半間修二
寒色の眩い光の道を足早に通り抜ける。バイトの後で体は疲れているはずなのに、やけに手足が軽かった。バイトが忙しすぎたせいでハイになっているのかもしれない。
大勢の人の話し声が、街の中で流れるBGMをかき消す。音楽は途切れ途切れにしか聞こえないが、おそらく流行っているアイドルグループのクリスマスソングだった気がする。
くだらない。いちいちイベントの度に予定を立てて、どこかに出かける人の気が知れない。
私は今日もいつも通り飲食のアルバイトを入れ、いつもより多い客をいつもより少ない店員でまわした。あがるときに店長がお礼だと言って渡してくれたカフェオレを、歩きながら一気に飲み干した。
イルミネーションの光が眩しくて俯くと、たくさんの革靴やパンプスが目に入った。よく見るとそれはデザインが似ているものばかりで、結局個性なんてファッションにはでないということを知らしめているように思えた。既製品を買って身につけるのだから、組み合わせにも限りはでるだろう。個性的な人間なんてこの場にはいない。
なぜか気分がよくなって、手でひさしをつくって眩い光を避けながらも顔を上げた。道の端で売れ残ったケーキを何とか安く買いたたこうとしているケーキ屋の店員が目に入る。せっかくバイト先にも貢献したんだから、もう少し人助けをしてもいいのかもしれない。クリスマスだから買うんじゃない。わたしが食べたいから買うだけ。せっかくなら、滅多にしないようなホール食いをしてやろう。ケーキ屋で手のひらくらいの小さなホールケーキを買った。店員に「いいですね、誰と食べるんですか」と聞かれて、聞こえなかったふりをしてやった。誰とでもできるような、世間話が嫌いだった。
雑に包装された箱につけられた紐を指にひっかけて店を出る。しばらくしないうちに、不自然に人ごみが円形にはけているところを見つけた。なるべく早く帰りたかったから、人の少ない円形の近くを通る。その瞬間、マネキンでも吹き飛ぶように、アスファルトの上に人型の影が映った。影はすぐに大きくなり、わたしの足元に体の大きな男性が転がってきた。
人が降ってきた!
人は驚きすぎると体が硬直して声すらでなくなるということを、今日はじめて知った。男は顔から血を流し、その血はアスファルトを伝ってわたしのパンプスを汚した。映画の撮影か、ドッキリだと思いたかった。あまりの非現実的な光景が受け止めきれなくて足が震える。荒くなった自分の息が、首元のマフラーの中に溜まったいった。
「うお、飛ばしすぎたわ、わりぃわりぃ」
楽しげな軽快な男の声が正面から聞こえてきて、顔を上げた。
自動販売機ほどありそうな背丈。ワックスで立つようにセットされた、前髪部分だけ金に染められた黒髪に、左耳の長い金属のピアス。左右の手の甲それぞれに彫られた、『罪』と『罰』の大きなタトゥー。
一目見て、彼が『歌舞伎町の死神』と呼ばれている不良だと気が付いた。歌舞伎町に時々来るくらいの一般人でも、彼の噂は知っている。それほどまでに彼は関わってはいけない不良として有名だった。
彼はわたしの足元を指さして、ふと思いついたように口を開いた。
「それ、俺にくれね?」
自分の足元にまで視線を下げると、ケーキの箱が地面に落ちていた。落ちた衝撃で崩れたのか、箱の隙間から白いクリームがはみ出していた。
やじうまをしていた人達はいよいよ関わらない方がいいと思ったのか、一斉にはけていく。投げ飛ばされた男はアスファルトの上に血の跡を残したまま、とっくにどこかに逃げていた。
それでも一瞬自分に言われたことに気が付かなくて、茫然としたまま彼の目を見つめた。彼の目は、イルミーションの青白い光にの中でも、電球のように金色に輝いているように見えた。
