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鶴丸

月の下で、新雪よりも白い羽織と肌が光を帯びて輝いていた。昼間から鶴丸の白がレフ板のように日光を反射して眩しく思うことはあるが、月に照らされるとこんな優しい色を宿すなんて知らなかった。
この光の色は、徐々に滲む冬の朝焼けに似ている気がする。燃えているように赤いのに、実際に触れる光は、しろい。
鶴丸と触れ合った後に自分の胸の内を開くと、自分の中の棘のある感情が消えているいことに気が付く。そしていつの間にか、鶴丸の発する白い光で満たされている。
鶴丸国永は、人のことを白く照らす。そういう人間だ。わたしがそのことに気が付くまで、いまから数カ月ほど遡る。



審神者をしていると、任務や事務仕事で生活リズムが崩れ、眠れなくなることも多かった。その時も、そういう夜だった。布団の中でじっとしていると変に体が火照ったから、熱を冷ますために外に出たとき、ちょうど縁側に鶴丸が座っていたのだ。鶴丸はわたしに気がついて、隣に座らないかと誘ってきた。

誘われたことを意外に思いながらも縁側に座り、横目で鶴丸の顔を確認する。彼は昼間とは別人のように静かだった。まつ毛の先を光らせながら、白い息を吐いて空を眺めている。

昼間の鶴丸は、刺激を求めて生きているという印象が強かった。銀髪に金色の眼、純白の戦装束という優美な外見とは裏腹に、酔狂な行動ばかりしている。勘の良い刀を除いたらこの本丸にいるものはほとんどが鶴丸の落とし穴にかかっただろう。わたしも廊下で、曲がり角に隠れていた鶴丸に大きな声で驚かされたことがあった。それも一度ならず二度までも。
しかし、驚かされたとき後の感情は、怒りや不満よりも爽快さの方が近い。どんなに気分が沈んでいたり荒れているときでも、驚いて体を跳ねさせるわたしの顔を見て、屈託なく笑う鶴丸を見ていると、自分の悩みなんて、なんて小さなものだったのだろうと思えるのだ。
彼がどうしてそんな行動をとるのかはわからない。鶴丸はわたしの本丸にはじめて来た太刀で付き合いも長くなるが、わたしは彼の性格をうまく捉えきれないでいた。相手は自分の何十倍もの時間を経験しているのだから、それも仕方がないだろうと思っていた。

昼間の鶴丸の笑顔を思い出して、ふと頬が緩んだ。上がった口角に、横から生ぬるい温度のなにかが触れるのを感じた。そちらの方に視線を向けると、鶴丸がこちらに体を向けてわたしの唇に手を伸ばしていた。柔らかい微笑が浮かんだ鶴丸の顔は、白い肌に光を反射させて暗闇の中で浮きだっていた。

