第21話 覚悟
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「誰だ!」
灌木の中から出てくる人影。
物音の正体を探ろうと近づいてきていた騎士のひとりが声をあげた。
外套(ローブ)に身を包み、その顔も頭巾(フード)で隠されてよく見えないリリーティアのその姿に、騎士は剣の柄を掴み、警戒の色を強めた。
「おい、止まれ!」
それでも、リリーティアは進み歩き、
深く被っていた頭巾(フード)に手をかけると、静かに口を開いた。
「お疲れ様です----------、」
困惑する騎士の横を通り過ぎた所で、リリーティアはその足を止めた。
同時に頭巾(フード)を取り、キュモールの前に顔を晒す。
「--------------キュモール隊長」
キュモールは思わぬ人物の現れに大きく目を見開いたが、
その顔は一瞬にして嫌悪なものに変わった。
「・・・ヘナチョコ隊の君がどうしてここにいるんだい?」
「騎士団長の命により、視察に参りました」
「視察だって?」
キュモールの疑問にも、それが正に事実のようにリリーティアは答えた。
マンタイクでの任務の進行状況を確認するためだけでなく、
任務の際にこれまで起きた問題点や、また支障をきたすもの、改善すべき事柄の有無、
今後においてさらに任務を円滑に行うためにも、マンタイクの現状を把握するための視察である。
相手が疑惑な視線を投げてきても、彼女は淡々と視察の内容を説明してみせたのだった。
「それより、これは何の騒ぎですか?」
リリーティアは壊れた馬車へと視線を移した。
傾いた馬車の中では、強制的にそこに乗せられた住民たち数十名が
何が起きたのか分からないまま、怯え震える声が微かにもれ聞こえる。
ひとまず彼らを助けよう。
リリーティアはその馬車に近づいた。
しかし、待ちなよと言うキュモールの声がそれを阻んだ。
「まさか・・・」
見ると、キュモールはさらに鋭い眼つきでこちらを睨んでいる。
「君がこれをやったんじゃないのかい?」
「身に覚えがありませんね」
相手は疑惑な眼を向け続けているが、リリーティアはそれ以上の弁明はしない。
この状況では、何を言っても疑われるのは目に見えている。
何より、今はユーリたちの存在を知られないことが重要なのだ。
リリーティアは再び傾いた馬車へと歩み寄ると、そっとそれに手を当てながら声を上げた。
「今、そこから出しますので、どうか落ち着いてください」
そう声をかけると、中からはほっとする声が聞こえた。
住民たちの安堵する気配を感じながら、怪我人はいないかを続けて尋ねてみると、
少しして怪我人はいないという返事が返ってきた。
「誰にでもいい顔して・・・、そんなに気に入られたいのかい、あの騎士団長にさ」
また始まった。
リリーティアはうんざりとした気持ちで、ただ黙って聞き流す。
厭味な表情でキュモールは続けた。
「君も愚かだよね。アレクセイなんかに媚びを売ってさ」
それもどこかで聞いた台詞だな。
その言葉もまた、リリーティアは心の内で冷ややかに受け流すと、馬車の裏手に回った。
裏から乗り降り出来るようになっているが、そこは外から鍵がかけられていた。
中から容易には逃げられないようするためだろう。
彼女が馬車を調べているその間も、
キュモールは罵詈雑言の如く言葉を吐き続けるが、
肝心の相手は一切言葉を返さないどころか、目さえも合わさない。
「いつもいつも、いい気になるんじゃないよ!」
それらの態度があまりに気に食わなかったのか、キュモールは金切り声をあげ始めた。
こういう場合は、何を返しても、また何も返さなくても、
暴言はただ増すだけで、どちらにしても同じこと。
そうして、リリーティアはいつものことだとでも言うように、
その耳障りな声に対しても、ただただ平然とそこにいた。
「上に気に入られるがために、
”体を売って腕を買ってもらってるだけの女”に何ができるんだい!」
この時だけは、リリーティアもキュモールを横目で見たが、
キュモールはそれには気づかず、その口からは止め処なく厭味な言葉を吐き続けている。
よくもまあ、そこまで人を罵る言葉が尽きないものだなと、
まるで他人事のようなことを思いながら、彼女は目を伏せ、音もなくため息を吐いた。
”体を売って腕を買ってもらっているだけの女”
根も葉もない噂でしかないそれは、昔から囁かれていることだった。
もっと正確に言えば、<帝国>騎士団隊長主席の特別補佐に任命されてから間もなくしてのこと。
どう考えても、リリーティアの出世を僻む評議会の人間から出たものだ。
これまで言われ続けてきた”騎士団長に媚を売っている”という言葉の意味には、そういう意味が含まれていることを、彼女は知っている。
噂は噂でしかなく、リリーティア自身は冷ややかにそれを受け流しているが、それを鵜呑みしている騎士たちはきっと多くいるのだろう。
特に、キュモールのように気位の高い者ほどに。
ここにいる騎士たちのほとんどがそう思っているに違いない。
兎にも角にも、それはどうでもいいことでしかない。
今はさっさと住民たちを助けよう。
リリーティアは錠の開くための鍵をもらうべく、
近くにいた騎士に声をかけようとその口を開きかけたが、
「ふん。・・・ほんと、アレクセイもバカだね。この下民女に容易くそそのかされて」
途端、リリーティアの口は堅く閉ざされた。
