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百神(短編)

地上の者が待ち望む"春"。
それを手放す瞬間が、何よりも恐ろしい。
深く冷たく忘却を誘う河に荒れた大地。日の光を通さない"生ある者"は先ず耐えられぬ冥府と呼ばれる場所。
この地に「来たい」と望む者など居る訳が無い、神ですら嫌悪するこの場所を望む酔狂な者など……そう思うと、俺は酷く胸が痛んだ。



望んでしまった。強く、激しく、只一人の少女を望み、求めて……今考えても、俺は何て事をしてしまったのかと後悔ばかりが胸を突き刺し続けている。
ならば手放してしまえば良い、彼女を母君の元へと帰してやれば良い。それが出来ないのは、未だ燃え上がり続ける自身の恋情が原因だ。
せめても、と少しでも地上に似た環境を作ろうとポプラと柳を植えていった。沈んだ太陽を迎える為の門と、夢が住む国を隣接させて"アスフォデルの原"で住む死者達が色も香りも無い環境の中で生活をさせている。
死者達が再び生まれ変わり、地上へと戻る迄の間を面倒見る位しか出来ないが……それでも不自由の無い様に。
そう言った時に微笑んだ彼女の顔を俺は決して忘れないだろうと思った。



春が訪れ夏が来る、秋で彩られた"色"が抜け落ち冬が来る。
その冬の間だけの逢瀬の様な時間は、甘美であり互いの胸に罪悪感を生む……そんな時間であると俺は目を伏せた。
地上の者から冬を呼んだのは他ならぬ俺自身の業であり、それでも彼女を求めてしまう事は償う事の出来ない位の大罪なのかも知れない。



───……俺が望んでいるのは、ペルセポネの心からの笑顔だと言うのに。



それこそ望んでは為らぬ事だと分かっている癖に、と俺はもう直ぐ訪れる"春"の気配に只一人震えていた。



《Separation》



「………こんな所に居たのか…」



殺風景で荒れた大地しか無い、薄暗い冥府の景色を只一人で見詰めていた彼女の華奢な肩に、俺は持って来たケープをそっと羽織らせた。
この冥府でも寒さを感じさせない為にと、彼女が来る前に準備していた物だ。地上の素材を手に入れるだけでも骨が折れたが、何も言わずに震える彼女を見る位ならばと、生地もさることながらデザイン的にも、らしくなく色々と考えたケープだったが……果してペルセポネは気に入ってくれただろうか?



「ハデス様……あの、これは?」



困惑気味に、だが決して嫌がっている訳では無いと言った表情を浮かべながらペルセポネが俺に尋ねて来る。
「身体を冷やすといけないから」とそう言ってやれれば良いのに、実際に言葉として発せられたのは、



「…………身体を、弱らせれば……母、君にも心配を掛ける……」



と、言えただけだった。
確かに理由としても含まれてはいる、だが俺がペルセポネに言いたかった事はそれだけでは無かった筈だ。苦しむ彼女を見るのが辛いのは、彼女の母君だけでは無い。
俺自身が辛いのだと、そう声に出して伝えれば良いのに……俺にはその言葉を伝える勇気がどうしても持てなかった。



「そう、ですね……」



ペルセポネは何処か哀しく微笑みを浮かべている。
その微笑みを見ると「違うのだ、本当はそんな事だけを言いたかった訳では無い。ただ傍に居たいと、少しでも同じ時を共に居たいと思っている」のだと、心の何処かで想ってくれているのだろうと思った。
この想いは決して俺自身だけの"独りよがり"な想いでは無いのだと、そう気付いてはいたのだ。只それを互いに伝え合わないのは、今の均衡を崩すべきでは無い事を知っているから。
均衡を崩すべきでは無い、これ以上…求めては為らない。
他の夫婦達の様に四六時中共に居られぬ分、せめて共に過ごす間だけでもと思いながらも、離れていく瞬間の痛みすら伴う激しい胸の痛みが、穴が開いた様な寂しさは、何年、何十年、何百…と繰り返しても決して薄れる事は無い。それを理解していながらも互いに手放せないと思っているのならば、これ程に嬉しい事は無いと思う。
仮に、俺だけの独りよがりな想いであったとしても……せめてそう思う事だけでも許して欲しかった。
例えば弟達はこの様な苦しみを味わう事は無いだろうが、逢えない"時"が長ければ長い程に募り続ける"慕情"は、まるで深々と降り積もる雪の様だと思う。そんな事を彼等に言うつもりは無いが、この雪は彼女でなければ解かす事は出来ないのだと思うと、それだけで生まれて来て良かったとそう思えるのだ。



