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半間修二

重だるい、空腹の体をベッドに沈ませながら、黒い天井を見上げていると、アイスが食べたくなった。胃酸で胃がきりきりと痛む。

顔の横から向けられた白い光が眩しい。彼氏が私に背を向けて、つまらなそうな手つきでスマートフォンをいじっているのだった。甘いピロートークを望んではいないが、一応付き合っているのだからもう少し雰囲気に気を遣えばいいのに。

彼氏に家に呼ばれたのは、今日の夕方だった。
今日は会う気分ではなかったが、別にひとりでしたいこともなかったから、呼ばれたらすぐに彼氏の家に行った。体目当てなのはわかっているけれど、今更関係を絶つのも面倒だった。

「コンビニ行ってくる」
起き上がって、下着と服をかきあつめながら独り言のように言った
「おー」と彼は携帯から視線を外さずに返す。欲を発散したら本当に興味を失ったようだった。

彼氏のダウンを借りて、アパートを出る。
一番近くにあるコンビニで、普段は買わないような高めのコーンのアイスを買った。ついでに度数の高い缶チューハイも買う。てっとり早く酔いたかった。
缶チューハイを開けてちびちび飲みながら、しばらく静かな路地をあてもなく歩いた。彼氏の家とは別の方向に行っていることは気が付いていたけれど、なんとなくまだ帰りたくないような気がした。

何本か道路が離れたところにある線路を通る電車の音が、夜の静けさの中に響いている。
その音を聞いていると、自然に腹の底が疼いた。体の中に刻まれた熱が目を覚まし、鮮明に感覚が蘇るかのようだった。
暗くて狭い部屋とタバコの匂い。体の大きい、私の彼氏ではない男が、呼吸を潰すかのように私に覆い被さる時の感覚。

暗い路地の向こうに、ぼんやりと月のような金の光が浮いている。その光は瞬きながら私の方に近づいていきた。数メートルの距離になって、ようやくそれが人間の目であることに気が付いた。

「……半間くん?」
アルコールの甘いしびれで舌がもつれ、子供のような発音になった。
「おう」と背の高い影が、片手をあげながら近づいてくる。
「こんな夜中になにしてんの」と半間くんは私に尋ねた。
私が着ているダウンで察したのか、会話の中で急に目の温度を下げた。
「へぇ。センパイ、ついてきてくれなかったわけ?」
「まあね。でも一人で散歩するのも好きだから、いいかなぁ」

あっそ、と言いながら、半間くんは私の手を握った。抵抗する気も起きないくらい自然な仕草で、気が付けば私は半間くんに手を引かれながら歩き始めていた。

彼氏の後輩である半間くんとおかしな関係になってから、しばらく経つ。二股のような状態になっているけれど、彼氏は興味がないから気が付かないのか、それとも気が付いていて言わないのか、表立った問題にはならなかった。

アイスの入ったビニール袋がかしゃかしゃとなる音と、二人分の足音が混じる。
どこに向かっているかわからなかったが、なにも言わずに半間くんについていった。
「なに飲んでンの?」
「ん、グレープフルーツのやつ。半間くんも飲む?」
おう、と半間くんは頷いて、空いている方の手で私の手から缶を奪うと、一気に缶を傾けた。街灯の光が、大きく上下する半間くんの飛び出た喉仏を浮きだたせていた。

あっま、と半間くんは呟きながら、公園の中に私を連れて入った。
いつの間に飲み干したのか、空になった缶をベンチの近くのゴミ箱に捨てる。缶がぶつかりあう音が人のいない公園で冷たく聞こえた。
「アイス買ったんだよね。食べてこうかな」
「いーじゃん」
ビニールからアイスを取り出して、半間くんと並んでベンチに座る。狭いベンチだったから距離が縮まって、タバコの強い匂いがした。

包装を開けてアイスを舐める。少し歩いたからか溶けかけていて、砂糖の含まれた雫が舌の上に乗った。
「俺にもくれよ」
「ヤダ。半間くんわたしのアイス全部食べちゃったじゃん」
頬を膨らませて返す。半間くんが頬を緩ませるのを視界の隅で捉えた。ベンチに置かれた手に、半間くんの重くて熱い手が重ねられる。
その手の感触を感じると、口の中の甘みがしつこいほど強くなった。
線路に近づいたのか、電車の通る音や、踏切の音がさっきより強く聞こえた。

「この音さ、半間くんの部屋思いだすね」
「ああ、俺んち線路近いもんな」
電車が通るときのがたがたという音は、線路の隙間のせいで鳴っていると、この間彼氏が自慢げに言っていたことを思い出した。
あの隙間は、太陽の熱でレールが温められると、金属が膨張するからなくなるらしい。

