刀剣乱舞(女性審神者の本丸)
近侍の仕事も漸く一息吐き、今夜はあと湯浴みさえ終われば床に就く事が出来る───そんな時刻。
俺は与えられた自室へと歩を進めていた。
殺伐とした戦場の中で回収された身だが、まだまだ手札としても心許なかったらしい本丸へとやって来た俺を、「馴れ合うつもりは無い」と言っても余り聞いては貰えない状況には早々に妥協せざるを得なかった、とは言えど。
俺が来た当時は、主力は政府より贈られた太刀二振りと、他は打刀数振り、脇差、短刀も数える程しか居なかった。上に何れだけ資源を費やし鍛刀を繰り返しても現れるのは打刀、脇差、短刀、のどれかである。
と初期刀である蜂須賀より聞かされた時は軽く絶句してしまったのは記憶に新しい。
そんな理由からか、俺の様な扱い難いであろう刀相手にも、この本丸の連中は容赦無く俺の中にもズカズカと足を踏み込んで来た。否、踏み込んで来たと言っても、適度な距離感は残してくれてはいたのだが。
だから、であろう。来た当初は蜂須賀の補佐をしていた筈の俺が、今では一番隊の隊長なんてものを宛がわれ、序でに近侍の仕事まで任されているのだから。
否、こう言ってしまうと語弊が有るが、俺は決して文句を言いたい訳では無い。
何せ此処の審神者は異国の女人で、本来の性格なのかも知れないが───とても穏やかな気性で言葉が通じない事を理解しているからか、話しても片言。普段は微笑みを浮かべたままで喋る事は殆ど無い。
元々、料理を提供している店の女人らしく、執務室などに居ない時は大抵『厨』に入り浸っている程だ。必要以上に構っては来ないが、傍に居ても不快を感じない相手となると文句など出る訳が無い。
とは言え、打刀と脇差と短刀ばかりの中で二振りの太刀のみ。の本丸では無理が生じるのも仕方が無いだろう。
出陣を繰り返す事も、仮に遠征で有ろうとも疲労の色が見えた途端に休ませようとする程の審神者だ。新しい合戦場に行ける様になれば他の刀剣達を見付ける事だって出来る筈だ、と悟らせようとしても言葉がきちんと伝わらない審神者相手にどう説明すれば良いのか。
と、何度も試みようとしたが駄目だった。そもそも蜂須賀達が説得しても無駄だったのだから、俺が話して納得する筈も無いのだが。
そんな主である審神者の下、ならば無理な進軍をせずに少しずつ、其れでも確実に駒を進めて行ける合戦場を増やしていけば良い。
と俺達が妥協し、少しずつ少しずつ増やして行っていた先に”あの男”が俺の前に現れ、その後”もう一振りの俺”も現れた。
”あの男”───伊達家、政宗公の下に在った頃に一緒だった”あの男”だ。名は燭台切光忠。
当時とは少し装いが変わってしまった様だが、その艶の有る金色の瞳、静かに燃える焔を宿した金色の瞳は変わっては居なかった。
貴重な太刀、其れも政宗公の愛した燭台切光忠だ。俺と同じく直ぐに一番隊へと組み込まれる事になった。無論、数が足りないからだと言うのも理由の一つだが。
二振り目の俺は錬結すらするつもりも無く、むしろ使いたいと伝える審神者に「ならば役目が来るまで眠らせておいてくれ」と刀に戻っていった。
理由は分かるし、俺も逆の立場ならそうする。現にそれ以降の俺───『大倶利伽羅』は何れもそう伝えては刀に戻っているのだから。
今は俺の部屋に全て保管されている刀達だが、審神者は本気で使いたいらしく、良く俺達の手入れを行っていたりするから、有る意味でタチが悪いと思っているのだが。
しかし、そんな二振り目の俺が、刀に戻っていた筈の二振り目の俺が、ある日突然人の姿になり「手伝う」と声を掛けて来た時は、らしくも無く俺は酷く驚いてしまった。役目が来るまで眠らせておいてくれ、と言っていなかったか?
