序章
その後書物を漁ってみたりしたけれど、結局今日は体を動かすことにした。
カンナは妖怪がやたらと現れる北の国で生まれた。「攻め」の術を学ぶことが自らを守ることであり、生きることだった。
神明神宮に来るとそれぞれの力の特性を調べられるが、その時に初めて彼女自身が「守り」に特化している力を持っていたことを知った。けれど、昔からの生活で体に染みついてきた力の使い方を変えるのは決して易しいことではない。無論、今でも苦戦している。
幸い霊力は多い方であるから、適さない「攻め」の術を組んでも人並み程度には結果がついてくる。けれど、ユカリ曰く、自らにあった術を組めば、世界が変わる、と。
私にもいつか、そんなものが使えるようになるだろうか。カンナはいつもそれを気にしていた。
「カンナさ~ん」
聞き覚えのある声が、縁側から中庭に降ってくる。
「ユカリ」
「お手合わせ、願えますかな?」
彼女はカンナが鍛錬をしていると踏んでいたようだ。すでにたすきをかけてそこにいた。口調は茶化しているようだが、その実表情は凛としている。
「いいですよ」
◆
中庭の砂を踏みしめて互いに向かい合い、一礼。
顔を上げ、再び目を合わせると、互いの油断は既になく。じゃり、と、砂と足のこすれる音だけが周囲に響いた。
陽がジワリと山に浸かってゆく。
目を閉じ、耳を研ぎ澄ます。
向かい合う彼女の息が、まるでカンナの目の前にあるかのように聞こえる。吸って、吐いて、吸って。
風の流れが、変わった。
ごう と音を立てて左の頬をかすめたのは、ユカリの拳。いつも真っ先に手を出してくるのだから、たまったものではない。
首をわずかにかくりと傾げてそれをかわしたカンナに、彼女はにやりと笑って見せた。
瞬間、カンナの耳元にあった拳が深くへ入り、もう一歩間合いを詰めてきた。そしてユカリは相手の首を、腕一本で固めた。彼女はカンナの抵抗する腕を避けるように、身をひるがえして後ろへ回りこむ。
……やられた。さすがは「攻め」――すなわち「陰」の術の使い手だ。
カンナは自身の危機を感じつつも嘆息した。
――また、風が変わった。
風は、カンナに『仕掛けろ』と告げている。彼女の体を固定しているユカリの腕に、風の塊をぶつけてひねり上げる。
ユカリは顔をしかめ、跳び退った。
誰も口を開かず、動きもしない世界を、風だけが鳴きながら飛びまわっている。乾いた冬の風が目をかすめた。思わず目をつぶりひらけば、どうしたことか。ユカリの顔が鼻先まで迫っている。
――カンナの頭は砂利の上に叩きつけられた。視界にちらちらと光が飛ぶ。何が起こったのか。気づけばカンナの視界は、どよんと曇る空で埋め尽くされていた。
「――隙だらけ」
「……」
「カンナ、あんた……なんにも成長してないね」
なにも、言い返せなかった。だって、初めての手合わせのときと全く同じ形で倒されたのだから。
「あたし、強くなったでしょ?」
こくりとうなずいて返す。その行為にすら、ユカリは顔をしかめた。
「あんた……向上心ってものがないのよ」
しばしの沈黙が場を支配した。
「あんたの夢ってなに? これからどうするの?」
「巫女長さまについていく……と思う」
「なんで?」
「理由……?」
「まぁ、そうでしょうね。カンナはいつも自分がないもの」
「どうして……どうして今日はそんなこと言うの……?」
「……」
ユカリから、歯を食いしばる音が聞こえた。
「……くらい、……て…かった……」
ぽそりと、彼女はなにかを呟いた。しかし、その言葉はカンナの耳に届くことはなく、暮れなずむ薄紫の空へ溶けてしまった。
「今、なんて――」
「もし?」
ユカリへの質問を遮るように、鈴を転がしたような可憐で幼い、けれどもどこか無機質な声が割り込んできた。
「双子……!」
ユカリはあからさまに嫌そうな顔をする。ユカリの目線の先には、齢八つほどの小さな双子巫女がいた。
虧月 と盈月 。二人ともそっくりだが、引っ込み思案な方が盈月らしい。盈月は、虧月の後ろに隠れながらちらちらとこちらをうかがっている。そんな盈月にかわり、虧月が口を開いた。
「カンナ。巫女長殿に、貴殿を連れてくるよう仰せつかっている。ついて参れ」
「わ、わかりました」
年齢からは想像もつかない、位の高い者のような言葉遣いに、カンナは思わず恐縮した。
すぐさま彼女らの後を追ったが、後ろ髪を引かれるように感じ、振り返ってみる。すると、黄昏時であるから顔はよく見えないにせよ、ユカリがなにかを言いたげにカンナを見つめていた。
