第20話 古慕の郷
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「きれい・・・」
頭上を見上げ、ぽつりと呟いたリリーティア。
彼女の視線の先に広がるのは、抜けるような青空ではなく、鮮やかな黄に染まった花々。
それは茜色の夕陽に照らされ、その姿はさらに黄金に輝きを放っている。
この黄金花は地面から伸びて育つ植物ではなく蔓(つる)性の植物で、その特性を生かしてか、街の一角には上空を覆うように木と木をアーチ状に組んで作ったパーゴラ(蔓棚)が設置されていて、それは数十メートルも続いていた。
黄金花の蔓はそのパーゴラ(蔓棚)を這うように巻きつきながら成長し、花序は長くしだれて咲く。
そうして長く垂れ下がる黄金の花々は彼女の頭上を覆うように咲き誇っていて、まるで黄金花のトンネルの中を潜っているかのような、それは壮大で美しい景観であった。
「(でも、この花が砂漠地帯に咲いているなんて・・・)」
その美しさに魅せられ朗らかな表情を浮かべていたリリーティアだが、しばらくすると微かに眉を潜めて深刻な表情を浮かべた。
それは、彼女の頭上に広がるこの花は、ガドス山脈を越えた砂漠地帯には見られないとされている花であったからだ。
昔、書物で読んだ記憶を手繰り寄せて彼女は考えた。
直射日光の差す場所を好むために、温暖な地域ではよく見かける花で、比較的穏やかな気候の半島部、デズエール大陸の東平原には今も生息している。
しかし、日光を好むといえど日差しが強すぎて雨も降らない砂漠地帯ではまず生息など出来ないはずであった。
「(ここの人たちと話してみても、噛み合わないことが多かったし・・・)」
旅の準備を終え、パティとの食事を終えてから、改めてリリーティアは街の中を見て回り、ここの住人たちの何人かに話を聞いた。
けれど、どうも住人の話からは要領を得ることは出来なかった。
それでも住人たちから聞いた話から察するに、
「(やっぱりここは・・・)」
過去の中にある街なのかもしれない。
幽霊船の日記に書かれていた、千年も前の時間。
<帝国>が出来る、少し前の時代。
それは理解をも超えた推察であったが、周りの状況、住人たちの話から考えると、逆にそうとしか思えなかった。
ヨームゲンというこの街は、千年も前の時間の中にあると。
街の外は間違いなくゴゴール砂漠が広がっている。
それなのに、この街周辺は気候も穏やかで、緑に溢れ、こうして花々も咲き誇っている。
ひとつの世界に、そこに一部だけ異なった世界が入り込んでいるかのようで。
「(なら、どうして私たちはここに・・・)」
「リリーティア」
考えるのを止め、その声の方を見るとエステルがいた。
それからはじめはエステルと共に、この街のことや頭上を彩る花々のことなど他愛なく話していたが、一度会話が途切れて、しばらく沈黙が続いた時である。
エステルが服の内から一枚の羽根を取り出した。
それは、黄色と赤に染まっている羽根。
瞬間、リリーティアは目を見張った。
脳裏に浮かんだのは炎のように棚引く真紅に包まれたあるものの姿。
「その羽根は・・・」
「フェローの羽根だそうです」
得体の知れないあの怪物を倒した後、気絶する寸前に彼女の前に落ちてきたという。
その怪物の落としたものだとエステルは思っていたらしいが、ジュディスによると、それはフェローの羽根だということだった。
リリーティアは鋭い眼差しでそれを見た。
確かにそれはフェローの羽根のようだ。
炎が燃えているようなその羽根はまさしく、棚引く炎のような真紅にその身体が包まれているやつの姿を思わせる。
「結局、フェローには会えませんでしたね」
その羽根を見詰めながら、エステルが呟いた。
「〈満月の子〉、そして、始祖の隷長(エンテレケイア)・・・」
新しく分かったのはその言葉だけだと、エステルの声は沈んでいた。
フェローに狙われる理由を知りたい。
ダングレストから遠くここまで来て、その目的を達成できなかったことがどうしても悔しいようであった。
「あの人は言ってました。フェローのところへ行っても消されるだけだって」
そうなると、もしもフェローと会うことが出来たとしても、結局は真実を知ることは出来ないということだ。
それは、フェローと会っても目的は達成できないということで、デュークのあの宣告は、言わば、理由を得るための手掛かりそのものを失い、この旅の道を断たれてしまったことと同じだ。
「こんなんじゃ・・・。まるで誰かに、これ以上何もするなって言われてるみたいです」
「そんなこと・・・」
否定しようとした言葉を最後まで言えずに、リリーティアは口を閉ざした。
これ以上何もしないでほしい。
一番にそう思っているのは私かもしれない、そう思ったからだ。
ここまで来る間にだって、そう思ったことが正直何度かあった。
そもそもフェローに会うこと自体、リリーティアの中では完全に良しとは思っていない。
エステルがそう強く願い、エステル自ら選んできたからこそ、彼女の旅を支えようと思ったのだ。
そして、何より”やつ”らに奪われまいとして。
「・・・もしかしたら・・・」
エステルは、沈んでいたその顔を上げた。
「わたしが知ろうとしているのは、知らなくていいことなんじゃないでしょうか」
「・・・・・・」
途端、リリーティアは僅かに眉を潜めた。
その眼は少し厳しい。
それなのにリリーティアのその心の奥にあるのは、少しの安堵。
それは、互いにどこか矛盾している。
