兄様の顔色が優れないようだったが……何か知らないか? ラクス>
シオンがクサナギへと戻ってしばらくすると、カガリからラクスへと通信が入った。
ちょうどアークエンジェルとエターナルが通信中だったため、自然とマリューも交えた三隻間で通信がなされる。
「いえ、わたくしは何も。確かにお疲れの様子ではありましたが……」
カガリとラクスの言葉にキラの表情が強張った。
『キラ君……あなた何か知ってるの?』
ラクスの側に佇むキラの動揺を見抜いたマリューが画面越しに問いかけると、エターナル内の周囲の視線もキラに集中した。
突き刺さるような視線を全身に浴びながら、キラは言葉を選ぶように口を開く。
「――多分……最後の……ラウ・ル・クルーゼって人との戦いのせいだと思う」
本当に強い相手だったし、と付け足された言葉に、“クルーゼ隊”であった面々は納得したが、ラクスはただ一人、表情を暗くする。
「クルーゼ隊長と……そうですか」
シオンとクルーゼの関係を聞かされていたラクスは、シオンの胸中を思って表情を曇らせた。
兄のように慕い尊敬した人と敵対する立場になっただけでなく、その人と戦うことになってしまった彼。
その苦悩を誰にも吐露することなく、心の中にしまい込み、戦後のこの混乱を収めようと先程まで指揮を執っていた。
あの疲弊した様子は肉体的な疲労だけが原因ではないのだと、今初めて理解したラクスは言葉を失う。
「……ラクス?」
まるで何かを知っていて口を噤んでいるように見えるラクスへとアスランが声を掛けるが、俯き視線を落とすその表情に何も問えずにいた。
<キラ?……ラクス?>
カガリは、歯切れ悪く言葉を紡いだキラへと不審げな視線を向けていた。
歯切れが悪いだけでなく、これ以上のことは聞くなと言わんばかりの表情と雰囲気にカガリは不機嫌さを露わにする。
挙句、その隣では「何も知らない」と言っていたラクスが表情を曇らせているではないか。
<お前たち! なにを隠してる!!>
カガリが画面越しにキラとラクスに対して苛立ちをぶつけた。
クサナギに戻ってきた兄は、本当に嬉しそうに自分の無事を喜んでくれた。
だが、いつも見せる柔らかな笑みに見え隠れする疲労の色を感じ、それを追求したい衝動を抑え、兄に休息を取るよう頼んで今に至る。
帰艦前に立ち寄ったエターナルで何かあったのかと思い、ラクスへと通信を繋げばこの状況だ。
<兄様のことで隠し事ができると思うな! 洗いざらい吐いてもらうからな!!>
「いや……・僕は……何もっ」
カガリの勢いに圧倒されたキラが、助けを求めるように周囲を見渡すと、無常にも全員がカガリに賛同して首を縦に振っている。
「アスラ~ン」
最後の頼みとばかりに親友に助けを求めれば「素直に吐いたほうが身のためだぞ」と捨てられた。
観念したキラは「僕が話したってことは絶対、絶~対! 言っちゃ駄目だからね!」と念入りに前置きをおいて話し始めたのだった。
「シオンさんとラウ・ル・クルーゼは……幼馴染だったみたいなんだ」
メンデルでクルーゼから聞かされた自分とシオンの出生の秘密。
その部分には触れることなく、キラは必要最小限の事実だけをこの場で話した。
初めて明かされた事実に皆が息を飲む。が、シオン本人から聞かされていたラクスは驚く様子もなく、ただ表情を曇らせていた。
“幼馴染”という言葉にアスランは驚き、言葉を詰まらせた。そしてほぼ同時にキラと視線が絡まる。
幼馴染――親友と敵対し、殺し合う戦争の悲惨さは誰よりも分かっているつもりだ。
だからこそ、シオンの胸中も痛いほど理解できた。
「……なぜ、あの宙域でクルーゼ隊長とシオンが……」
言外に“行動を共にしていたんじゃなかったのか”とキラに問う。
当初、アマテラスとフリーダムがジェネシス破壊へと向かっていた。なら、一緒にいたはずのフリーダムは何をしていたのか、と。
「僕が……最初に彼と戦ってた。彼とシオンさんを戦わせちゃ駄目だって思ったから……でも、僕の力が足りなかったから……結局シオンさんが彼と戦って……撃つことに……」
悔しそうに俯いて唇を噛み締めるキラを見て、アスランもまた拳を震わせた。
キラを殺した――そう思って自暴自棄になりかけた自分に、救いの言葉と考える時間をくれたシオン。
