if(もし…)

Part1

時は大陸歴862年―。

ヴァリスゼアと呼ばれる大陸は大きく分けてふたつである。
風の大陸と灰の大陸だ。

灰の大陸がウォールード王国と呼ばれるひとつの国が統治を行なっているのに対し、風の大陸はかつて3国同盟が存在しており3つの国家とひとつの独立した商業都市が主である。

その中で慈愛と伝統の国と呼ばれるロザリア公国。
国の統治は大公と呼ばれる貴族階級の中でふたりの王子がそこにいた。
重たい剣戟の音が響く。柄を握りしめる握力の強さと地を踏み込む足の動きはより滑らかになっていた。
「本当に強くなられた、最年少でナイトの称号を得たあの日よりもさらに」
マードック将軍が称号を得たあの日と同じように力強くロザリア公国第一王子―第二王子のジョシュアの実の兄であり守護するナイトでもある―クライヴに対して宣言を放つ。
この国において兄は弟を守るための存在なのだ。
木剣での訓練の他に馬―大きな鳥類であるチョコボと呼ばれる騎乗用の鳥―にまたがって狩りに出ていくのも近年は実戦とそう変わらなくなっている。
何故なら、ここ数年前から広がっている黒の一帯と呼ばれる厄災から、多くの神話が残るこの大陸ヴァリスゼアにおいて唯一の加護であるマザークリスタルを巡って戦いが起きるのだとこのロザリアだけでなく他国も重く受け止めているからだ。
ロザリア公国から北に位置する北部地方も大部分はエーテルが枯れて―エーテルとは地に巡っている人には青く見えるエネルギーのことである―黒の一帯と呼ばれる厄災に飲まれ人も動物も生き物が全く住めない死の大地そのものであると化していた。
まだ残っている領地もあるのだが、時間の問題だろう。
その証拠として剣の訓練場の周りで馬を用いた狩りとはことなる実戦の訓練も同時に行なわれているのだ。
褒められても弟に対して深く責任を感じているクライヴは静かに将軍に向かって頷くのみだ。
白い襟を立てた王国貴族らしい服装に後ろに流していた黒髪は背丈と共に少し伸びてきた。左耳にはロザリア国旗の象徴であるフェニックスが彫られた耳飾り。
ふと視線を後ろにやれば。第二王子でありフェニックスのドミナント-ドミナントとはその身に召喚獣と呼ばれる強大な力を宿せる人物である…人そのものが人ならざる姿へと変貌を遂げる―実弟のジョシュアがにこりと微笑んでいた。
ジョシュアは齢12歳となったが、公世子らしく赤で纏められた上品な服装でありまだ外見に幼さが残る弟を見ていると胸が痛む。
弟が多くのものを背負わされている原因は他ならぬ自分だからだ。
嫡男として期待されていたクライヴはフェニックスを宿せず覚醒が出来なかった。
せめてその代わりに弟を支え、守れるようになりたいという彼の切実な願いと母親を含め宮廷貴族である取り巻きたちの冷ややかな態度に見かねた父親であるエルウィン大公は、ならば盾となるのはどうかと上の息子に別の道を示した。
公子ではなく、騎士としての生き方を。
迷うことなくクライヴはその道を選んだ。
それから彼が厳しい稽古と鍛錬を積むことを欠かしたことは一日もない。
無論第一王子として文化・政治を含む幅広い教育と兵法・測量術などの実用的な実学も合わせてのことである。
同じ青い色を持つ弟の瞳は実力をつけた兄の姿を見る度に輝いている。
その隣で遠征に出た父親に与えられその時は仔狼だったが今はふた回りほど大きくなった狼は―名はトルガルである―“大丈夫、兄さんは負けたりしないよ”と明るく語る弟に同意して元気に吠えた。
そのやりとりにこれこそが自分の使命なのだと確信に似た想いが沸き上がる。ジョシュアにとって必要な存在でいられる、純粋に嬉しい。
「マードック将軍、もう一戦お願い出来ますか」
「…いい目をなさる。もちろんです、さあ遠慮なく来なさい」
息を静かに吐き、剣を両手ですっと構える。集中を高めた鋭い眼光がピンと周囲の空気を張り詰めさせていく。先ほどより深く踏み込んだ。
稽古場所には柵が張り巡らされ離れているにも関わらず弟の息を飲む音が、張り詰めた空間の中でも耳に届いた。

