第19話 砂漠
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昼間の灼熱に喘いでいたのとは打って変わって、砂漠の夜は冷え込みが激しかった。
マンタイクでは涼しいことは涼しかったがここまで冷え込むこともなく火を焚く必要もなかった。
しかし、ここ、砂漠中央部では違う。
一晩中、火を焚かないと手足が悴(かじか)むほどの冷え込みようであった。
そんな寒冷の地へと変貌した砂漠の中で、リリーティアはひとり佇んでいた。
その視線は遥か地平線の彼方に注がれている。
紺青に沈む砂漠を視界に捉えながらも、彼女の脳裏に浮かんでいたのはユーリたちの姿だった。
それは数時間前のこと。
雲ひとつない抜けるような空に笛のような音が響き渡った、あの時。
ダングレストで聞いた啼き声を耳にした途端、ユーリたちは、彼らは、色めきたっていた。
それも当然のことだろう。
その声こそ、探し求めているものなのだ。
そもそもこの旅が始まった目的でもある。
そして、エステルにとっては自分で選んだ、やるべきことのひとつ。
リリーティアは足元に視線を落とすと、そっと胸に手を当てた。
そして、強く握り締める。
その表情は険しい。
ああして目的が間近に迫ってユーリたちの意欲が増す中、リリーティアだけはその胸中に様々な感情が渦巻いていた。
何かが溢れそうになるのを、また何かで押さえ、それをまた違う何かが覆い被さる。
それはあまりに複雑に絡みすぎて、それぞれに何を含んだ感情なのか、自分のことながら分からない。
いや、気づかないふりをしているだけなのかもしれない。
ただ深く考えようとしていないだけで。
リリーティアは胸に当てていた手をそっと下ろすと、
それ以上、胸の内に渦巻く感情に意識を向けるのをやめ、ただ考えることに集中した。
この旅の目的、フェローに、”やつ”会うこと。
それは果たして会うだけ留まるだろうか。
いや、やはり戦いになる予感がしてならない。
ダングレストでは〈満月の子〉を消さんとしていた”やつ”のことだ。
そうなれば、彼らだけでそれをどうこう出来るのかと問われれば----------否。
一隊の騎士団でさえ手に負えず、あの時も完膚なきまでにやられたのだ。
ヘラクレスのような強力な兵装魔導器(ホブローブラスティア)を以ってしても。
ユーリたちはあれのおかげで助かったと話していたが、
”やつ”の前には十分な効力を発揮できていなかったように思える。
それに、そもそもあれは”やつ”の本気ではなかった。
それを、この数人で相手など。
”やつ”の本気ではないにしても、それでも強大であったあの力をあの時に目の当たりにしていながら・・・。
少なくとも、ユーリやカロル、エステルはその目で”やつ”の力を見ている。
それでも、彼らはやろうとしている。
そして、---------この私も。
真なる強大な力を知る身でありながら、リリーティアも彼らと変わらずここにいる。
いや、知っているからこそ、ここにいた。
リリーティアは星が瞬く空へを仰ぐと、僅かに眼を細めた。
空を凝視するその眼は射抜くような鋭さがある。
その眼に映るのは紺青に染まる空でなく、茜に染まる空。
そこに飛び漂う巨大な体躯と、圧倒的な眼。
そして、笛のような啼き声と---------------”忌マワシキ、世界ノ毒ハ消ス”
瞬間、彼女の胸の奥に炎が小さく灯った。
それは黒く揺らめく炎。
再び彼女は胸に手を当てた。
今、胸中に渦巻く感情。
これだけは何を含んだ感情なのか、はっきりと分かっている。
気づかないふりをせずとも。
しかし、その裏に隠されたもうひとつのものには、気づかないふりをした。
黒く揺らめく炎をその胸にただ感じていた。
その時、強く風が吹いた。
舞い上がる黄砂に棚引く外套(ローブ)。
砂漠というイメージからは似つかない刺すような冷たい風がリリーティアを吹き付けた。
体の芯から冷えていくのを感じながら、同時に黒く揺らめいていた炎がすっと小さくなっていくのを感じた。