自分達は何度となく対峙したが、今はこうして同じ道を歩いている。
だがシオンは大切な人と道を違えたまま敵対し、撃って、自分は生き残って……そんな彼の心中を思うと、やり切れない思いでいっぱいになった。
「シオンさんの元気がなかったのはそのせいなんだ! 僕がラウ・ル・クルーゼを倒していれば……っ」
激しい戦いの後、やっとの思いで見つけたアマテラス。宇宙を漂うそのコックピットで垣間見た、憔悴したシオンの表情を思い出したキラが悔しさに拳を握り締める。
その瞳にはうっすらと涙が滲んでいた。
<キラのせいじゃないだろ……仕方ないよ、これが戦争なんだから……兄様ならきっとそう言う>
静かに呟かれたカガリの言葉に、その場にいた全員が言葉をなくす。
そして誰もが祈った。
こんな悲しみに覆われる世界が、一日も早く、平和で幸せな世界へと変わっていくようにと。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
キラの話を聞き、すぐにクサナギへとやってきたラクスはカガリに頼み込んでシオンの私室へと案内してもらった。
インターフォンを押し、部屋の主の名を呼ぶ。
返事がなければそのまま帰ろうと思っていたが、意外にも早くドアが開かれ、部屋の中へと導かれた。
「ごめんなさい……お休みの邪魔をしてしまって……」
「いや、――せっかく来てくれたんだ。どうぞ」
部屋に備え付けの小さなテーブルと椅子があり、そこに座るよう促された。
狭い部屋だからこれしかないけど、と言い紅茶まで淹れてくれるシオンに必死に笑顔を向ける。
気を抜けば涙が浮かんできそうだった。
何を言っても気休めにしかならないのは分かっている。
けれど、かけるべき言葉を用意して来た訳でもない。
それでも会いたいと、会わなければと思って来たはずなのに……。
静かな沈黙が部屋を覆う。
「――ラクス……」
向かい合った形でベッドに腰を掛けていたシオンが静かに口を開いた。
カップに両手を添え、そこに映る自分へと視線を落としていたラクスは、シオンに呼ばれてゆっくりと顔をあげる。
「……はい」
「誰かに……何か聞いてここへ来た?」
お見通しだと言わんばかりの苦笑いを湛えてシオンがラクスを見つめる。
誰か、とは言っても予想は簡単につくが。
「……」
何かを伝えたくてここへ来たのは確かだったが、一体どんな言葉を彼に伝えればいいのか分からず、ラクスはただ泣きそうな表情でシオンを見つめるしか出来ずにいた。
そんな彼女の様子に、シオンは困ったような笑みを浮かべると、言葉を選ぶように静かに呟く。
「――ありがとう」
気遣ってくれて、側に駆けつけてくれて。
――けれど……。
「すまない……今は一人に……」
ラクスの瞳が一瞬だけ見開かれ、膝に置かれた白い小さな手が小さく震えているのが分かる。
心配してくれる彼女に、ひどい言葉を発したとは思う。
だけど今は、本当にひとりになりたかった。
――ただ敵対しただけのラウを撃つことが本当に正しかったのか。
争いの火種を消すために武器を手にする――それが本当に正しいことなのか。
撃たれるべきは自分ではなかったのか。
なぜ自分は生きているのか。
まるで迷路に迷い込んだように、ぐるぐると同じことばかり考えてしまい何の成果も得られないが、なにか一つの答えに行き着けば自分が納得できるような気がしていた。
だから、今はひとりになりたい。ただそれだけだった。
「……シオン」
「ラク、ス……?」
不意に立ち上がったラクスが出口とは反対方向、つまり自分へと向いた事に疑問符が浮かぶ。
すると細い腕が自分の両脇を素通りし、そのまま頭をふわりと抱え込まれた。
一瞬何が起こったのか理解できず呆然としていたシオンだったが、頬をかすめた柔らかなピンクの髪と彼女の香りに、自分が置かれた現状を理解する。
戸惑い、離れようとしたが、告げられた言葉に身体が固まった。
「……辛い、戦いだったのでしょう? キラから聞きました……クルーゼ隊長と戦ったのだと」
「…………」
「わたくしは……ただ、あなたの無事を祈るだけで……」
黙ったまま動かないシオンを、ラクスは愛しそうに更に抱きしめる。
「あなたの気持ちを、何も理解しようとしないまま、無事だったのが嬉しくて……ごめんなさい」
