第20話 古慕の郷
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
***********************************
「これで十分かしら」
「ええ」
ジュディスの言葉に頷きながら、リリーティアは最後の荷である雑嚢(ざつのう)の開き口を紐で絞った。
そうして明日の旅の準備を始めてしばらく、ようやく必要なものを全て揃え終わった。
あの兄妹の両親の分の荷物も合わさり、マンタイクで準備したよりもその数は多くなったが今回は『凛々の明星(ブレイブヴェスペリア)』の面々とレイヴン、そして、リリーティアが準備を進め、
それほど時間も掛からず準備を終わらせることが出来た。
また、それだけが理由ではなく、
リリーティアたちが利用した店には旅に必要な様々なものを売っている万屋で、街に唯一ある店だった。
街に一軒しかない店だがその品揃えはそれなりに豊富で、その店だけで砂漠に必要な道具も食料も十分に調達でき、その上、リリーティアたちが世話になっている宿のすぐ先にあったから、そこまで運ぶ移動も短時間で済んだ。
「しっかり準備を済ませておかないとね。さすがに、次も行き倒れたくないもの」
「はは、そうだね」
ジュディスの言葉に小さく笑い声をこぼして、リリーティアは最後の荷物を肩に背負い立ち上がった。
ジュディスの肩にもひとつ雑嚢が背負われている。
そして、二人は店の階段を降りていった。
一緒に準備をしていたユーリたちは、こうして準備を終える少し前に切り上げてもらった。
彼らも今は思い思いに街の中で過ごしているだろう。
「あ・・・」
店の階段を下りた時、リリーティアは何かを思い出したらしく、しまったと小さく声を上げた。
ジュディスは首を傾げて彼女を見る。
「ひとつ忘れてたものがあった。・・・ごめん、先に行ってて」
リリーティアは困ったように笑うと、踵を返して店の階段を上っていく。
ジュディスはただ黙って、店の中に入っていく彼女を見ていた。
**********************************
「すみません」
「はい、いらっしゃい。・・・おや、何か買い忘れでもしたかい?」
店の中に入るとカウンターの奥に座る老婦が優しげな笑みで出迎えた。
ついさっきまで大量に買い出していたリリーティアたちのことを店の人も忘れているわけがなく、この店の店主の奥さんでもある優しげな顔立ちをした老婦は気さくに声をかけてくれた。
「はい。すみませんが、外套(ローブ)をもう一着お願いします」
リリーティアは申し訳なく言うと、老婦はゆっくりと頷きながら、カウンターの横に掛け並べてある外套(ローブ)を一着分取り出した。
リリーティアがその代金を支払おうとすると、老婦は代金を持った彼女のその手を押し留めた。
「ああ、お代はいいよいいよ。今日はいろいろと買ってくれたからねぇ」
「え・・・。いえ、それは・・・」
リリーティアはその手を押し戻し、代金をカウンターの上に置いたが、それでも老婦はお代は要らないと、けして受け取ろうとはしなかった。
「ありがとうございます。でも、お気持ちだけで十分嬉しいですから」
「ほらほら、若い子が遠慮なんてするもんじゃないよ」
そうは言ってもと、リリーティアは困った。
遠慮もなにも老婦の彼女には、すでにいくつかの商品を安く売ってもらっている。
ジュディスたちと旅の準備をしているその時に、たくさん買ってくれたからとすでに何割か代金を安くしてくれていたのだ。
だから、これ以上は甘えるわけにはいかない。
「それに、これはお礼なんだからねぇ。だから、気にするのはお良しよ」
それはこちらの言葉である。
この店は品揃えが豊富で、十分な食料も道具も余すことなく準備できたのだから。
だが、老婦は頑なに代金を受け取ろうとしない。
リリーティアがいよいよどうしようか考えあぐねいていると、
「リリーティア」
背後から呼ばれて振り向くと、ジュディスが店の戸口を潜っているところだった。
どうやら店の外で待っていてくれていたらしい。
店から出てくるのが少し遅いと思ったのか、様子を見に来たようだ。
どうしたのかと訊ねる彼女に、リリーティアは困ったような笑みを浮かべて経緯を説明した。
その話にジュディスは少し考える素振りを見せると、カウンターに置かれている一着の外套(ローブ)に目をやった。
彼女はじっとそれを見詰めると、リリーティアへ視線を戻した。
「せっかくなのだから甘えてさせてもらってはどう?」
彼女特有の大人びた微笑みを浮かべて、ジュディスは言った。
すると、傍にいる老婦も笑みを浮かべてうんうんとゆっくりと頷いている。
善意を無碍にするのも良くないと、ジュディスは続けて話した。
「そうねえ・・・それじゃあ、こうしてくれるかい」
それでも申し訳ないような戸惑った表情を見せるリリーティアに、
老婦は代金を握る彼女のその手をそっと握り締めた。
「また、この街に遊びにきておくれな」
外套(ローブ)の代金はこの街に遊びに来てもらう代わりだという。
思わぬことでリリーティアはきょとんとすると、老婦は穏やかな声で続けた。
「何もないところだけど、ここはのどかでいい街だからねぇ」
ここで作っている野菜はとても美味しいんだよ、と老婦はさらに笑みを深くした。
リリーティアが未だ困惑している中、老婦はジュディスへと顔向けた。
「クリティア族のお嬢さんも一緒にね」
ジュディスは一瞬だけ目を瞠ったが、すぐに微笑んだ。
この時、ジュディスの心の奥では石がひとつ、ごろりと転がり落ちた。
彼女はそれに気付かないふりをして、ただいつもの笑みをそこに浮かべていた。
「・・・ええ、ありがとう。是非また寄らせてもらうわ」
二人の会話を聞きながら、リリーティアは自分の手を包み込む老婦のその手をじっと見詰めていた。
瞬きひとつなく、ただじっと。
自分の手をさする老婦のそのかさかさした手は、温かくて、優しくて、---------懐かしかった。
どうしてだろう。
どうして、その手を懐かしく思うのだろう。
この店の老婦とは、ここで会ったのが初めてなのに。
リリーティアは胸の奥から何か湧き上がるものを感じたが、それは溢れ出る手前で重く沈んでしまった。
湧き上がってきたそれは何だったのだろう。
知りたいようで、知りたくないような、その何か。
考えるうちに、何故かリリーティアのその頬が強張ってしまった。
その表情が固まる。
「いつでもかまわないからね」
どんな表情をしていいのかも分からなくなってしまったリリーティアに老婦は変わらず笑いかけていた。
途端に頬が緩むのを感じた。
そして、優しげな老婦のその笑みにリリーティアの胸は安堵にも似た温もりに包まれる。
その表情が和らいだ。
「わかりました、必ずまた遊びにきます」
待っていて下さいと、老婦の手をそっと握り返した。
心からのありがとうを、その手に込めて。
すると、老婦はさらに笑みを湛え、その優しげな顔に深いしわが浮かぶ。
その嬉しげな顔にリリーティアの表情にも溢れんばかりの笑顔が浮かんだ。