テキスト(FF16)


焼け焦げた跡


「ルボルの言った通り、身体が温まったな」

温泉―熱めのお湯とはこういったものかと汚れも落ち疲れが取れたようにも感じるので気分も良い。

軽装で手を閉じたり開いたりして調子を確かめる。 水浴びのちょっとした時間を嫌がるトルガルもしばらく大人しく温めの温泉に浸かっていた。

ルボルが面倒を見ている子どもたちがトルガルの毛がふかふかになったのが目に見えて分かるので楽しそうに2階の通路で撫でていると部屋に入ってきたジルから聞いた。心なしかジルもかなり体調と機嫌が良さそうだ。

温泉を人が入れないほど熱湯へと変貌させていた炎系の魔物であるボム族を倒した暁に店の主人からお礼に入っていってくれと勧められ。ルボルからも温泉の湯は飲んだりすると効力もあるんで商売の切掛けを作ってもらって助かる、縁は作れるうちに色々やっておいた方が良いぜ、好意はありがたく受け取っておけよと提案され。

それとジルがとても関心を抱いている様子が見て取れたので先に市場に向かっているグツの移動出来る距離や動ける範囲を考えながら少しだけここで休息を取ることにした。 女性客が開始と共に押し寄せてくるとは店の主人からも聞いていた。なんでも美容と健康にはとても効くとか。娼館も近いので…つまり、そうした病気にかからないようにと男性客にも効果はあるらしい。

ジルは話していないがクライヴより先に長い髪が乾くのが時間がかかる為入浴を済ませた彼女の元に彼が浸かっている間にその肌のきめ細やかさと艶を目にした他の女性客たちが何が秘訣なのか押し寄せていたとか。トルガルのことを伝えた 彼女の目にまだ濡れたままの彼の黒髪が入った為、綿花で織られた白い布を手にして簡素に置いてあるテーブルと椅子に視線をやりそこに腰掛けてと促された。

あなたが風邪ひいたら皆困るでしょう、タルヤが腕を縫って間もないのにベアラーの人たちを助ける為にすぐ飛び出したものだからカンカンに怒っていたことを忘れた訳ではないでしょうと続けられては従うしかない。 ダルメキアの乾燥した気候ならすぐに乾くだろうから放っておくかと思っていたのが仇となった。大人しく腰掛けるとジルが優しくクライヴの髪を拭きとり始めた。

彼の黒髪は父親であるエルウィン大公譲りであるが、日に焼けて焦げた茶も少々混じっている。 ベアラー兵として望まないままあちこちの任務に駆り出されていた間は殆ど手入れをしていなかったからな、と本人談。

対する彼女も鉄王国に居てドミナントとして覚醒してから拘束されたままの間自由はなかったのだが、彼女のその境遇にせめてものとロザリアの捕虜の女性達が髪を丁寧に梳いてくれていた。

周りには屈強な鉄王国の戦士たちが斧や棍棒を構えながら。拘束具を嵌められ悲しみに満ちていたその背中はある時から何も感じられなくなっていた。

それが今では楽しそうに彼の髪を拭いていて穏やかに微笑んでいる女性と同じだと伝えられたら。

消えていくマザークリスタル・ドレイクブレスと共に混乱に紛れ込んであそこから脱出した彼女たちは驚嘆と共に涙を流して喜んでくれるだろう。黄昏行くロザリアではあるが苦難の故に再び舞い戻った彼女たちが生きていく為に諦めたりはしていないことが、分かるのだ。 全てのマザークリスタルを破壊して加護を断ち切ったら胸を張ってこれからも生きていくのだとジルは報告しようと決めていた。

その時は隣に―。

手入れは殆どしてこなかったとはいえ柔らかい髪質を彼女は布越しに感じながら指を頬に滑らせ彼が取り除いた刻印のうっすらと焼け焦げたような跡に触れる。 飛竜草の毒が入り込んでいるため施術には行う側の固い決意と施される側の死ぬこともあると受け入れた覚悟―双方が求められる。ロドリグは今でも悩んでいる。それが彼の優しさであり、人であるということ。施術を編み出したタルヤは毅然としてそして現実を受け止めながら解放の為の一歩として施している。たとえ苦しい時があっても。

ハンナ様―マードック夫人と話をしている間に彼が刻印に触れながら夫人と目を合わすことすらままならない瞬間があった。

彼女は気づいていた。ふたりが本当は身を潜めていたのではなく、逃れることもままならない状況に置かれていたことに。かつての慈愛と伝統を奏でていたロザリス公国はもう戻ってこない現実も。

ふたりもまた声にはしなかったがマードック夫人が見抜いていることを分かっていた。だから彼女の好意にあれ以上甘えることは出来ず厨舎に泊まることにしたのだ。

ふたりで月を見つめながら語り合った―生きていることの意味。

それは自らの中に生み出されたものから決めることなのだとこの跡からも伝わってくる。

彼の決意のみが乗っかっている訳ではない。

マザークリスタルを破壊しても黒の一帯の地がすぐに回復することはない。…かつてのロザリア公国が戻って来ないように。

人を幸せにはせずただただ滅びへ向かう方向を―ミドの嵐がきても舵一杯取り切って立ち向かえるエンタープライズを完成させる!の宣言と同じ―そこから抗う為に強制的に変えていこうとしている。