それは、風に吹き消される蝋燭の火のように、静かに、静かに。
彼女は深く息を吸い込んだ。
やがて、その炎は完全に消えてしまった。
「リリーティア」
突然、背後から聞こえた声。
声と共に砂を踏む、しのびやかな音。
振り返ると、それはジュディスだった。
その手にはいつもの槍を持っているが、よく見るとその反対の手にはこの砂漠の旅のために調達した防寒用の寝具として使っている毛布を持っている。
砂漠の夜を過ごすのには必需品のひとつだ。
彼女はリリーティアの傍へ歩み寄ると、それを差し出した。
「はい、これ。だいぶ冷えてきたから」
「ああ、ありがとう」
リリーティアは毛布を受け取ると、それを広げて肩に羽織った。
じんわりとした温もりが体を包み込む。
それは冷えた体にとても心地よかった。
その温もりにほっと息を吐くと、リリーティアは横に立ったジュディスを見る。
「ジュディスはいいの?」
昼間と変わらず外套(ローブ)に身を包んではいるが、
それでも、それだけではこの冷え込みには厳しい。
「ええ。大丈夫よ、私は」
でも、彼女は今はまだ必要ないという。
どうも寒さには慣れているらしい。
そういえば彼女はここから北にある山中の街に住んでいたと言っていた。
デズエール大陸は大半が砂漠であるが、同じ大陸にあるといえど高所の山まではその砂漠の熱は届かない。
確かそこは砂漠と違い、昼間でも爽涼な気候であったはずだ。
もしかしたら、それで慣れているのかもしれない。
リリーティアは深くまで記憶を引き出すことはせず、ただ知識として記憶を引き出していた。
それもまた無意識の内に行っていた。
その時、何の前触れもなく、リリーティアの脳裏には不意に竜使いとしての彼女の姿が浮かんだ。
冷たい風の中を空高く飛んでいる竜使いの姿がそこにある。
瞬間、右肩に僅かな疼きを感じ、頬が強張った。
「意外と暑いのは得意なのね」
ジュディスの声に思わずどきりとしたが、
どうにか頬を緩めて、そこに笑みを浮かべてみせた。
「・・・得意といっていいか分からないけど。まあ、うん。思っていたほど暑くなかったって言ったほうがいいかな」
どうにか相手に怪訝には思われずに済んだ。
しかし、肩の疼きはまだそこにあった。
「確かジュディスの故郷は高いところにあって、見晴らしがいいところだって言ってたけど」
それを悟られまいと、リリーティアは言葉を続けた。
「ここから北にある、高い山の中に街があったからなんだね」
高い所にあって見晴らしがいいという故郷の話。
それはへリオードでジュディスが話していたことだ。
見晴らしが良かったというのは、街が高い山の中にあったからだったのだろう。
「ええ、そうね」
リリーティアの言葉にジュディスは短く頷いて応えると、視線を砂漠へとやり、遠くを見詰めた。
そこで会話が途切れる。
だが、肩の疼きはまだ感じていた。
沈黙の中、リリーティアはジュディスの横顔を見やる。
まだ彼女は遠くを見詰めていた。
その視線の先には彼女の故郷がある。
やはりその表情は懐かしんでいるような、故郷を想っているものに見えた。
けれど、以前と比べてそこにはまた違うものが混じっているような気がした。
リリーティアは不快なざわめきを胸に感じ思わず彼女から視線を落とすと、僅かにその眉を潜める。
「そういえば・・・・」
不意に響く言葉に内心はっとして、リリーティアはその顔を上げた。
「あれからどう?少しは恋しいと思うようになったのかしら」
そう言って微笑むジュディス。
一瞬、何のことが分からずリリーティアは何度か目を瞬かせたが、すぐに思い当たった。
それは、ジュディスの故郷の話を聞いた時、自分が言った事に関する問いだった。
今まで帝都を懐かしいと思ったことがない。
あの時、そう彼女にリリーティアは話したのだ。
ジュディスのその問いが不思議と可笑しく感じて、リリーティアは小さく笑い声をこぼした。
「ん~、そうだね・・・」
リリーティアは空を仰ぎ見た。
考えればