Northern Lights(種無印)
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33話 開く扉
地球軍として現れた、アークエンジェルと寸分違わぬ戦艦“ドミニオン”。
その艦長であるナタルからの即時無条件降伏を跳ね除けたアークエンジェルは、避けようのない戦闘へと突入した。
アークエンジェルの援護に向かおうとしたクサナギは、突如つんのめるような衝撃に襲われる。
「なんだ?!」
シオンにクサナギの指揮を任されていたキサカがブリッジで声を荒げた。
確認すると、まるでくもの巣に引っかかった蝶かトンボのように、クサナギはケーブルに船体を絡め取られ身動きが取れなくなっていた。
「アサギ! 船体に何か絡んだ! 外してくれ!」
『了解!』
キサカの命令に、少女は厄介なケーブルを処理すべく愛機を駆った。
「敵モビルスーツ、接近!」
作業を開始すると同時に、身動きの取れないクサナギ目がけて急接近する機影が確認される。
動けない艦をこの機に叩いてしまおうと、接近してきたのはフォビドゥンだった。
「アサギ!」
必死にケーブルを切り離そうと作業を続けているアサギ機の目前にフォビドゥンが舞い降りるのを見て、カガリが悲鳴を上げた。
フォビドゥンがそのメイン武器であるニーズヘグを振り下ろし、アストレイを真っ二つにしようとしたまさにその時――閃光の如く1機のモビルスーツが現れビームサーベルでそれを受け止めた。
『――っ、何をしている! 急げ!』
『は、はいっ』
現れたのは、文字通りオーブの守護神として戦場を駆けるアマテラス。
突然の襲撃に呆然として動きを止めていたM1アストレイに作業を促すと、再度諦めずに攻撃を仕掛けてきたフォビドゥンをライフルで牽制する。
『敵機は任せろ! 早くクサナギを自由にしてやれ!』
シオンの声で我に返ったアサギは、ケーブルの切断作業を再開させた。
アサギが危機を脱したこと、何よりシオンが近くに居てくれることにホッと胸を撫で下ろしたカガリは、自分たちを護ってくれた黄金の機体をただ見つめていた。
クサナギを守って戦っていたストライクが戦線を離れたかと思うと、バスターもそれに続く。
状況を把握できていないシオンが慌ててバスターに通信を繋げた。
『……!? どこへ行く、ディアッカ!』
『おっさんがザフトがいるって飛んでっちまった。マジだったらヤバイ! ともかく確認してくる!』
『ザフト……!? 危険だ! 戻れ!』
シオンの制止を無視し、ディアッカはムウの後を追ってメンデルの中へと消えていった。
クサナギが自由を取り戻したのと時を同じくして、ドミニオンから信号弾が打ち上げられ、レイダー、カラミティ、フォビドゥンが戦場区域から離脱していった。
『……? ムウさんたちがいない』
帰投するモビルスーツ隊の中にストライクとバスターの姿がないことに気付いたキラが呟く。
『あの2人ならメンデルの中だ。フラガ大尉がザフトを感知したらしいが、ホントかどうか……様子を見に行ってくるから君たちは整備と補給を』
『いえ、僕が行きます。指揮官のシオンさんがいなくなったら、もしもの時困るでしょ? 彼らも完全に引き上げたとは思えないし』
確かに、ストライクとバスターの2機が帰ってこず、さらにアマテラスまで戦線離脱している間にまたドミニオンとあの3機から攻撃を受ければ、フリーダムとジャスティスとM1アストレイだけでは勝ち目はない。
簡単に予想できる事態が脳裏を過ぎり、シオンは小さく溜め息をついた。
『……解った。無理はするな』
『はい!』
フリーダムを見送った後、シオンは全軍に指示を出す。
『各艦は補給と整備を急げ! 向こうの港にザフトがいるとなれば事態は切迫するぞ!』
ドック内では補修作業が急ピッチで進められていた。特にアークエンジェルの損傷が激しい。
偵察に出ていた部隊がもどり、ナスカ級の存在を報告する。
「ナスカ級3隻か……ドミニオンは?」
シオンがオペレーターに質す。
「依然、動きはありません」
「フラガたちが何か情報を持ち帰ってくれるか―――くそっ誰の隊だ?」
指揮官が判明すれば、バルトフェルドならザフト側の意図もわずかながら読めるのかもしれない。
彼が独り言のように言った言葉にマリューは思わず答えた。
「クルーゼ隊です」
それを聞いた者たちが一斉に不審そうな表情を浮かべ、シオンは目を見開く。
「彼にはわかるのよ。なぜだかは、自分でもわからないと言っていたけど……ラウ・ル・クルーゼの存在が」
ムウを知らない者には、ワケの分からない話ではあるが、アークエンジェルのクルーたちは妙に納得したような表情でマリューの話を聞いていた。
「クルーゼ隊、か……」
一点を見つめ、何かを考え込んでいたシオンはふと、顔を上げると傍らのキサカへと向き直った。
「キサカ、俺はメンデルへ行く。これからの指示はお前に任せる。俺が戻らないときは――判ってるな?」
シオンの言葉に含まれる意図を汲み取り、キサカは深く頷いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
メンデルに降り立ったシオンは、懐かしい―――だが、できるなら戻りたくなかった場所に足を踏み入れていた。
自分の予想が正しければ彼らは“あの場所”にいるはずだった。ラウ・ル・クルーゼなら、必ず……。
複雑な思いを胸に抱えたまま、シオンは記憶の片隅に残る情報を頼りに廊下を走りぬけて行く。
目的の場所に辿り着いたシオンは、目の前のドアへとゆっくり手を伸ばす。だが、中から聞こえてきた話し声にピタリとその手を止めた。
(――この声……)
「――君は人類の夢、最高のコーディネイター。そんな願いのもとに開発されたヒビキ博士の人工子宮によって生み出された彼の息子。――数多の犠牲の果てに作られた唯一の成功体……」
