第21話 覚悟
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ユーリを追いかけて辿り着いた先は、街を出てすぐにある丘の上。
無我夢中で走り続けてきたからか、自身の知らぬ間にキュモールは街を出ていた。
それでも、丘を登った先にある流砂にはさすがに気づいて、ぎょっとしたように立ち止まった。
そこは、少し前にもリリーティアが立ち寄っていた場所だ。
元々、街の住人でもないキュモールは、ここに流砂があることなど知らなかっただろう。
惑うキュモールの背後で砂を踏む足音がした。
もちろんユーリであった。
キュモールと違い、息一つ切らすことなく、そして、抜いた剣を鞘に収めることもなく、
キュモールの退路を完全にふさぐ形で立ちはだかった。
いよいよ流砂の前で追い詰められたのだ。
「(ここに逃げるとは・・・)」
愚かなものだな。
リリーティアは胸の内でぼやきながら、潅木の影に身を潜め息を殺していた。
詰め所に向かう前、彼女がここに立ち寄っていたのは下見でもあった。
確実な方法を用いて、やつを葬り去るための。
彼に先を越されることで、それは無駄になってしまったが、奇しくもやつは結局ここに来てしまった。
いや、ユーリもまた、この場所を知っていたのだろうか。
すぐに手を下さなかったのは、うまくここへと誘導する意図もあったのかしれない。
そもそもこの場所は、詰め所の裏口からまっすぐ進めば、すぐに辿り着ける距離にある。
冷静さを欠いた者を、詰め所からここへ誘導するのは容易い。
だからこそ、リリーティアもこの場所を利用しようとしたのだ。
「(どちらにしても、末路は決まっている)」
意図があったにしろ、ないにしろ、
どちらにしても、やつは彼からもう逃れられない。
リリーティアは冷徹なものの見方で、彼らの行く末を見詰めていた。
「ボクは悪くないんだ!これは命令なんだよ!仕方なくなんだ!」
「(また勝手なことを・・・)」
ヘリオードの街建設も、マンタイクでの始祖の隷長(エンテレケイア)の捕獲も、確かに騎士団長の命令だ。
しかし、ヘリオードの軍事拠点の建設や始祖の隷長(エンテレケイア)の捕獲に街の住民を駆り立てたのも、すべて己が企み。
ヘリオードの軍事拠点に関しては利用できるとして、長い間、意図的に野放しにしてはいたが。
「だったら命令したやつを恨むんだな」
それを知らぬユーリではあったが、
その必死の言い訳は、彼には露ほどの効果ももたらさなかったようだ。
「はしゃぎすぎたな、キュモール」
ユーリはさらにキュモールに近づいた。
「そろそろ舞台から降りてくんねぇかな」
低いその声、重く響くその言葉。
リリーティアの脳裏には不意にあの人の姿が浮かんだ。
でも、それも一瞬のことでしかなかった。
「ま、待てっ!こうしよう!」
近づくユーリを押しとどめるように、キュモールは両手を前に突き出した。
「ボクの権力でキミが犯した罪を帳消しにしてあげるよ!騎士団に戻りたければ、そのように手はずもする!」
キュモールは必死になっていた。
やつが知るこれまでユーリの犯した罪など既にないというのに。
公の罪は<帝国>の姫と殿下によって赦免された。
それともヘリオードで楯突いたことを言っているならば、それさえ無意味なこと。
そして、騎士団を辞めたのも、彼の自身の意思だ。
そこに未練などあろうはずもない。
それ以前に、心を決した彼に何を言おうと無駄なこと。
その証拠に、もはやユーリは何も言わない。
答えない。
足だけを一歩一歩前に進めている。
ただ彼のその身は殺気に包まれていることを、リリーティアは強く感じていた。
「か、金はたくさんある。金さえあればどんな望みでも叶えてあげられる!」
途端、リリーティアの瞳がすっと細められる。
その手は半ば反射的に短剣の柄を強く握り締めていた。
同時に、ユーリの眼も鋭さが増し、その足をまた一歩進めた。
「買えるものか・・・」
その声はリリーティアだった。
それは、ほとんど音もなく微かに開いた彼女の口から零れ出た。
彼女自身でも辛うじて聞き取れるほどの小さな小さな音。
それでも、怒りがこもった声音。
「さあ!望みを言ってごらん!」
ユーリはさらに一歩進む。
彼に合わせるようにして後ろに下がり続けていたキュモールは、ここでもう行き場がなくなった。
背後には無機質な音を立てながら全ての物を呑み込み続けている流砂。
そこで、ユーリが再び口を開いた。
「オレがオマエに望むのはひとつだけだ」
「そ、それは何だい・・・?」
キュモールが尋ねた瞬間、ユーリの全身を包んでいた殺気が膨れ上がった。
「や、やめろ・・・来るな!近づくな、下民が!」
それを感じ取ったのか、キュモールは虚勢をかなぐり捨てて喚き出した。
ユーリはさらに近づく。
「ボ、ボクは騎士団の隊長だよ!そして、いずれは騎士団長になるキュモール様だ!」
最後の最後までその強欲さは変わらないのか。
リリーティアは呆れにも似た思いでやつの言葉を聞いた。