と、俺が俺に問い掛けてしまう程には、だが。
今ではすっかり此処の連中も馴染んでしまった光景では有るが、俺よりも少しだけ幼く見えるその風貌に『此れが個体差か?』と思ったのは、俺だけでは無いだろう。むしろ二振り目の俺も同じ様に思っただろうと思う。
そんな事を思い出しながら部屋に入ると、すっかり見慣れた癖の有る茶髪が目に入った俺は、「起きていたのか」とその相手に声を掛けた。
《一振り目の俺と、二振り目の俺》
「ああ……お疲れ」
『お疲れ』の声は小さいものの、其れでも目線は一度しっかりと此方を向けるのが二振り目の俺の特徴であり癖だ。
此れが同じく、其れでも稀だが───三振り目の俺になると「ああ」とも言わずに目線だけ一度向けて終わりだろう。
何をしているのか、と二振り目の俺が触っている小さな布に視線を向けると、「乱の物だ。直している」と答えてくれた。
「乱の髪結い用の物だな。確か審神者が買って来たとか言う…破れたのか?」
「ああ。木に引っ掛けた時に破れてしまったらしい。酷く落ち込んでいたから、直してやろうと思った」
「そうか」
それ以上は何も言わない。俺も、二振り目の俺も。
言葉は必要無い。むしろ今は話し掛けるよりもやるべき事が有る。俺は湯浴みに、目の前の彼は小さな布の修理に。
何せ俺が次に戻って来る前には終わらせておかねば為らない、とでも思っているだろうからだ。
気にする必要は無いのだが、二振り目の俺は、『アンタが忙しそうにしているから』『疲れている様に見えたから』『気疲れするなら分散させた方が良いだろう』と見るに見兼ねて表に出て来る様な性分だった。
それ故かどうかは知らないが、最近では厨に籠っている審神者の手伝いをしたり、本丸で作業をしたり遊んでいる短刀達の相手もしているらしい。
俺は半ば諦めている位の認識だが、二振り目の俺はまだ幾分素直なのが救いなのか、よくこうして繕い物をしている姿を見掛ける様になった。勿論、助かっている。
━━━…疲れているだろうに。
そう言った所で、二振り目の俺は頷きはしないだろう。逆ならば俺は頷かないからだ。
だから湯浴みの準備をし、部屋を後にする時も俺は二振り目の彼に何も声を掛けず、彼もまた俺に何も言わなかったのだから。
しかし俺は真っ直ぐ浴場には向かわなかった。俺が向かった先は『厨』。此処にはまだ”あの男”が居る事は知っていたし、何か盗み取るよりも先に話した方が効率的にも良いからだ。
「光忠」
「あれ、倶利ちゃん。どうしたの?」
厨に足を踏み入れると、あの男”光忠”が思っていた通り其処に居た。明日の出陣に備え、弁当と朝餉の下準備をしていたらしい。
朝餉に関しては審神者も居るから問題は無いが、常に働き続けている審神者を光忠もまた気に掛けているからか、良くこうして下準備位はと眠る前に彼是と用意している。
「何か貰えないか?」
「何かって…駄目だよ、倶利ちゃん。寝る前にお腹空いたから何か食べるなんて、格好悪いよ?」
どうやら俺が何か食べようとしていると思ったらしい。苦笑混じりにやんわりと断って来る光忠に「別に食べたい訳じゃない」と訂正した。
「茶でも良いが、どうせなら眠れそうな物が良い。何か無いか?」
「眠れそうな物?…って、倶利ちゃん。眠れないのかい?」
「俺じゃない、伽羅だ」
「伽羅ちゃん?え、どうしたの?伽羅ちゃんが眠れないってどういう事なのかな?」
「違う。眠れない訳じゃない、が、疲れているだろうから、一息吐いてから休ませた方が良いと思っただけだ」
