恋文の日(シン×シャマシュ、アレス←創作冒険者(♀))
《恋文の日》
「「恋文の日?」」
麗らかな春の陽気の中で。
大きな藤の籠にこれでもかと詰め込んだボカディージョと、温かい珈琲を出している時にそんな話を聞いたアルディリアとシャマシュは顔を見合わせた。
神様解放の旅の途中に知り合った彼等は確か日本人の筈だ。二人共にたまに共闘する位の関係だが、其れでも共に闘う機会も出会う機会も多いからか、彼等の言葉も何とか理解出来る。
その事を考えてもアルディリアにとっては有り難い存在だった。
今はそんな彼等と久し振りに再会し、丁度息抜きにご飯でも食べて話でもしようかという流れになり、皆でお弁当を広げていた時に飛び出した言葉である。
その言葉を発した眼鏡の青年───神永直(かみなが すなお)は、差し出した珈琲を受け取りながら「ええ」と微笑んだ。
「語呂合わせですけどねぇ、日本では…いえ、私の国ではこう言う日が結構有るんですよ」
「5月だけでも『扇子の日』『交通の日』『ゴムの日』とか?……まあ、色々有るみたいだな」
トルティーリャを挟んだボカディージョを頬張りながら言葉を続けた青年───弥彦(やひこ)と言うらしい、はそう呟いた。
「へえ、面白いわね!で、その『恋文』ってなぁに?」
「教えて下さい、です」
興味津々になりながら直達に尋ねる二人を微笑ましく眺めながら、「そうですねぇ…どう説明しましょうか?」と弥彦に話を振ると、「carta de amor(カルタ・デ・アモール)…かな?」と返って来る。
『carta de amor』と聞いて、思わず頬を紅く染め上げたのはアルディリアだ。
「カルタ・デ・アモールってなぁに、それ?」
未だ良く分かっていないシャマシュの耳元で、ぽそぽそと小さく説明すると今度はシャマシュも少し頬を紅く染め上げる始末。
そんな意外な光景を「「おや?」」と直と弥彦は思った。
何せこの娘達の浮いた話、つまりは色恋関係の話を聞いた事が無かったからだ。どちらかと言えば、その手の話とは真逆の気性では無いかと勝手ながらに思っていたし、苦手とは言わないが男共の方が逃げてしまう……当人達が余りに健康的で健全だからだが、とそんな風に認識していたからだった。
───此れは……考えを改めなくてはいけないかなぁ?
───ま、年頃だしな。
ボカディージョを一口囓りながら、弥彦は食べる方に集中したいのか珈琲をもう片方の手で取り、黙々と食べ始めている。
───おやおや、この手の話題が苦手だったのは弥彦君の方かな?
直は苦笑混じりに野菜たっぷりのボカディージョを手に取ると、すっかり食べ馴れてしまった味にも苦笑を漏らした。
本当に、何れだけの長い時を彼等と過ごしたのだろうか?
この世界の気候にも、人種にも、神々との交流にも馴れてしまい、もうすっかりこの異世界ライフを満喫してしまっている感が否めない。
それはきっと弥彦もアルディリアも、そして普段旅の途中に同行して貰っている仲間達も同じ感覚なのでは無いだろうか、と直は自覚していた。
───楽しい旅ですねぇ。
「なおにぃ?」
「どうしたの、直?」
「こっちの方が良かったのか?」
口々に尋ねられる内容も、此処がどれだけ魔物に荒らされ、神々が石に封印され魔神に囚われている危険な土地で有るとは思えない位に穏やかで平和だと錯覚させるには充分で。
「いえ、こう言う日も良いなあと思っていただけですよ。其れより…アルディリアさんもシャマシュ様も、『恋文の日』にちなんで誰かに手紙を送られては如何です?」
どちらかと言えば、穏やかでまったりと過ごす方が好きな性分である直にとって休憩時間と称してご飯を食べる”この時間”を大切にしているからか、流れを止めたくないと思わず振った問い掛けで有ったが、振られたアルディリアとシャマシュは「そうねぇ」と互いに顔を見合わせている。
「考えたら、私から送った事が無かったし……うーん、何を書いたら良いのか分からないけど書いてみようかな?」
「『私から』?…誰かから貰った事は有るって意味ですか?」
我関せずを貫こうとしていた弥彦が、シャマシュの言葉に思わず身を乗り出した。
しまった、と後悔しても後の祭りですっかりシャマシュのペースに呑まれてしまっている。
「ええ、シンからね。まあ…用件のみのメモみたいな物だったけど、何だか嬉しかったし……今も大切に保管しているわ!」
「それ…手紙って言える代物なんですか?」
「あら?手紙よ、だって最後の所に『最近見掛けないけど元気にしてる?身体には気を付けなきゃいけないよ』って書いてくれてたもの!!」
「まるで”おかん”…」
「何が?」
「いや、何でも……」
一応相手は神様だからと思っているのか、出来るだけ丁寧な言葉遣いで接している弥彦も思わず口に出してしまう位、シャマシュの貰ったと言う手紙は『お母さんが子供に宛てて書いたイメージ』を連想させてしまう。
だからだろうか?
