もしもゲーチスが良い人だったら
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
トウコは暗い表情のまま、過去の森に来ていた。
世界線が違うと知ってもなお、トウコは再び過去のゲーチスに会いに来てしまったのだ。
再びセレビィの光に包まれて降り立った木屋は、いつもと同じ静けさに満ちている。
今更だが、何故権力を持っていそうな彼がこんなところで1人で生活しているのか。
ただ、事情を聞こうという考えはトウコには無かった。
まず間違いなく……家族のことが話に絡む。
きっと辛いことを思い出させてしまうかもしれないだろうから。
部屋の中で書物を読んでいた過去のゲーチスが、僅かに眉を上げて顔を上げた。
「今日もですか、トウコ」
「……うん、また来ちゃった」
軽やかに笑う彼女に対し、ゲーチスはいつもの皮肉気な視線を向けたが、その目は以前よりもいくらか柔らかかった。
しばらく他愛のない会話が続き、ふとトウコが思い出したように言った。
「そういえばね……未来のゲーチスは、一人称が“ワタクシ”だったよ」
ゲーチスはページを閉じ、興味深そうに首を傾げる。
「ほう。“ワタクシ”ですか。ずいぶん威厳のある響きではありませんか」
「そうそう!なんか……権力者で支配者だなって感じで」
トウコが曖昧に笑うと、ゲーチスは満足げに頷き、すっと姿勢を正した。
「では、今後のワタクシもそれに倣うことにいたしましょう」
唐突な一人称の変更。
それはまるで、彼が未来の自分に追いつこうとしているようで、トウコは複雑な気持ちになる。
(あはは……いよいよ“ゲーチス”って感じだ……)
同時に胸に重みが落ちた。
Nが言っていた世界線の話…今いるこの世界は、自分のいた世界とは違うのだ。
ゲーチスは、トウコの顔の陰りを敏感に察した。
「……アナタにしては随分顔が暗いようですが」
トウコはカバンの紐をぎゅっと握りしめ、小さな声で打ち明けた。
「……今いるこの世界線と、わたしが元いた世界線が、違うって知ったの……」
ゲーチスの目がわずかに細くなる。
「……何故そう思うのです?」
「だって、未来に帰ってもプラズマ団はそのまま。わたしが過去で色々しても……Nが、ゲーチスは何も変わってないって……」
言葉に滲む落胆を、ゲーチスは黙って受け止めた。
「理屈が通りませんね。Nは何故、世界が変わってないと認識できているのですか?」
「Nはわたしがセレビィで歴史を改変しようとしてるのを知ってるんだ。未来のゲーチスのことは、Nを通して伝えて貰った……あと、Nはセレビィの言葉が分かるみたいで……」
ゲーチスは考え込む素ぶりを見せる。
しばらく沈黙が流れ、それから、わざと冷たく響く声で問う。
「ではアナタは何故今、ワタクシに会いに来ているのです?なにも変わらぬというのに」
トウコは返事に困り、まばたきをした。
「……せめて、どこかの世界では……ゲーチスが良い人になってくれてたらって……そんなふうに、思ったから」
それが建前であることは、トウコ自身が一番よくわかっていた。
胸の奥にあるもう一つの理由――この“過去のゲーチス”という人間を、放っておけなくなっていること。
惹かれてしまっていること。
だが、それを口にする勇気はない。
ゲーチスは深い息を吐き、呆れたように肩をすくめた。
「まったく……本当に奇怪な未来人ですね、アナタは」
けれど、声の奥にほんのわずかな温度があった。
そして、トウコの視線が揺れるのを見ると、ゲーチスは軽く顎を上げて言った。
「……なら、またここに来ればいい。アナタがそう望むなら、この世界のワタクシを変えれば良いこと。以前のアナタは未来のワタクシを他山の石にしろと約束させたはず。ならばワタクシのも約束なさい」
その言葉は命令のようであり、願いのようでもあった。
トウコはゆっくりと頷く。
「……約束する」
「よろしい。ならばワタクシも応じましょう。アナタが何度来ようとお相手します」
ゲーチスは淡々としていながら、どこか誇らしげだった。
その横顔を見つめながら、トウコの胸はまた静かに熱を帯びていった。