「……な、なんですか」
本丸の全員が寝静まった深夜だから、なるべく声量を下げて尋ねた。喉の奥で動揺を押し殺す。鶴丸は、わたしの反応を楽しむかのように頬から笑みを絶やさなかった。
「ん~?」
曖昧な返事をしながらも、鶴丸は輪郭をたどるようにわたしの唇をなぞる。くすぐったくて手の先が震えた。
なるべく毅然とした態度でいたかったがすぐに綻びが出て、声に焦りが滲んだ。
「や、やめてください」
「やめてほしいか?」
低い声の後にわたしの唇から指が外れ、顎を掴んだ。首を振れば簡単に振りほどけそうな力なのに、鶴丸の月のような瞳に見据えられると、蛇に睨まれた蛙のように体が硬直した。
「きみ、きれいな目をしているな」
急に顔を近づけてきたと思うと、鶴丸は耳に口を寄せて囁いてきた。生ぬるい息が耳にかかったのを感じた。とっさに目を瞑る。この距離に近づいてもなんの匂いもしないのが、相手は人間ではなく神さまなんだということをひしひしと伝えてくる。
わたしからしたら鶴丸の方がずっときれいで、からかうためにこれを言っていることはわかるのに、恥ずかしさに否応なしに顔に熱が集まった。
「つ、つるまる、まって」
首筋に静かに手を這わされ、急所に触れられている緊張で心臓が痛い。鶴丸の肩を押して遠ざけようすると、からめるように手を繋がれた。指先すら動かない。新鮮な驚きばかり与えてくる鶴丸相手に、わたしはなすがままにその刺激を受けとるしかない。
息を止めて唇に力を込めた瞬間、急に鼻をつままれた。
「んっ……!?」
ははは、と張りつめていた空気を崩す高い笑い声が続いた。慌てて目を開けると、いつの間にか鶴丸はわたしから体を離し、お腹を抱えて笑っていた。目に涙すら浮かんでいるのが暗い中でもきらきらと光る目許のせいでわかった。
「いい反応をするなあ、きみ。どうだ驚いたか?」
わたしの反応を喜色満面でうかがってくる鶴丸からは、先ほどまでの静謐さは失われていた。すでに昼間の明るく突拍子もない行動ばかりする鶴丸に戻っている。
「接吻されると思ったか?」彼は口角を上げながら尋ねた。
図星だった。動揺を隠しながら、不満を込めて軽く睨んだ。
「もう。びっくりしました。こういう冗談あまりよくありませんよ」
わたしの言葉に、鶴丸は先程までの表情を一転させた。急に悲しげな顔をするものだから、思わず心配になって顔を覗き込んでしまう。
「あの、鶴丸?」
「いいや、なんでもないさ。ただ、俺たちは夜は眠れないからさ、どうしてもきみに付き合ってほしくてな」
眠れない晩がどれ程長く感じられるかをわたしも知っていたから、鶴丸の気持ちを考えるとどうしても胸が苦しくなった。鶴丸から昼間の眩さが消え、いまにも消えてしまいそうな儚さを感じる理由がわかった気がした。
「……その、わたしも今日眠れなそうだから、付き合いますよ」
「本当かい」
鶴丸は鼓膜に沁みるような柔らかい声で返事をした。
「本当ですよ。でも体が冷えてしまうから、中に入りましょうか」
「きみの部屋か? 寝室?」
いたずらっぽく笑う鶴丸に「執務室です」と返す。縁側から立ち上がり崩れた寝衣の裾を整えた。
「厨房によって白湯を取ってきてから行くから、鶴丸は先に行っていてください」
執務室とは逆方向にある厨房の方に歩き始めると、背後から「りょーかい」と鶴丸の返事が聞こえた。足袋越しに触れる廊下が冷たい。足音が、わたしの分だけ長い廊下に響いている。戦いのなかで奇襲を仕掛けることもある分、鶴丸は普段から足音を立てないように意識しているのかもしれない。

ふと、背後を振り返ってみた。
鶴丸の白が、廊下の奥の闇の中でも鬼火のようにはっきりと浮き出てみえた。その火が、角を曲がり見えなくなるまで、鶴丸の背中をわたしはただ見つめていた。



審神者のために用意された執務室で畳の上に向かいあって座り、文机の上に白湯の入った湯のみを置く。外に光が漏れてしまわないように部屋の奥の行灯のひとつだけに火をともした。

夜の間中、鶴丸はわたしに任務の中に起きた珍事を話してくれた。
わたしは本丸から出ずに出陣を見送ることばかりで、任務の話も普段は事務的なことが多いから、鶴丸の見てきたものを聞けるのは本当に貴重な経験だった。
どれも現実に起きたと思えない荒唐無稽な話ばかりで、鶴丸の上手な語り口もあってわたしは時間も忘れて聞き入っていた。審神者をしなければ聞けなかったし、聞いても嘘だと思ってしまいそうな話にときに笑い、涙して、夢のような時間を過ごした。しかし時間が経つにつれて、白湯で温まった体に疲労と眠気が蘇ってきた。鶴丸の低い声に、知らず知らずのうちに安心していたということもあるのかもしれない。

堪えきれずに小さくあくびすると、鶴丸は「きちんと起こすから、数時間だけでも寝たらどうだ?」と提案してくれた。
「そうですね。少し仮眠をとります。ひとりで起きられるから、あなたももう部屋に戻っていいですよ」
机の近くのひざ掛けを取ると、体にかけて横になった。座布団を手繰りよせて頭の下に敷く。
鶴丸は、なかなか執務室から出ようとはしなかった。
「ここで寝るのか? 体を痛めるぞ」
「寝室に行ったら絶対寝坊します。少し寝づらいくらいがちょうどいいです」
「……きみが寝つくまで、ここにいてもいいか?」
珍しく声を小さくして控えめに尋ねてくる様が、まるで迷子の子どものように見えた。わたしが先に眠ってしまうと鶴丸が数時間は一人の夜に取り残されることになるとを考えると、このまま寝てしまうのも申し訳がない気がした。
わたしは微笑み、横になったまま鶴丸に手まねきをした。鶴丸は膝立ちで近寄り、わたしの傍にあぐらをかいて座った。
「手を握ってましょうか?」
数時間前にからかわれたことへの意趣返しのように口角を上げて尋ねた。こうした方が、鶴丸がこの場にいやすいだろうと思った。断るかと思っていたが鶴丸は頷いて、ひざ掛けの中に手を入れてきた。わたしの手を見つけると、指先を絡めるように握る。
まさか本当に握られると思っておらず驚いたが、今更冗談だとも言えなくてただ口を噤んだ。
白湯を飲んだからわたしの手は温かいのに、鶴丸の手に温度がないのがやけに寂しかった。
「きみの手は温かいな」鶴丸は穏やかに言った。
「……鶴丸の手も温めますよ」