私が返事しないことに痺れを切らしたのか、彼は近づいてくると私の手首を掴んだ。温度のない、寒色の世界の中でも、喧嘩の後だからか彼の手のひらの皮膚は熱かった。彼の熱さが、凍えた私の神経を生き返らせて、体の輪郭を取り戻させているような気がした。
□
彼は、半間修二というらしい。
派手な見た目とあだ名にそぐわず、彼の本名はどこにでもいそうなものだった。
あの後乱暴でもされるのかと身構え、ケーキを置いて逃げようとしたが、直前に半間に止められた。
「一緒に食おうぜ」とまるで旧知の友人のように半間はわたしを誘ってきた。
半間に連れられてきた公園のベンチで、甘ったるいクリームを舐めた。地面に落ちたものは食べたくなかったからいらないと何度か断ったが、「俺一人で食っても楽しくねえだろ」と彼はホールケーキの一部を手でちぎって私によこしてきた。
私の隣で黙ってケーキを食べる彼の態度は、意外なほど友好的なものだった。はじめから害を及ぼさないと分かっている相手には警戒を解くのかもしれない。
「うま、朝からなんも食ってねえから助かるわ」半間は口いっぱいにケーキを頬張ったまま言った。
「そうなの?」
長身のせいではじめて見たときは成人しているものかと思ったが、近くで見ると肌の感じや話し方でまだ中高生だと察することができた。食事は親に用意してもらったりコンビニで買うことが当たり前だった私にとって、この年の子が朝から食事をしていないというのは、驚くべきことだった。
「おー、まあ、今日はセンパイたちに会えなかったからなあ」
「センパイたち?」
やっぱり、ハイになっている気がする。いつもだったらこんな危険そうな質問はしない方がいいと理性が旗らくはずなのに、頭に浮かんだものを思わず口にしてしまう。
「メシ、奢ってくれる」
「へえ、仲いいんだね」
「はは良くはねぇよ。兵隊みたいなモン」
半間は冗談っぽく笑いながら言った。
彼の声には悲しみも虚しさもなくて、ただ現実をそのまま受け入れ、事実を淡々と告げているような気配があった。
寂しくないの、と思わず口をつきそうになった。ケーキを口の中に放り慌ててせき止める。
与えられるべき人から食事をもらえないで、唯一それをくれる人からも代償に力を求められるのなら、いったい半間は誰から優しくされるのだろう。
半間と会ってすぐで、まだまともに会話もしていないくせにそんなことを考えた。
その動揺を表情に出さないで済んだのは、私がいつも冷笑的に他人を見ているからだと思う。感情に振り回されるなんて情けない、と自分を律するように唱える。
半間も自分の発言をと特に気にするような素振りをみせず、またケーキを手掴みで口に運んだ。指の腹に白いクリームがつき、舌の先だけ口から出して半間はクリームを舐めとった。
その仕草を見て、やけ胸がざわめくのを感じた。テレビで俳優がしている行動を表すときのような、ときめきとは違う。もっと切実なもので、生を感じさせる仕草だと思った。
私の視線に気がつかないまま、半間は長い首を傾けて空を扇いだ。唾液で光る指先で中空を指さす。
「あの星座、なんていうんだっけ。なんか有名なやつだよな」
「オリオン座」
「へえ、よく知ってんじゃん」
「どうつなぐかは、わかる?」
知らね、と彼はぶっきらぼうに返した。わたしは彼の手の上に自分の手を重ねた。驚いたのか、彼の体が少しだけ動いたのが気配でわかった。
「あの赤いのがペテルギウス。それで、オリオン座はこうやってつながってる」
私は、オリオン座をなぞるように彼の指先を動かした。
「それで、オリオン座から少し離れたところにあるあの白いのがシリウスで、あの黄色いのがプロキオン。三つ結んで、冬の大三角形だよ」