カンナは妖怪がやたらと現れる北の国で生まれた。「攻め」の術を学ぶことが自らを守ることであり、生きることだった。
神明神宮に来るとそれぞれの力の特性を調べられるが、その時に初めて彼女自身が「守り」に特化している力を持っていたことを知った。けれど、昔からの生活で体に染みついてきた力の使い方を変えるのは決して易しいことではない。無論、今でも苦戦している。
幸い霊力は多い方であるから、適さない「攻め」の術を組んでも人並み程度には結果がついてくる。けれど、ユカリ曰く、自らにあった術を組めば、世界が変わる、と。
私にもいつか、そんなものが使えるようになるだろうか。カンナはいつもそれを気にしていた。
「カンナさ~ん」
聞き覚えのある声が、縁側から中庭に降ってくる。
「ユカリ」
「お手合わせ、願えますかな?」
彼女はカンナが鍛錬をしていると踏んでいたようだ。すでにたすきをかけてそこにいた。口調は茶化しているようだが、その実表情は凛としている。
「いいですよ」
◆
中庭の砂を踏みしめて互いに向かい合い、一礼。
顔を上げ、再び目を合わせると、互いの油断は既になく。じゃり、と、砂と足のこすれる音だけが周囲に響いた。
陽がジワリと山に浸かってゆく。
目を閉じ、耳を研ぎ澄ます。
向かい合う彼女の息が、まるでカンナの目の前にあるかのように聞こえる。吸って、吐いて、吸って。
風の流れが、変わった。
ごう と音を立てて左の頬をかすめたのは、ユカリの拳。いつも真っ先に手を出してくるのだから、たまったものではない。
首をわずかにかくりと傾げてそれをかわしたカンナに、彼女はにやりと笑って見せた。
瞬間、カンナの耳元にあった拳が深くへ入り、もう一歩間合いを詰めてきた。そしてユカリは相手の首を、腕一本で固めた。彼女はカンナの抵抗する腕を避けるように、身をひるがえして後ろへ回りこむ。
……やられた。さすがは「攻め」――すなわち「陰」の術の使い手だ。
カンナは自身の危機を感じつつも嘆息した。
――また、風が変わった。
風は、カンナに『仕掛けろ』と告げている。彼女の体を固定しているユカリの腕に、風の塊をぶつけてひねり上げる。
ユカリは顔をしかめ、跳び退った。
誰も口を開かず、動きもしない世界を、風だけが鳴きながら飛びまわっている。乾いた冬の風が目をかすめた。思わず目をつぶりひらけば、どうしたことか。ユカリの顔が鼻先まで迫っている。
――カンナの頭は砂利の上に叩きつけられた。視界にちらちらと光が飛ぶ。何が起こったのか。気づけばカンナの視界は、どよんと曇る空で埋め尽くされていた。
「――隙だらけ」
「……」
「カンナ、あんた……なんにも成長してないね」
なにも、言い返せなかった。だって、初めての手合わせのときと全く同じ形で倒されたのだから。
「あたし、強くなったでしょ?」
こくりとうなずいて返す。その行為にすら、ユカリは顔をしかめた。
「あんた……向上心ってものがないのよ」
しばしの沈黙が場を支配した。
「あんたの夢ってなに? これからどうするの?」
「巫女長さまについていく……と思う」
「なんで?」
「理由……?」
「まぁ、そうでしょうね。カンナはいつも自分がないもの」
「どうして……どうして今日はそんなこと言うの……?」
「……」
ユカリから、歯を食いしばる音が聞こえた。
「……くらい、……て…かった……」
ぽそりと、彼女はなにかを呟いた。しかし、その言葉はカンナの耳に届くことはなく、暮れなずむ薄紫の空へ溶けてしまった。
「今、なんて――」
「もし?」
ユカリへの質問を遮るように、鈴を転がしたような可憐で幼い、けれどもどこか無機質な声が割り込んできた。
「双子……!」
ユカリはあからさまに嫌そうな顔をする。ユカリの目線の先には、齢八つほどの小さな双子巫女がいた。
「カンナ。巫女長殿に、貴殿を連れてくるよう仰せつかっている。ついて参れ」
「わ、わかりました」
年齢からは想像もつかない、位の高い者のような言葉遣いに、カンナは思わず恐縮した。
すぐさま彼女らの後を追ったが、後ろ髪を引かれるように感じ、振り返ってみる。すると、黄昏時であるから顔はよく見えないにせよ、ユカリがなにかを言いたげにカンナを見つめていた。
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