手を繋いでいるのに、触れられていない気がする。
感触を確かめるかのように彼の白い指を擦ったが、わたしの手の温度は彼には移らなかった。
「くすぐったいな」
「ごめんなさい……」
わたしは鶴丸から任務中の話を聞くまで、彼の世界のほんの一部しか理解していなかったのだ。もちろん今日話したことで鶴丸と知り合えたとは言わないけれど、少しだけ彼との距離が縮まったのは嬉しかった。でも実際には、この距離。熱の伝わらない距離のままだった。
重い瞼を開けて、ぼやけた視界のまま鶴丸を見る。輪郭の霞んだ彼がどこかに行ってしまいそうに見えて、手の力を強めた。
「いかないでくださいね、どこにも」
「俺はきみの刀だろ。行きたくても行けないよ」
「わからないですよ、あなたのことだから」
鶴丸からの返事はない。しばらくしてから、前髪のあたりを撫でられているような感覚がした。首を傾けて鶴丸の顔を見ようとすると、障子の隙間から滲む朝焼けが見えた。淡いわずかな光は、わたしと鶴丸に届く前に畳の上で途絶えた。
「もう寝るといい」
「もしあなたがどこかに行ったとしても、かえってきてくださいね、それで、驚いたか、ってわたしに、きいて……」
鶴丸の優しい撫で方が、さらにわたしをまどろみに沈ませる。眠気のせいでうまく口が回らず、言葉はそこで途絶えた。あなたのことをもっと教えてください。語尾をしぼませながら言った。彼から返事があったのかは、わからなかった。



次の朝、鶴丸は始業よりだいぶ余裕のある時刻に起こしてくれた。執務室で一晩過ごしたことは一応内密にしておこうと約束し、やましいことをしたわけでもないのに、時間をずらして朝食を食べにいった。
朝食中、わたしの傍でお茶を注いだりと甲斐甲斐しく世話を焼いてくる長谷部から聞いたことは、耳を疑うようなことだった。
刀剣男士が夜に眠れないということは、鶴丸の嘘だという。困惑しながらもほかの刀にも尋ねると、人間の体を与えられている分神経が過敏な男士ならありうるが、この本丸でそのような状態になっている刀はいないという。鶴丸についても、普段夜に爆睡している姿を見たことがあると証言する刀までいた。

長谷部はこんな嘘で主を騙すなんて、と憤慨していたが、わたしは別のことが引っかかった。
鶴丸は、どうしてあんな嘘をついたのだろう。種明かしも自分からしてこないのだから、わたしを驚かすためだとは思えなかった。
「長谷部、どうしたら、もっとあなた達のことを知れるのでしょう」
「一番は直接聞く事だとは思いますが、鶴丸のように嘘をつく相手なら、来歴を調べるのはいかがでしょうか。人間でいう生い立ちのようなものですから、きっと相手のことを知るのに役立つと思います」

その日、業務を早く済ませ、空いた時間で本丸の資料室にある文献で鶴丸の来歴について調べた。
そしてわたしは、鶴丸が一度墓地を掘り返されて北条貞時の刀になり、その後も様々な主の元を転々としていたことを知った。鶴丸は様々な主に求められ、その元で平穏を求め続ける人々を見続けてなにを思ったのだろう。鶴丸は日々驚きを求めるけれど、それは歴代の主が求めていたものに反発しているだけなのだろうか。
そして、鶴丸にとってわたしは、次々に変わっていく主の中のひとりに過ぎず、途方もない永い年月の中の、ほんの一部分でしかないのだろうか。そう考えると、昨日鶴丸が儚く見えた理由に納得がいった。彼が、鶴のようにいつかわたしの元から飛び去ってしまう気がした。

