フラダリさんとの旅
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私は着々とガラルのジム戦を突破していった。
5個目のアラベスクタウンのジム戦に勝利し、見事バッジを手にした私たちは、ナックルシティに帰る途中のルミナスメイズの森で、少しばかり足を止めていた。
どこか現実味の薄い絵本の中を歩いているようで、私たちは何度も立ち止まってしまう。
そんな中、傷ついた野生ポケモンを見つけた私はつい駆け寄って、回復させてあげた。
フラダリさんも一緒に手伝ってくれる。むしろ、私より丁寧にポケモンを介抱してくれているようだ。
「…よし、これで大丈夫。ね、痛くない?」
私が声をかけると、野生のテブリムが嬉しそうに手のような髪をバタつかせた。
その時だった。
「…なるほど。妙な“親子”だと思って見に来たら、案の定ですか」
振り返ると、白髪の少年が腕を組んだまま、こちらを見下ろすかのように見ている。
そこにいたのは、先ほどアラベスクタウンジムで勝負した、フェアリータイプの使い手、ジムリーダーのビートさんだった。
「び、ビートさん…!?さっきぶりですね…」
「何を驚くことがあるんです。ぼくに勝利してバッジを取れたんでしょう?それに、アラベスクタウンのジムリーダーがこの森を見回りに来るのは普通です」
彼はまっすぐこちらを見つめ、どこか探るように視線を動かした。
その目線はやけに鋭く感じられる。
「…言い忘れていたんです。あなたたち…どう見ても親子には見えません、とね」
「えっ!?えっと…その……」
しどろもどろになった私をよそに、ビートさんはポケットから一枚のカードを取り出した。
ーー貫禄のある老女が映ったリーグカードだ。この人は確か…
「ぼくの師匠です。たとえばこの人が“祖母”で、ぼくが“孫”に見えますか?」
問われ、私は言葉に詰まった。
その問いに隣のフラダリさんも、無言のままビートさんを見つめている。
「…まあ、多少は察せますよ。昔はエスパータイプも少々使っていたせいか、こういうのには少し冴えがあるんです」
見抜かれているーーそう感じて、胸がざわついた。
でも、ビートさんは笑みを浮かべて言葉を続けた。
「ですが…野生のポケモンにそんなに丁寧に接する人間を、ぼくは疑いたくありません。あなたたちがどういう関係であれ、その優しさは本物でしょう」
「…ビートさん、ありがとうございます」
「ぼくはただ、ジムリーダーとして言うべきことを言っただけです」
ビートさんは私が介抱したテブリムに視線を移すと、ほんの少し柔らかい表情を浮かべた。
「テブリムですか。進化するとブリムオンになります。先ほどのバトルでボクがキョダイマックスさせたポケモンです」
「え、そうなんですか?」
「ええ…手当してくれた礼に昔話でも」
そして、少しだけ視線を落としーー自嘲めいた笑みを浮かべる。
「ぼくは昔、“認められたい”という気持ちと、自尊心が暴走して、ジムチャレンジの資格を剥奪された経験があります。恩人に褒められたい、認められたい…その一心で周りが見えなくなっていたんです」
ビートさん自身が、そんな話題を出したことに私は驚いた。
と同時に胸がふっと熱くなった。
記憶こそ失ってはいないだろうが、罪を抱え直して今ジムリーダーをしているビートさんは、フラダリさんと少しだけ、似ている気がした。
バトル時の目つきが違うのも、なんだか彷彿とさせる。
「…まあ、そんなぼくを拾って、フェアリーに染め上げたのがバアさ…師匠ですが。その結果が今のぼくです。過去を否定する気はありません」
そう言ってビートさんは歩み寄ると、私だけに聞こえる声量で言った。
「あなたも焦りすぎると、ぼくのように見失うことになりますよ。誰かに認めてもらいたい気持ちは大切ですが、切羽詰まると、まともな判断ができなくなります」
「?…そっ…それはどういう意味ですか…?」