だから、言わねば為らない。
彼女の母君が、地上の者が待ち望む"春"の訪れを……俺にとっても大切な、大切な"春"を、一度手放す時が来たのだとそう改めて彼女に伝える為に。



「もう、春だ………地上の者も、母君も、皆が"春"の帰還を待っている」

「ハデス様……」

「何か、欲しい物は有るか?」

「ならば………"ざくろ"を頂けますか?
ハデス様の手より頂いた"ざくろ"が、私……好きです、から…」

「"ざくろ"、か………」



あの日、痩せ細っていくペルセポネに少しでも良いから食べて貰いたくて冥府中を駆けずり回り漸く見付け出した"ざくろ"。
勿論、ペルセポネに冥府の食べ物を食べさせると言う事の意味を知らなかった訳では無い。
騙すつもりは無かった。だが何が何だか解らずに震え怖がる彼女を冥府へと連れて来たのは俺自身だ、そこに彼女の意志は無いのだから『無理矢理食べさせた』と言い切れば何とか帰してやれるのでは無いか、とそんな事を考えてしまったのは紛れも無い事実だった。



その"ざくろ"を一口、また一口と口に入れてくれた瞬間の安堵と罪の意識を未だ覚えている。
そして「無理矢理食べさせられたのでは無く、私自身の意志で食べたのです」と答えてくれた彼女の言葉がどれだけ俺の心を救ってくれたか……。



「分かった、準備しておこう」



暖かな地上、大好きな母君、それらと例え数ヶ月で在ろうとも離別する哀しみと引き換えに彼女は俺の元へと来てくれている。
そんな彼女の望みが、離別を与える切っ掛けとなった"ざくろ"だとは……目の前の彼女は何処まで心根の優しい娘なのか。
思わず抱き締めたくなる両の腕を制止し、「ペルセポネ」と愛おしい彼女の名前を呼んだ。



「此処は冷える……使者が来る迄、せめて部屋の中で待つと良い」

「はい、ハデス様」

「後で……"ざくろ"を持って行く、から…待っていてくれ」

「…………はい、ハデス様…有難うございます」



今にも泣き出しそうに目を細めて頭を下げる彼女の肩に漸く掌で触れると、「礼など不要だ」と精一杯の笑みを浮かべた。
何年、何十年、何百年……と夫婦として共に過ごして来たと言うのに、それ以上の触れ合いはどうしても出来なかった。彼女を益々汚している様な、そんな罪の意識が有るからなのか……単に俺自身の及び腰が原因なのか。
只、分かる事は……この後、俺は力を奪われ複数の石に"力"そのものを封じ込められたと言う事だ。
俺自身をも封じ込めた石を魔神は意気揚々と持ち運び、好き勝手に闊歩する様を見ては怒りでどうにか為りそうになり、同時に力を奪われる前に見たペルセポネの石。
あの美しい彼女が石となった衝撃と、激しい憎悪は石となった今でも消える事は無い。そしてどうする事も出来ない歯痒さに、俺は気が可笑しくなりそうだった。

「………ハデス様!」



そんな俺の石に声を掛けて来る少女は、つい先刻魔神より奪い返してくれた人の子だった。
ナビィ、と言う名の天使の風貌をした小さな妖精…なのだろうか?
良く解らないが、その娘が冥府の異変を察知し、人の子を寄越したと言う。
こんな細い腕で魔神が倒せるのか、と一瞬心配にもなったが……少女の横で毅然と立っている者を見て、この心配は杞憂である事を知った。
隣に立つ者だけでは無い、どうやら人の子の周りには様々な国々の"神"と呼ばれる者達が『我も我も』と護る様に傍に居る。
あくまでも代表だと言う彼もまた、今の俺の様に石へとされていたのを助けられたクチだと話してくれた。



彼の顔には見覚えが有る。
確か……弟の息子『アレス』だ。俺とは違い沢山の子の居る弟達の、その中でも嫡子で有る正統な息子。戦いの神。
その能力、役目からか俺とも交流の有る彼もまた石にされていたとは驚いたが、それでも今の輝きを見るに限り……力そのものを完全に取り戻している様だ。
その間にもう一人の弟『ポセイドン』も助けられているそうだが、今は己の統治する海へと戻っているらしい。
きちんと解放され、冥府が一先ず落ち着いたら酒でも呑もうと言付かっていると言われたが……一度に色んな事が起こり過ぎて、俺自身もどう整理していけば良いのか解らなかった。