・・・
それからトウコは、時わたりにのめり込んでいった。
現代から逃げるように。
良くないということは分かっている。
でも、彼に会いたいという気持ちが先行していた。
段々と本来の目的が変わっていってしまったのだ。
最早ゲーチスに会いに行くのが日課。
…そして、何度目かのタイムトラベルをしたある日のこと。
夕暮れの森は、橙色の光に満ちていた。
ゲーチスが1人住む木屋の中で、トウコは椅子に座ってゲーチスと話し、和やかに見つめる。
「今日はずいぶん機嫌が良さそうですね。何か良いことでも?」
「機嫌がいいのは確かだよ。ゲーチスに会えたからね!」
「……」
ゲーチスは、相変わらず皮肉を返そうとして言葉につまる。
そしてその日のゲーチスは、いつもより少しだけ言葉が慎重で、どこか落ち着かないように見えた。
ゲーチスはふと視線だけをトウコへ向けた。
静かな呼吸の間に、彼は心の奥底に沈めていた問いをすくい上げるように口を開いた。
「……トウコ。ひとつ、聞かせてほしいことがあります。過去のワタクシのことを、どう思っているのですか?」
予想外の質問に、トウコの肩がピクリと震えた。胸が一度だけ強く跳ね、鼓動が耳の奥を叩く。逃げ場を探すように視線が泳ぐ。
「えっ!?えっと、そりゃあ……良い人のままで……いて欲しい……」
その答えがずれていることは、トウコ自身が一番よく分かっていた。
彼の真意から逃げるように、無難で粗雑な言葉を放つ自分がもどかしい。
案の定、ゲーチスはすぐに見抜いた。
「そういう意味で聞いたのでは無いのです」
誤魔化しを許さない深い眼差しがそこにあった。
トウコは唇を噛みしめる。
答えなければ──そう思うほど胸が締め付けられ、言葉が喉の奥で固まる。
「……分かってる……よ……わたしが先に言うの……?」
自分から先に言ったら、きっともう戻れなくなる。
触れたら壊れてしまうような感情を、どう口にすればいいのか分からない。
そんな思いが、声を震わせた。
ゲーチスはトウコの戸惑いごと抱きしめるような穏やかさで微笑んだ。
「おや、これは失礼。ワタクシはアナタが好きです。無論、異性としてね」
あまりに真っ直ぐな告白だった。
曖昧さなどひとかけらもない、逃げ道を塞ぐほどの直球。
トウコの息が止まる。胸の奥で火が広がるように熱くなる。言葉を失い、視界がじんわりと滲んだ。
「……っ」
心を揺らしているのは自分だけではない。
そう確信した瞬間、堰が切れたように言葉がこぼれた。
「……わたしも……好き……」
小さな声。
けれど、それは確かな想いだった。
ふたりの間に生まれた静けさは、沈黙ではなく、互いの気持ちを包み込む柔らかな温度だった。
「……安心しました」
ゲーチスは右半身をかばいながらも、正面から向き合ってきた。
その瞳は、普段の鋭さとは違い、かすかに怯えと決意が混じっている。
「ワタクシは…アナタが欲しい。アナタが嫌でなければ、ですが」
その丁寧な言い方に、トウコは胸が熱くなる。
彼がどれだけ慎重に、どれだけ本気で向き合おうとしているかが痛いほど伝わるからだ。
トウコはそっと息を呑むと、微笑みながら答えた。
「嫌なわけないよ…ゲーチス…」
「……では、少しだけ手を」
差し出された左手は、ひどく慎重だった。
トウコがその手に触れると、彼は驚くほど優しく握り返した。
「あなたの手は……こんなに温かいのですね」
「……ゲーチスの手も」
抱きしめられたのは、その直後だった。
慎重に、しかし決して離したくないという強い想いが込められていた。
互いの体温が触れ合うだけで、胸が震える。
「……本当に、よろしいのですか。ワタクシのような者が」
「……あなたじゃないと嫌だよ」
その一言で、ゲーチスの肩が小さく震えた。
これまでどれほど孤独だったのか。
どれほど長く、誰にも触れられずにいたのか。
そのすべてが、抱きしめ返す腕の強さに滲んでいた。
そして、二人はゆっくりと唇を重ねた。
激しさも急き立てるようなものもない。
ただ丁寧に、確かめ合うように。
互いの呼吸が混じるたびに、心が溶けていく。