(……キラ君が……ヒビキ博士の……?! )
語られる衝撃の事実。その単語ひとつひとつがシオンの記憶を刺激し、忘れかけていた……忘れようとしていた記憶が徐々に甦る。
――灰色の壁、眩しい照明、拘束される手足、全身に繋がれたチューブ、観察者の視線、耳障りな電子音、永遠に続くかと思われる苦痛の数々――
(駄目だ、考えるな! 今はキラ君たちを助けるのが先だっ)
必死に頭を振り、感情を制御しようとするが、なぜか身体がいうことをきかない。
気持ち悪いくらいに脈打つ鼓動、襲う頭痛。
暑くもないのに流れる汗。
温もりを失い、僅かに震える指先。
自分がどこに立っているのかすら分からなくなりそうだった。
(……くそっ)
シオンが動けずにいるその間もクルーゼの言葉は続く。
「――私にはあるのだよ! すべての人類を裁く権利がな!!」
(権利!? ラウ……お前、まだ……)
クルーゼの闇は深い。人類を滅ぼしたいと願うほどに。
幼い日、クルーゼ自身の口から出生について聞いていたシオンにとって、彼の気持ちは十分理解できるものであった。
個人の私欲のためだけに作られたコピー、金の為に作られた命。
ヒトの命は、自然に生まれいずるからこそ尊いものだというのに――それを意のままに創ろうとする科学者。自分はそれらの犠牲者だと彼が言っていたのを思い出す。
「おもしろい話を聞かせよう。昔話だ。――かつてヒビキ博士には優秀なパートナーがいた。彼はヒビキ博士に勝るとも劣らぬ科学者だった」
「…………」
淡々と話すクルーゼの表情は仮面に隠されているというのに、なぜか楽しそうに語っているような印象を受ける。
突然告げられた事実を受け入れられず呆然とするキラ。それを庇うように座り込んでいるムウは、ただ黙って聞くしかなかった。
「ある日、人工子宮1号機が完成した。それにはまだまだ改良の余地があったが、博士は実験の為、自身の精子と妻の卵子を提供した。そして子供が生まれ、その子は初の成功体としての栄誉を受けるはずだった」
そこでいったん言葉を切る。
「だが、その子は失敗作とされた。なぜだと思う?」
「知るか! んなもん!!」
遠まわしに、しかもこの状況下で楽しそうに話すクルーゼに苛々が募り、フラガの語尾が荒くなる。
「生まれた子は生殖能力が異常に低かったのだよ。ヒトとして自力で繁殖していくには重要不可欠な要素だ。最高と完璧を望む博士達にとっては特にな……たったそれだけの欠陥で失敗作の烙印が押された。それ以外は全て、博士達が望む最高の能力を兼ね備えた子だというのに……そして、その子のデータを元に生み出されたのがキラ・ヤマト、君だ! そして、失敗作の烙印を押された子は……」
「もう止せ」
感情のこもらぬ静かな口調で突如現れた人物に3人の視線が注がれる。
「……!?」
「シオン!……なんでここに」
「シオン、さん?」
銃を構えた突然の乱入者の出現に、クルーゼは慌てて銃口を向け、ムウとキラは予想しなかった人物の突然の登場に唖然とその人物の名を呟く。
そんな2人が口にした名に、クルーゼは驚きの声をあげた。幼い日を共に過ごした大切な存在と同じ名に僅かな動揺が走る。
「――シオン、だと……?」
ふたりを隔てた10年以上の月日は、感動の再会ではなく、銃口を向け合う敵として巡り会う運命をもたらせた。
互いの名を戦場で初めて耳にした時は、生きていたことを喜んだというのに、その立場の違いにこうなることを少なからず予想はしていた。
だが、心は追いつかない。
「ラウ、なのか……?」
銃口をクルーゼへと向けたままで呟くシオン。だがその表情に敵意は感じられない。それどころか、銃口を向けることを躊躇っているようにさえ感じられた。
『オーブのシオン・フィーリア』と『ザフトのラウ・ル・クルーゼ』
初対面であるはずの2人が、お互いをファーストネームで呼び合った事実にフラガとキラはただ現状を見守るしかできないでいた。
「なぜこんな場所に……」
「お前……その仮面は一体」
クルーゼから視線を逸らさず、シオンはゆっくりと銃を構える腕を下ろした。
「――私にも色々事情があるのでな。それより話を続けようじゃないか。キラ・ヤマトには私の話を最後まで聞く責任がある。私たちを犠牲にして生まれた彼にはな」
「成功体として生まれたのは彼が望んでのことじゃない」
「……・では君は憎くはないのか? 彼というただ1人を生み出す為だけの踏み台にされたことを!」
「踏み台だとか思ってない! こうして生きて、大切な人にも巡り会えた」
「それで幸せだと……? 色々と調べたのだよ。ブルーコスモスのテロの後、君がどういう道を辿ったのか」
「――っ」
クルーゼの言葉に、シオンの表情が凍りつく。
出自どころか、存在すら一部の人間にしか知られていないシオンの情報が、そう簡単に入手できるはずがない。
あげく、オーブへと身を寄せるまでの足跡など、関係者のリークでもない限り、誰が知りえるというのか。
言葉を発せずにいるシオンを見つめながら、クルーゼは楽しそうに続ける。「アズラエルが君に関する資料を提供してくれてね」と。
「強化人間を完成させる実験に使われていたようじゃないか。そこまでされてなぜ人類を憎まない! 私は憎む! 私を生み出したこの世界も人間たちも……なにより君を人体実験に使用した者たちをな!」
「もういいっ!」
それ以上は言うな、とシオンは銃を構え直した。
忘れたかった過去を掘り起こされて暴露され、その表情が苦しみと怒りに歪む。
隠していたわけではないが、こんな形で他人の口から自分の素性を知られるのは心外だった。
その動揺が、銃を構える手へと伝わり僅かに震える。
「間もなく最後の扉が開く! 私が開く。そしてこの世界は終る。この果てしなき欲望の世界は……」