「あと一つでハデス様を解放出来ると思います。でも、きっと完全に力を取り戻せている訳では無いと思うので、引き続きペルセポネ様の石を持って逃げてる魔神を追い掛けて行きますね」



そう満面の笑みで話し掛けて来る少女を見て、疲れているだろうに…と歯痒さと申し訳無さで胸が痛くなる。
そんな少女に「その前に今夜はもう身体を休めるべきだ」とアレスが声を掛けた。



「え?未だ大丈夫ですよ?」



キョトンとアレスの方に視線を傾ける少女。アレスはそんな少女には目もくれずに黙々とテントを張り始めている。
『そーだそーだ』と少女を見守る他の神々もまた口々に説得を始めた。



『お前、冥府に来てから延々と歩きっ放し…って言うより、ずっと走りっ放しだっただろうが!
そんなボロボロの身体で魔神と戦える訳が無いだろ!……頼むから、一回休め!!』



口は悪いが本当に心配している事が分かる、とても優しく力強い声を発した神は…熱い炎の様だと思った。燃え盛る炎の様な髪と意志の強い瞳は火の神なのだろうか?



『そうよ……あなたが怪我をしたら、私は哀しいわ。あなたには私達が居るのだから安心して、今夜位はゆっくり休んで欲しいのよ……ね?』



そう続ける少女の姿もまた見覚えが有った。母こそ違うがアレスとは姉弟で有った筈だ。人間不信となり心を閉ざしていると噂で聞いていたが、どうやら再び打ち解け合える相手に巡り会えた様だ。
それがこの人の子なのだろうと思う。
人の子は「でも…」と、俺の方(今は未だ石の中だが)に視線を向けて「こうしていると」と言葉を繋げた。



「ハデス様の気持ちが伝わって来るんですよ、ペルセポネ様の事が心配で心配で堪らなくて……で、それ以上に身動き取れない事に自分自身が許せなくなってる。私、それ分かるんです…だから飛ばせる間は、全速力で飛ばして行きたいなって…」



苦笑しながら語る人の子に、解放して貰った手前…余り強く言えない神々だがそれでも…とあれやこれやと宥めている。
俺は良い言葉が思い浮かばなかった。この慣れない冥府で、それもか弱い人の子が、俺とペルセポネを救うべくそれこそ己の身を犠牲にして頑張ってくれている。
その事に対して、「良くやった」とも「無理はするな」とも掛けてやる事など出来なかったのだ。
無理をさせているのは紛れも無い俺自身で、かと言って苛酷な真似をさせていて労いの言葉をただ掛けるのも可笑しい気がして言う事が出来なかったのが正しいのだろうと思う。



『………休め、人の子よ』



どうしてそれしか言えぬのか。
ペルセポネに対しても優しい言葉を掛けてやる事が出来なかった、石となる前に凍っていく身体を見た時…どれだけ今まで彼女を傷付けていたのか、と悔やんだと言うのに。
思わず唇を噛み締める俺に助け舟を出す様に、「休息を取るのも戦う上では必要だ」とアレスが人の子にマントを胸元へと突き出した。



「どうせ嫌でも明日には魔神共に追い付く、万全な体調で挑む方が余分な体力を使わずに済むんだ。今夜はこの私が見張りしてやるのだぞ?……だから何も気にせず寝てしまえと言っているんだ」

「むう……アレス様にそこまで言われて休まない訳にはいかないですね、分かりました。今夜はハデス様と一緒にお休みしまっす!」



は、と尋ねる前に。
人の子は俺(解放石)を抱えてテントの中へと入っていく。
テントの外では火を熾こすアレスの姿が見えたが、それも中に入った途端に見えなくなった。
ぽう、と小さな明かりが灯された部屋の中で休む準備をしている人の子を手を貸してやる事すら出来ない歯痒さに唇を噛み締める。