それは刻印を取り除く時に強烈な熱と痛みが伴うのと同じでこのヴァリスゼア全体に苦痛と悲しみが伴うものだとしても。

「ジル…?」

指先が触れたまま動かなくなったので何か考え事をしているのだろうと気づいたクライヴが右手でジルの手を取ろうとする。 彼女も指を離し左手でその手を取る。

この右手に宿るのはフェニックスの祝福であり、再会してすぐに彼から告げられた真実を受け止めると彼女が右手を重ねた手の甲―左手に宿るのはイフリートの力。シドの前で誓った時は彼の右手を取った。彼にそっと触れる度に彼の想いと決意を受け止めているのだと、そう感じている。

そして―。

(いつだって、あなたはひとりで背負おうとする)

「あったかいわね…」

「上がったばかりだからな。君も喜んでくれて良かった」

お陰で髪ももう乾いたなとお礼を伝えてくれる彼にじゃあ櫛でとかすわねと彼女が応えると。

「いや、それくらいは自分で」

「あら、私が梳いてあげたトルガルは毛艶が良くなったと話したばかりでしょう?」

「トルガルと同じなのか…」

結局まだ腰掛けたままで彼女に任せた。

どうやらこうして彼の世話をするのが本当に楽しいらしい。

(ちっとも怖くはなかった)

彼から真実を告げられて、手を重ねることも。

誰かに…誰かじゃない、あなたに触れることが。触れられることが。彼が生き抜いて来たそれまでの―たったそれだけだった理由が現実と共に潰されて。

それでもあなたが生きていることに意味はあるのよと月と共にメティアをこの目に収め伝えたときも。

不思議と…いいえ、あなただから。怖くはなかった。 漆黒の森は死の大地であり。辿り着いたフェニックスゲートは惨劇の後に朽ち果てていく以外は時が止まったままの場所だった。シドの隠れ家ももう完全に埋もれてしまっている。 そうして失い続けた後―黒の一帯の中でインビンシブルの存在は焼け焦げた森にすぐに木の芽や草が生えてくるかのように生を感じさせてくれている。 彼が取り除いたこの刻印の焼け焦げた跡こそ人が人として生きている証なのだ。

(あなたがいてくれる限り…私も…そう、人でいられる。私は私でいられる)

自分で考えて、動いて、そうして生きているのだと感じられる。

(だから、お願い…)

「あまりグツを待たせられない。軽めの食事を酒場で済ませて急ごう」

ウェイトレスの彼女は未だ俺には良い顔をしないが、簡素な食事なら大丈夫だろうと付け加えて。

「…そうね。これで大丈夫よ、クライヴ」

「助かった。ありがとう、ジル」

直ぐに立ち上がり隣の部屋に置いたままにしていた武具を取りに急いで出ていく彼を見送りながら。

(あなたのそばにいさせて。どこにも行かないで) 「あなたの…」

声にしない想いを心に秘め、それと反するように声にした呼びかけが彼には届いていなかったことに安堵感と寂しさを同時に覚えた。

―二度もシドを失うなんて、ごめんだからな。

トルガルと子供たちの様子を眺めていたら、ルボルが近づいてきてフーゴと決着をつける為にダジホーグ城に向かうクライヴにそう言いつけるかのように話したんだと教えてくれた。

「あんたには言っておいた方が良いと思ってな」

「どうして…」

「俺は刻印を取り除く前のクライヴのことは知らない。けどあんたと他の協力者たちは知ってる。あいつにはあいつの決意以上に色んなモンが乗っかってる。そしてそれはシドの時の比じゃない。あいつは背負うことを止めない。だから俺たちも協力を惜しまない」

「ルボル…」

「協力は出来るさ。けどいちばん傍であいつを見て来たのはあんただからな。失うわけにはいかないって、誰よりもあんたなら伝えられるはずだ」

「責任重大ね」

「あいつは精悍な顔つきで応えてくれたよ。俺が惚れそうになるくらいにな。あんたにも見せてやりたかったぜ」

軽口を叩くルボルにそれ以上は返事をすることもなくジルは頷いて、温泉から上がっているであろうクライヴの部屋に向かった。 ルボルと出会う前。再会してからの5年間、失うことを続けながらも確かに彼女もずっと彼と彼が手を差し伸べて拠点に来た彼らの生き方そのものを見て来た。

ロザリア-炎の民の魂。ひとりの男が立ち上がり、人が人に手を差し伸べ手を取りながら瞳が輝きを取り戻し煌めく。彼が行なっていること。人が人でいられる世界。

生きている、とはこういう事なのだと。 焼け焦げたような跡に触れた指を眺める。

彼の過去と決意。彼の想い。この世界の真実と共に。

焼け落ちて不純物が取り除かれ精錬された中から取り出されたものが、宝物としてこの世界に残されて受け継がれていく。

「受け止めるから…何度でも」

祈るように指と指を絡ませながらそっと瞳を閉じてそう呟いた。

失うことへの不安が尽きない訳ではない。だからこそ、傍にいて何度でも確かめるのだ。

少女だった時にじっと彼の瞳を見つめてここにいる、あなたをひとりにはしないと心の中で誓ったあの日と同じ想いを抱きながら。
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