半間はわたしの星座の説明を黙って聞き、されるがままに指先で星をなぞっていた。説明を終えてからはっと我に返った。ここまでしろとは言ってないと怒られると思ったが、半間は裏表の感じさせない純粋な笑みを浮かべた。
「すげ、学校のセンセみたいじゃん」
「あはは、そんなことは」
半間は上機嫌そうに空を見上げ、もう一度自分ひとりで星をなぞった。
学校で星座の勉強をしたときは、なんでこんなことを覚えさせられるのかわからなかった。でも、少しでも自分がいらないと思っていた知識で誰かだ喜ぶのはこちらまで嬉しくなるような気がした。
感情に振り回されるなんて、ともう一人の自分が頭の中でいいかけたとき、それを遮るように半間が声をかけてきた。
「な、ほかのも教えろよ」
「興味あるの? 少し意外かも」
「他のやつらはイルミみてるのに、俺らが星見てるのってなんかキモチくね?」
半間の言葉がすとんと胸に落ちてくる。わかる気がした。私も大勢と別の方向を向くのが好きだった。
クリスマスが嫌い。流行りのアイドルが嫌い。誰とでもできるような世間話が嫌い。
嫌いで固めておけば、とりあえずはとがった自分になれる気がした。本当にとがった、半間みたいな人の前では私の棘なんて鉛筆のようなものだけれど。
「わかる~。もう少しだけ教えたげるね」
話す前はあんなに怖かったのに、いつの間にか部活の後輩の男の子にでも話しかけるかのように私の態度はくだけた。半間も私の態度を受け入れたような笑みを見せる。
そのことに気が付いて、半間もわたしと同じ、鉛筆のようなものなのではないかと思った。誰かに削られて尖り、それでも折れない鉛筆。
半間は、ケーキの箱を潰しながら、気の抜けた笑みを見せた。
「じゃあ、あんたは俺のセンセイな」
星の淡い光が、半間の唇の隙間からの白い歯を照らした気がした。その輝きが、地上の人工の光よりずっと綺麗に見えた。
私は様々な嫌いがなくても、半間のセンセイになれたのだと思った。嫌いを捨てても半間のセンセイであつことは変わらないと。
そして半間も、お腹を空かせていた子供でも、ご飯の代わりに喧嘩をする子供でもなく、私のセイトになったのだと思った。
みんなと同じ知識を詰め込む暗記なんて無駄だと思っていた。それよりも、私の中にはもっと私にしか知らないものがあると。
でも、私はいまその無駄なもののおかげで、半間の特別になれた。
喧嘩慣れした硬い手を掴んで、イルミネーションとビルの光のせいで霞んだ夜空をなぞっていく。いままで生きてきた軌跡を確かめるかのように。
一定の強さで瞬く地上に光に負けなかった星々を、半間とわたしの手で拾い上げていく。薄い紺色に浮かぶ星は、なにかのことを嫌いだと言っているように見えた。
やがて半間の手から力が抜け、返事も途切れ途切れになっていった。空腹の時に甘いものを口に一気に食べたから、血糖値が上がりすぎて眠くなったのだろう。
返事が返ってこないのを確認した後、半間の手を彼のかたい膝の上に戻した。前傾して顔を覗き込む。あんなに凶悪な喧嘩をしていたとは思えないほど、穏やかな表情で半間は寝入っていた。
私は自分の首からマフラーを解くと、ベンチで寝こける半間の膝にかけてあげた。無防備に眠る半間の口からは白い息が漏れていた。風邪ひくぞ、と小さな声で囁いたが、やはり返事はなかった。
立ちあがった拍子に、自分の鞄から柊の飾りが落ちた。店長に言われて、今日だけバイト中に制服の肩の部分につけていた飾りだった。
安全ピンの針を出して、半間の服の胸元に刺した。名札でもつけたように、半間の胸元には柊がつけられた。
柊は魔除けの意味があると店長がぼやいていたのを、ふと思い出したのだ。こんなところで無駄話が役だった、と思った。
あまり年の変わらないセイトが、これから先大きな怪我をしないように星に願って、私はその場を後にした。
眩い寒色の世界を、さっきよりもゆっくりと歩いて家に帰った。
