半間修二
彼は甘い暴力で、わたしを生かしていた。
だから彼が帰ってくるまでに、わたしは自分の顔に化粧をして、ちょうどいい高さのドアノブを見つけそこにロープをかけ、 〝それ〟を行わなければいけなかった。
ファンデは、どうせ汗で落ちるだろうから雑に済ませた。眉毛を書いて、ブラウンのアイシャドウを瞼に乗せる。アイラインを跳ね上げて、真っ赤な口紅を塗りたくった。
光に照らされて、美しい輪郭を浮きだたせた彼女が、「男の人って唇しか見てないから、最悪口紅だけ塗れば大丈夫よ」と棒付きの飴を舐め、微笑みながら言っていたことを思い出していた。
化粧は終わり。ここまでは完璧。機嫌が良くなって、大好きだった棒付きキャンディの包装をはがして口に含んだ。
リビングでは惰性でテレビがついている。明日の天気は晴れでしょう――、と今日と変わらない明日がくると、信じて疑わないような声。甘ったるい球体をかみ砕いた。
彼が、帰ってきてしまうかもしれない。その前にはやく。立ち上がって、リビングから出る。リビングは引き戸だから、ロ―プはかけられない。トイレ、寝室、書斎、とぐるぐると回って、ようやく玄関にドアノブがあることに気が付いた。
ポケットから、新しいキャンディを取り出して、また舐めはじめる。舐め終わりの古い棒は玄関に置いた。あ、墓標じゃん。
わたしは靴も履かずに玄関に降りると、ロープに輪をつくり、そこに自分の頭を通した。もう片方のロープの先端を、ドアノブに括り付ける。彼女と、同じ方法だった。いまからわたしは汚れる。一カ月前、埃っぽい狭いアパートの玄関で、彼女は体を冷たくさせ、自分の下に水たまりを作っていた。同じ、方法。なら、同じところにいけるはず。
首の輪が狭まる。喉の奥が締まる衝撃で、体に力が入って歯を食いしばり、また飴を砕いてしまった。酸欠でこめかみが痛み、目に浮かんだ雫のせいで視界がぼやけていく。
彼が甘い暴力をするときの顔が、一瞬頭に浮かんだ。彼はなぜかいつも瞳の奥で泣いていて、わたしをここに繋ぎとめておきたがっているように見えた。それを振り払って、目を瞑る。
瞼の裏の暗闇が、意識の暗闇と同化しはじめた瞬間、体が落下する感覚に襲われた。大きな音を立てながら、玄関の冷たい床に体が叩きつけられる。
狭まっていた喉が急に開き、肺には冷たい空気が大量に流れ込んできた。玄関の扉が、静かに開く。彼が、帰ってきてしまった――。
❁
彼。名前は半間修二。おそらく二十代の半ば。背が高くて声が低い男。一カ月前に、泥の人形のようになっていたわたしを引き取って、一人暮らしをしている彼のタワーマンションにつれてきた人物だった。「残されちまったもの同士、仲良くしような」初めて会った日、彼がわたしに言った言葉だった。
わたしは、自分と彼の関係を知らなかった。しかし彼は、わたしに、食べたこともないような食べ物を与えたり、隙間風に凍えなくても済むような住まいを用意してくれた。そして、彼はわたしを、生かした。
なにも喉を通らなくなったわたしの口を無理に食事を詰め込み、体が睡眠を拒めば、彼はわたしに薬を飲ませて、包み込むように抱きしめながら眠りに誘った。ここまで大きな体に抱きしめられるのは初めてで、名づけようのない感情で、頭がガンガンとした。涙が滲んで、目の淵が痛かった。彼の腕の中で、顔を見ようと見上げると、彼はわたしに甘い瞳を向けて、優しく頭を撫でてきた。
こんなの、甘い暴力だ。
❁
玄関に転がりながらわたしは、全身で生を体感していた。肺から全身に酸素がめぐり、血流が再開して燃えるように熱くなった体を持て余す。
いきている、と思って、目を開け視線を上に滑らせ、半間さんの顔を見た。