例え、道具だとしても使い続ければ愛着が湧き、壊れたら悲しくなる。審神者になる前、元の世界にいるときからわたしは道具を大切にする性分だった。そしてわたしの上司に当たる政府の役人からは、なによりも刀を大切にするようにと伝えられていた。人として情を持ちなさいという意味ではなく、刀を折らないようにしなさいという意味で。

しかし、わたしはその言いつけを破ろうとしていた。人を驚かせたときの満足そうな微笑みや、昨晩の鶴丸の人を惹きつける語り口調を聞いて、鶴丸のことを、今更道具だとも、神さまだとも思えなかった。
彼らにも感情がある。彼らは使われていただけでなくて、わたし達のことを見ていた。そしてその中で、彼らはわたし達に寄り添ってくれていたのだ。
それならば彼は、鶴丸は、人間だ。

鶴丸と、話したい。たとえ体温が移らなくてもいいから、彼の本心を知りたかった。
文献をぎゅうぎゅうに詰まった棚の中に無理やりに押し込み、矢のような勢いで資料室を出た。何冊か本棚から本が落ちる音が聞こえたが、音も振り切るように廊下を駆けた。廊下の板には西陽が映り込み、木目にそって糸のような赤い線を伸ばしていた。その先に、鶴丸がいるように願った。

曲がり角に差し掛かったとき、角から影が飛び出ているのが見えた。影の形は羽織を被ったように肩からなだらかな線を描いている。彼がいることには気がついていたが、そのまま駆ける足を止めなかった。
「わっ!」
いつも通りの驚かすときの鶴丸の声が廊下に反響する。わたしは目の前に現れた真っ白な塊に勢いよく飛びついた。足が浮いて、硬い腕がわたしの体を受け止めたのがわかった。動揺したのか、鶴丸の体がかすかによろける。
「あはは、驚きました?」
顔を上げて、白い顔の前で尋ねた。彼の金の眼がはちみつのように揺れたのに嬉しくなって、抱えられたまま微笑んだ。
「これはこれは、驚かされたぜ。危ないからもうやっちゃだめだぞ」
「落とし穴を掘っている人がいうことじゃありません。この後、少し時間は?」
鶴丸は頷いて、わたしを地面に下ろした。私室に鶴丸を案内する。二人分の影が、どこまでも続きそうなほど長く伸びていた。



手を伸ばせばすぐに触れられそうな距離に、座布団を置いて向い合せに座った。日が暮れ、部屋の中は薄闇に満たされていたが、お互いに顔が見えない方が話やすいかと思い行灯の明かりはつけなかった。
「それで、今日はどんな話を聞きたいんだ」
昨日の話の続きだと思ったのか、鶴丸は座りやすい体勢を探すかのように胡坐をかいた。
「あなたの話を聞きたいんです。任務中の珍しい話じゃなくて、珍しくなくても面白くなくてもいいから、あなたの感じたことが聞きたい」
彼は、面食らったように目を見開いた。くしゃりと顔を崩して笑う。
「驚かせるものなんてなにもないぜ?」
「それでも話してくれたとしたら、そのことに一番驚くかもしれませんね」
また誤魔化されるかと思ったが、わたしが真剣に瞳を見つめ続けると、鶴丸は小さくため息をつきながら頷いてくれた。空気が変わったのを感じ、喉の奥に溜まった唾を飲みこんだ。
「……体をもらったとき、心臓があることに驚いたんだ」
ええ、とわたしは頷いた。鶴丸はいつもの飄々とした態度をなくして、かたい表情のまま自分の左胸に手を当てた。手は心臓の位置にあった。
「刀のときはなかったもんだ。なにかがあるとこれは動いて、特に驚いたときが一番はやくて、俺はこれを止めたくないと思った」
鶴丸は飾らずに淡々と言葉を続け、考えこむように一度口を閉じた。しばらくしてから、わたしから尋ねた。
「あなたがずっと驚きを求めていた理由は、それですか……?」
鶴丸は、わたしから目を逸らしたまま黙って頷いた。いつも堂々とした彼らしくない仕草に、自分の話をし慣れていないような印象を受けた。ようやく、彼の根幹にあたる部分に触れられている気がした。
鶴丸の手を上から包むように握って、つづけて、と囁き声で促した。わたしの手の方が震えていた。鶴丸が薄い唇を開く。
「……俺が見ていた人間たちは、歴史のなかで感情に振り回されながら生きていた。人が死んだから悲しんで、誇りが傷つけられたら怒って、幸せなことがあったら喜んでいた。あいつらは平穏を望んでいるくせに、いつも予想外のものに心を動かされて、でもそうしているときが、一番生き生きしていた」

