Northern Lights(種無印)
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
34話 悪夢は再び
ボアズが堕ちた――
連合軍が使用した核の炎が一瞬にしてボアズを灰燼となさしめたのだ。
「…………」
核使用の一報を受けたシオンの脳裏に浮かんだのは、憎悪にその身を焦がした兄とも呼べる男の姿だった。
シオンはクルーゼが口にしていた“最後の扉”という言葉とフレイの“鍵を持っている”という言葉を思い出した。
「――こういうことか」
そう、事態はクルーゼの望むように進んでいる。核を手にした連合軍はこのまま一気に攻め入るだろう。
プラントもこのまま黙って撃たれるとも思えない。
「ラウを止めないと……」
すべてが手遅れになる前に――。
アークエンジェル、エターナル、クサナギの三隻はプラントへの航路を一心に進んでいた。
MSの調整を続けるパイロットたちと交信しながら、他の艦とも交信するクサナギのブリッジでは、細かな指示を出すシオンの声が響いている。
その忙しなさが落ち着き始めた頃合を見計らったように、カガリが不意にシオンへと問う。
「――兄様……プラントも……核を撃ってくると思うか?」
「今はわからないな」
視線をモニターへと向けたまま答えるシオン。
その声色には『そうならないで欲しい』という気持ちが含まれているのを、カガリは感じていた。
「なんで……核兵器なんかがあるんだ。モビルスーツや銃もそうだ」
誰に問うわけでもなく、ぽつりとカガリがつぶやいたその言葉に、キサカは痛ましげな表情を浮かべ黙り込んだ。
傍らにいるシオンもまた悲しげに表情を曇らせながらも口を開いた。
「より良き物を――と願うのは人の性だ。対峙する敵が存在するなら、より多くその敵を倒せる兵器を――と考える。けれど……倒した敵の数だけ味方を、仲間を失うことに……憎しみと悲しみの連鎖が続いていくことになぜ気づかない……」
「……その連鎖を断ち切るなんて出来るのか? 私たちに」
シオンを見上げるカガリの表情は、不安の色で覆われている。
今更ながら、自分たちがしようとしている事がどれほどの事なのか……シオンの言葉で再認識させられたのだ。
そして、カガリが不安に襲われると、いつも決まってシオンは優しい微笑みと共にその不安を一掃してくれる言葉をくれる。
今もまた、その言葉が欲しくてカガリは彼を見上げてその瞬間を待った。
「そのために皆ここまで来たんだ」
力強く紡がれる言葉と、深い色を湛えた瞳。そこに宿る揺るぎない何かを感じたカガリは、無意識にシオンの腕へと手を伸ばしていた。
自分でもよく分からない、今までに感じたことのない不安がカガリの胸中を埋め尽くす。
シオンの軍服の袖口が皺になるのを気にもせず、この気持ちをどうにか伝えようと力いっぱい握り締めて彼を見上げた。
「兄様っ、頼むから無理をしないで欲しい。キラもアスランも……ザフトのあいつらも……非力だが私だっているっ。……だから、その……兄様に負担がかかるのも分かっている。だけどっ」
「カガリ……」
今まで見たことのないカガリの様子に、シオンはかけるべき言葉を失っていた。
必死に自分の想いを伝えようとしているのが、痛いくらいに伝わってくる。言葉が想いに追いつかないんだろう。
数少ない言葉ではあるが、カガリが伝えようとしている想いは十分理解できた。
目尻に涙をためて、自分を見上げてくるカガリにシオンは優しく目を細める。
「もしっ……もし兄様に何かあったら……っ」
「大丈夫だ。何かあるわけがないだろう? 心配しなくていい」
「でもっ、兄様は何かひとりで抱え込んでいるだろう!」
意外にも聡いカガリの言葉に、シオンは一瞬目を見開く。
確かにひとりで抱え込んで決意した。けれど、それは自身の過去に関係することで、今そばにいる人たちには何の関係もないことだ。
だからこそ、まわりに心配させるようなことになってはいけない。
「……カガリ」
「――……っ」
優しい声音と共に降ってきた感触にカガリが目を見開く。
こつん、と触れ合う額。
昔、カガリがウズミに叱られては泣きじゃくっていたのを、シオンがこうして落ち着かせてくれていたのだ。
至近距離にある兄の瞳は、あの頃と変わらず優しく深い色で……。
「兄、さま……」
「俺はウズミ様にお前とオーブを託された。この意味が分かるだろう?」
シオンの言葉にカガリは小さな声で返事をする。
何かを託されたということは、少なくとも、それらを信頼できる誰かに託すまで、倒れるわけにはいかないということだ。
シオンは父との約束を違えた事など一度もなかった。
不安が渦巻いていたカガリの胸中が少しずつ晴れていくにつれ、その表情にもいつもの明るさが戻る。
「だから心配はいらない。クサナギもエターナルもアークエンジェルも……誰ひとり欠けることなく、この戦争を終わらせよう」
各艦のカタパルトデッキではモビルスーツが発信準備を整え、パイロットたちはコックピットで発進の合図を待つ。
アマテラスのコックピットに乗り込んだシオンは、発進準備を整えると、大きく深呼吸をして通信回線を開いた。
『核を……たとえひとつでもプラントに落としてはならない。もしユニウスセブンの二の舞になるようなことになれば、今度こそ取り返しのつかない事態に陥る……それだけは避けなければ!』
通信回線を通してシオンの凛とした力強い声が伝わる。
発進準備を控えたキラを始め、アスラン、ディアッカ、ミゲル、ラスティ、ニコル、ムウも真剣な面持ちでそれに耳を傾けた。
『撃たれるいわれなき人々の上に、その光の刃が突き刺されば、それはまた果てしない涙と憎しみを呼ぶでしょう……』
シオンに次いで聞こえてきたのは、透き通ったラクスの声。
紡がれるふたりの言葉に、ユニウスセブンの悲劇を知る人間は決意を新たにする。
今度こそ、悲劇の連続に終止符を打たなくては、と。
『全軍プラントに向けて発進! フリーダム、ジャスティスは他機に先んじて出撃!』
指示が下り、全軍が一斉に動き出す。
カタパルトからフリーダムとジャスティスが飛び出すと、エターナルの艦首側部に備えられた砲台が静かに離れた。
ミーティアと呼ばれるふたつの砲台は、フリーダムとジャスティスの強化武装パーツだ。これらを装着することにより、モビルスーツでは本来望み得ないほどの推力・火力を得ることができる。その膨大なエネルギーは、2機の核エンジンから供給される。核エネルギーこそがこの武装を可能にしてくれているというのは何という皮肉だろうか。