「…ただの忠告です。改めて、アラベスクタウンジム勝利おめでとうございます。次のジム戦も励んでください」
そう言い残し、光の揺れる森の奥へ消えていった。
私は胸を撫で下ろし、隣を見る。
フラダリさんも同じようにほっとした笑みを浮かべていた。
「…流石ジムリーダーとなると鋭いですね。先ほどは何を言われたのですか?」
「…分かりません、ただ、忠告だと…」
「そうですか…セイカさんが気負うことはありません。バッジも手に入れましたし」
そう言うと、フラダリさんは僅かに目を細めた。
森の光がその瞳に映り、どこか幻想的だった。
ナックルシティに帰る道を、私はフラダリさんと並んで歩き始めた。
・・・
『カロス出身のホープトレーナー』
私はそんな肩書きを持つようになった。
…まあ私は厳密にはカロス出身ではないのだけど…。
宣伝効果は上々のようで、フラダリさんは褒めてくれた。
「驚きです。流石はミアレの救世主…よく考えればガラルでも通用しない筈がありませんね」
「大袈裟ですよ。私の取り柄なんてポケモンバトルぐらいなので…」
良かった…!私はフラダリさんの役に立っている。
フラダリさんに褒められてもらえるのが、とても嬉しかった。
それだけで毎日がとても充実していて楽しかった。
そうしてガラルに来て幾日も過ぎたある夜のこと、私は借宿で改めてフラダリさんに聞いてみた。
「フラダリさん、1人とポケモンたちだけでも良いと思いますけど、私がいて楽しめてますか?」
フラダリさんは緩やかに頷いた。
「ええ、とても。人といるのがこんなにも楽しいと感じるとは思えませんでした」
フラダリさんの返答に私はとても安堵した。
「私もフラダリさんと旅できてとっても楽しいです!」
「私に娘がいれば、こんな感じだったのでしょうかね」
「えっ、あっ…」
…私は…確かに私は、フラダリさんの娘という設定だ。
年齢だって離れている。
フラダリさんがそう考えるのは至極当然のことかもしれない。
でも、その言葉は私の心に妙なしこりを残した。
「……」
私は、フラダリさんに…1人の女性として認めて貰いたい。
そこまで考えて、ふと、ビートさんの言葉を思い出した。
その時の私はビートさんがフラダリさんに似ていると思っていたり、忠告の意味を理解できていなかったけど…。
…もしかしたら、昔のビートさんと同じなのは、私の方かもしれない。
…考えすぎかな…。
そう思い、私は考えることを中断した。
…それは、後々のフラダリさんとのすれ違いの発端に過ぎなかった。
・・・
私はガラル各地の凄腕のトレーナーやジムリーダーに挑んでいく中で、様々な人と出会っていった。
特に印象的なのは元チャンピオンのダンデさん。
バトルタワーに挑戦した際に出会ったが、彼はえらく私の実力を誉めてくれた。
「きみの実力は今のチャンピオンにも匹敵するな!どうだ、ガラルスタートーナメントにも挑んでみないか?」
「いえ、私はまだそこまでは…」
「そうか…だがいつでも待っているぜ!」
ダンデさんは私達の活動を応援し、支援もしてくれるバトルタワーオーナーの凄い有名人だ。
彼は気さくで、でもポケモンバトルには真剣で、誰よりも真っ直ぐな人だった。
バトルが終わった後も私に話しかけてくれて、他のジムリーダーとも一緒だが、食事まで誘ってくれた。
ーーだけど、私はその誘いをやんわり断っていた。
何故なら私は…フラダリさんが気になっているわけで…浮気みたいになるのが嫌だったからだ。
…付き合ってもいないのに、そんなこと考えるのは流石にどうかしてるだろうか…。
…やっぱり、フラダリさんに早く気持ちを伝えた方がいいのかな…。
そんなことを考えていたある日、フラダリさんが口を開く。
「ダンデさんは素晴らしい方ですね。実力も人格も兼ね備えておられる」
「あ、はい!とてもいい人です」
私は笑って答える。だが、どこか言葉が軽く響いた。
