百神(短編)
どうしてこんな事に…。
「動かないで」と横になる様に促されて、まるで自分の足じゃない位に膨らんだ右足の下には布が敷かれ、しっかりと固定された右足首には白い包帯と共に貴重な氷が入った袋を押し宛てられている状況に、シャマシュは何だか泣きたくなった。
《太陽と月のカンタータ》
悪戯が大好きで何時も何処かを駆け巡っているマルドゥクと、大人しくて頑張り屋さんだけど何だかんだとマルドゥクに振り回され気味なキングーが、よりにもよってシンの父神であるエンリルが大切に守っている聖域に足を踏み入れた事に対して、怒りを露にしたエンリルを止めようとしたら吹き飛ばされてそのまま階段から転がり落ちそうになったのをどうにか踏み止まった際に変な挫き方をしてしまった───のが事の発端だったりする。
「神殿のあの長い階段を転がり落ち無かったのは不幸中の幸いだね、でもこの足では暫く太陽神としての仕事も控えた方が良いと思うよ」
「そんなぁ…それじゃアルデに付いて行くのも?」
「勿論控えた方が良いね。彼女に迷惑を掛けてしまうし、変な挫き癖が付いてしまったら元も子もないよ」
そう治療をしてくれながら微笑みを見せるアヌの様子を見て、『あ、駄目だわ。この顔はアヌ様が良いって言うまでお部屋から出られないって事だもの』とシャマシュは項垂れてしまう。
挫いた時、動こうとしたけど何故か身動き出来なくて、かなり強く挫いたのかも知れないと焦っていたシャマシュを、どうやらずっと見守っていたらしいアヌが抱えて運んでくれた。
「エンリル、貴方の力で吹き飛ばされてしまえば大変な事になる…そんな事も忘れてしまってどうするの?」
アヌにそう淡々と言われて、あの堂々とした立ち振舞いのエンリルが何やらバツが悪そうに目を反らしている姿を目の当たりにして、逆に此方が申し訳なく感じてしまったり、勿論逃げたマルドゥクも難なく捕まえられてお説教を受けているものだから、益々居心地が悪くてもぞもぞしていると「動かないで」と念を押されたり。
───…どうしよう、このお部屋ってエンリル様のお部屋よね。難しい本が並んでいるし、ベットの広さとか真っ白いシーツとか、何だか全体的にビシッ!ってなってるし……どうしよう。
幾ら一番近い神殿がエンリルの神殿だったとは言え、まさか運ばれた先がエンリルの、あの嵐の神の自室だとは夢にも思わなかったシャマシュは益々居心地の悪さに身動ぎしてしまう。
が、「動いたらいけないよ」とアヌから直ぐに注意を受けるものだから「帰りたい」とも言い出せずにただただ縮こまる事しか出来なかった。
そんなシャマシュを眺めながら、「大丈夫だよ」と苦笑混じりにアヌは言葉を紡ぐ。
「何もずっとこの部屋で居なさいとは言わないから、そうだね……もうそろそろ到着する頃だと思うよ」
「もうそろそろって…?」
「時期に分かる。あ、ほら来てくれた様だね」
「?」
アヌの言葉に首を傾げながらも、確かに誰かがこの神殿にやって来た気配だけは感じた。
そしてその気配───”神気”がシャマシュにとっても馴染みの有る”気”で、その気がどんどん近付いてきている事もシャマシュは分かってしまった。
コンコン、と控えめに扉をノックして入って来たのは幼馴染みの月神で、珍しく表情を固くした彼はシャマシュの姿を捉えた途端に益々表情を固くする。
キュッと唇を引き締めたまま彼女に近付くと、「何やってるの?」とだけ呟き、有無を言わさず華奢な彼女を抱えあげた。
「アヌ様、処置して下さり有り難う御座います。このまま彼女を太陽神殿に運ぼうと思いますので、連れていっても構いませんか?」
───『構いませんか?』と尋ねてはいるけど、既に抱えあげている状況で良いか悪いかと尋ねられてもアヌ様は困るんじゃ無いかしら…?
そんな事を抱えあげられた当人であるシャマシュも思ったが、今の月神に何を言っても聞いて貰える訳が無い事も彼女は分かっていた。
心配性で世話好きだが、若干他者と距離を置きがちなこの幼馴染みである月神の彼は、あの感情の起伏が激しく、責任感と自尊心の高さは他の追随を許さないエンリルの息子なだけはあって、感情の起伏は然程激しくは無いものの、其れでも一度決めたら梃子でも動かない頑固な一面も持っている。
そして、そんな彼がアヌを苦手としている事も、父神であるエンリルとも一定の距離を置いている事も知っているシャマシュからすれば、『どうして貴方が迎えに来てくれるの?』と困惑こそすれ、嗚呼早く此処から立ち去りたいのね、と納得してしまうのも事実だった。
幼馴染みの月神───シンの心情を考慮しても私は大人しくしていた方が良いわね、とシャマシュは大人しくシンに抱き抱えられていると、「良いよ」とシンの心情を同じく察しているらしいアヌは苦笑しながら了承してくれている。
「時々患部を冷やしてあげる事を忘れないでね。あとシャマシュは兎に角安静と足を固定する様に…良いね?」
「分かりました。冷やして痛みを和らげながら、足は固定してまた打ち付けない様にすれば良いんですね」
アヌの言葉にシンは頷きながら再度確認しているが、シャマシュにとってはもっと別の事が知りたくてアヌに声を掛けた。
どうしても知りたかった。此のままずっと安静にしているだけでは気が可笑しくなりそうだった。だから、何時になったら自由に歩いて良いのか、と。
「あの、アヌ様。何れだけ安静にしていたら良いんですか?……私、退屈で死んじゃいそうです!」
「そうだね…今は炎症が起こっているから、あと3日位はこのまま冷やして痛みと腫れを落ち着かせて、其れから以降はきちんとサポーターを付けて余り激しく動かない範囲なら多少動いても良いよ」
「本当ですか!?」
「激しく動かさない程度だよ。本来ならば1~2週間以上は絶対安静にしなくてはいけないんだからね」
「だから約束して?」と頭を撫でられて、シャマシュは仕方が無いかと渋々ながらも頷いた。
頭を撫でられるのは少し気恥ずかしくも有り嬉しかった。仄かに頬を染めて目を細めながら喜びを現すシャマシュを見て、アヌもまた優しく微笑みを浮かべている。
全く…とシンは内心複雑そうに表情を歪めた。と言っても、若干眉間に皺を寄せた位だったが。
「シン、シャマシュをしっかり面倒見てあげて」
「分かりました。ですが先程の話はあくまで目安程度だと思えば良いのですよね?
