テキスト(FF16)

夜想

気が付くと、ぼんやりとくすんだ土色の天井が見えた。意識がおぼろげで、ここがどこなのかはっきりしない。目が覚めなければ良かった、とまた現実が押し寄せるのだろう。

…連れ戻されたのだろうか?あの子たちはどうなったの?
そうだ、剣を交え…魔法を使っていたのだった。血を吐きながら心が痛いと感じるよりも…いっそのことこのまま何も感じないで…ああでも、私が倒れたらあの子たちが…。
ゆっくりと近づいてくる足音があの男のたちのものでないことに違和感を覚える。
覗き込んで来た全く見知らない赤髪の女性。潤いを含んだ瞳がぼんやりと目に入りほっと息を吐いたのが遠くに聞こえた。
「良かった、気づいたのね。ロドリグ、すぐにケネスのところへ行ってあったかいお茶をもらってきて」
―気遣ってもらえている…?
ここは、どこなの…?
「クライヴは戻って来たの?シドとガブは?まだならオットーに伝えて」
男の人が急いで出て行く気配を感じた。
いいえ、それよりも…!
知っている懐かしい名前をはっきりと耳にして身体が動いた。
もう二度と会えないのだと、そう思っていた人の名前。
「待って、無理はしないで」
優しくそれでいてしっかりと私の肩を掴み支えながら彼女は続ける。
「私はタルヤ、医者よ。ここはシドの隠れ家。ベアラーやドミナントが一緒に暮らしているの。
あなたはクライヴに助けられてこの医務室でずっと眠っていた。戦った後意識は途切れていたでしょう。それは、覚えている?」
淡々とした口調ながら冷たさは全くなく、事実と起こった出来事をジルが状況を判断出来るように助けてくれる。
静かに頷いた。覚えている。
剣を交えていた、暗い炎が灯る、悲しい眼差しをした青い瞳。あれは、あなただったの…。
私があなたに気づかなかったように、あなたもすぐには私だと分からなかった…当然だ。
私はあの日から変わってしまった。そして、あなたも…。
「あなたたち、ロザリアで親しい間柄だったのでしょう。…ああ、安心して。詮索はしないから。あなたをここに運び出そうとしたグツが彼に剣を向けられたって最初怖がっていたのよ。シドが手当てするって分かってから警戒心が和らいだみたいだけど」
会話の途中で男の人が温かいお茶を持って来てくれて、私たちに渡してくれた。湯気がふわりとたっていて。木のカップでもじわりとした温かさがある。こうした感覚はいつ振りだろうか。
―ケネスがシチューを温めていますからね、しっかり食べて下さい―。
男の人からの気遣いも本当にいつ振りだろう。
ふたりにお礼の会釈をしてから、口角を上げてみた。…ちゃんと笑った顔になっているのだろうか。
“―彼、あなたのことで何か言いたげだったわね…”
タルヤさんが続けたその言葉が妙に耳に残る。
ロドリグ、みんなは―?
オットーさんに告げて来ました、もうすぐ戻って来るだろうと。
そう、ちょっと彼女の具合を確かめるから外してくれる?
-はい。
どこかぼんやりとふたりの会話を眺めていたジルにタルヤはしゃがみ込みジルをまっすぐ見つめてはっきりと告げる。彼女の頬に焼け焦げたような痕があるのが目に入った。
「石化しているところが幾つかあるわね。それとは別に…」
“急に起き上がれたの、驚いたわ”
「まあそれはともかく、詳しいこと話すわね」

この日は私がこの世界の真実を知る第一歩となった。




この5年間、彼と共にヴァリスゼアのあちこちを見て回ってきた。
私たちの目指すもの、私たちが戦うべきもの、抗うべきもの。
それは、ヴァリスゼアでは殆どのひとたちが望んで受け入れられるものではない。
変化―いえ、これは逸脱だ―からもたらすことが苦しみと痛みを伴うものでしかないのなら、必要はない。
一時の享楽にふけるだけふけって、道具は使えるだけ使って滅びに向かえばよい。どうせ死ぬことに変わりはないのだから。生きたいと願って目の前にある楽なもの与えられたものに縋る。このことの何が悪い。
マザークリスタルからもたらされる恩恵によって創り出されたヴァリスゼアはこうした意識が蔓延っていた。…マザークリスタルは人を幸せにしていなかった。
戦いにおいて先頭に立つ彼が責め立てられるのを、傍でずっと見て来た…。
迫害はさらに厳しくなる、この世界はあまりにも未熟なのだと、シドが伝えてくれたこと。
出来ることには、限りがある。そして、残された時間は少ない。
ただ、すまない。と告げてその場を後にして再び歩みだした彼の元へ早足で駆け寄る。
逃げ出したりはしない、受け止めていくのだという強い意思が青い瞳に表れていた。
顔を寄せてその青い瞳をじっと見つめる。彼も私を見つめ返してくれた。
お互いに笑みを浮かべることはなくても、穏やかな空気が流れる。
「行こうか、ジル」
どちらともなく手を取り合い固く握りしめ、シドの前で誓ったようにお互いの決意を確かめ合う。
クライヴの部屋にガブが前の拠点から持ち出してくれていたシドとの誓いの証がすぐ目に入る所に置いてあるのと同じように、これからも私たちは何度も何度もこうして確かめ合って前に進んでいくのだ。
あなたがあなたでいてくれる限りそれは変わらないのだとそう思える…―
そう、目を覚ましたばかりの私を力強く抱きしめてくれて。
そのときに私が感じたこと、分かったこと。
子どもの頃にふたりで月を見上げたあの日と同じ…あなたは変わらずにジョシュアを。トルガルと私のことも…忘れないでいてくれたのだと。
深い井戸のように心の奥で想ってくれていた。
それを汲み上げるようにあなたの声を聴く。あなたの手を取る。あなたの瞳に私が映る。
確かなものがここにあるのだと。
私たちはあまりにも沢山の人たちと、多くのものを失った。
それと、メティアへの願いは届いていた。ロザリスに来て幸せだったからとクライヴに話した時、それは他の国のことはよく知らない箱庭の中に居るからだと理解はしていたつもりだった。そのすぐ後に私は―…。
そして、彼から告げられた現実。
受け止める、と私は手を重ねた。それが私…いえ、私は変わったわ。だからこそ分かることもあるはず。
もうあの頃の純粋な私ではない。人形のようにただ動いていただけ。
何をしていても、なにも感じない。見えているはずなのに何も頭に入ってこない。
何かを食べさせられて飲まされても、味はしない。
ニサ峡谷で、すべてを終えよう。残ったそれだけの考えで風の大陸の地を再び踏んだつもりだった。