大勢の人の話し声が、街の中で流れるBGMをかき消す。音楽は途切れ途切れにしか聞こえないが、おそらく流行っているアイドルグループのクリスマスソングだった気がする。
くだらない。いちいちイベントの度に予定を立てて、どこかに出かける人の気が知れない。
私は今日もいつも通り飲食のアルバイトを入れ、いつもより多い客をいつもより少ない店員でまわした。あがるときに店長がお礼だと言って渡してくれたカフェオレを、歩きながら一気に飲み干した。
イルミネーションの光が眩しくて俯くと、たくさんの革靴やパンプスが目に入った。よく見るとそれはデザインが似ているものばかりで、結局個性なんてファッションにはでないということを知らしめているように思えた。既製品を買って身につけるのだから、組み合わせにも限りはでるだろう。個性的な人間なんてこの場にはいない。
なぜか気分がよくなって、手でひさしをつくって眩い光を避けながらも顔を上げた。道の端で売れ残ったケーキを何とか安く買いたたこうとしているケーキ屋の店員が目に入る。せっかくバイト先にも貢献したんだから、もう少し人助けをしてもいいのかもしれない。クリスマスだから買うんじゃない。わたしが食べたいから買うだけ。せっかくなら、滅多にしないようなホール食いをしてやろう。ケーキ屋で手のひらくらいの小さなホールケーキを買った。店員に「いいですね、誰と食べるんですか」と聞かれて、聞こえなかったふりをしてやった。誰とでもできるような、世間話が嫌いだった。
雑に包装された箱につけられた紐を指にひっかけて店を出る。しばらくしないうちに、不自然に人ごみが円形にはけているところを見つけた。なるべく早く帰りたかったから、人の少ない円形の近くを通る。その瞬間、マネキンでも吹き飛ぶように、アスファルトの上に人型の影が映った。影はすぐに大きくなり、わたしの足元に体の大きな男性が転がってきた。
人が降ってきた!
人は驚きすぎると体が硬直して声すらでなくなるということを、今日はじめて知った。男は顔から血を流し、その血はアスファルトを伝ってわたしのパンプスを汚した。映画の撮影か、ドッキリだと思いたかった。あまりの非現実的な光景が受け止めきれなくて足が震える。荒くなった自分の息が、首元のマフラーの中に溜まったいった。
「うお、飛ばしすぎたわ、わりぃわりぃ」
楽しげな軽快な男の声が正面から聞こえてきて、顔を上げた。
自動販売機ほどありそうな背丈。ワックスで立つようにセットされた、前髪部分だけ金に染められた黒髪に、左耳の長い金属のピアス。左右の手の甲それぞれに彫られた、『罪』と『罰』の大きなタトゥー。
一目見て、彼が『歌舞伎町の死神』と呼ばれている不良だと気が付いた。歌舞伎町に時々来るくらいの一般人でも、彼の噂は知っている。それほどまでに彼は関わってはいけない不良として有名だった。
彼はわたしの足元を指さして、ふと思いついたように口を開いた。
「それ、俺にくれね?」
自分の足元にまで視線を下げると、ケーキの箱が地面に落ちていた。落ちた衝撃で崩れたのか、箱の隙間から白いクリームがはみ出していた。
やじうまをしていた人達はいよいよ関わらない方がいいと思ったのか、一斉にはけていく。投げ飛ばされた男はアスファルトの上に血の跡を残したまま、とっくにどこかに逃げていた。
それでも一瞬自分に言われたことに気が付かなくて、茫然としたまま彼の目を見つめた。彼の目は、イルミーションの青白い光にの中でも、電球のように金色に輝いているように見えた。
私が返事しないことに痺れを切らしたのか、彼は近づいてくると私の手首を掴んだ。温度のない、寒色の世界の中でも、喧嘩の後だからか彼の手のひらの皮膚は熱かった。彼の熱さが、凍えた私の神経を生き返らせて、体の輪郭を取り戻させているような気がした。