完全に狂気に囚われたクルーゼが高笑いを上げる。
その時、ムウが放った銃弾がクルーゼのマスクを弾き飛ばした。
金色の髪が揺れ、仮面の下から現れたのは年齢に不釣合いな皺が刻まれた老人の顔だった。
「ラウ……お前、その顔は……?」
片手で顔を隠すクルーゼ。
「見たか……そう、これが今の私の顔だ」
「……どう、して」
「アル・ダ・フラガに引き取られた後、遺伝子の欠陥が見つかってね……クローンである私は他者に比べ、テロメアが短いのだよ」
「――フラガ……? テロメア……」
新たに突きつけられた事実にシオンは呆然とする。
アル・ダ・フラガが何者なのかは知らない。だが、側にフラガを名乗る人間が居る。彼はラウ・ル・クルーゼの存在を戦場で感じることが出来ると聞いた。
そしてテロメアが短い=命の残り時間が短い、という知識くらいはある。
シオンの中で、バラバラだった点と点の全てが繋がっていく。
「だから……なのか?」
「そうだ。私には時間がない。シオン……私の手を取れ! お前も私も世界に見捨てられたもの同士、失敗作の私たちの居場所などこの世界にはない!」
シオンへとクルーゼが手を差し出す、共に来いと。
――あの日、追いすがっても届かなかった手。
――二度と会えないと覚悟していた、兄と慕う人の手。
今、目の前に差し伸べられた手に、シオンの心が一瞬揺らぐ。
その動揺を叱咤するように一発の銃声が響いた。
「勝手なこと言わないで!」
銃声の後、間髪入れずにキラの声も響く。
驚いたシオンが声のする方へ顔を向けると、そこには銃を構えたキラの姿があった。
「シオンさんの居場所がないだって? そんなの勝手に決めないで。その人の居場所はちゃんとある! あなたと一緒になんて行かせない!」
キラは慣れない銃を構え、更に躊躇うことなく引き金を引いた。クルーゼはそれを上手くかわすと物陰に隠れる。
「シオン! 私と共に来い!」
再度、クルーゼが叫んだ。
その誘いに、シオンは佇んだまま静かに返す。
「……すまないが俺はその手を取れないよ。ラウ」
「何故だ!?」
「俺はウズミ様にオーブを託された。それを捨ててなんて行けるわけないだろ。それに……お前が世界を憎んででも、俺はこの世界が結構気に入ってる。なにより守りたい人がいるんだ。彼女の為にも俺はこの戦争を終らせたい!」
「……考えは変わらないのか?」
「あぁ」
そう答えるシオンが寂しそうに微笑んだことに気づいたクルーゼは、彼の心情を理解したのか、一瞬フッと表情を緩めると意を決したように高々と叫ぶ。
「そう、か。ならば私を止めてみろ! それが出来ねば待っているのは滅びだけだ!」
クルーゼは踵を返し、走り去った。
「待てっ! ラウ……っ」
追いかけようと無意識に足を踏み出したシオンだったが、ふと思い直したように足を止め、その背中をしばらく見つめる。
一度は追いかけることすら出来なかった背中。今度は自ら追いかけなかった背中。
複雑な想いにシオンの拳に力がこもるが、ゆっくり深呼吸をしてその力を抜くと、銃を手にしたまま立ち尽くすキラに笑みを向けた。
「ありがとう」
一瞬揺れた自分をここに留めてくれて、と心の中で呟く。
そしてキラの手から銃を取り上げると、その頭をぽんぽん、と撫でた。
「もう大丈夫だから」
その優しい声と手に、キラの瞳がみるみる涙で潤みだす。
突如突きつけられた事実がどうこうと言うよりも、ただ必死だった。この人は連れて行かせない、と。
「……っ、シオン――さんっ、僕っ……ぼ、く……・はっ」
「艦に戻ってゆっくり話そう……いいね? 今は彼のケガが気になる」
肩とわき腹から出血し、壁に体を預けてぐったりをしているフラガへと視線を向けて、キラを諭すように言葉を紡ぐ。
その言葉にキラは無言でコクコクと頷いた。
そしてシオンは負傷したムウに肩を貸し、キラがその後に続いた。
メンデルを脱出する間、誰もが無言だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「キラ君は?」
「医務室で眠っています」
クサナギに着艦直後、キラが倒れたと聞かされたシオンは、そのままエターナルへと向かった。
着艦したシオンは出迎えたラクスと共に医務室へと移動する。
「そうか……」
シオンは先の戦闘を思い出す。
クルーゼが去った後、戦線に復帰したシオンたちにヴェサリウスから通信が入った。それは拘束していた捕虜を解放するという内容だった。
射出されたポッドから聞こえてきた声の持ち主はフレイ・アルスター。
被弾し、左翼や頭部を吹き飛ばされながらもポッドを追いかけたフリーダム。
そしてポッドを回収しようと伸ばした手はカラミティに阻まれ、フレイはドミニオンに回収されてしまった。
知るべきでなかった出生の秘密を聞かされた彼の心中は如何ばかりだっただろう。そしてフレイとの再会。
それらが、キラが倒れた原因だろうと容易に推測できた。
目を開けると、良く見知った人物達――シオン、ラクス、アスラン、カガリ――が、自分を心配そうに覗き込んでいた。
「キラ君、具合は……?」
「――シオン、さんっ!? ……っ」
優しく自分の名を呼ぶ声にキラは慌てて体を起こす。
その瞬間襲ってきた眩暈と、よみがえった記憶の痛みに思わずきつく目を閉じた。
「大丈夫かい?」
いつもと変わらない柔らかな声にホッとしたキラは、シオンへ「大丈夫です」と微笑みかけようとしたが、自分を見つめるカガリの視線に気づき、そちらへと視線を移した。
そして、その手に握られていた二枚の写真に表情を凍らせる。生まれたばかりの自分たちが写った写真……。
「キラ……」
カガリが問いかけようとした瞬間、キラは顔を背けた。その様子から何かを悟ったシオンは、ラクスとアスランに目配せをし、カガリの肩を軽く叩く。
「カガリ、キラ君は疲れてるだろうから、話なら後でゆっくりしよう」