「ハデス様は本当に優しい神様ですね。子供の頃に読んだ本の中に書かれてたお姿そのままで安心しました」



寝る場所を準備出来たらしい人の子が、俺に向かって…否、正確には俺が宿る複数の石に向かってそう言葉を紡いでいる。
何処までも能天気な言葉が続いているが、他の神々が何も言わない所を見ると、この人の子が元々穏やかな気性で余り深く物事を考えられないが酷くお人よしな性格である、事を知っているのだろうと思った。
同時に、そんな性分である少女に思わず出来る範囲で手を貸してしまいたくなる位には気に入っている、と言う事なのだろう。



あの、戦いの事以外には興味を示さないアレスですら手を貸してしまう位には。



この口ぶりから見て、地上の、人の子の間にも俺とペルセポネの話が伝わっている様だ。ならば尚の事、冬を招いてしまった俺が許せぬだろう。
そう思うのに、人の子の唇より紡がれし言の葉は全く別の言葉だった。



「私ね、冬って嫌いじゃ無いんですよ。
確かに寒くて凍ってしまいそうで、『春よ来い、早く来い!』って思うけど…でも暖かいスープがまた美味しいって思うし、温かなお布団の中が一番幸せって思えるのは、やっぱり冬が有るからだと思うんですよね。
あ、あと…雪が解けて、そこから若葉が出来て花が咲いてる所を見た時の『あ、元気出るなあ』って思うのも好きだなあ……うん、そういう気持ちの再確認出来るのも"冬"の醍醐味だと思うんですよ。冬が有るから、春の有り難みを知るって言うか…」



横になり、漸く緊張の糸が切れてきたのだろう。
脈絡の無い話をしていた人の子の声が段々と小さくなり、気付いた時には俺を大切そうに抱えて寝息を立てていた。



「漸く寝たのか、全く」



様子を見に来たらしいアレスが中を覗くと溜息を漏らしている。
今は未だ異常は無いのか、そのままテントの中へと足を踏み入れたアレスと交代するかの様にアテナが姿を現した。
「構わないから休んでいろ」と言葉を発するアレスに「アレスも少し休んで?」とアテナは小さく微笑んでテントを後にする。
やれやれ、とアレスは深く溜息を零すと「……お久し振りです、伯父上」と俺の石に向かって頭を垂れた。


『頭を垂れずとも良い、そう俺に気を遣うな……逆に心苦しい』



そう伝わるかどうかは解らないが言葉を発すると、「…確かに、伯父上は私の知っている伯父上の様だ」と小さく笑みを浮かべた。そうして暫く小さく灯る明かりの中で、アレスは自らの斧の手入れをしていたのだが…。



「伯父上は無事に解放されたら、人の子に先ず何を望みますか?」



と尋ねて来た。
手入れする腕はそのままに、そう呟くアレスの質問の真意は解らない。
解らないから「考えてはおらぬが」と答えると「それは困る」と返して来た。



「人の子と神との間で『解放して貰ったから』と無条件で力を貸す訳にはいかないでしょう?
………今までの神々が人の子に試練の様な"願い"を口にし、あの娘はそれを必死に応えようと努力して来た。だから我々もまたあの娘を助けようと思うのでは有りませんか?」

『つまり今のうちに考えてくれ、と?』



難しい注文だ、と考え込む俺にアレスは「因みに私は生ハムを、アテナは先ずは仲良くなって欲しいと望んだ様ですよ」と言葉を続ける。



「何でも良いんですよ、その時に思う事なら何でも」

『そう言われてもだな……』

「例えば力を奪われて蜥蜴になっていた火の神などは『腹が減ったからタンドリーチキンを食わせてくれ』と言っていましたしね」



その言葉を聞いて、『だー!そこで俺の話を持ち出すなよ!』と先程耳にした精悍な顔付きをした若者が姿を現した。
やはり火の神だった様だ、ボリボリと不機嫌そうに頭を掻いているが……ただ照れ臭いだけなのだと見て取れる。



「大体、インドラだってなー!
『俺と修業しようぜ』みたいなノリで守備力上げろみたいな感じだったって言うし、フッキなんて『木人を1000体相手して来い』だったんだぜ!?…だから何でも良いんだよ、なあ…本当に何もねえのかよ?」

『……………この小さな人の子に、何かして貰いたい事など……俺には思い浮かばない。この冥府に滞在するだけでも負担を強いていると言うのに……』

「ふ、やはり思慮深い伯父上らしい」

「いやっ!それじゃ困るだろうがよ!あのなあ…」



俺の考えにアレスの方は苦笑混じりに納得してくれた様だが、異国の火の神は尚も必死に言葉を探そうとしてくれている。
何故そうも必死になるのか、むしろ疑問に思い彼に尋ね様としたその時……