「……トウコ。愛しています」
その夜、二人はそっと体を寄せ合い、
互いを大切に扱い合いながら、静かに想いを通わせた。
過去のゲーチスにとっても、そしてトウコにとっても、
その時間は、世界が途切れるほど甘く、深く、二人だけのものだった。
・・・
薄明かりが宿る部屋で、静かな呼吸だけがふたりの距離を測っていた。夜を共にしたあと、トウコは胸の奥に沈んだ不安をどうしても抑えきれず、シーツを指先でつまみながら小さく呟いた。
「……もし未来でわたしを見かけても、好きにならないでほしい。あれは“こっちの世界のトウコ”だから。わたしじゃない、から……」
言葉は震え、次の瞬間、堪えられずにゲーチスの胸へ顔を埋める。彼の体温に触れるほど、別れの影が濃くなっていくようだった。
ゲーチスは目を伏せ、静かに考えるように息を整えた。その手がそっとトウコの背を撫でる。
「……分かりました」
その声音には、どこか決意の色がにじんでいた。
だが続けられた言葉は、トウコには予想外のものだった。
「ですが──トウコが元の世界線に戻って、もし未来の“ワタクシ”がトウコを求めたなら……その時は、それに応じて欲しいのです」
トウコの目が大きく揺れた。かすれた声で、子どもが泣き出す前のような表情で言う。
「む、無理だよ……わたしの世界のゲーチスは、わたしをそんなふうに見てない。それに、なんで嫉妬しないの……?わたしは嫌だよ……わたしは、嫉妬するのに…」
小さく漏れるその本音は、ゲーチスの胸に静かに沈んでいった。彼はトウコの肩を抱き寄せ、額をそっと彼女の髪へ寄せた。
「嫉妬ですか……しないわけではありませんが……」
微かに揺れた声。だが次の言葉は、どこか哀しい優しさを帯びていた。
「……今は理由を言えません。トウコ、分からないままで、考えないままでいてください。今は……ただ約束していただきたい」
言い終えると、ゲーチスはトウコをそっと抱き締める。世界線をまたぐ不確かさも、未来の自分への苛立ちも、その腕の中ではたった一瞬だけ遠のいていった。
深く、もう一度。
彼はまるで、別れの先にいる“どこかのゲーチス”に託すように、トウコを抱き寄せた。
世界線が違うと知ってもなお、トウコは再び過去のゲーチスに会いに来てしまったのだ。
再びセレビィの光に包まれて降り立った木屋は、いつもと同じ静けさに満ちている。
今更だが、何故権力を持っていそうな彼がこんなところで1人で生活しているのか。
ただ、事情を聞こうという考えはトウコには無かった。
まず間違いなく……家族のことが話に絡む。
きっと辛いことを思い出させてしまうかもしれないだろうから。
部屋の中で書物を読んでいた過去のゲーチスが、僅かに眉を上げて顔を上げた。
「今日もですか、トウコ」
「……うん、また来ちゃった」
軽やかに笑う彼女に対し、ゲーチスはいつもの皮肉気な視線を向けたが、その目は以前よりもいくらか柔らかかった。
しばらく他愛のない会話が続き、ふとトウコが思い出したように言った。
「そういえばね……未来のゲーチスは、一人称が“ワタクシ”だったよ」
ゲーチスはページを閉じ、興味深そうに首を傾げる。
「ほう。“ワタクシ”ですか。ずいぶん威厳のある響きではありませんか」
「そうそう!なんか……権力者で支配者だなって感じで」
トウコが曖昧に笑うと、ゲーチスは満足げに頷き、すっと姿勢を正した。
「では、今後のワタクシもそれに倣うことにいたしましょう」
唐突な一人称の変更。
それはまるで、彼が未来の自分に追いつこうとしているようで、トウコは複雑な気持ちになる。
(あはは……いよいよ“ゲーチス”って感じだ……)
同時に胸に重みが落ちた。
Nが言っていた世界線の話…今いるこの世界は、自分のいた世界とは違うのだ。
ゲーチスは、トウコの顔の陰りを敏感に察した。
「……アナタにしては随分顔が暗いようですが」
トウコはカバンの紐をぎゅっと握りしめ、小さな声で打ち明けた。
「……今いるこの世界線と、わたしが元いた世界線が、違うって知ったの……」
ゲーチスの目がわずかに細くなる。
「……何故そう思うのです?」