2機の装備を確認したシオンはクサナギから発進すると、あっという間に彼らの前へと躍り出た。
ブリッジでその様子を見守っていたラクスは、ふと呟く。
「平和を叫びながら、その手に銃を取る……それもまた、悪しき選択なのかも知れません」
ためらいに揺れるラクスの声を聞きながら、バルトフェルドもただ黙っていた。
過剰とも思える武装を身に着けたモビルスーツ2機を両翼に従え、黄金の機体は凄まじい加速で飛び立った。
「――でもどうか……」
ラクスは祈りをこめてその機体を見送る。
愛しい人が駆る機体を。
「どうか、この果てない悲しみと争いの連鎖を断ち切る力を貸してください」
アマテラスを先頭にシオンの指示のもと、アークエンジェル、エターナル、クサナギの混合軍は進行を開始した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
地球軍艦隊とプラントの戦闘はすでに開かれていた。
予想通り、連合は核ミサイルをプラントへと向けて発射しようとしていた。
指示を各艦の艦長に一任したシオンはアマテラスを地球軍へと向けて駆る。
ザフトとしてデュエルを駆るイザークは、メンデルで再会したディアッカの言葉に心を揺らしながらも、この激戦の中で既に何機もの敵を撃っていた。
そして放たれた核ミサイル。
ヤキン防衛隊も必死に応戦するが、打ち落とし損ねた核ミサイルがプラントへと向かっていく。
――間に合わない――
誰もがそう思った瞬間、数条のビームと何十発ものミサイルが、プラントへと豪雨のように向かう核ミサイルへと襲いかかった。
ミサイルはプラントの手前で目も眩むような閃光を発して爆発し、周囲のミサイルをも巻き込んで更に閃光の輪を広げていく。
その白い光が消え去ったとき、核ミサイルの目標となっていたプラントは無傷のままだった。
イザークは安堵のため息を漏らすと、プラントを救ってくれた者の姿を必死に探した。
その瞬間、金色の光が過ぎ去ったかと思うと、続いて何か巨大なものがデュエルを追い越して飛び去っていった。小型の宇宙艇かと思うような白い推進部に目をとられた後、その中心部に見覚えのある赤い機体を認めて目を見張った。
「――アスラン?!」
ジャスティスと並んで飛び去った白い機体――フリーダムにも気づいたイザークは、なぜ彼らがプラントを救うのか理解できず戸惑っていた。
プラントで生まれ育ったアスランはともかく、フリーダムのパイロットはストライク――地球軍のパイロットだ。なのになぜ……。
『地球軍は、ただちに攻撃を中止してください! あなた方はなにを撃とうとしているのか、本当にお分かりですか?』
全周波通信にのせて送られるラクスの必死の懇願も空しく、第二陣の核ミサイルが次々と発射される。
「くそぉっ!」
イザークは必死にミサイルを打ち落としながら、自分と同じように迎撃しているのがザフト機だけではないのに気づいた。
既に見慣れた白い機体ストライク、そしてバスター。
少し離れた区域では、あの巨大な武装を装備したジャスティスとフリーダムの放った砲弾が鮮やかな軌跡を描き、それらを潜り抜けた残りの核ミサイルを金色の機体から放たれた幾筋ものビームが全弾叩き落とす。
その戦いぶりに、彼らの思いは本当だったのだと、胸を熱くした。
そんなイザークのもとに通信が届く。
「『全軍射線上から退避』……?」
なんのことかと、訝しげに細められた目が、次の一文に見開かれる。
「ジェネシス……!?」
以前から噂に上がっていた最終兵器の名に、イザークはしばし呆然と通信文を見つめていたが、ハッと我に返るとモニター越しに外の様子を見やった。
退避を始めているザフト機や艦隊の中、戸惑うように赤と白と黄金の機体が滞空している。イザークは思わず通信をオープンにして叫んだ。
『下がれ! ジャスティス!!』
『イザーク……?!』
突如オープンチャンネルで聞こえた声にアスランは思わず振り返る。
『アスラン君? 今の声は……』
状況を観察していたシオンもまた、突然聞こえた声に驚き、その声が名指ししたジャスティスのパイロットであるアスランへと通信を繋いでいた。
『イザーク……ザフトの仲間です。でも急に下がれだとか……何だっていうんだ』
『早く下がるんだ! ジェネシスが撃たれる!!』
アークエンジェル、エターナル、クサナギのブリッジでは、撤退していくザフト軍の動きに皆が首をかしげていた。
ザフト軍が撤退すると同時に、ヤキン・ドゥーエ後方に巨大な建造物が姿を現す。離れた位置にありながら、肉眼でもはっきりと見ることが出来るほどの。
「何……だ、あれは……あんな巨大なものになぜ今まで気づかなかった……?」
暗い灰色をしていた巨大なミラーが、突如磨かれたような輝く銀色へと色づく。その変化にシオンは息を飲んだ。
「――フェイズシフト……? まさかミラージュコロイドもか……!」
だとすれば、今まで誰もどの艦もあれの存在に気づかなかった理由の説明がつく。
そこまでの技術を惜しげもなく用いられた建造物……シオンの本能が警告を発し始めた。
『フリーダム、ジャスティス、後退だ! 急げ!』
『はい!』
『了解!』
ジェネシスと呼ばれた建造物から発せられた、太く強烈な光が戦場を駆け抜けた。
射線上にいた地球軍艦艇は次々と融けて砕け散り、爆発していく。
後退したシオン、キラ、アスランは、先程まで自分たちがいた空間を駆け抜けていった巨大なエネルギーに愕然と目を見開いた。
その光は地球軍の主力が展開していた宙域を貫き、そこにいたMS、艦艇、そこを漂っていたデブリに至るまで、全ての物質を一瞬にして焼き払った。
そしてそこに残されたのは、無残に焼き尽くされた戦艦、MSの無数の破片と、直撃を免れたものの、航行もおぼつかない多くの船体、そして戦意を喪失した兵士たち。
たった一発で、何十もの戦艦と何百もの機体を壊滅に追いやった恐るべき兵器の威力に怯え、誰もがその惨禍に見入るばかりだった。
『――ばか……な……こんな、ことっ』
シオンはギリギリと拳を握り締めた。なぜ……という思いばかりが体の中で渦巻いた。
『……こ……んな……』
キラは声を震わせ、何かに耐えるように歯を食いしばった。
『……父上っ!!』
アスランはこの兵器の発射指示を出したであろう父を非難する。
――これが人類の夢? 人類の叡智なのか?