―将軍が膝をついたのと、兄弟の実の母親であり王妃であるアナベラがここに来たのは同時だった。

「また勝手に屋敷を抜けだして…いけない子。さあ来なさいジョシュア。陛下をお迎えに上がりましょう」
後ろ姿のジョシュアが少しムッとした表情になったのにクライヴは気づかなかった。
紫色を主体としたドレスを着こなしている美麗なアナベラ王妃と取り巻きたちの関心は第二王子のみだ。
ロザリアの兵士や騎士たちは武器を両手で逆さまに持ち両手で垂直に突き立てロザリア式の挨拶を送るが彼女らは意に介さない。ジョシュアの兄である、第一王子にも。
母親に叱られ説教されている間もジョシュアはそっと幾度もクライヴに視線を巡らせる。
祝福の言葉を送りたい。
兄さんがここまで強くなったのは他ならない兄さんの実力なのだから。
それに今日の稽古は特に厳しいものだった。回復上位魔法であるケアルガを使いたい…様々な想いが込められていた。
そうした想いを乗せたジョシュアの視線に俯いているクライヴは気づかない。
マードック将軍にきちんと礼を伝えてから柵の扉から出て行き「ご機嫌麗しゅうございますか、母様」と穏やかに敬意を込めて実の母親に語りかけてみても。
冷たい軽蔑の視線が返されるだけで。
物心つく前からもうずっとこのような扱いを受けてきた。
「せっかくの上物が汚れます。それに馬(チョコボ)のにおいもひっつくでしょう。さあ、行きましょう」
ジョシュアの返事を待つことはなく、さっと手を掴み。取り巻きたちも弟を取り囲みクライヴには一瞥もくれず。そのまま連れ去っていった。握られたままではなくすっと手を放し連れ去られていくわずかの間に弟がこちらを振り返る。
寂しそうに見えた。すごいのは、兄さんなのに、と…。
「…―。」
すぐ行くからな、とせめてひと言かけてやりたかった。
トルガルが後ろ足だけで立って尻尾を振りながらクライヴに纏わりついてくれている。兄弟がお互いにやりきれない想いを抱えていることにこの賢い狼は気づいているのだ。
小さかった時は思いっきりジャンプして飛びついて来たりしていたのも教え込んで時経つ内にそれはなくなった。後ろ脚が太いのでさらに巨体となるのであろう。
「ありがとな、トルガル。大丈夫だ。行こうか」
「クライヴ様、申し訳ない。少々宜しいでしょうか」
トルガルの頭を優しく撫でているとマードック将軍から声を掛けられた。
「少しの間ですが私は故郷にて調査に出ます」
「イーストプールに…?」
イーストプールはロザリア公国領内において中北部に位置する集落であり大きな滝と風車、風車の横で小麦畑が収穫の時には黄金色に煌めき。橋からも丘からもスリー・リーズと呼ばれる湿地帯が美しく見える村だ。
幼い時から何度か将軍に連れて行ってもらったことがある。懐かしく良い思い出だ。
本来ならもう水道橋の建設を終えているはずだったのだが—。

フェニックスゲートと呼ばれるフェニックスのドミナント―今はそうジョシュアのことだ—が儀式を行う時に通ることもある。
その時にはフェニックスを崇める教団も必ずその場に居合わせるのだが、覚醒出来なかったクライヴにとって彼らとの接点は全くないといえる。