「でもっ、兄様……っ」
少しでいいから、と食い下がるカガリをやんわりと制する。
「いつでも話せるさ。生きているんだから、俺たちは」
その言葉に黙るしかなかったカガリを、アスランとラクスが連れ出し、部屋にはシオンとキラだけが残された。
「キラ君」
何から、どう言葉にして良いか分からないシオンは、ただキラの名を呼ぶしか出来なかった。
いつもと変わらない優しい声色で紡がれる自分の名。それだけでもなぜか泣きたい衝動に駆られる。
突然突きつけられた出生の秘密。
それを知らせたのは敵である人物。その人は、自分を創る研究資金のために作られたクローン。
尊敬して慕う目の前の人は、自分が生まれるための実験台――。
自分は本当に生まれてきて良かったのだろうか。ここにいて良いのだろうか。
「……大丈夫、です」
今まで何度も支えてくれたこの人に、これ以上縋ってはいけないと叱咤する。
心配をかけないように笑顔を浮かべろと自分を奮い立たせた。
「まったく……泣きたい時はちゃんと泣く。我慢しても仕方ないんだから」
呆れたように溜め息をつき微笑むシオンの言葉に、涙が込み上げる。
なぜこの人はいつもいつも優しく全てを肯定してくれるのだろうか。
「……っ、ごめ…なさ、いっ……僕、いつも……っ」
「謝ることなんかないさ。人は泣くことで苦しみや悲しみを洗い流して、明日を生きる力を得るんだから」
ふわりと頭を撫でられ、止め処なく流れ落ちる涙がシーツに染みを作っていく。
「シオン……さん、に……甘えて……ばかりだ、僕……っ」
「じゃあ今度はキラ君が誰かを支えて、甘えさせてあげればいい」
「……はいっ」
そう言って笑ったキラの笑顔に、シオンも満足そうな笑みを浮かべた。
「――メンデルで何がありましたの?」
医務室からハンガーへと向う足を止めるラクス。
「……ちょっと、なつかしい人物と再会を」
「辛そうですわ」
「キラ君がかい?」
「キラだけではありません。あなたもですわ。必死に隠しているようですが、わたくしには解ります。とても辛そうです……」
突然ラクスがシオンの胸に飛びつく。
「ラク、ス……?」
「わたくしではあなたを支えることができないのですか?――わたくしはいつもあなたを支えたいと思っています。あなたと共に泣いて、笑って……ずっと傍にいたい」
「俺は……」
今にも泣き出しそうな表情で告白するラクスを見て、言いよどむシオン。
確かにラクスを愛しいと思う感情が自分にはある。だが、同時にサリアを忘れることのできない自分がいる。
「たとえあなたが他の方を想っていてもわたくしの想いは変わりません。わたくしはあなたを……」
「止めるんだ。君にはアスラン君がいるだろう? 君の傍に俺はふさわしくない」
失くした愛しい人を今だ引きずる自分。
そんな自分よりも、ラクスだけを真っ直ぐに想うアスランの方が彼女には相応しい。
心のどこかで思っていた事が、不意に口をついて出た。
婚約は解消されたと、当のアスランから直接聞いたというのに。
「そんなことはありません! 確かにアスランとわたくしは婚約者同士でした……ですが、それはもう過去のこと。わたくしたちの婚約は正式に白紙に戻されました」
目に涙をためて見上げてくるラクスをたまらなく愛しいと思う。
自分の持てる全てを懸けて彼女を護りたいと思う気持ちに変わりはない。
けれど、愛しい人を失うあの悲しみと喪失感はもう二度と御免だった。
側に居て心が満たされる例えようのない幸せ。
だからこそ失うときの痛みは想像を絶するのだ。
もしかしたら、そんな思いを彼女に与えてしまうかもしれないと考えると、言葉が続かない。
「――わたくしでは……だめですか……? わたくしはずっとあなたを……」
ラクスの必死の告白を遮り、シオンは口を開いた。
「聞いて欲しいことがある。それを聞いた後でも変わらず俺を想ってくれるのなら……俺も覚悟を決めよう」
「――その後、ハルバートン提督の手引きでオーブへ逃れたんだ。だが治療の甲斐もなくサリアは死んだ。もう4年近くになる……俺はあいつを一生忘れられないと思う。俺にとって半身みたいな存在なんだ」
言外に、別の女の想い出を引きずるような男でいいのかと問う。
「忘れるだとか……そんな必要ないのではありませんか?」
ラクスがふわりと微笑む。
「どんな形であろうとあなたが生まれ、そして生きてきて、サリアさんとの時間があったからこそ、今のシオンが居るのでしょう? サリアさんを愛している感情もすべてまとめてシオン・フィーリアですもの。何かひとつでも欠けてはわたくしの好きになったあなたではありません」
「……参ったな」
「シオン?」
困ったような笑みを浮かべたシオンを不思議そうに見上げると、そのまま彼の腕の中に引き込まれた。
初めてこの腕に抱かれた時は、彼とキラを無事に送り出すことが先決で、自分の想いは必死に押し殺し、彼の腕から離れたのを思い出す。
自分を護りたいと思ってくれている、彼の気持ちが真っ直ぐに伝わってきたのがとても嬉しかった。
そして今、自分を包む彼の腕は以前よりも優しく逞しく、全てを預けてしまいたくなるほどに居心地が良い場所に感じられ、そっと瞳を閉じると彼の肩口に額をつけた。
「――ラクス」
彼特有の低すぎない心地良い声が全身に響いてくる。
人に名を呼んでもらえるのがこんなに嬉しいことだと初めて知った。
「この戦争を生き抜くことができたら伝えたい言葉がある。その時は聞いてくれるか?」
「今すぐでもかまいませんわ」
ラクスの言葉にシオンは小さく笑うと、その髪を優しく撫でた。
腕の中の存在が、愛しくてたまらない。
「今は駄目だ。生き残れたら言うよ。だから……絶対に死ぬな。エターナルは俺が守るから」
「約束、ですわよ?」
「ああ、約束だ」
