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千銃士(短編)

 さて、貴女は気付いているだろうか?


 日々の激務の中ですっかり日付の感覚を失くしている様な気もするし、むしろ『この日である事』自体をすっかり忘れている様な気もする。
それ位、彼女は己自身の事に関しては無頓着だからと、余は余自身がアリ・パシャやエセンに普段から言われている事実を棚に上げつつ彼女の部屋の前へとやって来た。

 きっと驚くだろう。
 余がこんな早朝に、何時もならば誰よりも早く目覚める彼女よりも、早い時間に余が目覚めているだなんて、想像すらしていない筈だ。

逸る気持ちを抑えつつ、余はゆっくりと今はまだ夢の中にいる彼女の眠りを妨げるべく重い扉を小さく叩いた。そんな小さな音ですら眠りの浅い彼女は飛び起きてしまうだろう。其れが分かっていての行動だった。
何時もならば出来る限り眠らせてあげたい。朝から夜遅くまで、ずっと貴銃士達の為、レジスタンスの皆の為、平和の為にと働き続けている様な彼女だから。眠れる時には眠らせてあげたいと思ってはいるのだ。
 だが、今日だけはそんな訳にはいかない。本人は覚えてすらいないだろうが、恭遠を含めた彼女以外の皆が『知っている』この日。


すう、と小さく息を吸い込んでから「千鳥」と大切な彼女の名を呼んだ。其れだけで部屋の中から少し大きめな音がし始めるものだから、嗚呼、本当に眠りが浅いと少しだけ悲しい気持ちになったのだけれど。


「マフムト殿?あの、如何なされた?……この様な早朝、否、むしろまだ夜だと言われてしまっても仕方の無い時刻で御座いまするが…?」
「ん、嗚呼…それはね。こうでもしなければ誰よりも早く貴女に教えてあげられないと思ったからなのだよ」
「教えて…?」


 嗚呼、やはり気付いていなかった様だ。

 彼女──千鳥は小首を傾げつつも、余に言われた意味が良く分かっていない様だった。仕方がないね、と小さく苦笑を漏らしながら「今日は12月4日だろう?」と先ずは本日の日付を伝えてみる。


「は?嗚呼、確かに今日は12月4日ですね。それが何か?」
「ふむ…ならば前に余が貴女に渡した『貴女自身の事を書かれていた記録簿の写し』をもう一度見て貰えるかな?」
「記録簿の写し、で御座いますか?良く分かりませぬが、何やら急ぎの様で御座いますし構いませぬが…」


 そう言いながら部屋の奥へと戻る彼女に付いて部屋の中へ足を踏み入れると、誰にも気付かれない様にと慎重に扉を閉めた。

 気付かれる訳にはいかないのだ。特に今は。
 人の子では無い彼女、この世界にすら本来『存在していない』彼女を、唯一『存在している事を証明する記録簿』。
 彼女が「政府が適当に入力したに過ぎない記録簿で御座います。流石に全てを覚えられる筈が有りませぬ」と半ば諦め気味に余に話してくれた時、多言無用でお願いしたいと頭を下げてきた時に、ならばどうにかその記録簿の写しだけでも手に入れられ無いだろうか。
 そう思った余はそれとなく恭遠の手伝いや医務室の医師達の手伝いをしている時にそっと彼女の記録簿を抜き取った。
 我ながらに『らしくない真似をしてしまった』と、何処か申し訳無い気持ちにもなったが、同時に『何の力も持たない余でもこんな事が出来るのだ』と何処か誇らしい気持ちにもなったのを覚えている。
 その記録簿を彼女の国の字で書くのには酷く苦労させられたが、それでも何とか読めるだろう程度の字で写し取ると、原本である記録簿を元の場所へと戻し、写しを彼女に手渡した。

 そんな記録簿の写しを彼女は目を通している。
「読めない」と言う訳では無い筈だ。渡した時に確認した彼女から「良く私の国の言葉で写せましたね…!マフムト殿はご存知で御座いましたか?」と酷く驚かれたからだ。


「氏名、勢州千鳥。誕生日、12月4日。身長、150cm。体重50kg…って流石に体重は要らない部分で御座いましょう。………ん?誕生日?」
「ふふ、それではもう一度問うよ?今日は12月4日だ、政府が貴女の誕生日として充てている日付はどうだったかな?」
「……12月4日?」
「そうだね。千鳥、誕生日おめでとう。今日は受け取って貰えるよね?」