将軍の妻であるハンナが暮らしていて、夫の帰りを心待ちにしているはずだ。ただ、将軍の物言いは明らかに里帰りが目的ではない。
「エルウィン様からお話しもあるでしょう。イーストプール先の森林も黒の一帯に脅かされています。その調査と、もうひとつ―」
「北部地方のことですね」
察しの良い彼はすぐに答えた。
「さすがです。妙な噂も北部地方からこちらへ難民として流れてきた彼らから伺っております。噂があくまで噂であれば良いのですが、数が多い。
もちろんこちらを攪乱させる謀の可能性もあります。いずれにせよ、事を進め早めに真実を掴まなければ」
「父上は遠征から戻られた。話をつけてこちらもすぐに発てるようにしておきます」
「何事も迷うことなくそして素早く。剣で捌くのと同じです。
ただし、おひとりで何もかも背負う必要はありませんよ、クライヴ様。責任感が強いのは良いことですが気負い過ぎてもいけない。
貴方にはフェニックスの祝福が宿りジョシュア様が支えておられる。ついてきてくれる人、傍にいてくれる人を頼りなさい」
ニカっと笑う将軍には剣の腕は別としてまだ追い越せないなと思い知らされる。
「はい。どうか、マードック夫人にも宜しくお伝えください」
礼儀正しく敬礼を行なってから父親から与えられた狼に、行こうトルガルと稽古場を去っていくその後ろ姿に。
「全くひどいよなあ…実の息子なんだぜ?」
「フェニックスを宿せなかった、ただそれだけなのになあ…」
ロザリアの兵士たちが次から次へとこぼしていく。
―クライヴ様の実力を直接目にしていないからだろ。
―ジョシュア様がアナベラ様と似たのが金髪だけで本当に良かったよなあ。
―ああ、おふたりともエルウィン様の魂を受け継いでおられる。
ロザリアの兵士たちにとっては第一王子も第二王子も礼儀正しく自分たちを尊重し君侯としても人柄も尊敬出来る信頼を置けるふたりだ。
自分たちに対してひとりの人として接してくれているエルウィン大公の実子たち―弟が大公として兄がその盾となり騎士として支えていくこの先の統治に不服はなかった。
不安の種はクリスタルを巡る戦争が起きるであろうということ。一方でマードック将軍は―。
「どなたかひとりでも…そう、妻のように控えめでもはっきりと物事を告げ、あの方の本質を見抜いて傍で支えられる女性がいてくれれば…」
彼が何でもひとりで背負いがちな面があると幼い頃から気づいており、そのことを理解して支えられる部下たちとは異なる必要な存在について考えていた。
同性より異性の方が良い。ゆくゆくは―。
「いや…エルウィン様と共に話していく内に息子のように考えているのか私は…」
自分を慕ってくれる甥に悪いと思う。機会があったら会わせてやりたいものだ。