「――……」
「わたくしでは、シオンの支えになれませんか? 悲しみや辛さを少しでもわたくしに分けてはくださいませんか?」
今まで、自身のことは誰にも話さず自分で全て抱え込んできた。
自分のことを解決できるのは自分だけだと、そう思っていたからだ。
けれど、こうして自分の心の奥底へと寄り添ってくれようとする彼女の存在がとても有難く、そして嬉しく感じる。
悲しいこと、辛いこと、悩んで解決しないこと……自分だけで抱え込むには無理が生じる数々のこと……それらをほんの少しでも分けることが出来れば心の負担が軽くなる。
これがどれほど有難いことなのかを、今思い知った。
重ねた罪すら赦されるような気がして、身体の奥から熱いものが込み上げてくる。
「ッ……すまない……」
たまらず、彼女の背に手を回す。
流れる涙を止めることが出来ないシオンは、ただ謝罪の言葉を繰り返し、ラクスに縋るように腕に力をこめた。
「……父を亡くしたとき、あなたがそうしてくださったように、わたくしもあなたの力になれたら……」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
オーブへと戻ったシオンは、連合の領土となっていた祖国を解放し、闇の獅子の全権を持って、国家立て直しへと全身全霊を注ぐ。
そして、ユニウス条約が締結され、一時的とはいえ、世界に平和が訪れた。
「少し、寂しくなるな」
プラントへと向かうシャトルを見送るシオンが寂しそうに笑う。
シオンと向かい合うように立っているのはザフトの軍服に身を包んだミゲル、ラスティ、ニコル。ディアッカは一足先にイザークとプラントへと戻っていた。
「世話になったな。本当に……」
「こっちこそ」
年齢が近いせいもあり、まるで長年の友人のように付き合えたミゲル。
お互いに、言葉に出来ない思いが溢れ、逆に短い言葉しか出てこないことに苦笑いを浮かべる。
交わした握手を解くと、隣のラスティと向き合う。
「どう? 俺の軍服姿」
「本当にザフトの赤だったんだな」
「信じてなかったって? さらっとひどいこと言うね」
冗談めかして笑うシオンにラスティも笑いながら握手を求める。
「ありがとう、俺ら助けてくれてさ」
「いいや、俺も助けられた……ありがとう」
握手を解いてニコルの前へと移動し、固く握手を交わす。
「本当にありがとうございました。もっと伝えたいことがあるんですが……こんな言葉しか今は思いつきません」
「あぁ、俺もだ。君達には感謝してもし足りない……いや、逆に謝らなければと……」
故郷でもないオーブのために、同胞と敵対させてしまう事態に巻き込んでしまったのだ。
申し訳ない、という言葉だけでは足りないだろう。
握手を解いたニコルは、少し俯きがちのシオンへと微笑む。
「そのことは言わないでください。僕たちが納得して選んだことです。逆に、僕たちのわがままを聞き入れてくれたシオンに感謝しているんですから。でしょ? ミゲル、ラスティ」
「そうそう」
ミゲルとラスティの声が重なる。
「――落ち着いたら、ぜひプラントへ来てください」
「あぁ、必ず」
「シオン――」
ミゲルがちらりと、シオンより少し離れた位置に佇むアスランとラクスへと視線を向けて口を開く。
「ラクス嬢のことは言うまでもないが……アスランのこと頼む」
「分かってる」
悩んだ結果、オーブへと亡命することを決めたアスラン。
それを受け入れたオーブ。
世界が平和への道を歩き始めたといっても、アスランがプラント――ザフトへこのまま戻るには様々な危険因子があまりにも多く、これが最適な選択だとの判断だった。
「そろそろ出発の時間だな……また会おう」
そう言って、シオンが右手を掲げて敬礼のポーズをとると、ミゲル達も表情を引き締めて敬礼を返した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ある日の夜遅く、シオンはアスハ邸を訪れた。
「兄様? こんなに遅くに珍しい……何か急ぎの用件か? あっ、マーナ。お茶を頼む」
「すまないな、こんな夜分遅くに……すこしテラスで話さないか?」
マーナが入れた特製のお茶を一口啜り、シオンは『懐かしいな』と呟いて久しぶりに訪れた懐かしい景色をぐるりと見渡す。