それぞれが憤りを必死にこらえ、ただ体を震わせていた。
そんなシオンの脳裏をよぎったのは、変わり果てた姿となった兄と慕う男の顔だった。
自身を生み出した世界と人間を憎み、狂気に走ったあげく、この事態を招いた男。
それでも心のどこかで信じてもいた……諦めなければ、きっと説得できる、と。
だが、この虐殺を目にした今、それがいかに空しい独りよがりだったのかを思い知った。
「撃つしか……ないのか……?」
――ラウ・ル・クルーゼを。
呟いたシオンの目には一粒の涙が浮かんでいた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
プラントから離れたデブリの多い宙域に、アークエンジェル、エターナル、クサナギの艦影があった。各艦とも整備と補給に騒然としている。
いつ、再びザフトと連合が動き出すとも分からないからだ。
『発射されたのはγ(ガンマ)線です』
エターナルのブリッジにシオンがカガリを伴って入っていくと、クサナギにいるエリカ・シモンズがジェネシスについて、データから知り得た事実を説明していた。
『――つまり……あれは巨大なγ線レーザー砲なんです』
ブリッジにはラクス、バルトフェルドの他に、アークエンジェルからマリューも来ていた。
エリカは一瞬ためらった後、意を決したように続ける。
『地球に向けられれば……その強烈なエネルギー輻射は地表を焼き払い、あらゆる生物を一掃してしまうでしょう』
その可能性に、皆が息を飲む。
「撃ってくると……思いますか?」
マリューが救いを求めるようにバルトフェルドへと言葉を投げかけると、バルトフェルドはむっつりとした表情で答える。
「強力な遠距離大量破壊兵器保持の本来の目的は、抑止だろ……?」
皆が安堵するはずの彼の言葉に間髪いれず、シオンが割り込んだ。
「――だがもう……撃たれた……核も、ジェネシスも」
話しながら、ラクスの側へと寄ったシオンは、彼女の顔色が優れないことに気づく。そして気遣う言葉をかけようとした時だった。バルトフェルドは無造作な口調で言った。
「どちらももう、ためらわんだろうよ……」
皆、背筋が寒くなると同時に、信じがたいという思いにとらわれる。
コーティネイターにとっても母なる星であるはずの地球。それを滅ぼすなどという愚かな行為を彼らがするはずはないと思いたかった。
妬み、憎み、殺しあう……そんな行為に慣れてしまう人という存在。ならば、核のボタンも同じことではないのだろうか。
悪いのは放たれる兵器なのか、それともボタンを押す人の手か。考えれば考えるほど分からなくなるばかりだ。けれど、たったひとつ、分かっていることがある。
「核にもジェネシスにも……絶対にお互いを撃たせてはだめだ」
シオンが静かに言葉を紡ぐと、皆が俯きかけていた顔を上げた。
「……そうなってからじゃ、すべてが遅い……」
シオンの言葉を受けてキラが言う。キラもまた、自分の持てる全てをかけて、できること、望むことをすると決意していた。
自分が、人類の叡智を注ぎ込まれ、最高のコーディネイターとして生み出された者ならば、きっとこの日のために創られたのだと思うから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
シオンとカガリ、マリューは自分たちの艦へ向かうため、キラとアスランはモビルスーツデッキへ向かうために、エレベータに乗り込もうとした。
そこへ背後から声をかけられる。
「シオン」
聞き間違うことなどないその声に振り向くと、そこには先程別れたばかりのラクスが、何か言いたげな表情で佇んでいた。ラクスの思いつめた様子に何かを悟ったアスランは、シオンを残してエレベータのドアを閉じた。
「ラクス?」
「これを……」
どうかしたのか、とシオンが問いかける前に、ラクスが意を決したようにシオンの目の前へと手を差し出す。そこには銀色に光る、凝った筋彫りの施された華奢な指輪があった。
差し出された指輪の意味が理解できず、シオンは指輪とラクスに視線を交互に移す。
そんなシオンの手を取ると、ラクスは彼の手に指輪を握らせ、小さく白い手でその大きな手を包み込んだ。
「わたくしの大事なものです。あなたにお預けしますわ」
「――大事なんだろう……受け取れない」
“大事なもの”という言葉に反応したシオンは指輪を返そうとするが、ふるふると頭を振ってラクスは否定した。
「いいえ。大事だからこそあなたに預けるのですわ」
不安げに見上げてくるその瞳は、今にも涙を溢れさせそうに潤み、儚げな顔にいつもの微笑みはない。それでも必死に笑みを浮かべようとしているのが分かる。
戻ってきたエレベータに二人は乗り込む。
涙をこらえ、ただ黙って自分を見つめる瞳に、シオンはふわりと微笑を浮かべた。
「必ず返すよ」
そう言って、開いたエレベータのドアから出て行くシオンを追いかけたラクスは、遠慮がちに彼の右手を両手で握り締めた。
「――シオン……帰って来てくださいね……。わたくしのもとへ……」
その表情と手のぬくもりがかつての恋人と重なる。
『……わたし、の分も……生きてね』
弱々しく手を差し出し、酸素マスク越しに笑顔を浮かべながら伝えるサリア。
握ったその手はあまりにも温かく、彼女の命が尽きようとしているなんて、悪い夢だと思いたかった。
どんな時もそばに居て、何よりも大切だったサリアの命の灯火が消えようとしていたあの時、自分はなりふり構わず『死ぬな』と『逝かないでくれ』と嘆き縋り付いた。
シオンは置いて逝かれる悲しみを彼女にぶつけ、サリアは置いて逝かなければならない彼に謝罪と果たせなかった想いを託す―――『生きろ』と。