トルガルはクライヴ専用のアンブロシアと呼ばれる王国貴族が乗馬する白い馬(チョコボ)の厨舎へ世話係に任せてきた。2年前まではすぐあちこちに走り回り飛びついていたことを思い出すと言い聞かせてきた甲斐があった。もうアンブロシアと共に狩りに出て訓練が出来るだろう。
城門は騎士達と兵士達、幾人かの側近で溢れかえっていた。ジョシュアはロザリア公主の証である赤を基調とした礼服を着こなしているエルウィン大公に肩に優しく手を置かれ励まされていた。
ロズフィールド家に生まれた意味について改めて責任を感じる。10歳になったばかりの頃は父親が戻ってくると走り寄って抱き着いたりする幼さを内面にまだ残していた弟はこの2年で随分と変わった。その責務を代わってやることは出来ない。
だからこそジョシュアは守ってやらなければ、ではない。必ず守るべき存在なのだ。
ロザリアの騎士たちと共に整列をして父と弟のやりとりを眺めながら、クライヴは改めて決意を固める。
エルウィン大公がもうひとりの息子へと近づいて、肩に手を置きそっと耳打ちをした。
「…近い内に戦が始まる、心しておけ」
息を飲んだ。覚悟はしてきたはずだ。現実的に考えればそうなるはずだと頭では理解していた。それでも頭を殴られたような感覚が回る。
真っ直ぐに大公と向き合い、先ほどの決意を胸に秘めぐらつくことなく頷く。
「…マードック将軍から話は伺っております。私も共に」
「うむ。お前にはその前に頼みたいことがあるのだが…
ここでは話しづらい。城内にて話そう」
「はい。勿論です」
毅然とした答え方に逞しくなったなと言わんばかりにどんっと胸に拳で叩かれた。父親が剣の鍛錬を積み騎士の道を歩んできたもうひとりの息子を励ます力強い仕草だ。
「最年少でナイトの称号を勝ち取ったことに申し分ない顔つきだ。誇りに思うぞ、クライヴ」
功績を称え力強く微笑む大公に対して父親であり君主としての度量の大きさを深く感じる。
甘えるつもりはないが、安堵感を覚えた。
「では、皆はしばらく憩うと良い。家族にも顔を見せてやれ。ロザリアの栄光と共に!」
騎士や兵士も使用人たちも団結してエルウィン大公を称える声を高らかに上げる。
そう遠くない未来にジョシュアが父の後を受け継ぎ次期大公となるのだ。
魔窟とも言える政(まつりごと)の中に-。
ふと弟を探したのだが、既に姿は見えなかった。
ロザリアの首都であるロザリスでは貴族ではない使用人も共に暮らしている。似たような貴族階級である隣国のザンブレク皇国とは異なっていた。彼らの家族が迎えに出てごった返してきた、アナベラはそうした光景が気に入らないらしくさっさとジョシュアを連れて帰ったのだろう。
普段からきつく侍女たちに何があってもジョシュアを守ることが最優先だと言い付けている母のことだ、後で侍女たちに礼を伝えよう。
エルウィン大公の姿をひと目見ようとさらに民たちが押し寄せてくる。父はそれに応じながら正門からまっすぐ城内へ戻る様子だ。
裏から回るか、と思い立ち民の流れとは逆にすり抜けた。あちらにも中庭に繋がる階段がある、そこから行こう。
厨舎に留まっているトルガルとアンブロシアに軽く手を上げて通り抜け、裏門へと急ぐ。
一段目に足を掛けようとすると、リンゴがひとつ足元に転がりこんできた。
ふと視線を上に上げると、ベアラーの男がそこにいた。いっぱいのリンゴの荷箱を両手で抱えている。運んでいるうちに落ちてしまったのだろう、さっと拾う。
―ベアラーとはクリスタルを用いないで魔法が使える“人”の呼称である。
“普通の人”はこのヴァリスゼアの世界でマザークリスタルからもたらされるクリスタル無しでは魔法が使えないのに対し、彼らはクリスタルを介さずに魔法を使う。主がいて自ら言葉を発することもなく命令のまま動く。普通の人と比べて数としてはあまり多くはない。
何故そうなのかといえば、そのように各国で彼らの扱いが取り決められているからだ。
普通の人かベアラーかは頬に刻まれた刻印ですぐに見分けがつく。
慌てて降りて来た男に安心していいと微笑みかけ、付いた土を丁寧に服で払い落として籠に戻した。
「おい、お前!…クライヴ様…!」
“主”である男が乱暴な口調で戻ってきた。
「申し訳ございません!お前まさかクライヴ様に無礼を働いたのではなかろうな!すぐに謝らんか!!」
状況を確認することもなく深々と頭を下げて来たふたりに対し。
「ふたりとも、顔を上げてくれ」
咎められることなど何もないのだと落ち着かせる為にはっきりとした口調でそう告げた。
顔を上げたふたりに対し続ける。
「このロザリアの為に尽くしてくれていることに感謝する。何も恥じなくていい。礼を言うのはこちらだ。これからもこの国を支えていって欲しい。頼むよ」
「…ありがたきお言葉です。…全く、エルウィン様が治めておられるこの国くらいですよ。ベアラーに対しても親切に扱って下さるのは…さあ、もたもたするんじゃない、行くぞ!」
主の男が強い口調でどかどかと先を急ぐ。ベアラーの男も今度は落とさないようにと荷箱の両端をしっかり握って後を追う―前にもう一度クライヴを見つめた。
再度“ありがとう”の意味をこめて微笑むと、相手も頷いて微笑んでくれた。

国は“人”があってこそ。

中庭はクリスタルやベアラーによって風の魔法や水の魔法を用いて美しい庭園がそこに広がっていていた。
想定通りアナベラは侍女たちにジョシュアの世話についてきつく言い付けていた。
ジョシュアは先に城内の自分の部屋に連れ戻されたのだろう。
後で様子を見に行こう。母親の視線をかいくぐりロザリス城の門に両手で手を当てた。

歴史と伝統。戦と政。窮地に陥る度にこのロザリア公国ではフェニックスが救いとなってきた。公主たるものはフェニックスのドミナント。信仰といって差支えが無い召喚獣。それを宿しているのは自分ではない。

重たい扉を両手で力を込めて開いていく。振り返っても誰かが待っていてくれる訳ではない。
顔を上げて真っ直ぐ迷わずに進むしかない。

王座に座するエルウィン大公と側には外側からこちらが回っている間に先に着いていたマードック将軍の姿がある。
その前にひれ伏した。ひとりの騎士として。
厳かに、そして力強く大公から命令が下された。

「クライヴ、お前に北部地方に向かってもらいたい」

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