いつもは甘く私を見る彼の瞳が、怒りに染まっていることに鈍くなった頭で感じとる。
「なーにしてたんだぁ?」
なるべく怒りを押し殺した結果なのか、語尾は震えていた。許してほしくて、にこりと微笑んだ。それは悪手だったのか、大きなため息の後、彼はわたしの体を簡単に抱え、玄関から離れた。墓標が、遠ざかる。
リビングのソファに彼はわたしのことを寝かせると、首に巻きついていたロープを解いた。わたしはまだ心臓が体の中で暴れているような感覚に襲われていて、何度も深呼吸を繰り返した。半間さんは、わたしが落ち着くまで静かに待っていてくれた。
「ふふ、ばれちゃった」
息を整えると、彼の目を見つめながらかすかに笑う。半間さんはつられずに、真剣な顔をしていた。
「おまえ、まだ死にてえの?」
「わからないよ、半間さんには。わたしの気持ちなんて、」
また微笑む。どんなにつらくても、最期までわたしの記憶の中で笑顔でいた彼女のように。お酒と化粧品の匂いに包まれて、ときどき気だるげに性の気配を忍ばせながらも、美しくあった彼女のように。
「死にてえのかって、聞いてんの」
半間さんは、わたしの手を強く握った。想像を超える力と若干汗ばんだ手に驚いて、わたしの声はこわばった。
「しゃべらないで、いま話したくない」
「あ、そ……」
わたしの昔の家よりもずっと広い部屋は、沈黙が隅に広がるまでが長い。白い部屋の隅に視線を注ぎながら、その時間にひたっていた。
すると急に、片方の手首にロープを巻き付けられた。驚いて手首に視線を向け、ロープの行方を辿ると、ロ―プの先は半間さんが握っていた。なに、と動揺で掠れた声を漏らす。半間さんは甘い暴力をするときの顔で、言った。
「飴、あいつ好きだったよな」
「え、あいつって……」
飴が好きなひとは、わたしの中ではひとりしかいなかった。半間さんと同じ人を思い浮かべていたかはわからないけれど、記憶の奥底をくすぐられているようだと感じた。
ぎし、とソファが鳴る。半間さんは片膝をついてソファに乗り上げ、わたしの体に跨った。ほこりが宙を舞っているのに気を取られて、半間さんの顔に焦点を結べない。
体の大きな彼にのしかかられると、全く動けなくなった。彼はローテーブルに手を伸ばし、置いてあった飴を手に取った。「好きだったよな、この味」大きな手に収まった棒付きキャンディを、彼は懐かしむように見た。
彼女が好んでいた味と、同じだった。
「食べる? これ」
わたしの返事も待たずに、半間さんは手慣れた様子で包装を剥がす。この作業を、ほかの人にやっていたのだと、すぐに気が付いた。
彼は、わたしの唇に飴を当てた。手から発散される熱を、薄い顔の皮膚が感じとった。
「お前が死にたいの、わかるけどさ」彼は、低い声で言った。
なにが、わかるだ。そう言おうとしたのに、ゆっくりと口の中に入ってきた甘い球体に言葉は邪魔されて消えていく。
「仕方ねーじゃん。もういねえんだよ。お前しか、残らなかったんだから」
仕方なくない。仕方がないなんてこと、あるわけがない。あのひとが、なに苦しんでいたのか、わたしは知れなかった。一番近くにいたはずなのに、想像もつかなかった。
それでわたしを守っていたつもりなのかもしれないけれど、そんなことって、ひどすぎる。
飴は口の中でくるくると回され、でこぼこした部分が粘膜に擦れた。口の中に砂糖がついて、べたべたするのが気持ち悪い。
「わかってやっていた、つもりだったんだけどなあ……」
雨だ、と思った。上からはたはたと降ってきて、わたしの顔にかかる。ファンデやアイシャドウが落ちて、変な色の雫になって頬を伝う。