「済まないが、私の話を聞いて頂けないだろうか?」



と、アテナの様に武装した異国の女性が姿を現した。風貌から見ても、恐らく北欧の……戦乙女と呼ばれる女性では無いだろうか?
来るべき"ラグナロク(神々の黄昏)"と呼ばれる最終戦争に備え、エインヘリャル(戦死者の魂)を見出だし運ぶ者。
この人の子は、一体何処まで様々な神々の救済と解放を一手に引き受けているのか。
否、一手に引き受けてしまう性分で有るからこそ火の神も戦乙女もまた各々が出来る範囲内で力を与えているのかも知れない。
話を聞く姿勢で有る事に気付いたのか、戦乙女は「有難う」と小さく微笑み「この子に最初に救われたのは私なのだ」と語り始めた。



「最初、この子を見た時『今まで私が選んで来た"エインヘリャル"とはまるで違う』と酷く驚いた。人の良さやのんびりとした気性だが努力を続けられる所とか、資質的には申し分ないが……それでも戦う為の基本的な部分から備わっていた訳では無い、本当に…ごく普通の、ただ神々の話が書かれた本を読むのが好きなだけの女の子でしか無かったからな」



そう言葉を紡ぎながら、人の子を見詰める眼差しはとても優しい色を含んでいた。
普通過ぎる位『普通の女の子』。それ故に強くなりたいとか、死にたくない、とかそんな事すら考えられない様な……そんな娘だったから、逆に鍛練しろとかもっと貧欲に、もっと強くなれとは言えなかったのだと戦乙女は呟いた。



「穏やかで優しい娘だ、その中に媚びを売って自身を良く見て貰いたいとか、そういう打算はまるで無い。エインヘリャルとは違うが、この子を生かす為に私は何が出来るだろうかと考えた」

『それが、"お願い"か?』

「ただ力を貸すだけなら何度でも出来よう、しかし普通の女の子に私達の力を使いこなせる訳が無い。私達が人の子の力に合わせる為にも、人の子が私達の力を引き出させる為にも互いに良く知る事だ。
力の配分を誤らない為にも、この子が気負わない言い方でやる気を与える必要が有った……それが"お願い"と言う訳だ」

『……………そうか。だからこれまでの神々もまた"お願い"をする事で、人の子に我々の力を引き出させるコツを身体に教え込んでいた、と』



成程、そういう事か。
ならば俺だけが頼まない訳にはいかないな、と答えると戦乙女は「貴方には無理な事を頼んで申し訳ない、と思っている」と語り、再び姿を消してしまった。恐らく人の子の傍に、つかず離れず見守っているのだろう。



『しかし…いざ考えても、そう直ぐには思い浮かばぬな……』

「伯父上、異国の神の中には自分自身が欲しいのでは無く…例えば友人であったり、己の師であったりと第三者に渡したいからと言う願いを言っていた者もいましたよ」

「ああ、確かに居たよな。
ハヌマーンなんて『シーターが料理の練習したいからスパイス持って来いって言うから、代わりに持って来て欲しい』とか言ってたし」



アレスと異国の、火の神の話を聞いている内に脳裏に過ぎる姿が映し出された。
優しく、愛おしい、大切な、大切な……我が妻"ペルセポネ"。
そんな彼女が石にされる直前に望んだ物は"ざくろ"。愛する母君達と別離を呼んだ諸悪の食べ物。
冥府に居る間、特に好んで食べてくれていた……罪の果実。



嗚呼、これなら大丈夫だ。と、俺は思った。
自分自身が欲しい訳では無い、疲れて眠る人の子に今以上の負担を強いたい訳でも無いが、完全に力を取り戻せていない現状であろうとも多少は使いこなせるであろう位の、そんな丁度良さそうな"願い事"。



『…………"ざくろ"』

「ざくろ?」

『ペルセポネは"ざくろ"が好きだと、良く食べてくれていた。だから、何時でも食べられるように沢山集めておく必要が有る』

「確かに、それならば何も問題は無いでしょう。"ざくろ"は今の冥府でも見付け易い果実ですし」

「でもそれだけじゃ直ぐに解決させちまいそうだぜ?」



俺の言葉にアレスは頷いてくれるも、火の神は「未だ他には思い浮かばないのか?」と促して来る。
『案ずるな』と俺は答えた。俺自身の事で望みなんてものは思い浮かばないが、彼女の喜びそうな物ならばぽんぽんと思い浮かぶ。
愛おしい、愛おしい、何者にも代えがたい俺の大切なペルセポネ。
だから何も心配する必要は無いのだ。
彼女を救う為の力を取り戻す為に、この冥府を再び元の安息の地へと戻す為の力を取り戻す為に、俺は俺に出来る全ての力をこのか弱い人の子に。