まだ比較的”分別を付けている”弥彦でさえも思わず素の反応を見せてしまったのは。
そう言えばアルディリアの幼馴染みのオルランドも、弥彦と同じ様に分別を付けている様だが、時々今のように素の反応をしてしまうらしい。
前に会った時にその事を嘆いていたから、余程本人にとって不本意だったのだろう事が受け取れるが…。
───其れだけ、神様達はとても気さくであると言う事だろうけどねぇ。
直もまた分別を付けた方が良いのだろうか、と考えた時も有った。が、元々の性格と言うか性分と呼ぶべきか……まったり穏やかな気性と口調を、特に意識する事も無く発するだけで”一応は”失礼のない範囲内で振る舞えている自覚が有るだけに、「大変ですねぇ」としかコメント出来ない。
と、不意に何やら考え込んでしまったアルディリアの姿が視界に入って来た。
送りたい”誰か”が居るのだろう。が、余程送れない相手なのだろうか?
「アルディリアさん、どうかしましたか?」
「え、あ……あの」
余程困る相手なのだろうか?
折角の昼食時間が台無しな程に困り果てた表情を浮かべているアルディリアの様子を見て、弥彦もシャマシュも「「何だ?何だ?」」と聞き出そうとしている。
おろおろしながらもアルディリアは呟いた。
「送りたい、相手、居る…でも、その……言葉、解らなくて」
「あ」
「成程ね、そう言う事か」
「嗚呼…確かに。困りましたねぇ」
喋る事すら儘ならないアルディリアだ。
手紙となるとハードルも一気に跳ね上がる。しかし、此処まで困る相手と言う事は…相手の国の言葉は彼女にとって、本気で未知の言葉だと言う事だろう。
一体誰に送りたいのだろうか?
「うーん。相手はアレスさんでしょ?…だったらアルデの言葉をそのまま書いたら良いんじゃないかしら?」
「アレス様ですか」
「あ、成程。ギリシャ語か」
「ううっ」
流石『親友』を豪語しているシャマシュだ。アルディリアの送りたい相手も難無く分かっていたらしい。
ギリシャ語と言っても、正確には古代ギリシャ語なのかも知れないが……幅広く影響を受けた国は数知れず、日本人にとっても馴染みの深い神話でもある国。
確かに困るかも知れないなぁ、と直は思った。
「アルディリアさん。不躾な質問ですが、アレス様に何と書いて送りたいんですか?」
「え……と、『ありがとう』です」
「え?それだけ!?」
返って来た言葉は本当に一言で、此れにはシャマシュも呆気に取られている様だった。
「ふう…」と、そんな様子を眺めていた弥彦は溜め息を吐くと、棒を手にすると「こうだ」とギリシャ語で文字を書いていく。
━━━『Συχαριστο』。
Συχαριστο(エフハリスト)と書かれた言葉は、確かにギリシャ語で『有り難う』だ。
アルディリアはその言葉を食い入る様に見詰めながら、必死に言葉を覚えようとしている。
直はそんなアルディリアを微笑ましく眺めながらも古びたメモ帳を取り出し、さらさらと書くと「どうぞ」と手渡した。
「他にも伝えたい言葉が有るなら、アルディリアさんの分かる文字で書いた後、最後に添えると良いですよ」
「あ……ありがとー、なのです。なおにぃ、ひこさん。ありがとー、です!」
「別に礼を言われる程の事じゃないし、って言うか…飯、食わないのか?」
「あっ、大変!折角のボカディージョが固くなっちゃう!!」
「珈琲も冷めるし、ほら、早く食べろって…俺が言うのも変だけど」
「確かに早く食べないといけませんねぇ」
そう話ながら、口に入れたボカディージョは勿論美味しさを損なってはいないのだけれど。
───…嗚呼、やっぱり。楽しい旅ですねぇ。
ぽかぽかと麗らかな春の陽気の中で。
心地好い風が何とも気持ち良くて、直はゆっくりと空を見上げて微笑んだ。
(終)