サリアはその生命が尽きる間際までシオンだけを見つめていた。想いを彼の中に根付かせるように。
そして今、ラクスはシオンの抱いた覚悟を悟りながら、自分のもとに帰って来いと言う。それは『生きろ』と同義語だった。
サリアが残した想い。
ラクスの言葉に託された想い、願い。
自分の中でラクスの存在がどれ程のものになっているのかをシオンは改めて思い知った。
シオンはラクスが触れている右手をそのままに、空いている左手を彼女の肩に回すと自分の元へと引き寄せる。
その小さな肩口に顔を埋めると、柔らかな髪が頬をくすぐった。
「――帰ってくるよ……必ず、ラクスのもとに」
自分のすべてを賭けて護りぬきたいと、ただ、そう思う。
その温もりを忘れないようにと、抱きしめる腕に力をこめた。
エレベータを降りて通路を進んでいたキラとアスランの少し後ろをカガリが歩く。
「今度は私も出るぞ。ストライク・ルージュで」
その言葉に、ふたりはぎょっとして振り返った。
「どういうこと?! カガリ」
「出る? ストライク・ルージュ?」
確かにカガリは一通りの軍事訓練を受けていたらしく、戦闘機やMSの操縦には長けている。しかし、ふたりが問いたいのはそんな問題ではなかった。
慌てるふたりの様子に、カガリは怪訝そうな表情を浮かべる。
「なんだよ! 見たろ!? アサギたちよりは腕は上だぞ!」
「そうじゃない!」
「じゃあ……」
若干の怒気を含んだアスランの声にカガリは食って掛かるが、割って入ったキラの穏やかな声がカガリの動きを止める。
「――それ、知ってるの? シオンさん」
「……っ、まだ、言ってない。でもっ……出来ること、望むこと、すべきこと……みんな同じだろ? キラも、アスランも、兄様もラクスも……私も」
まっすぐ向けられる眼差しは、あきれるほどに真剣で、キラもアスランも小さくため息をついた。
「……カガリ」
「それはそうだが……」
ふたりの思いを読み取ったのか、カガリはひとつ息をすると更に続けた。
「戦場を駆けてもダメなときもある。けど、今は必要だろ? 何より、兄様の力になりたい」
カガリの腕がどうでも、たとえクサナギに残っていたとしても、生き残れるとは限らない。それが戦争だ。
シオンが常日頃からカガリを大切にし、カガリはオーブ復興に欠かせない存在だと言っていたのを知っているキラとアスランは、出来ることならカガリを出撃させたくはなかった。
不安そうに黙り込むふたりを見て、カガリは苦笑する。
「ふたりともそんな顔をするな。死なせないから、絶対」
「そういうとこ、僕らより強いよね」
くすくすと笑いながらキラが言うと、アスランもつられたように笑みを漏らす。
「そりゃあな。『弟』を護るのは『姉』の役目だからな」
「『弟』……? 僕が?」
胸を張って告げられたカガリの言葉に、キラはきょとんとした表情で問いかけた。
双子だという事実は確かにある。だが、どちらが先に生まれたかなど誰にも分からないというのに、なぜ『姉と弟』なのか。
その様子にアスランは吹き出しそうになりながら、思っていた言葉を口にした。
「『兄さん』じゃなくて、『弟』か」
笑いをこらえている様子のアスランに、カガリはむきになって反論する。
「ありえん! キラは『弟』だ!」
「そうだな」
頼りない幼馴染。自分も時折『弟』のように接することがあった。そう遠くはない過去にアスランは思いを馳せる。
「それに……『兄』はシオン兄様だけだ」
さっきまでとは違う、静かな声で紡がれる言葉に、キラとアスランは微笑ましそうにカガリを見た。
彼女とシオンが周りへ与える影響。それは戦闘でギスギスとした人の心や雰囲気を柔らかなものへと変えてくれていた。
信頼であったり、愛情であったり……人が持つ尊ぶべき感情。それらは、何かを見失いそうになる戦争では、力強い心の支えとなっていた気がするのをキラもアスランも感じていた。
不意にキラが握手を求めるようにアスランへと手を差し出した。
「がんばろうね。また皆で楽しく笑えるように」
「あぁ」
「私も仲間に入れろっ」
握手を交わす二人の手を両手で包み込みながら笑うカガリに、キラとアスランも表情を緩めた。
ボアズが堕ちた――
連合軍が使用した核の炎が一瞬にしてボアズを灰燼となさしめたのだ。
「…………」
核使用の一報を受けたシオンの脳裏に浮かんだのは、憎悪にその身を焦がした兄とも呼べる男の姿だった。
シオンはクルーゼが口にしていた“最後の扉”という言葉とフレイの“鍵を持っている”という言葉を思い出した。
「――こういうことか」
そう、事態はクルーゼの望むように進んでいる。核を手にした連合軍はこのまま一気に攻め入るだろう。
プラントもこのまま黙って撃たれるとも思えない。
「ラウを止めないと……」
すべてが手遅れになる前に――。
アークエンジェル、エターナル、クサナギの三隻はプラントへの航路を一心に進んでいた。
MSの調整を続けるパイロットたちと交信しながら、他の艦とも交信するクサナギのブリッジでは、細かな指示を出すシオンの声が響いている。
その忙しなさが落ち着き始めた頃合を見計らったように、カガリが不意にシオンへと問う。
「――兄様……プラントも……核を撃ってくると思うか?」
「今はわからないな」
視線をモニターへと向けたまま答えるシオン。
その声色には『そうならないで欲しい』という気持ちが含まれているのを、カガリは感じていた。
「なんで……核兵器なんかがあるんだ。モビルスーツや銃もそうだ」
誰に問うわけでもなく、ぽつりとカガリがつぶやいたその言葉に、キサカは痛ましげな表情を浮かべ黙り込んだ。