□
彼は、半間修二というらしい。
派手な見た目とあだ名にそぐわず、彼の本名はどこにでもいそうなものだった。
あの後乱暴でもされるのかと身構え、ケーキを置いて逃げようとしたが、直前に半間に止められた。
「一緒に食おうぜ」とまるで旧知の友人のように半間はわたしを誘ってきた。
半間に連れられてきた公園のベンチで、甘ったるいクリームを舐めた。地面に落ちたものは食べたくなかったからいらないと何度か断ったが、「俺一人で食っても楽しくねえだろ」と彼はホールケーキの一部を手でちぎって私によこしてきた。
私の隣で黙ってケーキを食べる彼の態度は、意外なほど友好的なものだった。はじめから害を及ぼさないと分かっている相手には警戒を解くのかもしれない。
「うま、朝からなんも食ってねえから助かるわ」半間は口いっぱいにケーキを頬張ったまま言った。
「そうなの?」
長身のせいではじめて見たときは成人しているものかと思ったが、近くで見ると肌の感じや話し方でまだ中高生だと察することができた。食事は親に用意してもらったりコンビニで買うことが当たり前だった私にとって、この年の子が朝から食事をしていないというのは、驚くべきことだった。
「おー、まあ、今日はセンパイたちに会えなかったからなあ」
「センパイたち?」
やっぱり、ハイになっている気がする。いつもだったらこんな危険そうな質問はしない方がいいと理性が旗らくはずなのに、頭に浮かんだものを思わず口にしてしまう。
「メシ、奢ってくれる」
「へえ、仲いいんだね」
「はは良くはねぇよ。兵隊みたいなモン」
半間は冗談っぽく笑いながら言った。
彼の声には悲しみも虚しさもなくて、ただ現実をそのまま受け入れ、事実を淡々と告げているような気配があった。
寂しくないの、と思わず口をつきそうになった。ケーキを口の中に放り慌ててせき止める。
与えられるべき人から食事をもらえないで、唯一それをくれる人からも代償に力を求められるのなら、いったい半間は誰から優しくされるのだろう。
半間と会ってすぐで、まだまともに会話もしていないくせにそんなことを考えた。
その動揺を表情に出さないで済んだのは、私がいつも冷笑的に他人を見ているからだと思う。感情に振り回されるなんて情けない、と自分を律するように唱える。
半間も自分の発言をと特に気にするような素振りをみせず、またケーキを手掴みで口に運んだ。指の腹に白いクリームがつき、舌の先だけ口から出して半間はクリームを舐めとった。
その仕草を見て、やけ胸がざわめくのを感じた。テレビで俳優がしている行動を表すときのような、ときめきとは違う。もっと切実なもので、生を感じさせる仕草だと思った。
私の視線に気がつかないまま、半間は長い首を傾けて空を扇いだ。唾液で光る指先で中空を指さす。
「あの星座、なんていうんだっけ。なんか有名なやつだよな」
「オリオン座」
「へえ、よく知ってんじゃん」
「どうつなぐかは、わかる?」
知らね、と彼はぶっきらぼうに返した。わたしは彼の手の上に自分の手を重ねた。驚いたのか、彼の体が少しだけ動いたのが気配でわかった。
「あの赤いのがペテルギウス。それで、オリオン座はこうやってつながってる」
私は、オリオン座をなぞるように彼の指先を動かした。
「それで、オリオン座から少し離れたところにあるあの白いのがシリウスで、あの黄色いのがプロキオン。三つ結んで、冬の大三角形だよ」
半間はわたしの星座の説明を黙って聞き、されるがままに指先で星をなぞっていた。説明を終えてからはっと我に返った。ここまでしろとは言ってないと怒られると思ったが、半間は裏表の感じさせない純粋な笑みを浮かべた。
「すげ、学校のセンセみたいじゃん」