らしく無く光忠に説明すると、「あ、そう言う事だね」と光忠は微笑ましいと言わんばかりに破顔している。
「そう言えば、主から貰ったシュシュが破れたって乱君がショックを受けていたものね。伽羅ちゃんが直してあげているんだね、伽羅ちゃんも手先が器用だから」
「『も』?」
「だって、倶利ちゃんも器用じゃないか。君達って優しくて器用な所が似ているよね。まあ、言葉はちょっと苦手だけど…」
相変わらず失礼な男だ。と思ったが、口では先ず勝てない相手だからと俺は口を貝のように閉じたまま光忠を見詰めた。
光忠は「分かっているって」と笑いながらも小さな鍋に牛乳を入れている。
「折角だからね、ホットミルクにしてあげるよ。倶利ちゃんはまだ湯浴みは終わって居ないんだろう?……君達が終わる頃には届けてあげるから、早く入っておいで?」
「……済まないな」
「此れくらいならお安い御用だよ、と言うよりも、倶利ちゃんも伽羅ちゃんももっと甘えてくれて良いんだよ?
まあ、そんな事を言うと困らせてしまうだろうけどさ」
「………なら言わないでくれ。行ってくる」
「オーケー、行ってらっしゃい」
ヒラヒラと気安く手を振る光忠に、相変わらず一言も二言も多いと思いながらも、其れでも邪険には扱えない程度には馴れ合っている自覚が有った。が、それ所では無かったから、今の俺はもう深く考える事を止めていた。
無駄だ、と悟ったからだ。例えば、未だ太刀も数える程にしか増えず、大太刀も石切丸の一振りのみ。槍も薙刀も不在の状態だ。そんな本丸に比較的初期より身を置いているからか、俺も光忠も一軍固定の様な扱いになっている。
内番も習慣化させたいと言う蜂須賀からの要望で、余り変わらない時期に来た俺達は否応無く組まされた。否、組まされている。
一度決まると暫くは固定だ、そんな事をしていれば嫌でも慣れざるを得なくなるし、無駄だと悟るのは当然では無いだろうか?
訓練で他の本丸の連中と手合わせする事も有るが、他の本丸の俺や光忠を見ても「余り変わらないのだな」と思う事は多い。だからこの距離感が俺達らしいのだろうと諦めた。
何度も言う、諦めたんだ。少なくとも”俺”は。
浴場に着き、手早く身を清めると未だ温かい湯の中にその身を預けた。
ほう、と息を吐く。この瞬間が一番好きかも知れない。
何時までも温まっていたいものだが、もう直ぐ光忠が部屋に来るし、二振り目の俺───『伽羅』も繕い物が終わる頃だろう。
仕方が無い、と湯船から出ると身体を拭いてから浴衣を身に纏った。
━━━…俺が居ないからと言って、光忠が伽羅を構い倒さないとは限らない。程々に構うと言う事が出来ない”一振り目の光忠”と、伽羅を二人きりには出来ないからな。
諦めた俺ならば未だ良い。だが伽羅は俺よりも素直だ。光忠の勢いで話し掛けられたら余計に疲弊するに違いない。
頼むから余計な事はしないでくれ、と無理な願いを込めながら。俺は部屋へと歩を進めていく。
部屋の前に近付くと、案の定あの世話好き過ぎる光忠が、困惑している伽羅に彼是と世話を焼いている様で、普段は殆ど顔を見せない”三振り目の俺”が「落ち着け」と光忠を窘めている声が聞こえて来てしまい、俺は何だか胃が痛くなってしまった。
「だから、『言わないでくれ』と言っただろう……光忠」
膝から崩れ落ちそうになるのを堪えながら、恨みがましく吐いた俺の言葉を聞いてくれる者は、残念ながら誰も居らず、ただただ虚しく響いていた。
(終?)