テキスト(FF16)


世の中は全て舞台だ。
そして男女はすべて役者にすぎない。


舞台


ジルは桶に入れた少し熱めのお湯と洗濯したばかりのダルメキアで購入した綿花の布を濡らして半裸のクライヴの大きな背中をインビンシブル内船底にて拭いていた。

「わざわざ…」
「こうしたいの」

動物の脂で作った石鹸は洗濯用に。
オリーブ油があり、ヨ―テの依頼からジョシュアの薬の素を探しにいくこともなった植物系の魔物が多いロザリアでは灰汁から石鹸を作りそれで身体を洗う。土のアルカリから合わせて肥料を多くする以外に黒の一帯の土で何とか芽を出せないかと植物園の彼らがナイジェルを中心に今日も栽培に取り組んでいた。
水だけでは疲れが取れにくいからと彼女は白いふんわりとした布でクライヴの大きな背中を優しく拭っているのだ。インビンシブル内の拠点ではクリスタルを―もっとももうクリスタルからも魔法は殆ど使えず人々は生活が苦しくなったとつぶやきが氾濫している情勢だ―使わず火打ち石で火を起こす。コツはいるが食堂のモリーの教え方は上手いし、ふいごから鉄を打つブラックソーンとグツのやり取りからも石の剣の彼ら含めてここの皆は手慣れたものだ。子どもたちも火傷をしないように上手く手伝いをしてくれる。

「今の私に出来ること、たくさんしたい…」
「正直…嬉しいよ」
「トルガルもこれくらい大人しくしていてくれたら良いのにね」
「小さい頃から水浴びさせようとする度に、逃げ出していたな」

トルガルと再会して。笑みを浮かべる、という感覚はまだあったのだと思い出せた。幼体の頃からよくクライヴの後に付いて来たこの狼は撫でてやると嬉しいと全身で喜びを表わしてくれた。良かった、とそう思った。
今の自分が目を覚ましたばかりの君に会う資格があるのだろうか。戸惑っているとオットーたちが会いに行ってやれよ、とそう後押しをしてくれて。
再会の喜びの笑顔を見せてくれた途端、想いが溢れて強く抱きしめた。
もう会えないのだろうか…。ああ本当に会いたかったんだと。
ジルがクライヴの背中を拭きながら傷跡にそっと優しく触れた。
戦いに赴く度に彼が背負っていくものを。
「…痛みを知れて良かったと思う」
「…クライヴ」
「君の涙を見て…君だと分かって心が痛んだ。思い出せたんだ。失いたくない、と」
力尽きていくフェニックス。意識の中では抵抗しているのに、それが出来なかったあの時と同じ―…。

(いやだ。その叫びのまま動けたのは君のおかげだ)

「命令には逆らえないと言い聞かせられながら、心のどこかでこれだけはと反発して。
でもあの時は心からそう思った。その直後にシドと出会った」
真実と現実を知って。受け入れると決めた。もう逃げ出さない。前に進むと。上手くいかなくても、出来ることに限りがあり、誰かが傷いたり何かを失うことがまた続いたとしても。
それすら受け入れてそうして誰かを愛し、誰かの為に優しく出来るのだとそう生きてきた。
彼の傷ついた背中は痛みも受け入れて来た証でもある。
心を凍らせていた自分とは異なる―…。ジルはとすっとクライヴの背に寄り添う。
「クライヴ、あなたが生きていて…そうしてここに居る皆が…ううん、ヴァリスゼアの人々も少しずつでも、気づいている。人が人として生きることの意味を」

(私は―あなたと出会う為に生まれた。あなたと生きていく為に生きているの)

凍り付いていた心が踏み込んでくれた彼によって溶かされて。
受け止めることから受け入れることが出来た彼女はそれを心から確信したのだ。
それと。
「子どもたちが描いた絵ね。ミドがこの間じっと見ていて話をしたの」
「ああ、教室の…」
クライヴの顔が大きく描かれていて。周りではたくさんの人たちに囲まれているらくがき。
インビンシブル内でジョスランやエメたちは授業が終わると作家を目指している同じ生徒の彼女の所でおはなしに耳を傾けるか、甲板のあちこちで絵を描いている。
ちょっと眺めただけでもここに暮らしている大人たちの生活をよく観察しているのだと分かるのだ。
「懐かしいなって笑ってた。小さい頃は皆に囲まれているシドの絵をあそこで描いていたって。
だからあの子たちもミドを慕っているんでしょうね」
父親のことを語る際に真剣にそして寂しさを含んで。彼女なりに現実を早くに知ったからこそ自分の夢もままならない苦しい思いをしているのだと吐露してくれた。
そうした中で父親と父親が行なっていることがこの大陸の人にとって必要でありそれに気づいた彼らに慕われていたことも天才だと言われる頭の良さとは別に賢いミドは幼い時からちゃんと分かっていたのだ。
目を閉じてあの時の光景を思いだす。王座に就く自分。
まるで舞台を眺めているかのように、父上と少女時代のジルが。そしてシドとミドもそこにいて。幼い弟だけが何も言わない。
父上とジルと共に、また。ふたりにも否定、された。
ドミナントの暗殺任務に遣わされたのも、シドとの出会いも。あいつらにとっては筋書き通りでしかなかったのだと。
このヴァリスゼア大陸全体が理にとってはエーテルの宝庫である舞台そのものなのだ。
それでも―。あいつらの筋書きに描かれることは無いそのらくがきの意味が。これからヴァリスゼアにとって贈り物とも言える彼らが。受け継いでいってくれる遺産があると証明してくれている。