「な。この後俺の家くる……?」
耳のなかに、どろりとした声が流しこまれる。低い音は、私の脳をしっかりと掴んで揺さぶった。
「だ、だめ、彼氏、あやしむでしょ……」
「ダシジョブだろ。もし帰ってこなくても、自分の家に帰ったんだなって思うだろ」

彼氏が私のことを心配なんかしないってこと、とうの昔に気がついている。知っていて、それでも自分の体を求めてくる彼と付き合ってしまう。性欲さえ満たされれば、満たされないなにかが埋まる気がする。
 
がた、がた、と走行音が強くなった。壊れかけているのか、公園の街灯が音に合わせて点滅した。
あの隙間は、いつ埋まるのだろう。
街灯の点滅に合わせて、半間くんの耳のピアスがきらきら光る。
私の手を閉じ込めるように半間くんの手に体重がかけられて身じろぎひとつできない。
「どーする、家、くる?」
耳に、柑橘系の缶チューハイの匂いのする息がかかる。その息に含まれたアルコールのせいでわたしまで深く酔いそうだ。
片手に持ったアイスが私の手の温度で溶けて、手の甲に滴り落ちた。半間くんは背中を曲げて私の顔をのぞきこみながら、楽しそうに微笑んだ。

街灯の光が、消えた。

暗闇の中から大きな腕が伸びてきて、私の下腹に触れた。まるく、円を描くように半間くんの手が私の腹を撫でた。
腹があつく、あまく、疼く。
瞼の裏で、半間くんの部屋で半間くんと体を重ねるときの映像が浮かぶ。
早く半間くんに触れたいし、触れて欲しい。数時間前に彼氏と一緒にいた癖に、もう半間くんのことしか考えられなくなっている。半間くんの目が、勝ち誇ったかのように微笑む。彼の目の色は金属に似ていると、ずっと前から思っていた。
頭の奥で、金属が溶けるように私の脳もとろける。

きもちがいい。それしか考えられない。
じくじくととろけている脳の溝に、半間くんからの金属が流れ込む。
はんまくん、と舌をもつれさせて名前を呼ぶ。
体が覚えている。半間くんのすべてを。名前の甘い呼び方を。

アイスが全て溶けて、腕を伝ってダウンを汚した。
拳を開いて、アイスをビニール袋の中に落とす。半間くんは乗せていた手をそっと放してくれた。私はビニールをゴミ箱の中に捨てると、半間くんの手を引いてベンチから立ち上がらせた。

ほとんど小走りになりながら半間くんの家の方に向かうわたしに、悠々とした歩調で半間くんはついてきた。
半間くんのアパートは彼氏の部屋より狭いからか、扉を開けた瞬間タバコの匂いがわっと流れこんでくる。 なかば転がりこむように部屋の中に入り、床の上の布団にふたりで転がった。

薄い布団の下にある畳がかたい。一瞬顔をしかめると、半間くんは毛布を集めて私の腰や背中に敷いてくれた。
カーテンすらない小窓の向こうに、暗がりに沈んだ線路と夜空に浮かぶ月が見えた。月の白い光は、暗闇の中を抜けてレールを照らしていた。レールは光を反射させて、その光は瞬きながら暗い部屋の中に差してきた。

半間くんは、乱暴な手つきで私のダウンを脱がした。彼の嫉妬が私を楽しませる。
「センパイのこれ、燃やしちまいてぇな」
「だめだって、ね、それよりこっち集中して」
甘えるように胸板に頬を摺り寄せると、半間くんは彼氏よりもずっと優しく、頭を撫でてくれた。

線路にちょうど電車が通り、部屋の中が大きく揺れた。低く響く音が部屋の中を支配する。
床の振動をなまなましく背中に感じ、背筋になにかが伝った。

あの線路の隙間は、きっといつまでも埋まらないのかもしれない。

鋳型になりたい。半間くんだけにぴったりと合う鋳型に。
私の好きなところを知り尽くしている手が、私の体を撫でる。乾燥した大きな手を感じるだけで、体がうるむように熱を帯びた。

こんなに体の相性がいいのだから、半間くんが私の運命だ。
浮気に対する罪悪感も恐怖もなにも感じなかった。私を抱き締める太い腕に体重をあずけると、アイスの包装をめくるように半間くんは私の服を脱がせた。タバコの匂いを含む空気を肌が吸った。
熱が渦巻く皮膚の下を、半間くんに見て欲しい。この、すかすかの隙間だらけの体を、半間くんにうめてほしかった。




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