脳裏に甦るのは、ウズミとカガリとサリアと……まるで本当の家族のように食卓を囲み、心穏やかに過ごしていた頃の思い出。
今はもういない大切な人との時間。
シオンはゆっくりとカップを置き、一拍おいて口を開いた。
「――今夜を限りに『闇の獅子』は姿を消そうと思う。後のことは、お前と新しい首長たちでこの国を導いていってほしい」
「そんな! 今のオーブにはまだ兄様の力は必要だ! 姿を消すなど……っ、私にはまだ……っ!」
テーブルを叩いて激高するカガリを無視するように、シオンは続ける。
「獅子の国を導くのは獅子の子であるお前だ。俺じゃない。それは分かるだろう? 俺の役目は次の指導者たるお前がスムーズに政務が行えるレベルまでこの国を立て直すことだ。表舞台に居続けることじゃない」
そう呟いて目を伏せるシオンの表情に、カガリは言葉を無くす。
疲労の色と、例えようのない深い悲しみを感じさせるその横顔は、停戦直後の頃と何一つ変わっていない。
文句のない手腕を発揮させ、眠る時間さえ惜しんでオーブ復興へと尽力してくれたシオン。どれだけの時間が経過しようと、その心の傷は、いまだ癒えていないのだとカガリは確信する。
そんなシオンを引き止める言葉など持ち合わせてはいないカガリは、ただ黙り込むだけだ。
俯くカガリを尻目にシオンはスッと立ち上がった。
「兄様……っ!」
「大丈夫、お前なら出来る」
いつものように優しく微笑み、カガリの頭を撫でるシオン。
その大きな手に不安が消えていくのも、いつもと同じだった。
けれど、そのシオンは姿を消そうとしている。その決断を止める権利と言葉を、今のカガリは持ち合わせてはいなかった。
「……マーナ、お茶ご馳走さま。おいしかった」
そう言って自分に背を向けたシオンを、カガリはただ黙って見送った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ほんの数ヶ月足らずでオーブをある程度まで立て直したシオンは、すべてをカガリに譲り、突如人々の前から姿を消した。
その後、軍部の必死の捜索にもかかわらず、シオンの行方はようとして知れず、時の経過と共に人々の口からは死亡説すら流れた。
―――― オーブ周辺の離島 ――――
人の来訪を拒む崖の上にその墓はあった。
潮風に髪をなびかせ、青年はそこにたたずんでいた。
一体どれほどの時間、そこにいたのか。青かった空はすでに色を変え、海がオレンジ色に染まる。
「遅くなって悪かったな。オーブを立て直した後にも色々する事があって――なぁ……なんで最期のあの時『生きろ』なんて言ったんだ? 結局、最後の最後まで自分の言いたいことだけ言って……勝手なやつだな……」
泣き笑うような表情で墓を見る。
「人に『生きろ』って言うなら自分も生き延びろよ……世界が憎いなら、俺を撃ってでも世界を滅ぼせよ……なんで、なんで俺を残して……っ」
堪えきれず感情のままに言葉があふれ出す。
言っても仕方ないことだとは分かっている。
誰も答えてはくれないことも分かっている。
けれど、「なぜ」と問いかけずにはいられなかった。
――なぜ自分だけが生きているのだろう。
「……シオン。そろそろ戻らないと身体が冷えますわ」
帰りの遅いシオンを心配し、迎えに来たラクスが遠慮がちに言葉をかける。
「あぁ……今行く」
心配そうなラクスを安心させるため、柔らかな微笑みを向ける。
戦いに赴く前、彼女の元へ生きて帰ると誓った。
戦いの最中、彼女を、大切な人達がいる世界と守りたいと思った。
そして戦いの末、彼女と共に生きて行きたいと思った。
――だから生きてここにいる。
「――じゃあな、また来るよ『兄さん』」
小さく呟くと、墓に背を向けて歩き出す。
――――― …… ―――――
風に吹かれ、その声は確かにシオンの耳に届いた。
シオンは足を止め、ゆっくりと墓を振り返った。
『それ』が見えたように感じたのは、ただの願望が見せた幻だったのかもしれない。
ふわりと微笑んだシオンは、今度こそ振り返らず、ラクスと肩を並べて自分を待つ人たちのいる家へと戻った。
【Northan Light】完
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