刀剣乱舞(女性審神者の本丸)
僕がこの本丸に来た切っ掛けは、戦場で戦う彼等の姿が、初めてこの眼に飛び込んで来たからだ。
獰猛に喰らい付く肉食獣の様でいて、華麗に流れる刃は、剣捌きはまるで舞を踊っているかの様で酷く僕を酔わせてくれた。嗚呼、僕も彼等の様に舞ってみたい。
あの命と命のやり取りの中でこそが、僕が”僕”で有る証。刀として生まれた僕の全てだとそう確信した。
高揚が僕の心を強く揺さぶる。元より”刀”として生まれただけの僕に『心』なんてものが有るとは信じがたかったけれど。
其れでも”あの時”の高揚の意味を考えたら、それが一番近い感情であると思ってしまったんだ。
美しい、嗚呼、あの瞬間が政宗公が強く渇望した”命と命が散り合う瞬間”なのか。恐怖も絶望も、悦びも痛みも憎しみも、あの高揚感の中に全てが混ざり合っている。
耳障りでいて、酷く甘美な”あの一瞬”。刀として生まれた僕の誇りであり全て。
彼等の中には既に”僕”が存在していた。ならば”僕”は誰かの中に吸収されるのだろうか。其れでも構わない、あの高揚感の中で生きていられるのならば。
意味を持たない刀解なんてものをされないならば、僕はどうなっても構わない。そう思ったから、僕は彼等の本丸に付いて行ったんだ。
其処で僕は、燃えてしまっても尚、ずっと忘れられなかった気高く孤高の、一振りの龍と再会を果たした。
━━━…ねえ、大倶利伽羅。君は未だあの場所を覚えているかい?
あの厳しく寒い奥州の地を、短い間の邂逅に過ぎなくても、共に過ごしたあの場所を君は未だ覚えてくれているだろうか?
あの頃はお互いに”肉体”なんて持っては居なかった。其処に有ったのは、研ぎ澄まされた神気のみ。
神気だけで彼の燃える様に美しい、孤高の龍の姿を感じていた。そう僕には視えていた。
直ぐに水戸へと嫁入りなんて事になってしまったけれど、関東大震災の時なんて被災して焼刀までしてしまったけれど、其れでも僕の心の中には、僕の瞳の中には、あの美しい龍と美しい奥州の地が生き続けていたんだよ。
苦しかったのは、哀しかったのは、焼刀した事じゃない。焼かれた時、僕の中に生まれた感情は、嗚呼これで僕は”刀”では無くなってしまうのか、だった。
”刀”として振るって貰えない哀しみ、無念。中途半端に残る位ならば、いっそ焼失させて欲しいとさえ願ってしまった。”刀”の僕が何を願うのか、何を哀しみ、無念だと感じる必要が有るのか。
だから、ね。
嬉しかったんだ。また”刀”として戦えるのだと分かった時、また”君”に逢えたのだと分かった時は、本当に本当に嬉しかったんだよ。
二振り目だけど戦場に出られる。”刀”として留まれる、嗚呼、何て幸せなんだろうね。
━━━…大倶利伽羅、僕はずっと、ずっと帰りたかったんだ。政宗公の所へ、奥州の地へ、君の所へ。
叶わない願いである事は分かっていた。だから僕は願ったんだ。どんな時でも『伊達の刀で在りたい』『伊達の刀としての矜持だけは失わずに振る舞おう』と。
だから”伊達の刀”として、君の傍に帰って来られた”今”が幸せだとそう思ったんだ。
それなのに。
それなのに。
ねえ、大倶利伽羅。
君はどうして、変わってしまったんだい?
どうして政宗公以外の、伊達家以外の人間に其処まで優しくするんだい?
どうして……人間みたいに微笑むんだい?人間みたいに傷付いた顔を見せるんだい?
君は一体どうしてしまったんだい?
僕は此れからどうすれば良い?
不完全な器はどう生きていけば良いのだろう?