(ドミナントとして残っているのは俺とジョシュアだけだ。そしてジョシュアは俺に言ってくれた。人でありたいと)

「…この戦いで全てが変わる訳じゃない。ひとつ確実に言えるのは―」
俺は最後まで人として生きていく。君といっしょに。
「…うん」
彼の決意と想いを受け入れて。そっと離れてさっさと大きな背中を拭くのを再開する。
とんとんと仕上げに背中のくぼみを布で叩いてジルがこれで終わりねと拭き終えた。
ありがとうジルとクライヴが立ち上がり。
ノースリーチ付近でアカシア討伐に向かいその後イサベラの所に寄ると予定を伝えると。
ちょっとむっとした雰囲気を彼女は醸し出して。
「あら、どうしてかしら」
彼にそう詰め寄った。
「おうクライヴ、ここにいたのか…あ。」
タイミングが良いのか悪いのか探しに来たガブがばったりとこの場面に出くわす。
「…‥‥いや、俺が悪かった。すまん、続きを終えてから来てくれ」
来たかと思えば焦ってバタバタと戻っていったガブとは対照的に特に慌てることもなくクライヴはジルに向き合い。
「依頼の礼に没薬と乳香を受け取る運びになっているんだ。君と拠点の女性たちへ普段からの礼として」
普段の彼と何ら変わらない調子で答えた。
「成程、ね。私も付いていくわ。しっかりと目利きをさせてもらうから」
気取らない少し挑戦的な彼女に対し。
「お手柔らかに頼むよ」
彼は笑みを浮かべてそう応じる。




