朝。

　暑い日差しから逃げるように、廊下の端を歩く。すぐ横に広がる庭が、気のせいかゆらゆらと揺れて見える。

　この夏は各地で日照りが相次いでいるらしい。手元に握られている、その報告が書かれている紙に目線を落とし、自然とため息をつく。しょうがねえ、金はかかるが井戸を新しく掘るしかねぇか……


「おはようございます！！」


　思考回路をさえぎるほどのでけぇ声に、これ以上ゆるまないだろうと思わせるほどの笑顔。ななしだ。なんでこいつあんな上機嫌なんだ？　しかも朝っぱらから。

　どうも俺はあいつに対してそのままの表現ができねー体質らしい。こちらも相手と同じくらいにたりと笑って皮肉の一つでも言ってやりたくなり、「Hey!」と口を開いた。


「そんなに口裂けさせて、いったい何があったんだい？」

「え゛？！！　ちょっわたしそんなに口裂けてます？！」


　慌てたななしは口元に手をやるが、すぐにそんな非現実なことあるはずがないということに気づいた。みるみる赤面し、「政宗さんん！！」と吠える。相変わらずにぎやかな奴だ。


「まっいいや。それより政宗さん、小十郎さん見ませんでした？」

「朝から畑仕事だ。あんたも大変だな、朝から何指示されてんだ」

「え？　指示？」


　目を丸くしたななしは、首をかしげながら「指示なんて受けてませんよ」と返答した。妙な話だ、こいつは進んで小十郎と一緒になろうとする輩ではない。もしくは何かの用事か？　だがそれを尋ねても返事はNo.だった。





「会いたいからに決まってるじゃないですか」





　一瞬、涼風が止んだ。

　日夜小十郎の愚痴をこぼすこの女が、小十郎に会いたい、だと。


「お前…………………何食った？」

「さっきからいちいち心外ですね政宗さん！！　ていうかメニューみんな一緒でしょ、一緒に食べてるんですから。それともなんですか？　わたしがなんの用事もなしに、小十郎さんに会いに行っちゃいけないってんですか？」

「………」


　その、言い方に、ああ、そうだ、俺はこの言い方にいらっとしたんだ。

　気づけば無遠慮にななしの股を蹴っていた。すぱぁんといい音が廊下いっぱいに響く。ななしには悪いが、胸がすっとした。

　いっぽう、ななしは廊下に寝転んで、女らしからぬ声で絶叫している。


「オギャアアアアアア！！　いっいってぇぇぇぇ！」

「Sorry,ついやっちまったぜ」

「やっちまったぜじゃいから！　どっかのギャグマンガの編集者気取りしないでくれます？　そうやって語尾移そうとしても無駄なんだぜ？！って移ってるし！」

「あーあー悪かった」


　ぎゃあぎゃあと喚くななし（まあこうしたのもなったのも俺に原因があるわけだが）だったが、かがんだ俺の背中越しに何かを見つけたらしく、目をくわっと見開いた。

　そして、今の今まで「死ぬううう」なんてごろごろしてやがったくせに、あっという間に立ち上がり着物を直す。なんだこいつ。今日のこいつ、腹立つな。

　だが、ななしが向かった先、つまり俺の後方にいる人物を見て、それどころではすまなくなった。


「小十郎さあああああん！」


　あの小十郎に思い切り抱きつくななしと、それを全く拒絶することなく受け入れる小十郎、がいた。それならまだましだ、


「やっと起きやがったな」

「えへへ、ごめんなさーい」


　声のtoneが違う。なんだあの声、久しぶりに聞いたぜ。少なくともななしといる間、あんな声は一切聞いたことがねぇ。

　そして小十郎はなんのためらいもなく、ななしの背中に腕を回した。

　その瞬間、


「あーっ筆頭、探しましたぜ！　こないだの……って、ちょっとそれェェェェェ！！！」

「Ah?　なんだ」

「そ、その紙ぃぃ！！　相手に返すやつじゃねーんですかい！？」


　ふと手元を見れば、さっきまで立派な書物、だったもの。

　今は塵芥となって、風に吹かれ俺の手から旅立っていた。


「ちっ……」


　俺としたことが、coolじゃねえ。たったあれだけの動作に、いちいち反応してんじゃねーよ。


「政宗様、如何なされた！」

「あーらーらー、やっちゃいましたねこれ」


　さっきの紙でしょ？と言うななしの頭に、残っている紙吹雪をぐしゃぐしゃと押しつける。くそっ、今はこんなことで頭を働かせている場合じゃねえのに。

　そんな俺のいらだちを、小十郎は見過ごさなかった。ただし、理由まではわからねーらしく、


「今から書き直せば良いこと。内容はこの頭にしかと入っております」

「えっマジですか小十郎さん！？　かっこいいいい！」

「………そうかい。じゃあ頼むぜ小十郎、俺ぁちーと頭冷やしてくる」

「……政宗様？　何かございましたか」

「Don't worry.」


　今はあんたらを見たくねーんだ。それに、こんなのは俺じゃない。

　………俺じゃ、ない。


「……夢だといいんだがねぇ」


　逃げる視線の行き場所は上しかなくて、青空をにらみ付けた。

　妙に空が青い。

　その青さに違和感があった。

　なんだ？

　思わず身を乗り出した時、本当に間抜けなことに、廊下の幅を考えちゃいなかったんだ。

　踏み出した足が、木の板を踏みしめることなく、宙に浮いた。


「政宗様！！」

「政宗さん！！！」


　二人がほぼ同時に叫び、こっちへ向かってくる。

　体がゆっくりと反転し、自然とななしの方へ目が向いた。小十郎より一歩早くこっちに駆け寄っている。Ha,さっきまで小十郎とべったりだったくせにどうなってんだ。そう頭は言うが、なぜか勝ち誇る自分もいやがる。