「もしあの時、ユーリと出会うことなく、あのままお城で暮らしていたとしたら・・・。〈満月の子〉とか始祖の隷長(エンテレケイア)とか、そんなことを知らないままにわたしは生きてたのかもって」
リリーティアは静かに目を閉じた。
エステルが城を抜け出した、あの日。
それはもう遥か遠いことのようにも思える。
そう思えるほどに、様々な出来事の中を進んできた。
同時に、自分の知らないところで何かが動き出している、
そんな漠然とした不安を抱きながら、リリーティアもこうしてここまで旅してきたのだ。
「だったら、今のままでも自分の狙われた理由なんて知らなくて生きていけるんじゃないかって」
エステルの言うように、あの日、城を出ることがなければ、彼女は知ることはなかっただろう。
〈満月の子〉のことも、始祖の隷長(エンテレケイア)のことも。
あのまま<帝国>の籠の鳥でいたならば、何重にも目隠しをされたまま、いつまでも何も知らずにいたに違いない。
不意にリリーティアはこの旅の意味の重みを感じた。
「だから、・・・・このまま帝都に戻るってこと?」
「それも、一つの選択肢だと思います」
エステルはリリーティアをじっと見た。
こちらを見る彼女のその目は同意を求めるような眼差しに見えた。
どこかそれは、この道が正しいことを祈る、幼い迷い子のようで。
「エステルがそうしたいのなら、そうするべきだ」
それは同意を示したわけでなく、だからといって否定も、まして突き放したわけでもない。
ただ、そう告げた。
自分がそれでいいと決めたなら、その道を進めばいいのだと。
どの道を進むとしても、決めるのは自分自身。
「ただ・・・」
リリーティアはエステルから視線を外すと、その視線を落とした。
その視界に広がるは、花々の隙間から茜色の光が零れ注ぎ、結晶が散りばめられたような木漏れ日。
それもまた美しい景観であった。
「私はもしもっていうのは、あまり考えたくない」
もしも、あの時ああしていたら----------。
エステルが考えるように、あの時に選んでいなかったら今頃はあの道を進んでいた。
だから、今からでもその道へ戻ってしまおうか。
そう考えるのも、ひとつの選択なのだろう。
けれど、それを選べば----------きっと、私は・・・、
「・・・・・・進めなくなってしまう」
リリーティア自身も、まったく考えないというわけではない。
もしも、と仮の先を考えてしまうことはある。
エステルが城の中で変わらず暮らしていたなら・・・。
もしかしたら、本当はそのほうがよかったのかもしれない。
彼女にとっても、私にとっても。
でも、知ってしまった。
もう、知ってしまったのだ。
起きてしまったことは、無しには出来ない。
一度選んだ道を無かったことにして、戻ることなんて-----------私には出来ない。
リリーティアはそっと左手を握り締めた。
「わたしは・・・・」
黄金に揺れる花々を見詰めながら、エステルは胸の前でぎゅっと両手を握り締めた。
「わたしだって、前に進みたいです。でも、こんな状況で何をどうすれば前に進むことができるのか、わたしには・・・」
本当のことを知りたい。
でも、そのためにどうすればいいのかわからない。
エステルの苦悩は深かった。
答えを求めてここまできて、答えを知る術を失い、これからの進むべき道を見失ってしまった。
もう少しでこの手に届きそうだったものが、その手の隙間から零れ落ちていった。
人々を癒す力が、彼の者には忌み嫌うものだと、ただ告げられて。
「リリーティアは・・・どう思います?」
突然、エステルが訊ねた。
「どうって・・・?」
「始祖の隷長(エンテレケイア)が忌み嫌う〈満月の子〉の力について、です」
深刻な表情を浮かべ、こちらを見詰めるエステル。
リリーティアは押し黙って彼女をじっと見据えると、しばらくしてその口を開いた。
その口を開くのが、いつもより少し重く感じられた。
「少なくとも・・・、私にはあなたの力が毒だなんて思わない」
〈満月の子〉の力の意味を知っていても。
そして、それが世界を脅かす力のだと知っても。
私は、彼女の力が毒だなどと思うこともないし----------、
「-------毒とも言わせない」
誰であろうと。
リリーティアは力強い声で言った。
エステルのその力に、私は何度と助けてもらっただろう。
どんなときでも優しい光で包み込んでくれた。
それが、夢の中であっても。
彼女のその優しさは夢の中にまで届いた。
あの時、苦しむ私を助けてくれた。
あの時、闇に囚われた私を導いていくれた。
彼女の力は、人の痛みを癒し、抱える闇を照らす。
その力は優しさに満ちている。
だから、エステルの力を毒だなんて言わせない。
誰よりも、”やつ”らには。
けして。
リリーティアのその眼は、エステルの手に握られた羽根に注がれていた。
それは、揺ぎ無い瞳で。
「リリーティア・・・」
エステルは少し呆然としてリリーティアを見る。
でも、彼女はすぐにふわりと微笑んだ。
「ありがとう、リリーティア」
エステルは嬉しかった。
リリーティアの言葉が嬉しくて仕方がなかった。
手掛かりを失って、どうしていいかも分からなくなって不安だった。
けれど、リリーティアの言葉がその不安から守ってくれた。
「もう少しちゃんと考えてみます。これからのことを」
だから、もう少し歩けるような気がした。
ここまで歩いてきた道の、まだ先へと。
すでに、エステルのその瞳に迷いの色はない。
少し元気を取り戻した彼女に、リリーティアも笑みを浮かべた。
その時、やわらかな風が吹いた。
黄金の花々が風に揺られ、二人の間に仄かに甘い香りが吹き抜けていった。