そう言って、髪を撫でていた手をそっとラクスの頬へと滑らせる。
そして上向かせるとそのままゆっくりと唇を寄せた。
地球軍として現れた、アークエンジェルと寸分違わぬ戦艦“ドミニオン”。
その艦長であるナタルからの即時無条件降伏を跳ね除けたアークエンジェルは、避けようのない戦闘へと突入した。
アークエンジェルの援護に向かおうとしたクサナギは、突如つんのめるような衝撃に襲われる。
「なんだ?!」
シオンにクサナギの指揮を任されていたキサカがブリッジで声を荒げた。
確認すると、まるでくもの巣に引っかかった蝶かトンボのように、クサナギはケーブルに船体を絡め取られ身動きが取れなくなっていた。
「アサギ! 船体に何か絡んだ! 外してくれ!」
『了解!』
キサカの命令に、少女は厄介なケーブルを処理すべく愛機を駆った。
「敵モビルスーツ、接近!」
作業を開始すると同時に、身動きの取れないクサナギ目がけて急接近する機影が確認される。
動けない艦をこの機に叩いてしまおうと、接近してきたのはフォビドゥンだった。
「アサギ!」
必死にケーブルを切り離そうと作業を続けているアサギ機の目前にフォビドゥンが舞い降りるのを見て、カガリが悲鳴を上げた。
フォビドゥンがそのメイン武器であるニーズヘグを振り下ろし、アストレイを真っ二つにしようとしたまさにその時――閃光の如く1機のモビルスーツが現れビームサーベルでそれを受け止めた。
『――っ、何をしている! 急げ!』
『は、はいっ』
現れたのは、文字通りオーブの守護神として戦場を駆けるアマテラス。
突然の襲撃に呆然として動きを止めていたM1アストレイに作業を促すと、再度諦めずに攻撃を仕掛けてきたフォビドゥンをライフルで牽制する。
『敵機は任せろ! 早くクサナギを自由にしてやれ!』
シオンの声で我に返ったアサギは、ケーブルの切断作業を再開させた。
アサギが危機を脱したこと、何よりシオンが近くに居てくれることにホッと胸を撫で下ろしたカガリは、自分たちを護ってくれた黄金の機体をただ見つめていた。
クサナギを守って戦っていたストライクが戦線を離れたかと思うと、バスターもそれに続く。
状況を把握できていないシオンが慌ててバスターに通信を繋げた。
『……!? どこへ行く、ディアッカ!』
『おっさんがザフトがいるって飛んでっちまった。マジだったらヤバイ! ともかく確認してくる!』
『ザフト……!? 危険だ! 戻れ!』
シオンの制止を無視し、ディアッカはムウの後を追ってメンデルの中へと消えていった。
クサナギが自由を取り戻したのと時を同じくして、ドミニオンから信号弾が打ち上げられ、レイダー、カラミティ、フォビドゥンが戦場区域から離脱していった。
『……? ムウさんたちがいない』
帰投するモビルスーツ隊の中にストライクとバスターの姿がないことに気付いたキラが呟く。
『あの2人ならメンデルの中だ。フラガ大尉がザフトを感知したらしいが、ホントかどうか……様子を見に行ってくるから君たちは整備と補給を』
『いえ、僕が行きます。指揮官のシオンさんがいなくなったら、もしもの時困るでしょ? 彼らも完全に引き上げたとは思えないし』
確かに、ストライクとバスターの2機が帰ってこず、さらにアマテラスまで戦線離脱している間にまたドミニオンとあの3機から攻撃を受ければ、フリーダムとジャスティスとM1アストレイだけでは勝ち目はない。
簡単に予想できる事態が脳裏を過ぎり、シオンは小さく溜め息をついた。
『……解った。無理はするな』
『はい!』
フリーダムを見送った後、シオンは全軍に指示を出す。
『各艦は補給と整備を急げ! 向こうの港にザフトがいるとなれば事態は切迫するぞ!』
ドック内では補修作業が急ピッチで進められていた。特にアークエンジェルの損傷が激しい。
偵察に出ていた部隊がもどり、ナスカ級の存在を報告する。
「ナスカ級3隻か……ドミニオンは?」
シオンがオペレーターに質す。
「依然、動きはありません」
「フラガたちが何か情報を持ち帰ってくれるか―――くそっ誰の隊だ?」
指揮官が判明すれば、バルトフェルドならザフト側の意図もわずかながら読めるのかもしれない。
彼が独り言のように言った言葉にマリューは思わず答えた。
「クルーゼ隊です」
それを聞いた者たちが一斉に不審そうな表情を浮かべ、シオンは目を見開く。
「彼にはわかるのよ。なぜだかは、自分でもわからないと言っていたけど……ラウ・ル・クルーゼの存在が」
ムウを知らない者には、ワケの分からない話ではあるが、アークエンジェルのクルーたちは妙に納得したような表情でマリューの話を聞いていた。
「クルーゼ隊、か……」
一点を見つめ、何かを考え込んでいたシオンはふと、顔を上げると傍らのキサカへと向き直った。
「キサカ、俺はメンデルへ行く。これからの指示はお前に任せる。俺が戻らないときは――判ってるな?」
シオンの言葉に含まれる意図を汲み取り、キサカは深く頷いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
メンデルに降り立ったシオンは、懐かしい―――だが、できるなら戻りたくなかった場所に足を踏み入れていた。
自分の予想が正しければ彼らは“あの場所”にいるはずだった。ラウ・ル・クルーゼなら、必ず……。
複雑な思いを胸に抱えたまま、シオンは記憶の片隅に残る情報を頼りに廊下を走りぬけて行く。
目的の場所に辿り着いたシオンは、目の前のドアへとゆっくり手を伸ばす。だが、中から聞こえてきた話し声にピタリとその手を止めた。
(――この声……)
「――君は人類の夢、最高のコーディネイター。そんな願いのもとに開発されたヒビキ博士の人工子宮によって生み出された彼の息子。――数多の犠牲の果てに作られた唯一の成功体……」
(……キラ君が……ヒビキ博士の……?! )
