テキスト(FF16)
・綴る
自治領に首都を移してから庭師たちへかつての皇都オリフレムを恋する民の為に美しい庭園をよく備えてくれたものだと彼らを聖竜騎士団の部下たちと共にねぎらっている最中のことだった。
―名が何だというのです。何と呼んでも、薔薇が甘い香りを放つことに変わりはありませんよ。
ここには高潔な血を称える美しいものだけがあればそれで良い。
オリヴィエの手をまるで操り人形のように引いていくあの女。テランスを含め皆が殿下こちらも見に行きましょうと取り囲み気を遣ってくれている。
父上を賢人たちまで抱き込んでそそのかしたあの女狐。
“殿下…”
“とても美しい薔薇だ。余に名を教えてくれるか”
その名がどれほどの情熱と熱意が宿っているのか知る手掛かりとなるのだから。
“喜んで…!”
「殿下、子どもたちの為にほんの少しだけお願いしたいことがあるのですが」
ハルポクラテスがかつての教え子であるディオンに穏やかに話しかけて来た。
「余に?ここの子どもたちであるならイフリートの者かそれこそ先生がかつての師モースのように才能があると語ったフェニックスの方が相応しいのでは…」
皇国領に入りあの獣の様な女からの圧政から逃れたロザリア。ふたりの血の繋がった兄と弟はそちらの出身であり。
各国から保護されてきたベアラーたちも自身が滞在して間もないインビンシブルに暮らしているが、やはりというべきか多いのはロザリアの民だ。今でも燃え滾るような怒りを覚える女の腹の実から生まれた王子たちではあるが幸いにしてあの女の精神は皆無と言い切って良いほど受け継いでいない。
齢9つの時に一度だけ会ったことがあるジョシュアとの約束を果たす為にディオンはここへ来て幾度か彼と話をした。
会話の中心にあったのは彼の父親である大公のことだった。
“民のことを想える名君であったのだな”
“…政が魔窟であるとも教えようとしてくれていた”
かつての先生でもあったハルポクラテスの願いを聞くのは構わない。それとは別に来て間もない自分で良いのだろうか。
「ふたりにはもうお願いをして終えてもらいました。何てことはない。簡単なものです。この冊子の中に殿下の名を記して頂きたいのです」
ストラスの羽ペンと表題がない茶表紙の冊子をハルポクラテスは差し出す。
「構わないのですが…何故そのようなことを」
「ヴァリスゼアでは読み書きはまだ限られた者しか行えません」
ハルポクラテスが続ける。
ここではクライヴの提案もありベアラーたちに限らず読み書きを毎日教えています。王侯貴族は特に幼い時から教育の一環として学ぶ。将来は皆が学ぶ場をつくり…その手始めの機会を子どもたちに差し伸べてやりたいのです―
…神話に惹かれ大陸を見て回ってきたかつての恩師がそう語る。
「クライヴの部屋にここの皆の手紙が幾つかあります。サインを見ると貴族か庶民かで彼らの特徴が良く分かる。殿下はまたここの子どもたちが慣れ親しむのとは異なる文化をご存知の方。それは御名前の字体からも伝わります、どうか宜しくお願い致します」
「…そうであるなら」
ディオン、と名をさらさらと記す。
書かれたかつての教え子の字体―冊子を開いてじっくりと眺めながらああ、と恩師は感嘆する。覚えていますよと。
「殿下がどのような方だったか…想いを人一倍募らせておられた」
“…これが余の行なったこと、なのか…”
“…あなたはとても苦しんでいた”
目を覚ましてからすぐに自分の身体など顧みをせず、ここを飛び出した。居ても立っても居られなかったのだ。混濁していく意識の中で薬屋の少女―キエルは熱が冷めるように汗を拭きとりながらそっとディオンに呟いた。
“マザークリスタルドレイクテイルは花が開かれたように形を変えたのを僕と兄は覚えています”
激昂したままの顕現では自らのコントロールを失う。ここに来てからバハムート姿の暴走を止めるために立ち向かってくれた彼らに当時の状況は、と覚悟を決めて尋ねてみたのだ。
―その形は…。
…同じ、だったな。
―飛竜草。
「…御名と共に殿下の想いも伝えようと思っています。あなたに受け取って欲しかったあの花への想いと同じく」
縛り付けられているのか、それとも彼の想いそのものなのだろうか。
クリスタルの形を変えるほどに込められていた強い熱情と、渇き。
「…先生、私は…」
「この年寄りがこの大陸に来た理由はご存知でしたね。多くの神話が眠る地でありそこに惹かれて外大陸から参りました。現実は混沌とし醜い争いと他者を踏みにじる者たちにより大地そのものが痛めつけられていた」
そうした中で、殿下のように耐えて来られた方もおられる。ここにいる彼らのように最後まで抗うと決めて生きている者たちも。ハルポクラテスは優しく穏やかにディオンを見つめる。
「名は…生き方によって決まります。ディオン様。天と地の子である、あなたそのものの意味です」
瞳を閉じてその言葉を自らに染み込ませていく。
(父上―)
最後まで疎まれていたとしても。あの時に視た笑みを浮かべていただけるように。
「…オリジンまで彼らを連れて行けるのは私だけです。せめてもの…いえ、これからのヴァリスゼアの為にも」
足跡がふたり分近づいて来る。
「ディオン、」
「ふたりとも準備はもう良いのか」
「失礼致します、ルサージュ卿。その前にザンブレク皇国領内に現れた伝説の竜のことでお尋ねしたいことが―」
ロザリアのふたりの王子と。ザンブレクの竜騎士がそこに並ぶ。
イフリートとフェニックス。そしてバハムートの姿がそこにある。
(神話の舞台が閉じるのであれば、彼らのことをどのように語られるのだろうか)
まだ表題がない綴らえた冊子の中で彼らの名をひとつひとつ眺めながら、ハルポクラテスは静かに最終局面に赴く彼らのやり取りにも耳を傾けた。
それを語るのは神話の舞台に惹かれた自分ではなく新たな舞台を迎えた彼らの内の誰かであるのだとも。