傍らにいるシオンもまた悲しげに表情を曇らせながらも口を開いた。
「より良き物を――と願うのは人の性だ。対峙する敵が存在するなら、より多くその敵を倒せる兵器を――と考える。けれど……倒した敵の数だけ味方を、仲間を失うことに……憎しみと悲しみの連鎖が続いていくことになぜ気づかない……」
「……その連鎖を断ち切るなんて出来るのか? 私たちに」
シオンを見上げるカガリの表情は、不安の色で覆われている。
今更ながら、自分たちがしようとしている事がどれほどの事なのか……シオンの言葉で再認識させられたのだ。
そして、カガリが不安に襲われると、いつも決まってシオンは優しい微笑みと共にその不安を一掃してくれる言葉をくれる。
今もまた、その言葉が欲しくてカガリは彼を見上げてその瞬間を待った。
「そのために皆ここまで来たんだ」
力強く紡がれる言葉と、深い色を湛えた瞳。そこに宿る揺るぎない何かを感じたカガリは、無意識にシオンの腕へと手を伸ばしていた。
自分でもよく分からない、今までに感じたことのない不安がカガリの胸中を埋め尽くす。
シオンの軍服の袖口が皺になるのを気にもせず、この気持ちをどうにか伝えようと力いっぱい握り締めて彼を見上げた。
「兄様っ、頼むから無理をしないで欲しい。キラもアスランも……ザフトのあいつらも……非力だが私だっているっ。……だから、その……兄様に負担がかかるのも分かっている。だけどっ」
「カガリ……」
今まで見たことのないカガリの様子に、シオンはかけるべき言葉を失っていた。
必死に自分の想いを伝えようとしているのが、痛いくらいに伝わってくる。言葉が想いに追いつかないんだろう。
数少ない言葉ではあるが、カガリが伝えようとしている想いは十分理解できた。
目尻に涙をためて、自分を見上げてくるカガリにシオンは優しく目を細める。
「もしっ……もし兄様に何かあったら……っ」
「大丈夫だ。何かあるわけがないだろう? 心配しなくていい」
「でもっ、兄様は何かひとりで抱え込んでいるだろう!」
意外にも聡いカガリの言葉に、シオンは一瞬目を見開く。
確かにひとりで抱え込んで決意した。けれど、それは自身の過去に関係することで、今そばにいる人たちには何の関係もないことだ。
だからこそ、まわりに心配させるようなことになってはいけない。
「……カガリ」
「――……っ」
優しい声音と共に降ってきた感触にカガリが目を見開く。
こつん、と触れ合う額。
昔、カガリがウズミに叱られては泣きじゃくっていたのを、シオンがこうして落ち着かせてくれていたのだ。
至近距離にある兄の瞳は、あの頃と変わらず優しく深い色で……。
「兄、さま……」
「俺はウズミ様にお前とオーブを託された。この意味が分かるだろう?」
シオンの言葉にカガリは小さな声で返事をする。
何かを託されたということは、少なくとも、それらを信頼できる誰かに託すまで、倒れるわけにはいかないということだ。
シオンは父との約束を違えた事など一度もなかった。
不安が渦巻いていたカガリの胸中が少しずつ晴れていくにつれ、その表情にもいつもの明るさが戻る。
「だから心配はいらない。クサナギもエターナルもアークエンジェルも……誰ひとり欠けることなく、この戦争を終わらせよう」
各艦のカタパルトデッキではモビルスーツが発信準備を整え、パイロットたちはコックピットで発進の合図を待つ。
アマテラスのコックピットに乗り込んだシオンは、発進準備を整えると、大きく深呼吸をして通信回線を開いた。
『核を……たとえひとつでもプラントに落としてはならない。もしユニウスセブンの二の舞になるようなことになれば、今度こそ取り返しのつかない事態に陥る……それだけは避けなければ!』
通信回線を通してシオンの凛とした力強い声が伝わる。
発進準備を控えたキラを始め、アスラン、ディアッカ、ミゲル、ラスティ、ニコル、ムウも真剣な面持ちでそれに耳を傾けた。
『撃たれるいわれなき人々の上に、その光の刃が突き刺されば、それはまた果てしない涙と憎しみを呼ぶでしょう……』
シオンに次いで聞こえてきたのは、透き通ったラクスの声。
紡がれるふたりの言葉に、ユニウスセブンの悲劇を知る人間は決意を新たにする。
今度こそ、悲劇の連続に終止符を打たなくては、と。
『全軍プラントに向けて発進! フリーダム、ジャスティスは他機に先んじて出撃!』
指示が下り、全軍が一斉に動き出す。
カタパルトからフリーダムとジャスティスが飛び出すと、エターナルの艦首側部に備えられた砲台が静かに離れた。
ミーティアと呼ばれるふたつの砲台は、フリーダムとジャスティスの強化武装パーツだ。これらを装着することにより、モビルスーツでは本来望み得ないほどの推力・火力を得ることができる。その膨大なエネルギーは、2機の核エンジンから供給される。核エネルギーこそがこの武装を可能にしてくれているというのは何という皮肉だろうか。
2機の装備を確認したシオンはクサナギから発進すると、あっという間に彼らの前へと躍り出た。
ブリッジでその様子を見守っていたラクスは、ふと呟く。
「平和を叫びながら、その手に銃を取る……それもまた、悪しき選択なのかも知れません」
ためらいに揺れるラクスの声を聞きながら、バルトフェルドもただ黙っていた。
過剰とも思える武装を身に着けたモビルスーツ2機を両翼に従え、黄金の機体は凄まじい加速で飛び立った。
「――でもどうか……」
ラクスは祈りをこめてその機体を見送る。
愛しい人が駆る機体を。
「どうか、この果てない悲しみと争いの連鎖を断ち切る力を貸してください」
