百神(短編)
一日の勤めが漸く終わり、アヌ達への定期報告も終えたシンは、重い身体を引き摺りながら月神殿へと向かっていた。
目的は自室にあるベッドへと潜り込み、睡眠を貪る為である。
其くらい、今のシンは疲弊していた。
地上がそんなに荒れていなければシンも其処まで疲弊する事は無かった。だが今の地上は魔物が闊歩するだけでは無く、人間達もまた何時までも起きて騒いでいるものだから、その分何かしら新しい問題ばかりが浮上してしまっていて正直気が気ではない。
その上……いや、今は止めておこう。
兎に角、シンは一刻も早く休んでしまいたかったのだ。
どうにか月神殿へと辿り着き、自室のベッドへと歩を進め、漸く寝られる…!
と、上掛けを捲るとそこに現れたのは一人暮らしの男の部屋に在る筈の無い”柔らかな肉”の存在で。
シンは『嗚呼、また今日も眠れないのか』と天井を仰いだ。
《そして僕は途方にくれる》
「……どうして君は僕のベッドで寝ているのかな?」
そう悪態を吐いても、当の本人は既に夢の中だ。シンの切実な言葉等、聞こえている訳が無い。
幼い頃は何時も一緒に居た。同じ師匠の元で修行している仲間と言うよりも、むしろ家族の様に暮らしていたのだ。
其れこそ一緒に食事は勿論の事、一緒のベッドで眠り、一緒に沐浴だってしていた。相手は異性の女の子だと言うのに、特に深く考えずに裸体も見ていたし、酷い時など背中を洗いあった事だって有ったのだ。
だから大人になってもその癖が抜けないのも理解しなくてはいけない、とシンだって分かってはいる。
分かってはいるのだが、と深い溜め息を漏らす。
───…彼女が女の子では無く”女性”なんだと、そう意識してしまっている僕の方が可笑しいのか?
何時までも変わらない彼女。
ずっと一緒に過ごしていたのならば、シンもそんなに意識しなかっただろう。
彼女───シャマシュと同じ様に特に意識せずにずっと妹の様に思いながら接するだけで満足していたに違いない。
其れが出来なくなったのは、明らかに互いの状況の違いからだ。
幼い頃は一緒に過ごしていたけれど、其れも『月神』『太陽神』としての役目から、其々の神殿にて過ごす様になった。最初こそ戸惑い、寂しいと思いこそすれ、すっかり馴れた頃に再会した時……シンはシャマシュが女の子では無く”女性”なんだと強く意識してしまった。
シン自身も身体付きががっしりして来て、声帯も低く男性のものへと変わっている自覚も何と無くだが有ったのだが、其れでも明らかに意識して戸惑ったのは再会したあの時だったのだ。
柔らかそうで華奢な肌、桜色で艶やかな唇。頬もほんのりと桜色で、目元も可愛らしくぱっちりと大きい。
キラキラと輝いた朱色の瞳、ぷくんと膨らんだ唇と細やかながらでも胸の膨らみにスラリと伸びた手足。
まるで出来の良い人形の様な愛らしさに、シンは酷く戸惑い、そして否応なしに『シャマシュは女性なんだ』と意識させられたのだ。
意識してしまえば後は一気に転がり落ちるのみ。
『何処が好きなのか?』と問われれば、一晩中語り尽くしたとしても収まらないに違いない。
其れくらい、シンは彼女に溺れてしまっている自覚が有る。だからこそ眠れないのだ、こんな風に否応なしに意識させられる真似をされてしまうと。
───分かってはいるんだ。シャマシュには他意は無いと言う事も、此処で眠ってしまう位…シャマシュも疲れているんだと言う事も。
シンが住む月神殿と、師匠であるアスタルが住む星神殿からは未だ近い場所に存在しているアヌ達が集まる大神殿は、逆にシャマシュの住む太陽神殿からはかなり距離が有った。
シンですら毎日となると骨が折れるし、面倒だと思うのだ。その比では無い場所に存在している太陽神殿からとなると、シャマシュが疲れ果ててしまうのは仕方の無い事だとも思ってしまう。
だからこそ月神殿の、其れもシンの自室にあるベッドなのだろう。流石に師匠のベッドに潜り込む真似なんて出来る筈も無いだろうし、此れはシャマシュなりの気遣いであり、シンに対しての甘えでも有る。
甘えてくれるのは単純に嬉しいと思った。だからこそ文句も言えない。
「此処で君に触れたら…君は僕を”男”だと意識してくれる?」
ぷくりと膨らんだ桜色の唇に、己の唇を近付けてそう囁くと、ぴくっと瞼が震えた様な気がしたが今のシンにはそれを確認出来る程の余裕は無かった。
あと数cmの距離まで近付けた時、シンは自嘲気味な笑みを浮かべると「…何てね」と再びシャマシュから距離を取り、くしゃりと前髪を掻きあげる。
出来る訳が無かった。
幾ら彼等の時代で言う『愛』と言うものが、現在の愛情の中でも『性愛』の意味合いの方が強かろうと、其れでもシンには無邪気に眠るシャマシュの唇を奪い、そのまま彼女の全てを奪い取る様な真似が出来ようか。
仮にも幼い頃は一緒に暮らしていた”幼馴染み”に、近くに居たからこそ手を出す様な真似が出来ようか。
女ならば誰でも良い訳では無いのに、無抵抗の彼女の身体を掻き抱き、有無を言わさず奪い取る事が彼等の時代では良く有る事だと分かってはいても、勿論シンもまたそうやって産まれて来た事も理解しているからこそ、『今のこの状況化での行為に関して過ちに為る事は有り得ない』───…その事も重々承知してはいるのだが、其れでもシンは己の欲望のままにシャマシュを抱くなんて真似は出来そうに無かった。
大切だから。
と言えば聞こえも良いが、結局はただ嫌われたくないだけだ。ただ『優しい兄の様な存在』と言う位置付けから外れたくないだけ。
臆病者だと罵られても仕方が無いとすら思う。呆れられても仕方が無いとすら思う。
でも……。
「出来る訳が無いじゃないか」
そう、一人ごちて。
後少しすれば朝がやって来る。そうすれば彼女は太陽神としての勤めを果す為、慌てて起き出し月神殿を後にするだろう。
その数刻の間だけ、疲れ果てて眠っている彼女に貸してあげても構わない。
そうぼんやりと考えながらも、「さて、その間…僕は何処で休むべきかな」と自室を後にした。
━━━そして僕は途方にくれる。
シン様は今日も寝不足です。
眠りたくても眠れないのはシャマシュがお布団を横取りしているからですが(笑)
理由としてはシン様が考えている通りですが、まだ他にも理由が有ったり…と言うか、シン様はとっとと手を出した方が良いと思うよ。
とか言ってみたり(笑)
久し振りに逢ってからがっつり意識してしまっているシン様と、いまいち良く分からないシャマシュの組み合わせが本当に書き易くて好きですが、たまには逆も書いてみたいものですねヽ(・∀・)ノ