すっぴんになりたくない、化粧を落としたくない。わたしも、楽しそうに笑いながら、武装していた彼女になりたい。
私の目からの雫も化粧を溶かした色水に合流して、ソファに染みる。やだ、と小さく喉を震わせると、その声は甘い飴にぶつかった。
半間さんは一度鼻をすすり、穏やかな声で続けた。
「許してやってくれよ。甘えんぼなやつだから、俺らが怒ると泣いちまうし、逆に俺らが落ち込んでたら、あいつも悲しむだろ」
許さない。許したくない。わたしは、彼女――お母さんのことを、ゆるせない。
やだ、とさっきより強く言った。口の中で溶けた飴が、液体になって喉のあたりに溜まった。
「そっか、でもさ、」と半間さんは続ける。俺には、お前がいるからさ。飴が口の中に溜まった液体をかき混ぜ、立った水音で声が掻き消える。
お前にも、俺がいるし。
彼の声は聞こえてはいないけれど、唇の動きで読み取れた。なにを堪えるように、彼は唇を噛みながら話していた。赤く染まり、いまにも血がでてしまいそうな様が痛々しくて、唇を噛むのをやめてもらおうと、彼の目をじっと見つめた。彼の瞳の中に、おかあさん、がみえた。
半間さんは目を微笑ませて、わたしの口から飴を抜く。散々口の中に入っていたはずなのに、飴の大きさは舐める前とほとんど変わっていない。
これ、好きか、と半間さんは尋ねた。わたしはざらついた口の中の気持ち悪さも忘れて、うん、と言った。そ、と半間さんは満足そうに返し、わたしの手首に結ばれているロープを引いた。手首が引かれ、彼の左胸に手のひらが触れた。その下には、とくとくと動く臓器があった。その臓器は、脆くて傷つきやすく、生きるために必要な部位だった。
「明日、晴れだってよ。散歩にでも行くか?」優しい声が、耳をうつ。
半間さんは、わたしを、生かしていた。
だから、わたしも、半間さんを生かさなければならなかった。
だから彼が帰ってくるまでに、わたしは自分の顔に化粧をして、ちょうどいい高さのドアノブを見つけそこにロープをかけ、 〝それ〟を行わなければいけなかった。
ファンデは、どうせ汗で落ちるだろうから雑に済ませた。眉毛を書いて、ブラウンのアイシャドウを瞼に乗せる。アイラインを跳ね上げて、真っ赤な口紅を塗りたくった。
光に照らされて、美しい輪郭を浮きだたせた彼女が、「男の人って唇しか見てないから、最悪口紅だけ塗れば大丈夫よ」と棒付きの飴を舐め、微笑みながら言っていたことを思い出していた。
化粧は終わり。ここまでは完璧。機嫌が良くなって、大好きだった棒付きキャンディの包装をはがして口に含んだ。
リビングでは惰性でテレビがついている。明日の天気は晴れでしょう――、と今日と変わらない明日がくると、信じて疑わないような声。甘ったるい球体をかみ砕いた。
彼が、帰ってきてしまうかもしれない。その前にはやく。立ち上がって、リビングから出る。リビングは引き戸だから、ロ―プはかけられない。トイレ、寝室、書斎、とぐるぐると回って、ようやく玄関にドアノブがあることに気が付いた。
ポケットから、新しいキャンディを取り出して、また舐めはじめる。舐め終わりの古い棒は玄関に置いた。あ、墓標じゃん。
わたしは靴も履かずに玄関に降りると、ロープに輪をつくり、そこに自分の頭を通した。もう片方のロープの先端を、ドアノブに括り付ける。彼女と、同じ方法だった。いまからわたしは汚れる。一カ月前、埃っぽい狭いアパートの玄関で、彼女は体を冷たくさせ、自分の下に水たまりを作っていた。同じ、方法。なら、同じところにいけるはず。
首の輪が狭まる。喉の奥が締まる衝撃で、体に力が入って歯を食いしばり、また飴を砕いてしまった。酸欠でこめかみが痛み、目に浮かんだ雫のせいで視界がぼやけていく。