と、その時、急に彼女は何やらはっとして、さらにその体勢を低くとった。
それは、街の方面からもうひとつの気配が近づいてくるのを感じたからだ。
リリーティアはぐっと息を潜める。
その気配もまた、気づかれないように静かにこちらに近づいているのが分かった。
「来るなって言ってるんだっ!下民が!」
やつの悲鳴にも似た叫びの中、気配はどんどん近づいてくる。
そして、止まった。
リリーティアはそっとその気配の方へと視線をやった。
街に戻る道のりに生えた一本の樹木の下。
そこにひとつの人影があった。
「っ・・・!」
リリーティアは思わず息を呑んだ。
「(どうして・・・!)」
正直、驚きを隠せなかった。
思いもよらない状況に彼女はどうするべきか悩んだ。
しかし、それもすぐに答えは出た。
それは、変わらず
今はただ、それだけだ。
リリーティアは再びユーリの方へと意識を向けた。
新たに増えたもうひとつの気配に気づかないまま、ユーリは最後の一歩を踏んだ。
もう完全に剣の届く間合いであった。
いまユーリがその気になれば、キュモールの体はまさしく一刀両断されてしまうだろう。
その恐怖が、もう後退することなど出来なかったはずのキュモールをさらに下がらせた。
「っ・・・うわああああぁぁ!」
足を滑らせ、キュモールは流砂の中に転げ落ちていく。
ユーリは眉一つ動かさない。
その彼の前でキュモールの体がゆっくり、またゆっくりと、砂の海に呑みこまれていく。
「た、頼む!助けてくれ!」
やつの絶叫は夜空に消えていくばかり。
「ゆ、許してくれ!このままでは!こ、このままではっ!!」
それでも、ユーリは無表情にそれを見下ろしている。
そこからではキュモールの顔も、ユーリの顔を見えなかったが、
その悲痛な叫びを耳にしながら、リリーティアのその心も氷のようにさらに冷たく染まっていった。
ただ、もうひとつの気配がひどく動揺していることを感じながら。
「おまえは、その言葉を今まで何度聞いてきた?」
その音はあまりに冷淡で、刃のように鋭い。
リリーティアは静かに眼を閉じた。
やつに向けられた言葉であるというのに、
まるで自分のことのように、彼女はひとりその言葉を胸に留めた。
「ひ・・・うっ、うっ、うわああああああっ!」
いよいよ流砂の中に消えていくキュモール。
悲痛なまでの叫びは呑みこまれ、その声も次第に小さくなっていく。
そして、やつの声は消えた。
何も聞こえなくなった後もユーリはそこに佇み続けていた。
何事もなくさらさらと砂のこすれる音だけが響く流砂を、じっと見下ろして。
リリーティアはずっと握り締めていた短剣の柄からその手を解いた。
そして、もうひとつの気配のほうへと再び意識を向ける。
その気配は身を隠していた樹木から、そっと静かに出たようだ。
でも、ユーリはまだ気づいていない。
しばらく経って、ユーリは抜き放っていた剣をようやく鞘に収めた。
そして、流砂を一度ちらりと見てから踵を返す。
「!」
一体いつからそこにいたのかと、僅かに目を見開くユーリ。
もうひとつの気配の存在に彼も気づいた。
一本の樹木の下にひとつの人影があるのを。
「・・・・・・・・・」
人影は何も言わず、じっとユーリを見ている。
その人影。
薄暗がりでもはっきりと分かる、金の髪と銀の鎧。
<帝国>騎士団の隊長、そして、ユーリの親友--------------フレン・シーフォ。
リリーティアがいち早くその存在に気づいた気配とは、彼、フレンであった。
無言のままユーリを凝視していたフレンは、やがて静かに口を開いた。
「街の中は僕の部下が抑え始めている。もう誰も苦しむことはない」
間が悪いとは、こういうことを言うのだろうか。
あのヘリオードのときと同じように好運はすぐそこまで迫っていたのだ。
フレンとその部下たちが来れば、キュモールといえど、もうこの街で横暴なことはできない。
ただひとつ、キュモールそのものを直接罰することはできなかっただろうが。
リリーティアは複雑な思いの中、今はただ自身の気配を殺した。
ユーリはゆっくりと瞼を閉じると、普段と変わらぬ口調で言った。
「そうか、これでまた出世の足がかりになるな」
そして、目を開き、街に向かって歩き出す。
「オレ、あいつらのところに戻るから」
フレンとすれ違いざまに彼は言ったが、フレンは何も言わない。
ユーリを追いかけてくることも、止めることもしない。
ただ、二人の距離が完全に離れる前に、立ち去るユーリの背中に向かって、フレンは呼びかけた。
「ユーリ、後で話がしたい」
「・・・・・・わかってる」
一度、足を止めた後、ユーリは静かに答えた。
再び歩き出したユーリの背後で、フレンはぽつりと呟くように告げた。
「泉のそばで、・・・待ってる」
それは、とても悲しげな響きであった。
リリーティアは空を見上げた。
いつもと変わらず、そこには凛々の明星(りりのあかぼし)が強く光を放っている。
未だ複雑な思いを抱えたまま、これからの彼らのことを想った。