アマテラスを先頭にシオンの指示のもと、アークエンジェル、エターナル、クサナギの混合軍は進行を開始した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
地球軍艦隊とプラントの戦闘はすでに開かれていた。
予想通り、連合は核ミサイルをプラントへと向けて発射しようとしていた。
指示を各艦の艦長に一任したシオンはアマテラスを地球軍へと向けて駆る。
ザフトとしてデュエルを駆るイザークは、メンデルで再会したディアッカの言葉に心を揺らしながらも、この激戦の中で既に何機もの敵を撃っていた。
そして放たれた核ミサイル。
ヤキン防衛隊も必死に応戦するが、打ち落とし損ねた核ミサイルがプラントへと向かっていく。
――間に合わない――
誰もがそう思った瞬間、数条のビームと何十発ものミサイルが、プラントへと豪雨のように向かう核ミサイルへと襲いかかった。
ミサイルはプラントの手前で目も眩むような閃光を発して爆発し、周囲のミサイルをも巻き込んで更に閃光の輪を広げていく。
その白い光が消え去ったとき、核ミサイルの目標となっていたプラントは無傷のままだった。
イザークは安堵のため息を漏らすと、プラントを救ってくれた者の姿を必死に探した。
その瞬間、金色の光が過ぎ去ったかと思うと、続いて何か巨大なものがデュエルを追い越して飛び去っていった。小型の宇宙艇かと思うような白い推進部に目をとられた後、その中心部に見覚えのある赤い機体を認めて目を見張った。
「――アスラン?!」
ジャスティスと並んで飛び去った白い機体――フリーダムにも気づいたイザークは、なぜ彼らがプラントを救うのか理解できず戸惑っていた。
プラントで生まれ育ったアスランはともかく、フリーダムのパイロットはストライク――地球軍のパイロットだ。なのになぜ……。
『地球軍は、ただちに攻撃を中止してください! あなた方はなにを撃とうとしているのか、本当にお分かりですか?』
全周波通信にのせて送られるラクスの必死の懇願も空しく、第二陣の核ミサイルが次々と発射される。
「くそぉっ!」
イザークは必死にミサイルを打ち落としながら、自分と同じように迎撃しているのがザフト機だけではないのに気づいた。
既に見慣れた白い機体ストライク、そしてバスター。
少し離れた区域では、あの巨大な武装を装備したジャスティスとフリーダムの放った砲弾が鮮やかな軌跡を描き、それらを潜り抜けた残りの核ミサイルを金色の機体から放たれた幾筋ものビームが全弾叩き落とす。
その戦いぶりに、彼らの思いは本当だったのだと、胸を熱くした。
そんなイザークのもとに通信が届く。
「『全軍射線上から退避』……?」
なんのことかと、訝しげに細められた目が、次の一文に見開かれる。
「ジェネシス……!?」
以前から噂に上がっていた最終兵器の名に、イザークはしばし呆然と通信文を見つめていたが、ハッと我に返るとモニター越しに外の様子を見やった。
退避を始めているザフト機や艦隊の中、戸惑うように赤と白と黄金の機体が滞空している。イザークは思わず通信をオープンにして叫んだ。
『下がれ! ジャスティス!!』
『イザーク……?!』
突如オープンチャンネルで聞こえた声にアスランは思わず振り返る。
『アスラン君? 今の声は……』
状況を観察していたシオンもまた、突然聞こえた声に驚き、その声が名指ししたジャスティスのパイロットであるアスランへと通信を繋いでいた。
『イザーク……ザフトの仲間です。でも急に下がれだとか……何だっていうんだ』
『早く下がるんだ! ジェネシスが撃たれる!!』
アークエンジェル、エターナル、クサナギのブリッジでは、撤退していくザフト軍の動きに皆が首をかしげていた。
ザフト軍が撤退すると同時に、ヤキン・ドゥーエ後方に巨大な建造物が姿を現す。離れた位置にありながら、肉眼でもはっきりと見ることが出来るほどの。
「何……だ、あれは……あんな巨大なものになぜ今まで気づかなかった……?」
暗い灰色をしていた巨大なミラーが、突如磨かれたような輝く銀色へと色づく。その変化にシオンは息を飲んだ。
「――フェイズシフト……? まさかミラージュコロイドもか……!」
だとすれば、今まで誰もどの艦もあれの存在に気づかなかった理由の説明がつく。
そこまでの技術を惜しげもなく用いられた建造物……シオンの本能が警告を発し始めた。
『フリーダム、ジャスティス、後退だ! 急げ!』
『はい!』
『了解!』
ジェネシスと呼ばれた建造物から発せられた、太く強烈な光が戦場を駆け抜けた。
射線上にいた地球軍艦艇は次々と融けて砕け散り、爆発していく。
後退したシオン、キラ、アスランは、先程まで自分たちがいた空間を駆け抜けていった巨大なエネルギーに愕然と目を見開いた。
その光は地球軍の主力が展開していた宙域を貫き、そこにいたMS、艦艇、そこを漂っていたデブリに至るまで、全ての物質を一瞬にして焼き払った。
そしてそこに残されたのは、無残に焼き尽くされた戦艦、MSの無数の破片と、直撃を免れたものの、航行もおぼつかない多くの船体、そして戦意を喪失した兵士たち。
たった一発で、何十もの戦艦と何百もの機体を壊滅に追いやった恐るべき兵器の威力に怯え、誰もがその惨禍に見入るばかりだった。
『――ばか……な……こんな、ことっ』
シオンはギリギリと拳を握り締めた。なぜ……という思いばかりが体の中で渦巻いた。
『……こ……んな……』
キラは声を震わせ、何かに耐えるように歯を食いしばった。
『……父上っ!!』
アスランはこの兵器の発射指示を出したであろう父を非難する。
――これが人類の夢? 人類の叡智なのか?