「…きみには、あのように誠実な人が似合うのかもしれません」
「……え?」
立ち止まった私の隣で、フラダリさんはいつもの落ち着いた笑みを浮かべていた。
「いえ、失礼。ただ…少し気になっていたのです」
「…何をですか…?」
「…私のような年上の男と一緒に旅をしていることで、セイカさんが…出会いや自由を失ってしまっていないかと」
淡々と、けれど本当に心配している声音だった。
その言葉に、胸の奥がひやりとした。
「そ、そんなことありませんよ!」
声が少しだけ硬くなる。
「私は、誰かと出会うよりーー」
一瞬、喉の奥で言葉が止まる。
『あなたといたい』
そう言いたかったのに、どうしても出てこなかった。
フラダリさんはそんな私の沈黙に気づかないまま、穏やかに続けた。
「若者にとって貴重な時間です。もし良いご縁があれば、大切になさってください。何なら、嫌になったらいつでもミアレに帰って構いません」
まるで、私に“別の誰かを選びなさい”と言われているみたいだった。
「……そうですね。考えてみます」
私は無理に笑った。
けれど、胸の奥は冷たく沈んでいた。
夜風が吹き抜け、フラダリさんの白い髪がふわりと揺れる。
彼の横顔は相変わらず静かで、どこまでも優しくて。
借宿の明かりが見えてきたころ、私はやっと小さくつぶやいた。
「……フラダリさんが良いんですよ…」
「…?何か言いましたか…?」
「…なんでもないです」
笑ってみせたけれど、声がかすれていた。
彼は不思議そうに首を傾げたまま、何も言わなかった。
ただ、二人の間に流れる沈黙だけが、夜の街の音に溶けていった。
月明かりに照らされるフラダリさんの横顔。
白くなった髪が月光を受けて淡く光り、閉じた左目の下に長い影が落ちていた。
静かなその姿は、どこか儚げで、手を伸ばせば消えてしまいそうに見える。
よくよく考えてみれば、フラダリさんの“過去”を、私は実はほとんど知らない。
彼が何を愛して、何を憎んで、どんな日に生まれたのか。
何も、知らないまま“どんどん好き”になっている自分が少し怖かった。
5個目のアラベスクタウンのジム戦に勝利し、見事バッジを手にした私たちは、ナックルシティに帰る途中のルミナスメイズの森で、少しばかり足を止めていた。
どこか現実味の薄い絵本の中を歩いているようで、私たちは何度も立ち止まってしまう。
そんな中、傷ついた野生ポケモンを見つけた私はつい駆け寄って、回復させてあげた。
フラダリさんも一緒に手伝ってくれる。むしろ、私より丁寧にポケモンを介抱してくれているようだ。
「…よし、これで大丈夫。ね、痛くない?」
私が声をかけると、野生のテブリムが嬉しそうに手のような髪をバタつかせた。
その時だった。
「…なるほど。妙な“親子”だと思って見に来たら、案の定ですか」
振り返ると、白髪の少年が腕を組んだまま、こちらを見下ろすかのように見ている。
そこにいたのは、先ほどアラベスクタウンジムで勝負した、フェアリータイプの使い手、ジムリーダーのビートさんだった。
「び、ビートさん…!?さっきぶりですね…」
「何を驚くことがあるんです。ぼくに勝利してバッジを取れたんでしょう?それに、アラベスクタウンのジムリーダーがこの森を見回りに来るのは普通です」
彼はまっすぐこちらを見つめ、どこか探るように視線を動かした。
その目線はやけに鋭く感じられる。
「…言い忘れていたんです。あなたたち…どう見ても親子には見えません、とね」
「えっ!?えっと…その……」
しどろもどろになった私をよそに、ビートさんはポケットから一枚のカードを取り出した。
ーー貫禄のある老女が映ったリーグカードだ。この人は確か…
「ぼくの師匠です。たとえばこの人が“祖母”で、ぼくが“孫”に見えますか?」
問われ、私は言葉に詰まった。
その問いに隣のフラダリさんも、無言のままビートさんを見つめている。
「…まあ、多少は察せますよ。昔はエスパータイプも少々使っていたせいか、こういうのには少し冴えがあるんです」