「だって、未来に帰ってもプラズマ団はそのまま。わたしが過去で色々しても……Nが、ゲーチスは何も変わってないって……」
言葉に滲む落胆を、ゲーチスは黙って受け止めた。
「理屈が通りませんね。Nは何故、世界が変わってないと認識できているのですか?」
「Nはわたしがセレビィで歴史を改変しようとしてるのを知ってるんだ。未来のゲーチスのことは、Nを通して伝えて貰った……あと、Nはセレビィの言葉が分かるみたいで……」
ゲーチスは考え込む素ぶりを見せる。
しばらく沈黙が流れ、それから、わざと冷たく響く声で問う。
「ではアナタは何故今、ワタクシに会いに来ているのです?なにも変わらぬというのに」
トウコは返事に困り、まばたきをした。
「……せめて、どこかの世界では……ゲーチスが良い人になってくれてたらって……そんなふうに、思ったから」
それが建前であることは、トウコ自身が一番よくわかっていた。
胸の奥にあるもう一つの理由――この“過去のゲーチス”という人間を、放っておけなくなっていること。
惹かれてしまっていること。
だが、それを口にする勇気はない。
ゲーチスは深い息を吐き、呆れたように肩をすくめた。
「まったく……本当に奇怪な未来人ですね、アナタは」
けれど、声の奥にほんのわずかな温度があった。
そして、トウコの視線が揺れるのを見ると、ゲーチスは軽く顎を上げて言った。
「……なら、またここに来ればいい。アナタがそう望むなら、この世界のワタクシを変えれば良いこと。以前のアナタは未来のワタクシを他山の石にしろと約束させたはず。ならばワタクシのも約束なさい」
その言葉は命令のようであり、願いのようでもあった。
トウコはゆっくりと頷く。
「……約束する」
「よろしい。ならばワタクシも応じましょう。アナタが何度来ようとお相手します」
ゲーチスは淡々としていながら、どこか誇らしげだった。
その横顔を見つめながら、トウコの胸はまた静かに熱を帯びていった。
・・・
それからトウコは、時わたりにのめり込んでいった。
現代から逃げるように。
良くないということは分かっている。
でも、彼に会いたいという気持ちが先行していた。
段々と本来の目的が変わっていってしまったのだ。
最早ゲーチスに会いに行くのが日課。
…そして、何度目かのタイムトラベルをしたある日のこと。
夕暮れの森は、橙色の光に満ちていた。
ゲーチスが1人住む木屋の中で、トウコは椅子に座ってゲーチスと話し、和やかに見つめる。
「今日はずいぶん機嫌が良さそうですね。何か良いことでも?」
「機嫌がいいのは確かだよ。ゲーチスに会えたからね!」
「……」
ゲーチスは、相変わらず皮肉を返そうとして言葉につまる。
そしてその日のゲーチスは、いつもより少しだけ言葉が慎重で、どこか落ち着かないように見えた。
ゲーチスはふと視線だけをトウコへ向けた。
静かな呼吸の間に、彼は心の奥底に沈めていた問いをすくい上げるように口を開いた。
「……トウコ。ひとつ、聞かせてほしいことがあります。過去のワタクシのことを、どう思っているのですか?」
予想外の質問に、トウコの肩がピクリと震えた。胸が一度だけ強く跳ね、鼓動が耳の奥を叩く。逃げ場を探すように視線が泳ぐ。
「えっ!?えっと、そりゃあ……良い人のままで……いて欲しい……」
その答えがずれていることは、トウコ自身が一番よく分かっていた。
彼の真意から逃げるように、無難で粗雑な言葉を放つ自分がもどかしい。
案の定、ゲーチスはすぐに見抜いた。
「そういう意味で聞いたのでは無いのです」
誤魔化しを許さない深い眼差しがそこにあった。
トウコは唇を噛みしめる。
答えなければ──そう思うほど胸が締め付けられ、言葉が喉の奥で固まる。
「……分かってる……よ……わたしが先に言うの……?」
自分から先に言ったら、きっともう戻れなくなる。
触れたら壊れてしまうような感情を、どう口にすればいいのか分からない。
そんな思いが、声を震わせた。
ゲーチスはトウコの戸惑いごと抱きしめるような穏やかさで微笑んだ。
「おや、これは失礼。ワタクシはアナタが好きです。無論、異性としてね」