それぞれが憤りを必死にこらえ、ただ体を震わせていた。
そんなシオンの脳裏をよぎったのは、変わり果てた姿となった兄と慕う男の顔だった。
自身を生み出した世界と人間を憎み、狂気に走ったあげく、この事態を招いた男。
それでも心のどこかで信じてもいた……諦めなければ、きっと説得できる、と。
だが、この虐殺を目にした今、それがいかに空しい独りよがりだったのかを思い知った。
「撃つしか……ないのか……?」
――ラウ・ル・クルーゼを。
呟いたシオンの目には一粒の涙が浮かんでいた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
プラントから離れたデブリの多い宙域に、アークエンジェル、エターナル、クサナギの艦影があった。各艦とも整備と補給に騒然としている。
いつ、再びザフトと連合が動き出すとも分からないからだ。
『発射されたのはγ(ガンマ)線です』
エターナルのブリッジにシオンがカガリを伴って入っていくと、クサナギにいるエリカ・シモンズがジェネシスについて、データから知り得た事実を説明していた。
『――つまり……あれは巨大なγ線レーザー砲なんです』
ブリッジにはラクス、バルトフェルドの他に、アークエンジェルからマリューも来ていた。
エリカは一瞬ためらった後、意を決したように続ける。
『地球に向けられれば……その強烈なエネルギー輻射は地表を焼き払い、あらゆる生物を一掃してしまうでしょう』
その可能性に、皆が息を飲む。
「撃ってくると……思いますか?」
マリューが救いを求めるようにバルトフェルドへと言葉を投げかけると、バルトフェルドはむっつりとした表情で答える。
「強力な遠距離大量破壊兵器保持の本来の目的は、抑止だろ……?」
皆が安堵するはずの彼の言葉に間髪いれず、シオンが割り込んだ。
「――だがもう……撃たれた……核も、ジェネシスも」
話しながら、ラクスの側へと寄ったシオンは、彼女の顔色が優れないことに気づく。そして気遣う言葉をかけようとした時だった。バルトフェルドは無造作な口調で言った。
「どちらももう、ためらわんだろうよ……」
皆、背筋が寒くなると同時に、信じがたいという思いにとらわれる。
コーティネイターにとっても母なる星であるはずの地球。それを滅ぼすなどという愚かな行為を彼らがするはずはないと思いたかった。
妬み、憎み、殺しあう……そんな行為に慣れてしまう人という存在。ならば、核のボタンも同じことではないのだろうか。
悪いのは放たれる兵器なのか、それともボタンを押す人の手か。考えれば考えるほど分からなくなるばかりだ。けれど、たったひとつ、分かっていることがある。
「核にもジェネシスにも……絶対にお互いを撃たせてはだめだ」
シオンが静かに言葉を紡ぐと、皆が俯きかけていた顔を上げた。
「……そうなってからじゃ、すべてが遅い……」
シオンの言葉を受けてキラが言う。キラもまた、自分の持てる全てをかけて、できること、望むことをすると決意していた。
自分が、人類の叡智を注ぎ込まれ、最高のコーディネイターとして生み出された者ならば、きっとこの日のために創られたのだと思うから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
シオンとカガリ、マリューは自分たちの艦へ向かうため、キラとアスランはモビルスーツデッキへ向かうために、エレベータに乗り込もうとした。
そこへ背後から声をかけられる。
「シオン」
聞き間違うことなどないその声に振り向くと、そこには先程別れたばかりのラクスが、何か言いたげな表情で佇んでいた。ラクスの思いつめた様子に何かを悟ったアスランは、シオンを残してエレベータのドアを閉じた。
「ラクス?」
「これを……」
どうかしたのか、とシオンが問いかける前に、ラクスが意を決したようにシオンの目の前へと手を差し出す。そこには銀色に光る、凝った筋彫りの施された華奢な指輪があった。
差し出された指輪の意味が理解できず、シオンは指輪とラクスに視線を交互に移す。
そんなシオンの手を取ると、ラクスは彼の手に指輪を握らせ、小さく白い手でその大きな手を包み込んだ。
「わたくしの大事なものです。あなたにお預けしますわ」
「――大事なんだろう……受け取れない」
“大事なもの”という言葉に反応したシオンは指輪を返そうとするが、ふるふると頭を振ってラクスは否定した。
「いいえ。大事だからこそあなたに預けるのですわ」
不安げに見上げてくるその瞳は、今にも涙を溢れさせそうに潤み、儚げな顔にいつもの微笑みはない。それでも必死に笑みを浮かべようとしているのが分かる。
戻ってきたエレベータに二人は乗り込む。
涙をこらえ、ただ黙って自分を見つめる瞳に、シオンはふわりと微笑を浮かべた。
「必ず返すよ」
そう言って、開いたエレベータのドアから出て行くシオンを追いかけたラクスは、遠慮がちに彼の右手を両手で握り締めた。