……シャマシュの怪我の具合を見て歩行しても良いかどうか、僕が判断しても構いませんか?」
「ふふっ…そうだね。僕は確かに医者では無いから、傍で面倒を見ているシンが判断しても問題は無いよ」
「そんなあ……」
シンとアヌの会話を聞く限り、この心配性な幼馴染みが3日以降になっても自由に歩かせてくれる様になるとは到底思えない。
シャマシュははあ…と溜め息を吐いた。
「其れでは失礼しますね。あ、マルドゥクとキングーもそろそろ許してあげては?」
「そうだね…。確かに今回は足を踏み入れただけの様だし、シャマシュが怪我をしたのはエンリルが吹き飛ばした訳だから、キングーだけでも解放してあげようかな?」
「キングーだけですか…」
「マルドゥクは途中で逃げたからね。僕は兎も角としてティアマトが黙っていないと思うよ」
「確かに」
そんな話を聞きながらもシャマシュの心は曇り空の様にどんよりとしていた。
歩けない事が何れだけ精神的に負担が掛かっているのか、シンもアヌ様も分からないんだわ。
と、二人が悪い訳では無いのについ八つ当たりの様な事を思ってしまった。
こんな自分は嫌なのに、八つ当たりなんてしたくはないのに、どんよりとした心は一向に晴れやかには成りそうに無い。
不機嫌な表情を隠そうとはせずに、ただただ黙ってシンの胸元に顔を埋めているシャマシュを、アヌは微笑ましく見詰めていた。
何となく、と言う訳ではなく。
どうしてシンが此処に来た時に少し不機嫌だったのかとか、太陽神殿へと向かう時に見せた口許を弛める姿を捉えたアヌは益々楽しそうに目許を弛めていた。
───…全く、素直では無いね。いや、逆に素直なのかな?
そんな風に考えながら。
さて、どうやってこの場を収拾させようかな…と、アヌは一人ごちていた。
◇◇◇
すたすたと迷う事なく太陽神殿のシャマシュの自室へと歩を進めると、優しくベットへと横たわらせて右足をきちんと固定してくれているシンを、シャマシュはぼんやりと眺めていた。
相も変わらずシンの動きには無駄が無い。
右足の下に敷いてくれる布も、貴重な氷が入った袋を押し宛ててくれる優しさも。
何れをとってもシンの動きは決して無駄が無く、そしてとても優しかった。
お風呂に入りたいけど出来ないシャマシュの為に、桶の中に適度に温めた湯を入れて「暫くは此れで我慢してくれ」と用意してくれたり、部屋の中で安静にしているだけのシャマシュの為に、仕事以外の時間は出来る限り傍に居てシャマシュの足の代わりになってくれていた。
申し訳なくも有り難くて、そしてとても情けなくなってしまうシャマシュを呆れながらに「僕がこうしたいだけだ」と言いながら、其れでも此処まで親身になってしてくれる人が居るのかしら?
と、シャマシュは変わらない世話好きな幼馴染みの月神の存在をとても有り難くて頼りになって、そしてどうすれば彼に迷惑が掛からない様に出来るのかと、少しずつ引いていく腫れと痛みに「早く治れ!」とコッソリ念を送っていた。
そんな絶対安静を強いられてから2週間。
腫れも痛みも引いてからは、冷やしていた足を今度は暖めながら…其れでも神殿からは出られないままの生活に、何とか馴れて来た頃。
そろそろシンはお仕事の時間ね、と考えていたシャマシュの身体をひょいっと抱き上げて。
シンは訳の分からないシャマシュを自身の仕事道具で有る”三日月の舟”に乗せると、所定の位置に腰を下ろしたシンはそのまま夜の街の上空を運行し始めた。
「そろそろ神殿の中だけで過ごすのは限界だと思っていたからな……それに、こうすれば君に何か困った事が起こっても直ぐに対応出来るし」
そう言葉を紡ぐシンにシャマシュは目頭が熱くなった。
何時だってそうだ、彼は、シンは何時だって優しくて暖かい。きっと彼が仕事に向かう度にベットの上で見送るシャマシュを見ていて思ったのだろう。
嗚呼、限界かな…と。
「ギルガメッシュが君の為にって、泉で水浴びしても包帯が濡れない様になる特殊な布を作ってくれたから、この先に有る泉で少し休憩しよう」
「え、でも足はまだ動かしたら駄目なんでしょ?」
「ああ、だから嫌かも知れないけど僕が後ろから支えてあげる事になるかな」
「御免ね、シン」
「別に気にする事は無いよ。と言うか着替えも持ってきてるから全部脱ぐ必要は無いからね」
何をそんなに気にしてるんだろう?
少し頬を染めて言葉を繋げるシンを見て、シャマシュは久し振りに声をあげて笑っていた。
(終)
タイトル悩みました(笑)
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