語られる衝撃の事実。その単語ひとつひとつがシオンの記憶を刺激し、忘れかけていた……忘れようとしていた記憶が徐々に甦る。
――灰色の壁、眩しい照明、拘束される手足、全身に繋がれたチューブ、観察者の視線、耳障りな電子音、永遠に続くかと思われる苦痛の数々――
(駄目だ、考えるな! 今はキラ君たちを助けるのが先だっ)
必死に頭を振り、感情を制御しようとするが、なぜか身体がいうことをきかない。
気持ち悪いくらいに脈打つ鼓動、襲う頭痛。
暑くもないのに流れる汗。
温もりを失い、僅かに震える指先。
自分がどこに立っているのかすら分からなくなりそうだった。
(……くそっ)
シオンが動けずにいるその間もクルーゼの言葉は続く。
「――私にはあるのだよ! すべての人類を裁く権利がな!!」
(権利!? ラウ……お前、まだ……)
クルーゼの闇は深い。人類を滅ぼしたいと願うほどに。
幼い日、クルーゼ自身の口から出生について聞いていたシオンにとって、彼の気持ちは十分理解できるものであった。
個人の私欲のためだけに作られたコピー、金の為に作られた命。
ヒトの命は、自然に生まれいずるからこそ尊いものだというのに――それを意のままに創ろうとする科学者。自分はそれらの犠牲者だと彼が言っていたのを思い出す。
「おもしろい話を聞かせよう。昔話だ。――かつてヒビキ博士には優秀なパートナーがいた。彼はヒビキ博士に勝るとも劣らぬ科学者だった」
「…………」
淡々と話すクルーゼの表情は仮面に隠されているというのに、なぜか楽しそうに語っているような印象を受ける。
突然告げられた事実を受け入れられず呆然とするキラ。それを庇うように座り込んでいるムウは、ただ黙って聞くしかなかった。
「ある日、人工子宮1号機が完成した。それにはまだまだ改良の余地があったが、博士は実験の為、自身の精子と妻の卵子を提供した。そして子供が生まれ、その子は初の成功体としての栄誉を受けるはずだった」
そこでいったん言葉を切る。
「だが、その子は失敗作とされた。なぜだと思う?」
「知るか! んなもん!!」
遠まわしに、しかもこの状況下で楽しそうに話すクルーゼに苛々が募り、フラガの語尾が荒くなる。
「生まれた子は生殖能力が異常に低かったのだよ。ヒトとして自力で繁殖していくには重要不可欠な要素だ。最高と完璧を望む博士達にとっては特にな……たったそれだけの欠陥で失敗作の烙印が押された。それ以外は全て、博士達が望む最高の能力を兼ね備えた子だというのに……そして、その子のデータを元に生み出されたのがキラ・ヤマト、君だ! そして、失敗作の烙印を押された子は……」
「もう止せ」
感情のこもらぬ静かな口調で突如現れた人物に3人の視線が注がれる。
「……!?」
「シオン!……なんでここに」
「シオン、さん?」
銃を構えた突然の乱入者の出現に、クルーゼは慌てて銃口を向け、ムウとキラは予想しなかった人物の突然の登場に唖然とその人物の名を呟く。
そんな2人が口にした名に、クルーゼは驚きの声をあげた。幼い日を共に過ごした大切な存在と同じ名に僅かな動揺が走る。
「――シオン、だと……?」
ふたりを隔てた10年以上の月日は、感動の再会ではなく、銃口を向け合う敵として巡り会う運命をもたらせた。
互いの名を戦場で初めて耳にした時は、生きていたことを喜んだというのに、その立場の違いにこうなることを少なからず予想はしていた。
だが、心は追いつかない。
「ラウ、なのか……?」
銃口をクルーゼへと向けたままで呟くシオン。だがその表情に敵意は感じられない。それどころか、銃口を向けることを躊躇っているようにさえ感じられた。
『オーブのシオン・フィーリア』と『ザフトのラウ・ル・クルーゼ』
初対面であるはずの2人が、お互いをファーストネームで呼び合った事実にフラガとキラはただ現状を見守るしかできないでいた。
「なぜこんな場所に……」
「お前……その仮面は一体」
クルーゼから視線を逸らさず、シオンはゆっくりと銃を構える腕を下ろした。
「――私にも色々事情があるのでな。それより話を続けようじゃないか。キラ・ヤマトには私の話を最後まで聞く責任がある。私たちを犠牲にして生まれた彼にはな」
「成功体として生まれたのは彼が望んでのことじゃない」
「……・では君は憎くはないのか? 彼というただ1人を生み出す為だけの踏み台にされたことを!」
「踏み台だとか思ってない! こうして生きて、大切な人にも巡り会えた」
「それで幸せだと……? 色々と調べたのだよ。ブルーコスモスのテロの後、君がどういう道を辿ったのか」
「――っ」
クルーゼの言葉に、シオンの表情が凍りつく。
出自どころか、存在すら一部の人間にしか知られていないシオンの情報が、そう簡単に入手できるはずがない。
あげく、オーブへと身を寄せるまでの足跡など、関係者のリークでもない限り、誰が知りえるというのか。
言葉を発せずにいるシオンを見つめながら、クルーゼは楽しそうに続ける。「アズラエルが君に関する資料を提供してくれてね」と。
「強化人間を完成させる実験に使われていたようじゃないか。そこまでされてなぜ人類を憎まない! 私は憎む! 私を生み出したこの世界も人間たちも……なにより君を人体実験に使用した者たちをな!」
「もういいっ!」
それ以上は言うな、とシオンは銃を構え直した。
忘れたかった過去を掘り起こされて暴露され、その表情が苦しみと怒りに歪む。
隠していたわけではないが、こんな形で他人の口から自分の素性を知られるのは心外だった。
その動揺が、銃を構える手へと伝わり僅かに震える。
「間もなく最後の扉が開く! 私が開く。そしてこの世界は終る。この果てしなき欲望の世界は……」
完全に狂気に囚われたクルーゼが高笑いを上げる。
その時、ムウが放った銃弾がクルーゼのマスクを弾き飛ばした。