彼が甘い暴力をするときの顔が、一瞬頭に浮かんだ。彼はなぜかいつも瞳の奥で泣いていて、わたしをここに繋ぎとめておきたがっているように見えた。それを振り払って、目を瞑る。
瞼の裏の暗闇が、意識の暗闇と同化しはじめた瞬間、体が落下する感覚に襲われた。大きな音を立てながら、玄関の冷たい床に体が叩きつけられる。
狭まっていた喉が急に開き、肺には冷たい空気が大量に流れ込んできた。玄関の扉が、静かに開く。彼が、帰ってきてしまった――。
❁
彼。名前は半間修二。おそらく二十代の半ば。背が高くて声が低い男。一カ月前に、泥の人形のようになっていたわたしを引き取って、一人暮らしをしている彼のタワーマンションにつれてきた人物だった。「残されちまったもの同士、仲良くしような」初めて会った日、彼がわたしに言った言葉だった。
わたしは、自分と彼の関係を知らなかった。しかし彼は、わたしに、食べたこともないような食べ物を与えたり、隙間風に凍えなくても済むような住まいを用意してくれた。そして、彼はわたしを、生かした。
なにも喉を通らなくなったわたしの口を無理に食事を詰め込み、体が睡眠を拒めば、彼はわたしに薬を飲ませて、包み込むように抱きしめながら眠りに誘った。ここまで大きな体に抱きしめられるのは初めてで、名づけようのない感情で、頭がガンガンとした。涙が滲んで、目の淵が痛かった。彼の腕の中で、顔を見ようと見上げると、彼はわたしに甘い瞳を向けて、優しく頭を撫でてきた。
こんなの、甘い暴力だ。
❁
玄関に転がりながらわたしは、全身で生を体感していた。肺から全身に酸素がめぐり、血流が再開して燃えるように熱くなった体を持て余す。
いきている、と思って、目を開け視線を上に滑らせ、半間さんの顔を見た。
いつもは甘く私を見る彼の瞳が、怒りに染まっていることに鈍くなった頭で感じとる。
「なーにしてたんだぁ?」
なるべく怒りを押し殺した結果なのか、語尾は震えていた。許してほしくて、にこりと微笑んだ。それは悪手だったのか、大きなため息の後、彼はわたしの体を簡単に抱え、玄関から離れた。墓標が、遠ざかる。
リビングのソファに彼はわたしのことを寝かせると、首に巻きついていたロープを解いた。わたしはまだ心臓が体の中で暴れているような感覚に襲われていて、何度も深呼吸を繰り返した。半間さんは、わたしが落ち着くまで静かに待っていてくれた。
「ふふ、ばれちゃった」
息を整えると、彼の目を見つめながらかすかに笑う。半間さんはつられずに、真剣な顔をしていた。
「おまえ、まだ死にてえの?」
「わからないよ、半間さんには。わたしの気持ちなんて、」
また微笑む。どんなにつらくても、最期までわたしの記憶の中で笑顔でいた彼女のように。お酒と化粧品の匂いに包まれて、ときどき気だるげに性の気配を忍ばせながらも、美しくあった彼女のように。
「死にてえのかって、聞いてんの」
半間さんは、わたしの手を強く握った。想像を超える力と若干汗ばんだ手に驚いて、わたしの声はこわばった。
「しゃべらないで、いま話したくない」
「あ、そ……」
わたしの昔の家よりもずっと広い部屋は、沈黙が隅に広がるまでが長い。白い部屋の隅に視線を注ぎながら、その時間にひたっていた。
すると急に、片方の手首にロープを巻き付けられた。驚いて手首に視線を向け、ロープの行方を辿ると、ロ―プの先は半間さんが握っていた。なに、と動揺で掠れた声を漏らす。半間さんは甘い暴力をするときの顔で、言った。
「飴、あいつ好きだったよな」
「え、あいつって……」