 普段は何を贈ろうとしても受け取っては貰えないが、今日の様な特別な日ならば良いのだろう?
そう続けると、千鳥は困った表情を浮かべながらも「有り難う御座いまする」と余が持って来ていた二つの箱を受け取ってくれた。


「今日は恐らく大変な日になるよ。貴女は気付いていなかったかも知れないが、恭遠を含めた貴銃士の皆が『貴女の生まれた日だから』とずっと前から張り切っていた様だからね」
「へ?いやいや、私は今の今まで全く気付いておりませんし…流石に皆も覚えてはおりませぬでしょう?」
「そう言うと思ったからこそ、余がこの様な時刻に逢いに来たのだよ……『知りませぬ』では、皆が酷く落胆し悲しんでしまうからね」
「う……」
「今日位は受け取っておあげ?皆は貴女の存在を喜び、祝福を与えようと準備していたのだから」
「分かりました……その、出来る限り努力致しまする」
「宜しい」


 彼女はとても謙虚で無頓着だ。だから物を欲しがりはしないし、自分が誰かから貰うのは『烏滸がましい』『罪だ』と思っている所がある。人間の手により造られた存在である自分が、人間達から何かをして貰う訳にはいかないと思っているのかも知れない。
 だから余はどうしても受け取って貰いたかったのだ。祈りを捧げる事や金の援助、宝石を渡してあげる位しか取り柄の無い余が、彼女に出来るかも知れない唯一の日なのでは無いかと思ってから、ずっと考えながら準備していた物達。


「千鳥、12月4日の誕生石はカイヤナイトとタンザナイトだそうだよ。だから此方の小さな箱の中にはその二つの石と一緒に水晶も加えたブレスレットが入っていてね、仕事や目標達成には効果がある分、お守りには不向きな面を補う力があるから使っておくれ」
「何と!その様な高価な物を…勿体のう御座いまする、私の様な無作法者に…」
「そんな事を言わないでおくれ?余は貴女に似合うだろうと用意したのだから」
「……そうですね、分かりました。有り難く使わせて頂きまする」
「そうしておくれ。そして此方の箱の中なのだが……」


 其処まで言った所で「中を見て貰えるかな?」と促した。首を傾げながらも少し大きめな箱を彼女は開けていく。

 その中には葉牡丹と山茶花が描かれた羽織が入っている。それ等の花も彼女の誕生花らしい。その話を耳にした時、どうにか美しく調和の取れた柄として羽織に出来ないだろうか、と職人にお願いして作って貰った一点物だ。


「毎日寒いだろう?厚い生地だし、中には少しだけど綿が入っているそうだから暖かいと思うよ。此れならば貴女も普段使いに使えるだろうからね……むう、やはり困らせてしまっただろうか?」
「あ、いや、そうでは無いのです。無いのですが…何か、こんな良い物を頂いておると言うのに…私はマフムト殿に何も出来ぬのかと、そう思うと申し訳なくて……」


 本当に申し訳ないと思っているのだろう。シュン…と落ち込む彼女に「ははは、何を気にしているのかと思えば…余は貴女から何時も色々して貰っている。だから贈りたかったのだよ?」と一頻り笑ってから「葉牡丹も山茶花も貴女の誕生花になるそうだ」と言葉を続けた。


「千鳥。タンザナイトもカイヤナイトも、葉牡丹に山茶花もね。其々に意味があるそうなのだよ」
「意味、で御座いますか?」
「有無。石言葉に花言葉と言ったかな?……政府が適当に入力した日だと貴女は余にそう言ったが、余はね、言葉を知った時、彼等は貴女に対して祝福を与えたくてこの日を選んだのでは無いかと思ったのだよ」
「祝福を…」
「嗚呼、耳を貸しておくれ。一つずつゆっくりと言葉を教えてあげよう」


 千鳥本人には伝わらないかも知れない。それでも構わないと、過酷な環境へ送る事になった彼女へと。困難な戦地へ向かう彼女にせめてもの願いを込めて。
人間はそんな意味を込めてこの日を選び、入力したのだろうと余は思っている。


 カイヤナイトは穏やかな愛、十分な成果、団結。
 タンザナイトは甘美な愛、好転、幸福な夜明け。
 山茶花は困難に打ち克つ、ひたむきさ。
 葉牡丹は物事に動じない、利益。そして……『祝福』。


 だからこそ余は貴女が生まれたこの日が愛しいのだと伝えたら、貴女はどんな顔を見せてくれるのだろうね。


 彼女に教えながらそんな事を考えていた。


《終》
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