「――シオン……帰って来てくださいね……。わたくしのもとへ……」
その表情と手のぬくもりがかつての恋人と重なる。
『……わたし、の分も……生きてね』
弱々しく手を差し出し、酸素マスク越しに笑顔を浮かべながら伝えるサリア。
握ったその手はあまりにも温かく、彼女の命が尽きようとしているなんて、悪い夢だと思いたかった。
どんな時もそばに居て、何よりも大切だったサリアの命の灯火が消えようとしていたあの時、自分はなりふり構わず『死ぬな』と『逝かないでくれ』と嘆き縋り付いた。
シオンは置いて逝かれる悲しみを彼女にぶつけ、サリアは置いて逝かなければならない彼に謝罪と果たせなかった想いを託す―――『生きろ』と。
サリアはその生命が尽きる間際までシオンだけを見つめていた。想いを彼の中に根付かせるように。
そして今、ラクスはシオンの抱いた覚悟を悟りながら、自分のもとに帰って来いと言う。それは『生きろ』と同義語だった。
サリアが残した想い。
ラクスの言葉に託された想い、願い。
自分の中でラクスの存在がどれ程のものになっているのかをシオンは改めて思い知った。
シオンはラクスが触れている右手をそのままに、空いている左手を彼女の肩に回すと自分の元へと引き寄せる。
その小さな肩口に顔を埋めると、柔らかな髪が頬をくすぐった。
「――帰ってくるよ……必ず、ラクスのもとに」
自分のすべてを賭けて護りぬきたいと、ただ、そう思う。
その温もりを忘れないようにと、抱きしめる腕に力をこめた。
エレベータを降りて通路を進んでいたキラとアスランの少し後ろをカガリが歩く。
「今度は私も出るぞ。ストライク・ルージュで」
その言葉に、ふたりはぎょっとして振り返った。
「どういうこと?! カガリ」
「出る? ストライク・ルージュ?」
確かにカガリは一通りの軍事訓練を受けていたらしく、戦闘機やMSの操縦には長けている。しかし、ふたりが問いたいのはそんな問題ではなかった。
慌てるふたりの様子に、カガリは怪訝そうな表情を浮かべる。
「なんだよ! 見たろ!? アサギたちよりは腕は上だぞ!」
「そうじゃない!」
「じゃあ……」
若干の怒気を含んだアスランの声にカガリは食って掛かるが、割って入ったキラの穏やかな声がカガリの動きを止める。
「――それ、知ってるの? シオンさん」
「……っ、まだ、言ってない。でもっ……出来ること、望むこと、すべきこと……みんな同じだろ? キラも、アスランも、兄様もラクスも……私も」
まっすぐ向けられる眼差しは、あきれるほどに真剣で、キラもアスランも小さくため息をついた。
「……カガリ」
「それはそうだが……」
ふたりの思いを読み取ったのか、カガリはひとつ息をすると更に続けた。
「戦場を駆けてもダメなときもある。けど、今は必要だろ? 何より、兄様の力になりたい」
カガリの腕がどうでも、たとえクサナギに残っていたとしても、生き残れるとは限らない。それが戦争だ。
シオンが常日頃からカガリを大切にし、カガリはオーブ復興に欠かせない存在だと言っていたのを知っているキラとアスランは、出来ることならカガリを出撃させたくはなかった。
不安そうに黙り込むふたりを見て、カガリは苦笑する。
「ふたりともそんな顔をするな。死なせないから、絶対」
「そういうとこ、僕らより強いよね」
くすくすと笑いながらキラが言うと、アスランもつられたように笑みを漏らす。
「そりゃあな。『弟』を護るのは『姉』の役目だからな」
「『弟』……? 僕が?」
胸を張って告げられたカガリの言葉に、キラはきょとんとした表情で問いかけた。
双子だという事実は確かにある。だが、どちらが先に生まれたかなど誰にも分からないというのに、なぜ『姉と弟』なのか。
その様子にアスランは吹き出しそうになりながら、思っていた言葉を口にした。
「『兄さん』じゃなくて、『弟』か」
笑いをこらえている様子のアスランに、カガリはむきになって反論する。
「ありえん! キラは『弟』だ!」
「そうだな」
頼りない幼馴染。自分も時折『弟』のように接することがあった。そう遠くはない過去にアスランは思いを馳せる。
「それに……『兄』はシオン兄様だけだ」
さっきまでとは違う、静かな声で紡がれる言葉に、キラとアスランは微笑ましそうにカガリを見た。
彼女とシオンが周りへ与える影響。それは戦闘でギスギスとした人の心や雰囲気を柔らかなものへと変えてくれていた。
信頼であったり、愛情であったり……人が持つ尊ぶべき感情。それらは、何かを見失いそうになる戦争では、力強い心の支えとなっていた気がするのをキラもアスランも感じていた。
不意にキラが握手を求めるようにアスランへと手を差し出した。
「がんばろうね。また皆で楽しく笑えるように」
「あぁ」
「私も仲間に入れろっ」
握手を交わす二人の手を両手で包み込みながら笑うカガリに、キラとアスランも表情を緩めた。