見抜かれているーーそう感じて、胸がざわついた。
でも、ビートさんは笑みを浮かべて言葉を続けた。
「ですが…野生のポケモンにそんなに丁寧に接する人間を、ぼくは疑いたくありません。あなたたちがどういう関係であれ、その優しさは本物でしょう」
「…ビートさん、ありがとうございます」
「ぼくはただ、ジムリーダーとして言うべきことを言っただけです」
ビートさんは私が介抱したテブリムに視線を移すと、ほんの少し柔らかい表情を浮かべた。
「テブリムですか。進化するとブリムオンになります。先ほどのバトルでボクがキョダイマックスさせたポケモンです」
「え、そうなんですか?」
「ええ…手当してくれた礼に昔話でも」
そして、少しだけ視線を落としーー自嘲めいた笑みを浮かべる。
「ぼくは昔、“認められたい”という気持ちと、自尊心が暴走して、ジムチャレンジの資格を剥奪された経験があります。恩人に褒められたい、認められたい…その一心で周りが見えなくなっていたんです」
ビートさん自身が、そんな話題を出したことに私は驚いた。
と同時に胸がふっと熱くなった。
記憶こそ失ってはいないだろうが、罪を抱え直して今ジムリーダーをしているビートさんは、フラダリさんと少しだけ、似ている気がした。
バトル時の目つきが違うのも、なんだか彷彿とさせる。
「…まあ、そんなぼくを拾って、フェアリーに染め上げたのがバアさ…師匠ですが。その結果が今のぼくです。過去を否定する気はありません」
そう言ってビートさんは歩み寄ると、私だけに聞こえる声量で言った。
「あなたも焦りすぎると、ぼくのように見失うことになりますよ。誰かに認めてもらいたい気持ちは大切ですが、切羽詰まると、まともな判断ができなくなります」
「?…そっ…それはどういう意味ですか…?」
「…ただの忠告です。改めて、アラベスクタウンジム勝利おめでとうございます。次のジム戦も励んでください」
そう言い残し、光の揺れる森の奥へ消えていった。
私は胸を撫で下ろし、隣を見る。
フラダリさんも同じようにほっとした笑みを浮かべていた。
「…流石ジムリーダーとなると鋭いですね。先ほどは何を言われたのですか?」
「…分かりません、ただ、忠告だと…」
「そうですか…セイカさんが気負うことはありません。バッジも手に入れましたし」
そう言うと、フラダリさんは僅かに目を細めた。
森の光がその瞳に映り、どこか幻想的だった。
ナックルシティに帰る道を、私はフラダリさんと並んで歩き始めた。
・・・
『カロス出身のホープトレーナー』
私はそんな肩書きを持つようになった。
…まあ私は厳密にはカロス出身ではないのだけど…。
宣伝効果は上々のようで、フラダリさんは褒めてくれた。
「驚きです。流石はミアレの救世主…よく考えればガラルでも通用しない筈がありませんね」
「大袈裟ですよ。私の取り柄なんてポケモンバトルぐらいなので…」
良かった…!私はフラダリさんの役に立っている。
フラダリさんに褒められてもらえるのが、とても嬉しかった。
それだけで毎日がとても充実していて楽しかった。
そうしてガラルに来て幾日も過ぎたある夜のこと、私は借宿で改めてフラダリさんに聞いてみた。
「フラダリさん、1人とポケモンたちだけでも良いと思いますけど、私がいて楽しめてますか?」
フラダリさんは緩やかに頷いた。
「ええ、とても。人といるのがこんなにも楽しいと感じるとは思えませんでした」
フラダリさんの返答に私はとても安堵した。
「私もフラダリさんと旅できてとっても楽しいです!」
「私に娘がいれば、こんな感じだったのでしょうかね」
「えっ、あっ…」
…私は…確かに私は、フラダリさんの娘という設定だ。
年齢だって離れている。
フラダリさんがそう考えるのは至極当然のことかもしれない。
でも、その言葉は私の心に妙なしこりを残した。
「……」