あまりに真っ直ぐな告白だった。
曖昧さなどひとかけらもない、逃げ道を塞ぐほどの直球。
トウコの息が止まる。胸の奥で火が広がるように熱くなる。言葉を失い、視界がじんわりと滲んだ。
「……っ」
心を揺らしているのは自分だけではない。
そう確信した瞬間、堰が切れたように言葉がこぼれた。
「……わたしも……好き……」
小さな声。
けれど、それは確かな想いだった。
ふたりの間に生まれた静けさは、沈黙ではなく、互いの気持ちを包み込む柔らかな温度だった。
「……安心しました」
ゲーチスは右半身をかばいながらも、正面から向き合ってきた。
その瞳は、普段の鋭さとは違い、かすかに怯えと決意が混じっている。
「ワタクシは…アナタが欲しい。アナタが嫌でなければ、ですが」
その丁寧な言い方に、トウコは胸が熱くなる。
彼がどれだけ慎重に、どれだけ本気で向き合おうとしているかが痛いほど伝わるからだ。
トウコはそっと息を呑むと、微笑みながら答えた。
「嫌なわけないよ…ゲーチス…」
「……では、少しだけ手を」
差し出された左手は、ひどく慎重だった。
トウコがその手に触れると、彼は驚くほど優しく握り返した。
「あなたの手は……こんなに温かいのですね」
「……ゲーチスの手も」
抱きしめられたのは、その直後だった。
慎重に、しかし決して離したくないという強い想いが込められていた。
互いの体温が触れ合うだけで、胸が震える。
「……本当に、よろしいのですか。ワタクシのような者が」
「……あなたじゃないと嫌だよ」
その一言で、ゲーチスの肩が小さく震えた。
これまでどれほど孤独だったのか。
どれほど長く、誰にも触れられずにいたのか。
そのすべてが、抱きしめ返す腕の強さに滲んでいた。
そして、二人はゆっくりと唇を重ねた。
激しさも急き立てるようなものもない。
ただ丁寧に、確かめ合うように。
互いの呼吸が混じるたびに、心が溶けていく。
「……トウコ。愛しています」
その夜、二人はそっと体を寄せ合い、
互いを大切に扱い合いながら、静かに想いを通わせた。
過去のゲーチスにとっても、そしてトウコにとっても、
その時間は、世界が途切れるほど甘く、深く、二人だけのものだった。
・・・
薄明かりが宿る部屋で、静かな呼吸だけがふたりの距離を測っていた。夜を共にしたあと、トウコは胸の奥に沈んだ不安をどうしても抑えきれず、シーツを指先でつまみながら小さく呟いた。
「……もし未来でわたしを見かけても、好きにならないでほしい。あれは“こっちの世界のトウコ”だから。わたしじゃない、から……」
言葉は震え、次の瞬間、堪えられずにゲーチスの胸へ顔を埋める。彼の体温に触れるほど、別れの影が濃くなっていくようだった。
ゲーチスは目を伏せ、静かに考えるように息を整えた。その手がそっとトウコの背を撫でる。
「……分かりました」
その声音には、どこか決意の色がにじんでいた。
だが続けられた言葉は、トウコには予想外のものだった。
「ですが──トウコが元の世界線に戻って、もし未来の“ワタクシ”がトウコを求めたなら……その時は、それに応じて欲しいのです」
トウコの目が大きく揺れた。かすれた声で、子どもが泣き出す前のような表情で言う。
「む、無理だよ……わたしの世界のゲーチスは、わたしをそんなふうに見てない。それに、なんで嫉妬しないの……?わたしは嫌だよ……わたしは、嫉妬するのに…」
小さく漏れるその本音は、ゲーチスの胸に静かに沈んでいった。彼はトウコの肩を抱き寄せ、額をそっと彼女の髪へ寄せた。
「嫉妬ですか……しないわけではありませんが……」
微かに揺れた声。だが次の言葉は、どこか哀しい優しさを帯びていた。
「……今は理由を言えません。トウコ、分からないままで、考えないままでいてください。今は……ただ約束していただきたい」
言い終えると、ゲーチスはトウコをそっと抱き締める。世界線をまたぐ不確かさも、未来の自分への苛立ちも、その腕の中ではたった一瞬だけ遠のいていった。
深く、もう一度。
彼はまるで、別れの先にいる“どこかのゲーチス”に託すように、トウコを抱き寄せた。