飴が好きなひとは、わたしの中ではひとりしかいなかった。半間さんと同じ人を思い浮かべていたかはわからないけれど、記憶の奥底をくすぐられているようだと感じた。
ぎし、とソファが鳴る。半間さんは片膝をついてソファに乗り上げ、わたしの体に跨った。ほこりが宙を舞っているのに気を取られて、半間さんの顔に焦点を結べない。
体の大きな彼にのしかかられると、全く動けなくなった。彼はローテーブルに手を伸ばし、置いてあった飴を手に取った。「好きだったよな、この味」大きな手に収まった棒付きキャンディを、彼は懐かしむように見た。
彼女が好んでいた味と、同じだった。
「食べる? これ」
わたしの返事も待たずに、半間さんは手慣れた様子で包装を剥がす。この作業を、ほかの人にやっていたのだと、すぐに気が付いた。
彼は、わたしの唇に飴を当てた。手から発散される熱を、薄い顔の皮膚が感じとった。
「お前が死にたいの、わかるけどさ」彼は、低い声で言った。
なにが、わかるだ。そう言おうとしたのに、ゆっくりと口の中に入ってきた甘い球体に言葉は邪魔されて消えていく。
「仕方ねーじゃん。もういねえんだよ。お前しか、残らなかったんだから」
仕方なくない。仕方がないなんてこと、あるわけがない。あのひとが、なに苦しんでいたのか、わたしは知れなかった。一番近くにいたはずなのに、想像もつかなかった。
それでわたしを守っていたつもりなのかもしれないけれど、そんなことって、ひどすぎる。
飴は口の中でくるくると回され、でこぼこした部分が粘膜に擦れた。口の中に砂糖がついて、べたべたするのが気持ち悪い。
「わかってやっていた、つもりだったんだけどなあ……」
雨だ、と思った。上からはたはたと降ってきて、わたしの顔にかかる。ファンデやアイシャドウが落ちて、変な色の雫になって頬を伝う。
すっぴんになりたくない、化粧を落としたくない。わたしも、楽しそうに笑いながら、武装していた彼女になりたい。
私の目からの雫も化粧を溶かした色水に合流して、ソファに染みる。やだ、と小さく喉を震わせると、その声は甘い飴にぶつかった。
半間さんは一度鼻をすすり、穏やかな声で続けた。
「許してやってくれよ。甘えんぼなやつだから、俺らが怒ると泣いちまうし、逆に俺らが落ち込んでたら、あいつも悲しむだろ」
許さない。許したくない。わたしは、彼女――お母さんのことを、ゆるせない。
やだ、とさっきより強く言った。口の中で溶けた飴が、液体になって喉のあたりに溜まった。
「そっか、でもさ、」と半間さんは続ける。俺には、お前がいるからさ。飴が口の中に溜まった液体をかき混ぜ、立った水音で声が掻き消える。
お前にも、俺がいるし。
彼の声は聞こえてはいないけれど、唇の動きで読み取れた。なにを堪えるように、彼は唇を噛みながら話していた。赤く染まり、いまにも血がでてしまいそうな様が痛々しくて、唇を噛むのをやめてもらおうと、彼の目をじっと見つめた。彼の瞳の中に、おかあさん、がみえた。
半間さんは目を微笑ませて、わたしの口から飴を抜く。散々口の中に入っていたはずなのに、飴の大きさは舐める前とほとんど変わっていない。
これ、好きか、と半間さんは尋ねた。わたしはざらついた口の中の気持ち悪さも忘れて、うん、と言った。そ、と半間さんは満足そうに返し、わたしの手首に結ばれているロープを引いた。手首が引かれ、彼の左胸に手のひらが触れた。その下には、とくとくと動く臓器があった。その臓器は、脆くて傷つきやすく、生きるために必要な部位だった。
「明日、晴れだってよ。散歩にでも行くか?」優しい声が、耳をうつ。
半間さんは、わたしを、生かしていた。
だから、わたしも、半間さんを生かさなければならなかった。