金色の髪が揺れ、仮面の下から現れたのは年齢に不釣合いな皺が刻まれた老人の顔だった。
「ラウ……お前、その顔は……?」
片手で顔を隠すクルーゼ。
「見たか……そう、これが今の私の顔だ」
「……どう、して」
「アル・ダ・フラガに引き取られた後、遺伝子の欠陥が見つかってね……クローンである私は他者に比べ、テロメアが短いのだよ」
「――フラガ……? テロメア……」
新たに突きつけられた事実にシオンは呆然とする。
アル・ダ・フラガが何者なのかは知らない。だが、側にフラガを名乗る人間が居る。彼はラウ・ル・クルーゼの存在を戦場で感じることが出来ると聞いた。
そしてテロメアが短い=命の残り時間が短い、という知識くらいはある。
シオンの中で、バラバラだった点と点の全てが繋がっていく。
「だから……なのか?」
「そうだ。私には時間がない。シオン……私の手を取れ! お前も私も世界に見捨てられたもの同士、失敗作の私たちの居場所などこの世界にはない!」
シオンへとクルーゼが手を差し出す、共に来いと。
――あの日、追いすがっても届かなかった手。
――二度と会えないと覚悟していた、兄と慕う人の手。
今、目の前に差し伸べられた手に、シオンの心が一瞬揺らぐ。
その動揺を叱咤するように一発の銃声が響いた。
「勝手なこと言わないで!」
銃声の後、間髪入れずにキラの声も響く。
驚いたシオンが声のする方へ顔を向けると、そこには銃を構えたキラの姿があった。
「シオンさんの居場所がないだって? そんなの勝手に決めないで。その人の居場所はちゃんとある! あなたと一緒になんて行かせない!」
キラは慣れない銃を構え、更に躊躇うことなく引き金を引いた。クルーゼはそれを上手くかわすと物陰に隠れる。
「シオン! 私と共に来い!」
再度、クルーゼが叫んだ。
その誘いに、シオンは佇んだまま静かに返す。
「……すまないが俺はその手を取れないよ。ラウ」
「何故だ!?」
「俺はウズミ様にオーブを託された。それを捨ててなんて行けるわけないだろ。それに……お前が世界を憎んででも、俺はこの世界が結構気に入ってる。なにより守りたい人がいるんだ。彼女の為にも俺はこの戦争を終らせたい!」
「……考えは変わらないのか?」
「あぁ」
そう答えるシオンが寂しそうに微笑んだことに気づいたクルーゼは、彼の心情を理解したのか、一瞬フッと表情を緩めると意を決したように高々と叫ぶ。
「そう、か。ならば私を止めてみろ! それが出来ねば待っているのは滅びだけだ!」
クルーゼは踵を返し、走り去った。
「待てっ! ラウ……っ」
追いかけようと無意識に足を踏み出したシオンだったが、ふと思い直したように足を止め、その背中をしばらく見つめる。
一度は追いかけることすら出来なかった背中。今度は自ら追いかけなかった背中。
複雑な想いにシオンの拳に力がこもるが、ゆっくり深呼吸をしてその力を抜くと、銃を手にしたまま立ち尽くすキラに笑みを向けた。
「ありがとう」
一瞬揺れた自分をここに留めてくれて、と心の中で呟く。
そしてキラの手から銃を取り上げると、その頭をぽんぽん、と撫でた。
「もう大丈夫だから」
その優しい声と手に、キラの瞳がみるみる涙で潤みだす。
突如突きつけられた事実がどうこうと言うよりも、ただ必死だった。この人は連れて行かせない、と。
「……っ、シオン――さんっ、僕っ……ぼ、く……・はっ」
「艦に戻ってゆっくり話そう……いいね? 今は彼のケガが気になる」
肩とわき腹から出血し、壁に体を預けてぐったりをしているフラガへと視線を向けて、キラを諭すように言葉を紡ぐ。
その言葉にキラは無言でコクコクと頷いた。
そしてシオンは負傷したムウに肩を貸し、キラがその後に続いた。
メンデルを脱出する間、誰もが無言だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「キラ君は?」
「医務室で眠っています」
クサナギに着艦直後、キラが倒れたと聞かされたシオンは、そのままエターナルへと向かった。
着艦したシオンは出迎えたラクスと共に医務室へと移動する。
「そうか……」
シオンは先の戦闘を思い出す。
クルーゼが去った後、戦線に復帰したシオンたちにヴェサリウスから通信が入った。それは拘束していた捕虜を解放するという内容だった。
射出されたポッドから聞こえてきた声の持ち主はフレイ・アルスター。
被弾し、左翼や頭部を吹き飛ばされながらもポッドを追いかけたフリーダム。
そしてポッドを回収しようと伸ばした手はカラミティに阻まれ、フレイはドミニオンに回収されてしまった。
知るべきでなかった出生の秘密を聞かされた彼の心中は如何ばかりだっただろう。そしてフレイとの再会。
それらが、キラが倒れた原因だろうと容易に推測できた。
目を開けると、良く見知った人物達――シオン、ラクス、アスラン、カガリ――が、自分を心配そうに覗き込んでいた。
「キラ君、具合は……?」
「――シオン、さんっ!? ……っ」
優しく自分の名を呼ぶ声にキラは慌てて体を起こす。
その瞬間襲ってきた眩暈と、よみがえった記憶の痛みに思わずきつく目を閉じた。
「大丈夫かい?」
いつもと変わらない柔らかな声にホッとしたキラは、シオンへ「大丈夫です」と微笑みかけようとしたが、自分を見つめるカガリの視線に気づき、そちらへと視線を移した。
そして、その手に握られていた二枚の写真に表情を凍らせる。生まれたばかりの自分たちが写った写真……。
「キラ……」
カガリが問いかけようとした瞬間、キラは顔を背けた。その様子から何かを悟ったシオンは、ラクスとアスランに目配せをし、カガリの肩を軽く叩く。
「カガリ、キラ君は疲れてるだろうから、話なら後でゆっくりしよう」
「でもっ、兄様……っ」
少しでいいから、と食い下がるカガリをやんわりと制する。