《渇望》
嗚呼、まただ。
ちりり、と軋む音がする。
この音が聴こえる者は僕の他には誰も居ない。この軋む音は、僕の未熟な心から聴こえて来るのだから。
僕は”刀”なのに。焼刀したと言う事実を否応なしに思い立たせてしまうのは、この壊れた不必要な”肉体”を持ってしまったからだろう。
───…此れだから、必要の無い時は”表”には出てきたく無いんだ。不完全な醜さに気付いてしまうから。
僕は凍てついた瞳で、目の前に広がる暖かくて優しい”人間”の世界を見詰めていた。
僕には到底真似出来ない世界。”刀”が求めるには余りにも柔らか過ぎる世界。
そんな世界に、大倶利伽羅は存在していた。あの孤高の龍が、審神者と呼ばれる”今の主”の娘と触れ合っている。
触れ合っている、と言っても艶かしい触れ合い等では無い。あくまでも姉弟の様でいて、兄妹の様な、そんな可愛らしい触れ合いなのだけれど。
一振り目の僕───燭台切光忠と一振り目の彼───大倶利伽羅は、本日も変わらず出陣中だ。
目の前の彼は二振り目の彼───大倶利伽羅であり、此処では『伽羅』と呼ばれているらしい。らしい、と言うのも彼の方が僕が来るよりも幾分も早かったからだ。
個体差、と言う言葉が一番しっくりした。一振り目の彼と、目の前の二振り目の『伽羅』は似ているけれど何処か違うから。
一振り目の彼───『倶利ちゃん』と呼ばれている彼は、この本丸でも早い時期に加わったらしく、今では一番隊の隊長と共に審神者の近侍もこなしている。
そんな彼の負担を減らすべく表に出てくる様になったらしい『伽羅』は、あの頃の、伊達家に居た頃と同じ表情を浮かべながら、伊達家ではなく、政宗公ではなく、あの審神者の手助けをしている。誰に頼まれた訳でも無く、自分から。
───…あんなにも優しい瞳を、彼は政宗公や”主”以外の者に向けた事は無かった。と言う事は、伽羅君にとってあの女人は”主”だと認めているって事だよね。
『馴れ合うつもりは無い』が口癖だった筈だ。なのにその言葉を発しながらも、向ける瞳はとても優しい。声も柔らかくて落ち着いていて、何時までも聞いていたくなる温かい声だ。
一振り目の『倶利ちゃん』は、何処か諦めている様な素振りを見せている。きっと自分の意志を貫けられる程の余裕が無かったからだろう。
我を通す程の人数も居なかった、と一振り目の僕が教えてくれた。そんな少人数の中で慌ただしい日々を送っていたのならば、彼は多少でも妥協するだろうと思う。
三振り目の大倶利伽羅は、『倶利ちゃん』とも『伽羅』とも違ってとても落ち着いていた。彼は永い時を見据えて生きてきたのだろう。
僕が逢いたかった大倶利伽羅とは違うものの、彼等もまた美しく孤高な龍だ。僕にとっては大切にしていきたい大倶利伽羅である事には代わり無い。
だけど愛しいと思った相手は『伽羅』だけだ。只の”刀”である僕が、一体何を思っているのかと呆れてしまうけれど、不完全で未熟な器は上手く感情のコントロールが出来ないのだと思う。
───…格好悪い。吐きそうだ。
もやもやとした不快な感情を持て余していた僕の前で、審神者である彼女と伽羅が洗濯物を取り込んでいる。朝から干していたからだろう。すっかり乾いた沢山の洗濯物を取り込みながら、今夜は何を作ろうかと話しているらしい。
そんな時、強い風が吹いた。少し長い髪が木の枝に絡み付いてしまったらしく、鋏で切ろうとする彼女の手を静止した伽羅が、絡み付いた髪を器用に外していく。
とても優しい手の動き、青年らしい指先は彼自身を握る武骨な指先をしているのに、其れでも傷付けない様にと細心の注意を払いながら、彼女の縺れた髪を少しずつ直しながら離していく。
もう見ていられなくなっていた。
踵を返し、僕は彼等から離れていく。
ふらつきそうになる両足を叱咤しつつ、逃げる様に一つの部屋へと逃げ込んだ。その部屋に入ると、沢山の金色の瞳が僕を見詰めている様な、そんな居心地の悪さを感じたけれど、其れでも僕は惹かれる様に一振りの刀を手に取った。
彼等は、一振り目の僕達が出陣の度に連れて帰って来ている”大倶利伽羅”達だ。審神者の彼女は、本気で使いたいと思っているらしく、僕達”燭台切光忠”と同じく”大倶利伽羅”達も丁寧に手入れを入れてくれている。
だからだろう。埃一つ被る事も無く、美しく存在しているのは。彼女が慈しんでくれている証拠である”大倶利伽羅”達はどれも等しく此処に存在しているのだから。
同様に存在している”大倶利伽羅”でも、僕が迷う事無く手にした”大倶利伽羅”こそ、僕と同じ時を共にした彼自身の本刀である、と僕は理解していた。
ずっと帰りたいと願っていた場所。ずっと忘れられなかった存在、其れが目の前に在る。
僕は大切だった一振りをそっと抱き締めた。一つしか無い瞳からは不思議な熱が籠っている。其れが”涙”である事実が、僕には信じられなかった。
「ははは。格好…つかないなぁ」
幾ら眠っていると言っても”大倶利伽羅”達は気付いているだろう。本刀である『伽羅』もまた、何となく伝わっているのでは無いかと思う。
其れでも涙は止まらなかった。押し潰されそうな”心”は、此のまま潰された方が楽なのでは無いかと思う程に、僕は”彼”を抱き締めたまま涙を流し続けた。
「……アンタ、何をしているんだ?」
部屋が開き現れた”彼”は、僕が最も逢いたいと願い、今最も逢いたくなかった相手でもあった。何と答えれば良いのか分からない僕を、どう感じたのか”彼”───伽羅は僕の身体を抱き締める。
「……僕に構って欲しく無かったんじゃ無いの?」
「……………今だけだ。アンタが”俺”を返す迄、それ迄なら構ってやらなくも無い」
「そうか……御免ね、”広光”」
「……謝る意味が分からない。アンタ、何時もにも増して、変だ」
「そう、だね、僕は変だ。どうしてこんなに苦しいのかが分からない、どうすれば良いのかも、何がしたいのかすらも分からないんだ。本当に、格好悪いよね」
苦しい。苦しい。
吐きそうな僕の背を労る様に擦る掌は、審神者の彼女の髪に触れている時と同じ優しさと温かさが伝わってくる。
「…泣きたいなら泣け。吐きたいなら吐いても構わない。格好悪くても、アンタは、アンタだ。何も変わらない」
「…此処で吐いたら君の服を汚してしまうよ?」
「俺は気にしていない。構わない、から早く”俺”を返してくれ」
何時もの冷たい言葉に聞こえる様にと考えながら紡いでいるけれど、不器用な労りの言葉にしか聞こえて来ない。
もう手離したくないと、折れそうな程に強く強く”彼の本刀”ごと抱き締めると、彼は強張り息を飲んだ。だけど擦る掌は変わらず温かかった。
(終)