　それにしても、なんだ？　あいつの着物、あんなに赤かったか？　色がどんどん変わって………


「ぐあっ！！」




　
　　




　わたしの前方を政宗さんがフラフラした足取りで歩いていた。


「ま、政宗さん…？！　なんかやばくないですか小十郎さん」

「おめーに言われるまでもねえよ」


　なんの因果か朝から鉢合わせしてしまった小十郎さんにひそひそと呟く。ここ数日政宗さんは治水工事におわれてろくに寝てないとか聞いてたけど、まさかあんなになるまで頑張ってらっしゃるなんて、全然知らなかった。惚れ直しました、筆頭。

　が、その筆頭が廊下の端にゆるゆるとずれていき、ついに足を踏み外してしまったのだ。

　本能的に走り出してなんとか受け止めようと頑張って手をのばしたものの、結局届かず目の前で政宗さんは頭からまっさかさま！


「ぐあっ！！」


　ゴイン！と地面に頭を打ち付け、体中の力がぬけたのがわかった。うわああああ死なないでダーリン！！

　がばっと政宗さんを抱き起こして、がくがくと揺さぶる。


「政宗さんんん！！　しっかりしてください、わたしまだ若いのにもう未亡人ですか？！！」

「こんな非常事態にいちいちボケてんじゃねェェ！！」

「何ををを！？　失礼なっ！　ボケてません、本気です！　お願い神様政宗さんをまだ天国につれていかないでください、なんでもします、小姑の言うことなんでも聞きます」

「だからいちいちボケんなァァァ！！」

「…………っせェcombinationだな…相変わらず」

「政宗さん！」

「政宗様！　お怪我は…」

「Ok,no problemだ。それより悪かったな、あんたらの邪魔して」

「…………………政宗さーん、質問です。あんたらって誰ですか？」

「あ？　あんたと小十郎に決まってんだろ」

「あっはっはっは、なんのご冗談を！！」


　あんたらの邪魔？　いやいや、何言ってるんですか政宗さん。わたしと小十郎さんの仲なんていつでも邪魔してオールＯＫですから。

　そんなわたしの反応と、わたしの隣で心外だと言わんばかりに顔をしかめる小十郎さんを見て（こっちもじゃい！）政宗さんは首をかしげた。が、すぐに納得したようにうなる。


「……shit,区別もつかねーのか俺は」

「区別？」

「あァ、気にすんな。小十郎、すまねェが水を持ってきちゃくれねーかい」

「は、すぐに」


　小十郎さんがシュバッ！とこの場を立ち去った後、政宗さんがこっそり息を吐いたのを見逃さなかった。

　そんな政宗さんを廊下、もとい縁側に腰掛けさせ、わたしはその隣に座った。今は大きな雲が太陽の光を遮ってくれているから、若干涼しい。小十郎さんが戻ってきたらお部屋に移動しなくちゃ。


「政宗さん、疲れてるなら一度休んだほうがいいですよ。適度な疲労はご飯も美味しく食べれるし睡眠に良いですけど、過度はだめです」

「ああ、そうする。……ななし」

「はい？」


　あ、れ？

　太ももに重たいのが。

　気づけば政宗さんは廊下に寝っ転がっていて、あっちは足、こっちは頭。こっち、というのは、わたしの太ももの上だ。

　…これは、つまり、


「ひ…ざまくら…！！　いったいどうしたんですか政宗さん？！　悪いものでも食べましたか？！」

「………（俺とおんなじこと言いやがる）」

「いやいや気を悪くしないでくださいよ、わたしとしてはこのままフォーエバー膝まくらタイムといきたいですよ！　でも、あああちっくしょう、こういう展開ならダイエットしておけば良かった…！」


　残念なことに今年の夏のわたしは、去年より子豚に一歩近づいている。理由は一つ、冬での現代の食事をたんまり食べたくせに今の今まで運動一つしちゃいなかったのだ。

　そしてその結果、悪い意味でプニプニしている太もも。

　恥ずかしい。嬉しいけど、恥ずかしい。


「んなもん気にすんな。これぐらい弾力があったほうが良い」

「だ、弾力て……まあいいですけど」

「アー、ところでななし」


　今まで外を見ていた政宗さんの頭が、突然グリンと回りこちらを見上げる。

　その時、


「ひゃっ！」


　思わず声に出てしまった。

　な、なんだ今の！　頭が太ももの上で動いただけなのに、ぞくうってしたんですけど！！　今まで人に膝枕なんてほとんどしてなかった分、慣れてなかったのか……？

　まあいいや、と政宗さんの用件を聞こうとそちらを向く。

　が、目があった政宗さんは、すごーくニヤニヤしていた。

　こわいよオニイサン！！　何企んでるの？！！


「……へェ」

「ちょっと！！　何が『へェ』なんですか？！　ちょっちょっとォォォ！！」










嬉しさ１００％、不安も１００％
そしてちゃっかり続きそうです。