仮に、力を取り戻せても。
愛おしい彼女との別離が待っていようとも、俺は再び再会出来る事を信じ、今は眠る人の子に全てを托そう。



───……凍える彼女を温める為の両の腕を既に持っていながら、そうする事が出来なかった。
せめて、直ぐ後にやって来る別れの時まで……その時まで、俺はただお前を温めよう。ほんの少しの時間まで、後悔せぬ為に。



これまでの神々がそうして力を貸して来た様に、この冥王の力を貸しても良い人物であるか。
解放された俺を見ても、まだその屈託の無い笑みを俺に向けられたその時は……。



その時が、本当の始まりだ。
俺は眠る人の子の温もりを感じながら目を閉じた。

(終)





ちょっとだけ続くよ《Separation(おまけ)》

◇◇◇
「お願いを、ですか?」



ことり、と。
小さく首を傾げる彼女は、石の中に封じられる前に凍ってしまった姿で酷く寒そうにしている。
その身体を何も言わずに抱き寄せると、人の子の為にも何か頼んだ方が良いそうだと伝えた。



「ですが……ただでさえ慣れない冥府で、私達を助け出す為に無理をしている彼女に……そんな事…」



嗚呼、やはりな。
何となくだが彼女が困惑する事は予想出来ていた。優しい女性なのだ、この俺が何を引き換えにしても『欲しい』と願った、愛おしい愛おしい大切な女性。



「人の子に俺達の力をそのまま貸した所で、満足に使いこなせる訳が無い。その力を上手く扱える様になる為にも必要なのだそうだ」

「まあ……それでは、何か考えた方が良いのですね」



そうして暫く考え込んでいるも、直ぐに「ハデス様…どうしましょう」と困った表情を浮かべて俺に小さく尋ねて来る。
「どうした?」と聞くと、「欲しい物が、思い浮かばないのです……」と今にも消えそうな声で教えてくれるから。



嗚呼、やはり。
君は俺に似ている、と笑った。
馬鹿にしているのでは無く、本当に胸を撫で下ろせた意味で…嬉しい、と言う意味で俺は笑った。



「ハデス様?」

「ああ、済まない。そうだな……ならば……誰かに渡したい。誰かの為に何かをして欲しい、と考えてみると良い」

「誰かに……?」

「ああ。俺もそうやって頼んでいる内に、信の置ける者だ……と本当に思える様になった。あの人の子ならば、ペルセポネ…お前もきっと……気に入る事が出来る」

「ハデス様、何だか嬉しそうですね」



ふふっ、と小さく微笑む彼女の身体に纏わり付く氷もまた直ぐに解けていく事だろう。いっそ離れたくない、と幼子の様に駄々をこねたりするかも知れない。
そんな妻の姿も見てみたいと思いながら、そうだ……"人の子"の生が終えた時は、冥府で俺の下で働かないかと言ってみようか。また生まれ変わりたいと願う迄、"アスフォデルの原"でのんびり暮らすと良いのだから……そうペルセポネと語り合う日も遠くは無いだろう。



胸に宿る春の息吹は、隠せぬ絶望と綺麗事ばかりで諦めていた心を再び蘇らせてくれた。
『愛している』と言えない代わりに、凍える身体を背中越しにとは言え抱き締める腕を与えてくれた"人の子"よ。
今度は俺がお前の手助けとなろう。この冥王の力を欲するならば、全力でお前の力となろう。



あの、温かな"人の子"と共に眠った夜の様に。

(今度こそ終り)


ハデス様×ペルセポネは本当に何年経っても初々しい感じが良いと思うのです。
と、言うか書いていて思ったのですが……ハデス様の嫁さん好き好きオーラが物凄くて、普段から「砂吐きそうな位の激甘馬鹿夫婦みたいな話」を書いている者としては……うっはー、通常営業だけどもっとイチャイチャしておくれ、と(笑)


最後まで好き勝手に書いてしまいましたが、お付き合い頂きまして改めて有難うございました(///▽//)vv











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