鶴丸の言葉に、審神者になる前の生活を思いだした。
いまと比べて、刺激の少ない日々だった。血を見ることも、命の危険を感じることも、つらい思いをすることもなかった。けれど、どこか虚しかった。決められた日々のことをこなしていくと、社会の小さな歯車のひとつになっているようだった。自分のしていることが誰かの役に立っている気はしていなかった。
いま思えば、あのときの時間は葉の朝露が滴るときのように静かで、わたしの心臓もいまより、ゆっくり動いていたのかもしれない。
鶴丸は空いている方の手をわたしの手の甲の上に乗せた。顔を上げると、金の瞳がまっすぐにこちらを見つめていた。
「だから俺も、いつ刀に戻るかわからねえなら、この体を精一杯楽しんで、周りを驚かせてやろうって思った」
鶴丸は言い終えてからわたしの手を緩く握った。その握り方をされたとき、鶴丸をはじめて出陣させたときのことを思い出した。
彼はあのとき、はじめての太刀を含んだ本格的な出陣に緊張しているわたしを励ますように、隊長の鶴丸が握手をしてくれた。力強く握られるかと思ったが、添えるように手を合わせられただけだった。あのときはあんなに繊細な力加減ができると思っていなくて、目を見開いて驚いたわたしに鶴丸は笑いながら、驚いたか、と聞いた。
審神者になれば未来を守れると聞いて、大した使命感もないくせに環境を変えたくて飛び込んだ世界で苦しい思いをすることもあった。けれどその度に、鶴丸に驚かされて気分を変えていた気がする。

「鶴丸がいてくれて、わたしもみんなも楽しめていますよ。わたしもあなたの驚きに救われています。あなたは、たくさんの主のもとを転々としてきたきれど、あなたがここにいたいって思っているうちは、わたしのところにいてほしいんです。そして、ずっとわたしとみんなのことを驚かせていてください」
真剣な表情のまま聞いていた鶴丸は、わたしの手を自分の胸元へと導いた。
鶴丸の、こころのすぐそば、作り物でない心臓へと。わたしよりずっと長いときを刻んできたかもしれないけれど、似たようなことを感じるこころだった。
「驚いたな……いままでで、一番早く動いているかもしれない」
彼は静かに微笑んだ。それが雪解けの瞬間のように見えた。
着込んだ戦装束のせいで実際の拍動は感じられないのに、鶴丸の嬉しそうに崩れた顔や軽く上気した頬のおかげで、流れこむように彼の気持ちが伝わってきて、わたしの心臓まではやくなるのを感じた。
わたしの手を掴む鶴丸の手が、温度が移ったようにほのかに温かくなっていることに気がついて、こんなところに小さな驚きがあったと思った。
「わたしも、いますごく驚いていますよ」わたしが笑うと、鶴丸はつられるように小さく笑い声を上げた。
薄暗闇の中に白く浮かびあがりながら、鶴丸はわたしに誓った。
「俺は、きみの行き先を白く照らすよ。きみに降りかかる火の粉を払って、きみの目が一番きれいに見える驚きを、きみに贈り続けたいんだ」
ふたりの手の下で、心臓は熱くなり、素早く拍動しながら生きていた。



ときどき朝焼けが見たくなって、まだ日が昇らないうちに縁側に出ることがある。吐く息は白く、素足に触れる廊下の板は氷のように冷たい。庭に充満した朝もやが、まだ夢の中にでもいるような曖昧な景色を作り上げる中、縁側に座る白だけは自分の輪郭をくっきりと保っている。
わたしは彼の隣に並んで座り、藍色の空に優しく滲んでいく朱色を見つめる。東の空は燃えているように見える。徐々に庭のもやが消えていき、庭の濡れた地面に白い陽の光が差し始める。その光はわたし達にも届いてきて、隣の人に、眩しいですね、とわたしは笑いかける。
彼の白に反射してきた光に包み込まれると、様々な感情が洗い流されるような気がした。身じろぎをすると、温もりのある指先同士が触れ合った。この人は、いつもこうやって隣で寄り添って手を繋ぎ、白く照らしてくれていたのだということを、わたしはふと思いだすのだった。
鶴丸国永は、そういう人間だ。


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