私は、フラダリさんに…1人の女性として認めて貰いたい。
そこまで考えて、ふと、ビートさんの言葉を思い出した。
その時の私はビートさんがフラダリさんに似ていると思っていたり、忠告の意味を理解できていなかったけど…。
…もしかしたら、昔のビートさんと同じなのは、私の方かもしれない。
…考えすぎかな…。
そう思い、私は考えることを中断した。
…それは、後々のフラダリさんとのすれ違いの発端に過ぎなかった。
・・・
私はガラル各地の凄腕のトレーナーやジムリーダーに挑んでいく中で、様々な人と出会っていった。
特に印象的なのは元チャンピオンのダンデさん。
バトルタワーに挑戦した際に出会ったが、彼はえらく私の実力を誉めてくれた。
「きみの実力は今のチャンピオンにも匹敵するな!どうだ、ガラルスタートーナメントにも挑んでみないか?」
「いえ、私はまだそこまでは…」
「そうか…だがいつでも待っているぜ!」
ダンデさんは私達の活動を応援し、支援もしてくれるバトルタワーオーナーの凄い有名人だ。
彼は気さくで、でもポケモンバトルには真剣で、誰よりも真っ直ぐな人だった。
バトルが終わった後も私に話しかけてくれて、他のジムリーダーとも一緒だが、食事まで誘ってくれた。
ーーだけど、私はその誘いをやんわり断っていた。
何故なら私は…フラダリさんが気になっているわけで…浮気みたいになるのが嫌だったからだ。
…付き合ってもいないのに、そんなこと考えるのは流石にどうかしてるだろうか…。
…やっぱり、フラダリさんに早く気持ちを伝えた方がいいのかな…。
そんなことを考えていたある日、フラダリさんが口を開く。
「ダンデさんは素晴らしい方ですね。実力も人格も兼ね備えておられる」
「あ、はい!とてもいい人です」
私は笑って答える。だが、どこか言葉が軽く響いた。
「…きみには、あのように誠実な人が似合うのかもしれません」
「……え?」
立ち止まった私の隣で、フラダリさんはいつもの落ち着いた笑みを浮かべていた。
「いえ、失礼。ただ…少し気になっていたのです」
「…何をですか…?」
「…私のような年上の男と一緒に旅をしていることで、セイカさんが…出会いや自由を失ってしまっていないかと」
淡々と、けれど本当に心配している声音だった。
その言葉に、胸の奥がひやりとした。
「そ、そんなことありませんよ!」
声が少しだけ硬くなる。
「私は、誰かと出会うよりーー」
一瞬、喉の奥で言葉が止まる。
『あなたといたい』
そう言いたかったのに、どうしても出てこなかった。
フラダリさんはそんな私の沈黙に気づかないまま、穏やかに続けた。
「若者にとって貴重な時間です。もし良いご縁があれば、大切になさってください。何なら、嫌になったらいつでもミアレに帰って構いません」
まるで、私に“別の誰かを選びなさい”と言われているみたいだった。
「……そうですね。考えてみます」
私は無理に笑った。
けれど、胸の奥は冷たく沈んでいた。
夜風が吹き抜け、フラダリさんの白い髪がふわりと揺れる。
彼の横顔は相変わらず静かで、どこまでも優しくて。
借宿の明かりが見えてきたころ、私はやっと小さくつぶやいた。
「……フラダリさんが良いんですよ…」
「…?何か言いましたか…?」
「…なんでもないです」
笑ってみせたけれど、声がかすれていた。
彼は不思議そうに首を傾げたまま、何も言わなかった。
ただ、二人の間に流れる沈黙だけが、夜の街の音に溶けていった。
月明かりに照らされるフラダリさんの横顔。
白くなった髪が月光を受けて淡く光り、閉じた左目の下に長い影が落ちていた。
静かなその姿は、どこか儚げで、手を伸ばせば消えてしまいそうに見える。
よくよく考えてみれば、フラダリさんの“過去”を、私は実はほとんど知らない。
彼が何を愛して、何を憎んで、どんな日に生まれたのか。
何も、知らないまま“どんどん好き”になっている自分が少し怖かった。