「あはは、そんなことは」
半間は上機嫌そうに空を見上げ、もう一度自分ひとりで星をなぞった。
学校で星座の勉強をしたときは、なんでこんなことを覚えさせられるのかわからなかった。でも、少しでも自分がいらないと思っていた知識で誰かだ喜ぶのはこちらまで嬉しくなるような気がした。
感情に振り回されるなんて、ともう一人の自分が頭の中でいいかけたとき、それを遮るように半間が声をかけてきた。
「な、ほかのも教えろよ」
「興味あるの? 少し意外かも」
「他のやつらはイルミみてるのに、俺らが星見てるのってなんかキモチくね?」
半間の言葉がすとんと胸に落ちてくる。わかる気がした。私も大勢と別の方向を向くのが好きだった。
クリスマスが嫌い。流行りのアイドルが嫌い。誰とでもできるような世間話が嫌い。
嫌いで固めておけば、とりあえずはとがった自分になれる気がした。本当にとがった、半間みたいな人の前では私の棘なんて鉛筆のようなものだけれど。
「わかる~。もう少しだけ教えたげるね」
話す前はあんなに怖かったのに、いつの間にか部活の後輩の男の子にでも話しかけるかのように私の態度はくだけた。半間も私の態度を受け入れたような笑みを見せる。
そのことに気が付いて、半間もわたしと同じ、鉛筆のようなものなのではないかと思った。誰かに削られて尖り、それでも折れない鉛筆。
半間は、ケーキの箱を潰しながら、気の抜けた笑みを見せた。
「じゃあ、あんたは俺のセンセイな」
星の淡い光が、半間の唇の隙間からの白い歯を照らした気がした。その輝きが、地上の人工の光よりずっと綺麗に見えた。
私は様々な嫌いがなくても、半間のセンセイになれたのだと思った。嫌いを捨てても半間のセンセイであつことは変わらないと。
そして半間も、お腹を空かせていた子供でも、ご飯の代わりに喧嘩をする子供でもなく、私のセイトになったのだと思った。
みんなと同じ知識を詰め込む暗記なんて無駄だと思っていた。それよりも、私の中にはもっと私にしか知らないものがあると。
でも、私はいまその無駄なもののおかげで、半間の特別になれた。
喧嘩慣れした硬い手を掴んで、イルミネーションとビルの光のせいで霞んだ夜空をなぞっていく。いままで生きてきた軌跡を確かめるかのように。
一定の強さで瞬く地上に光に負けなかった星々を、半間とわたしの手で拾い上げていく。薄い紺色に浮かぶ星は、なにかのことを嫌いだと言っているように見えた。
やがて半間の手から力が抜け、返事も途切れ途切れになっていった。空腹の時に甘いものを口に一気に食べたから、血糖値が上がりすぎて眠くなったのだろう。
返事が返ってこないのを確認した後、半間の手を彼のかたい膝の上に戻した。前傾して顔を覗き込む。あんなに凶悪な喧嘩をしていたとは思えないほど、穏やかな表情で半間は寝入っていた。
私は自分の首からマフラーを解くと、ベンチで寝こける半間の膝にかけてあげた。無防備に眠る半間の口からは白い息が漏れていた。風邪ひくぞ、と小さな声で囁いたが、やはり返事はなかった。
立ちあがった拍子に、自分の鞄から柊の飾りが落ちた。店長に言われて、今日だけバイト中に制服の肩の部分につけていた飾りだった。
安全ピンの針を出して、半間の服の胸元に刺した。名札でもつけたように、半間の胸元には柊がつけられた。
柊は魔除けの意味があると店長がぼやいていたのを、ふと思い出したのだ。こんなところで無駄話が役だった、と思った。
あまり年の変わらないセイトが、これから先大きな怪我をしないように星に願って、私はその場を後にした。
眩い寒色の世界を、さっきよりもゆっくりと歩いて家に帰った。
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