同時に彼女の雰囲気が一変した。
しかし、キュモールはそれに気づいていない。
周りにいる他の者たちも。
「いよいよ<帝国>騎士も落ちつぶれたもんだよ。それもこれも--------」
耳元でひゅっと風を切るような音と共に、
キュモールの眼前には、白銀に輝く何かが突然にも飛び込んできた。
「--------ひっ?!」
それと同時に、キュモールは飲み込むような悲鳴をあげ、周りの騎士たちはどよめき立った。
その何かとは、よく見るとリリーティアが愛用している武器《レウィスアルマ》だった。
灼熱の太陽に照らされ、きらりと光放つ。
見て呉(く)れは、単なる細い棒でしかないそれ。
だが、それが彼女の用いている武器であることを知るキュモールは咄嗟に大きく身を引いた。
「っ・・・っ・・・」
キュモールの口からは言葉にならない声がもれ、驚きのあまりか、喉の奥が張り付いて言葉が出ない。
彼女のその突然の行動には、キュモールの部下たちも呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。
元より、キュモールと彼女の間には数メートルほどの距離があったのだ。
にも拘わらず、まさに瞼が瞬く間の一瞬にして、その距離を無いも同然とした彼女の動き。
どこか人間離れしたその動き。
当然として、家柄の地位や名誉をかざして騎士団にいるキュモール隊の騎士たちでは敵うはずもないだろう。
纏(まと)った外套(ローブ)からまっすぐに伸びたリリーティアの腕。
突きつけた《レウィスアルマ》は微動だにせず、キュモールの青ざめた顔を確実に捉えている。
彼女のその瞳さえも、キュモールの顔をひたと見据えていた。
瞬きひとつせず。
ただ、しばらくして、彼女のその唇だけが動いた。
「騎士団長閣下は、そんなことで心を動かすような方ではありません」
そう、あの人はそんなことで心を動かす人ではない。
そんなことで目の色を変える人ではない。
あの人の器を、履(は)き違えるな。
リリーティアは胸の奥に湧き上がる、あの人に対する様々な想いを呑み込んだ。
声にしたかった、それらの言葉と共に。
心の奥深くに、人知れず沈ませていく。
《レウィスアルマ》を握るリリーティアの手が、一層強く握り締められた。
そして、再び固く閉ざされた口の中で、奥歯をぐっと噛み締める。
それは、湧き上がる怒りを抑えるように。
それは、溢れ出る苦しみに耐え忍ぶように。
強く、固く。
彼らには決して分からないだろう。
彼女の胸の奥に秘められたものたちを。
ただ、いつもの彼女とは違う空気がそこにあるのを、はっきりと感じていた。
そこにいるすべての者たちが。
それは、彼女と共に旅をする彼らも含めて。
辺りは驚くほどにしんと静まり返り、
ただ、むせかえるような熱風だけが頬を伝っていくだけであった。
そうして、どれだけの間そうしていたのか。
リリーティアはキュモールに突きつけていた《レウィスアルマ》をすっと静かに下ろした。
そこでようやく、まるで呪縛が解かれたかのように、キュモールがはっとした。
我に返ると、その表情は瞬く間に怒りの形相へと変わっていく。
「き、貴族のボクに何をするんだいっ?!」
言葉を詰まらせながらも、いつもの調子を取り戻したキュモールはまたも金切り声を上げた。
「貴族に歯向かう事が、どういうことか分かってるんだろうね!」
だが、その表情にはまだ動揺している色が窺える。
これまでリリーティアが貴族の出であるキュモールに対して、
時折、彼の言動に対して言及することはあっても、あそこまで表立って対抗することはなかった。
武器を手にしてまで。
それはキュモールに限ったことではなく、貴族の出の者である者たちに対してそうであった。
突然見せた、これまでとは明らかに違う彼女の態度には、
キュモールだけでなく周りにいるキュモール隊の部下たちも動揺を見せていた。
「いい気になるのも今のうちだよ!」
リリーティアは静かに目を伏せ、何も言わず彼に背を向けるだけだった。
「っ・・・この責任は問うからね!」
改めることのない彼女の態度に、キュモールはわなわなと肩を震わせた。
自分に対して取った態度のことだけでなく、
馬車を壊し、公務を妨害したことも含めて責任を追求すると指を差して言い放つと、
覚悟しておけと言わんばかりの捨て台詞を残して、キュモールは街の奥へ消えていった。
それでも、リリーティアは何の反応を見せなかった。
ただじっと、そこに佇んでいる。
そこに取り残された部下たちは未だ戸惑い、周りの様子を窺い合っている中、
リリーティアは右手に持っていた《レウィスアルマ》を仕舞った。
そして、もう一方の手に握られた--------------”短剣”。
「・・・・・・・・・」
誰の目にも晒される事無く、外套(ローブ)の下に隠されたまま、
それは静かに鞘の中に収められたのだった。
そうして、そのまま深刻な表情を浮かべていたリリーティアだったが、
「すみません」
「ぁ、あ・・・は、はは、はい!」
しばらくして、近くにいたキュモールの部下へと声をかけた。
声をかけられた騎士は、未だ動揺を隠せないようで、
その返答はあまりに挙動不審であったが、彼女は気にした様子も見せず続けた。
「馬車の鍵を渡していただけますか」
あの時、短剣を引き抜いた---------その意味の重さを、胸に留めながら。