第20話 古慕の郷
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結界がないというのに、街の様子はいたって平穏なものだった。
遠くに見える住人も特に魔物の襲撃に怯えているといったふうでもない。
しかも、砂漠の中にあるはずなのに、やはりここは気候も随分と穏やかで、すぐ横には街の広さよりも遥かに大きい広大な湖があり、水が豊富にある。
そのおかげか、街の中には田畑が作られており、青々とした野菜がそこで大きく育っていた。
その合間を白い蝶がひらひらと飛んでいる。
「(結界がないのに、どうしてここの人たちはああも落ち着いているんだろう・・・?」
魔物がいつ襲ってくるか分からない、この世の中。
住んでいる場所に結界がないなど、ありえないことであった。
まして、ああして外に出ているなんて戦える術を持たない者は特に恐怖でしかないのではないか。
確かに砂漠地帯に生息できる生物は限られているし、平地より遥かに魔物の数は少ないが、それにしても平和そのものといったこの街の長閑な雰囲気には、結界がないということが到底信じられなかった。
リリーティアは困惑した表情で空を見上げる。
何度見ても、やはりそこに結界を示す光の輪はない。
「結界がないなんて、おかしな街よね」
「ワン!」
空を仰ぐ彼女の後ろでレイヴンが首を捻ると、街のことを調べる二人についてきたラピードが彼の隣で同意だとでもいうように一声啼いた。
砂漠地帯には見られないような情景が広がる、水と緑の溢れた地域。
花々は咲き誇り、鳥が舞い歌う。
その上、結界のないというのに、静かで長閑な街。
砂漠で倒れて、目が覚めたら突然ここにいたせいか、なんだか違う場所へと遠く飛ばされたような気もしてくる。
そう錯覚するほど、不思議な雰囲気の街だった。
「すみません。少し尋ねたいことがあるのですが・・・」
リリーティアたち一行が世話になっている二軒並んだ家屋から少し離れた家。
家の前には溢れんばかりに黄色の花が咲き誇る花壇があり、その花に水をあげているひとりの年配の女性がいた。
女性の格好は同じ砂漠地域にありながらマンタイクで見たものとはまったく違う装いで、質素でどこか古風な印象を受ける。
「おや、あんた方はもしかして街の入り口で倒れていた旅の方かい?」
女性によると、あの子どもたちの両親は彼女の家でお世話になっているらしい。
二人は少し前に目が覚めて、今はこの集落の中を見て回っているということだった。
どうやら自力で歩けるほどに体力は回復しているようだ。
「ここはなんという街なのでしょうか?」
さっそくリリーティアは気になることを尋ねた。
「ここはヨームゲンという街ですよ」
「ヨームゲン?・・・なんかどこかで・・・」
聞き覚えのあるその名にレイヴンは眉を寄せて考え込むと、
リリーティアはすぐに思い当たって、彼に向けて声を潜めた。
「あの日記にあった街の名前ですよ」
「まさか、あの幽霊船の・・・?」
ヨームゲン。
女性から聞いたこの街の名は、デズエール大陸に向かって海を渡っている途中に遭遇した難破船、
アーセルム号の船長の日記に書かれていた街の名前であった。
どうにも信じられず、リリーティアはもう一度尋ねてみる。
「今、ヨームゲンって言いました?」
「ええ、そうですよ」
やはりここはヨームゲンで間違いないらしい。
ということは、この街は千年も前からあるということになるが。
「あの、ここは砂漠のどの辺りになるんでしょう?」
遠くにはムゼリ山脈と思われる連なる山脈があり、よくよく見ると遥か遠くには海も見えている。
周りを見渡す限りでは、ゴゴール砂漠の北に位置する場所だろうと思われた。
砂漠中央部にある岩場に向かって自分たちは砂漠の中を歩いていたというのに、いつそこを通り越したのか、ゴゴール砂漠の北まで来ていたことには甚だ疑問ではあったが、周りの景色からして、今いる場所はその見立てで間違いないだろう。
リリーティアはそう思っていたのだが、
「砂漠・・・?ここら一帯は緑豊かな場所になるんですけど・・・」
「え・・・?」
女性の口から出たことは、まったく予想外のものであった。
リリーティアは小さく驚きの声をこぼして、困惑した表情で女性を見るが、女性の方もこちらと同じように戸惑っている。
どうも嘘を言っているわけではなさそうだ。
そもそも嘘をつく必要もないはずだ。
もう少し詳しく聞いてみると、近くに見えるムゼリ山脈については互いの認識は合致したが、この大陸は緑豊かな大陸で砂漠化になっている地域はないということだった。
戸惑いの中、リリーティアはもう一つ気になっていたことを尋ねた。
それは自分たちが倒れていたという場所についてだ。
「私たちが倒れていたのはこの街の入り口なんですね?」
「ええ、そう聞きましたよ」
街の入り口近くには小川が流れていて、弧形に掛け渡した木造の小さな橋がある。
橋の手前には青々とした木々に挟まれた道がのびているのだが、その道端でリリーティアたちは倒れていたというのだ。
「俺たち砂漠で倒れたんじゃなかったっけ?」
「その・・・はずですが・・・」
リリーティアとレイヴンはいよいよ訳が分からず、困惑の表情で顔を見合わせた。
どうも互いの認識と話が噛み合わない部分がある。
「あの・・・大丈夫、ですか?」
女性は二人の様子に心配して、まだ調子が優れないのなら家で休んでいくといいと気遣ってくれた。
意識を失って倒れていたせいで記憶が混乱しているのだろうかと思ったのかもしれない。
といっても、確かに自分たちは砂漠を越えてきたのは事実なのだ。
けして記憶違いではない。
この街の住人たちは街に倒れていた自分たちを助けたが、それ以降については知らないらしく、結局、街の入り口まで運んで助けてくれた人については分からなかった。
あの兄妹の夫婦も同じように倒れていたということから、彼らも助けてくれた人の姿は見ていないだろう。
逆にさらに分からないことも増えたが、ここが何という街なのかは分かった。
最後に、もうひとつ気になることを彼女は訊ねた。
「この街には結界がありませんけど、何かあったんですか?」
この街の中で何より驚いたのは結界がないということだ。
人が集まる所には必ずといってある結界魔導器(シルトブラスティア)だ。
そもそも、結界魔導器(シルトブラスティア)がないと、この世界に魔物たちがいる以上、人々の生活を営むことは難しい。
それがなぜ、この街には結界の光輪がなくも、こんなにも穏やかな雰囲気の中にあるのか不思議でならなかった。
「結界、ですか・・・?」
女性は首を傾げた。
どうもリリーティアの言っていることがよく分からないといったふうである。
「もしかして、ここには結界魔導器(シルトブラスティア)がないのでしょうか?」
「シルト・・・ブラス・・・?えー、と・・・すみませんね、私には何のことか・・・」
女性は申し訳ないような表情を浮かべた。
その上、旅人であるリリーティアたちが住んでいる街にはそういったものがあるのかと不思議な顔をされ、リリーティアはなんと返していいか分からず、気にしないで欲しいと曖昧に笑って誤魔化す事しか出来なかった。
「まぁ、ここは何もない所ですが、ゆっくりしていって下さいな」
素性の知れない者から聞き慣れない言葉を聞いても、女性は一切不審がることはなかった。
寧ろ、最初から最後までこうして快く迎え入れてくれていて、リリーティアはもう一度礼を言って頭を下げると、ひとまずその場を後にした。