あなたとまた出会うまでは。
心はもう凍り付いて動かない、動かなくて良いのにとそう諦めていたのに。
あなたが生きていることに意味はあるのよ、と私は伝えた。彼はそんな私に子どもの頃の私を見出せたのか変わらないな、と微笑んでくれたけれど。あの頃の私はもういないのに。

夜になって拠点に戻った後軽く食事を済ませて(イヴァンは短時間で美味しいものを作ってくれるようになった)クライヴの部屋に繋がるバルコニーからまた月を見上げた。メティアが赤々と美しく輝いている。願いの内容はほとんど変わらない。多くの人をまた失う日々が続く。私たちはその中で抗う。
ジョシュアが無事でいてまた会えますように。そしてクライヴが無事でいられますように。
同じ時を過ごし同じものを目にする度に…別の想いが強くなり日々募っていく。
あなたと私は同じ目的を持ちながら、違うのだと。
それはメティアには願わない、願えない。私自身の闘いだから。
(私は人でありたいの。クライヴ、あなたとずっと一緒にいるために)
子どもの頃に祈ったのと内容は違うのに同じ想いが溢れて来るのを感じていた。
もう離れたくない。
これが…私の本心なのだと。



朝日が差す気配感じて、ジルは目を覚ます。
青空が広がる前の夜によくしていたことを夢で見ていたらしい。もうあれ以来ヴァリスゼアの人々と同じくメティアに願うことはなくなった。願いが届かなかったと泣き崩れた後に青空が広がって、彼が約束を果たしてくれたのだとトルガルと共にあの空を見上げたから。
少し頭を上げようとして、自分が逞しい漢の腕の中にいるのだと再び認識した。
(クライヴ…)
相手は静かに眠りについている。神話の舞台から人の世界になったこのヴァリスゼアでは今はもうお互いがお互いの為に生きていく理由なのだ。
彼の胸元、心臓の部分に耳をあてて鼓動を聴く。自分のそれより音が大きい、落ち着いたリズムはジルの心を安らかな想いで満たしてくれる。
(ずっと…こうしていたい)

-ジルはすぐに我慢をしてしまうからね。
再会したばかりの頃、僕が側にいられない間ずっとずっと兄さんを支えてくれてありがとうという眉目秀麗な言葉がしっくりくる微笑みを浮かべたジョシュアがお礼と共にそう伝えてきてくれた。
それ以来ふたりでクライヴが拠点から出かけている時は、クライヴのことでまるで織物を紡ぎあげるようにふたりで微笑み合いながら話しをした。
彼のために縫い物している時にジルは昔から好きだったものね、それで手を休めないで良いから聞いて欲しいのだけど…と、ジョシュアがトルガルを優しく撫でながら(撫で方がクライヴにそっくりなの。離れていてもそういうところは変わらなかったわね)話しかけて来てくれて。
-これで全てが終わる訳じゃない。ただ、ひとつの決着はつく。
それでね、帰って来たら-。

兄さんに、思いっきり我儘を言って欲しい。
僕もそうするから。

ジョシュア。
我儘とは、望んでいることを思いっきり言葉にして態度に示すことでしょう。
(なら、今がそう…)
苦しみと悲しみが続いていくこの現実は変わらない。
違うのは今私たちが人として生きているということ。人と人が誰かのために手を差し伸べて生きていく時代が始まった。新たな舞台を見守っていくのだ。胸を張ってまっすぐに、最後まで生きていく。そうして…どれほど時間が掛かってもいい。もうひとつの約束である外大陸へふたりでいくのだ。
寝台の横に添えられた小さなテーブルにハルポクラテスが彼に渡した羽ペンと幾つかの紙が散らばっている。昨夜は遅くまで書き物をしていたから。
この世界の遠い未来には―忘れ去れていく神話の舞台を彼は記している。
片腕は石化していても包みこんでくれる腕の中で起こさないようにそっと腕を伸ばして、彼の頬に優しく触れる。
刻印が取り除かれた左頬に触れている指先から愛しさを込めて。

「あなたと、これからも生きていくの」




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