「いつでも話せるさ。生きているんだから、俺たちは」
その言葉に黙るしかなかったカガリを、アスランとラクスが連れ出し、部屋にはシオンとキラだけが残された。
「キラ君」
何から、どう言葉にして良いか分からないシオンは、ただキラの名を呼ぶしか出来なかった。
いつもと変わらない優しい声色で紡がれる自分の名。それだけでもなぜか泣きたい衝動に駆られる。
突然突きつけられた出生の秘密。
それを知らせたのは敵である人物。その人は、自分を創る研究資金のために作られたクローン。
尊敬して慕う目の前の人は、自分が生まれるための実験台――。
自分は本当に生まれてきて良かったのだろうか。ここにいて良いのだろうか。
「……大丈夫、です」
今まで何度も支えてくれたこの人に、これ以上縋ってはいけないと叱咤する。
心配をかけないように笑顔を浮かべろと自分を奮い立たせた。
「まったく……泣きたい時はちゃんと泣く。我慢しても仕方ないんだから」
呆れたように溜め息をつき微笑むシオンの言葉に、涙が込み上げる。
なぜこの人はいつもいつも優しく全てを肯定してくれるのだろうか。
「……っ、ごめ…なさ、いっ……僕、いつも……っ」
「謝ることなんかないさ。人は泣くことで苦しみや悲しみを洗い流して、明日を生きる力を得るんだから」
ふわりと頭を撫でられ、止め処なく流れ落ちる涙がシーツに染みを作っていく。
「シオン……さん、に……甘えて……ばかりだ、僕……っ」
「じゃあ今度はキラ君が誰かを支えて、甘えさせてあげればいい」
「……はいっ」
そう言って笑ったキラの笑顔に、シオンも満足そうな笑みを浮かべた。
「――メンデルで何がありましたの?」
医務室からハンガーへと向う足を止めるラクス。
「……ちょっと、なつかしい人物と再会を」
「辛そうですわ」
「キラ君がかい?」
「キラだけではありません。あなたもですわ。必死に隠しているようですが、わたくしには解ります。とても辛そうです……」
突然ラクスがシオンの胸に飛びつく。
「ラク、ス……?」
「わたくしではあなたを支えることができないのですか?――わたくしはいつもあなたを支えたいと思っています。あなたと共に泣いて、笑って……ずっと傍にいたい」
「俺は……」
今にも泣き出しそうな表情で告白するラクスを見て、言いよどむシオン。
確かにラクスを愛しいと思う感情が自分にはある。だが、同時にサリアを忘れることのできない自分がいる。
「たとえあなたが他の方を想っていてもわたくしの想いは変わりません。わたくしはあなたを……」
「止めるんだ。君にはアスラン君がいるだろう? 君の傍に俺はふさわしくない」
失くした愛しい人を今だ引きずる自分。
そんな自分よりも、ラクスだけを真っ直ぐに想うアスランの方が彼女には相応しい。
心のどこかで思っていた事が、不意に口をついて出た。
婚約は解消されたと、当のアスランから直接聞いたというのに。
「そんなことはありません! 確かにアスランとわたくしは婚約者同士でした……ですが、それはもう過去のこと。わたくしたちの婚約は正式に白紙に戻されました」
目に涙をためて見上げてくるラクスをたまらなく愛しいと思う。
自分の持てる全てを懸けて彼女を護りたいと思う気持ちに変わりはない。
けれど、愛しい人を失うあの悲しみと喪失感はもう二度と御免だった。
側に居て心が満たされる例えようのない幸せ。
だからこそ失うときの痛みは想像を絶するのだ。
もしかしたら、そんな思いを彼女に与えてしまうかもしれないと考えると、言葉が続かない。
「――わたくしでは……だめですか……? わたくしはずっとあなたを……」
ラクスの必死の告白を遮り、シオンは口を開いた。
「聞いて欲しいことがある。それを聞いた後でも変わらず俺を想ってくれるのなら……俺も覚悟を決めよう」
「――その後、ハルバートン提督の手引きでオーブへ逃れたんだ。だが治療の甲斐もなくサリアは死んだ。もう4年近くになる……俺はあいつを一生忘れられないと思う。俺にとって半身みたいな存在なんだ」
言外に、別の女の想い出を引きずるような男でいいのかと問う。
「忘れるだとか……そんな必要ないのではありませんか?」
ラクスがふわりと微笑む。
「どんな形であろうとあなたが生まれ、そして生きてきて、サリアさんとの時間があったからこそ、今のシオンが居るのでしょう? サリアさんを愛している感情もすべてまとめてシオン・フィーリアですもの。何かひとつでも欠けてはわたくしの好きになったあなたではありません」
「……参ったな」
「シオン?」
困ったような笑みを浮かべたシオンを不思議そうに見上げると、そのまま彼の腕の中に引き込まれた。
初めてこの腕に抱かれた時は、彼とキラを無事に送り出すことが先決で、自分の想いは必死に押し殺し、彼の腕から離れたのを思い出す。
自分を護りたいと思ってくれている、彼の気持ちが真っ直ぐに伝わってきたのがとても嬉しかった。
そして今、自分を包む彼の腕は以前よりも優しく逞しく、全てを預けてしまいたくなるほどに居心地が良い場所に感じられ、そっと瞳を閉じると彼の肩口に額をつけた。
「――ラクス」
彼特有の低すぎない心地良い声が全身に響いてくる。
人に名を呼んでもらえるのがこんなに嬉しいことだと初めて知った。
「この戦争を生き抜くことができたら伝えたい言葉がある。その時は聞いてくれるか?」
「今すぐでもかまいませんわ」
ラクスの言葉にシオンは小さく笑うと、その髪を優しく撫でた。
腕の中の存在が、愛しくてたまらない。
「今は駄目だ。生き残れたら言うよ。だから……絶対に死ぬな。エターナルは俺が守るから」
「約束、ですわよ?」
「ああ、約束だ」
そう言って、髪を撫でていた手をそっとラクスの頬へと滑らせる。
そして上向かせるとそのままゆっくりと唇を寄せた。