それより数週間前のこと―。

本を読んでいるその姿は様になると竜騎士である彼はそう思った。
昔会ったのは1度きり、齢9つの時だ。
―ディオンの意見も聞きたいところだが…。
図書館で良く本を読んでいるウォールード王国から拠点へと保護された少女の様子をクライヴがドリスと共に見送った後、入れ替わるようにして入って来たジョシュアはそのひと言が耳に入った。
拠点に丸一日、ともするとこのヴァリスゼアにおいて理と決着をつける前に協力者たちの近くで暴れるアカシアたちを出来る限り対処して置こうと戦いに向かい。
数日は帰って来ない現状に物を申すより支えてやるのも自分の務めだ。
ああ、それと。
微笑んで見送ってくれているジルが実のところ我慢しているって伝えないと。分かってはいるはずだ、それでもはっきりと僕から話をした方が良い。そうでないと兄はまたすぐにひとりで抱え込む。
あのままロザリアを公主として統治していたのならどうなっていたのだろう。ふと思い浮かぶことはあった。生まれつき身体が弱く物心つく頃には兄と比べてもその差は歴然だったから、母の期待という名の重責と。父のフェニックスだからこそお前が受け継ぐのだという背後にある考えは分かっていた。
戦地に赴く兄を君主として支えていたのだろう。そこは真実を知った今と変わらない。そして魔窟とも呼べる政の渦中にいる弟を兄はあらゆるものから防ぐ盾として前に立ち続けていたはずだ。
ウォールード王国で肩を並べて共闘したのはついこないだのことだ。お互いにドミナントとはいえ父が望んだ姿とはきっとこうしたものだったはずだ。父の遺産に関する手紙を受け取ったクライヴとジョシュアはタボールへ向かう準備を整えようと相談し合い―その前にルボルとダリミルのことで俺がひとりで向かった方が良いと兄はまた忙しく拠点を出て行った―教団にある本と拠点の図書館に並んでいる本の取り揃えを考えながら風の大陸についてもっと知りたいと話してくれたハイデマリーの為にザンブレク皇国にもそうした相応しいものがあるのかあなたに相談したそうだったとディオンはジョシュアから話を持ち掛けられたのだ。
「ここにある本のおおよそは―…」
「それなら頭に入っています」
毅然として語るその姿にお互いに重責という枷があるのだとひと目見た時に伝わって来たあの日を思い出す。
「まるで保管庫だな。いつでも取り出せるように管理もきちんとしている」
「あなたと出会った年月までは屋敷から外には出られなかったから。兄が剣の稽古を積んでいる間は本を読むのが僕の務めだった」
まっすぐに向き合いジョシュアがそう語る。テランスと共に神学校で学んでいた日を思い浮かべた。鉄格子の窓から見える空は青く。テランスがディオン様はあの空で民を守る為に羽ばたく方なのだとそう隣で語ってくれていた。
「何度か話をした。ロザリアではあの女の圧政により大公が計画していた水道橋も完成間近で頓挫したそうだな。戦いが終わったら設置してある井戸に送れるようにしたいとも。魔法無き後に各地に何を広げるのかよく考えているとそう思う。同じ様に教育を受けてきたのだと」
「ここにある本も可能な限り、読み書きが王侯貴族だけのものではないと教える為に備えられたものです」
「…そうか」
かつての恩師であるハルポクラテスがジョシュアには才能があると語り。人とベアラーから生まれた双子の教え手ともなっているその姿の意味を改めて考えさせられた。
「ザンブレクからの書物となると、やはり女神グエリゴールの関するものとなるが…」
ジョシュアが頷く。ザンブレクの成り立ちについても分かるものが助かると。
クリスタルの名称はすべてドレイクと呼ばれる神話から成り立っている。唯一の例外はゼメキスだ。ゼメキスが失われてからヴァリスゼアの歴史として何が起きたのかは、学者であるヴィヴィアンが探している書物が鍵となりそうだと兄と語った。闇に葬られた真実。
「ゼメキス時代の戦いは英雄譚として描かれている。だが現実は―」
ディオンも深く頷く。
「欲にかられた者たちの、業の時代…」
そこから立ち上がった人々もまた。クリスタルに依存しベアラーは道具と化し。ドミナントは国によって扱いが変わった。争いが起きる度に各国にとって切り札となり。そしてそれが彼らに課せられた過酷な運命だった。
ドレイクと名付けられたクリスタルはすべてヴァリスゼアから破壊した。ゼメキスと同じ空中に浮かぶ残りひとつ。
理にとっても生き残る為に選ばれた舞台であるこのヴァリスゼアは、それを破壊しなければ人からクリスタルの加護は完全に断ち切れない。
「この大陸の歴史は大きく変わる」
「…先の見えない混沌とした時代にはなる。それでも、ここに来てロザリアの始まりを思い出したんだ」
ジョシュアの真っ直ぐとした視線は変わらない。それでいて兄と同じような深みが増したとディオンは気づいた
「それは…どのような」
「ひとりの男が立ち上がった。そして人々が次から次へと集っていった―…」
父と母と。そしてロザリアの兵士たち。民が自分に何を望んでいるのか分かっていた。
分かっていたから、兄にあの日もフェニックスゲートで打ち明けたのだ。

皆、フェニックスの力をあてにしているんだ。

兄もまたお前はお前の使命を果たせと両肩に手を置いて真っ直ぐに見つめてそう言った。
その直後に襲撃が起き、兄さんも一緒に行こうよと泣きそうになりながら離れたくない一心でそう告げると。

俺がここにいる意味はお前を守る為なんだ―…。

使命と共に、兄がそれまで剣の鍛錬と共に積み上げてくれた想いそのものがそこにあった。
閉められていく扉。
再び開いたのは、弟の方からだ。
兄として、たったひとりの男として。そして炎の民として受け継いできたそのものが彼にあるとそう信じていたから。
失ったものから目を逸らさずに。
因果の子として、選ばれた存在として。あの王座に意思を失った王のように座り続けるような人ではない。
だからこそ、彼の名を呼んだ。

「人々がどのように集っていくのか…。縋るものを失い生き残りたいという願い以外に…見出せるものがあるのか。その時こそこのヴァリスゼアが変わるのだろうか」
「いずれにせよ、舞台は変わります。神話の時代に終わりを告げて」
ロザリアの始まりの様に、本当の意味でその人にあるものを見出して。そうして人そのものに注意を向けた時。
新たな舞台にとって大切なものが築き上げられていく、そんな予感をふたりは感じとっていった。





※前置きはウィリアム・シェイクスピアより。
グエリゴールはグレゴリオ暦から取っているのかとふと考えたりしています。

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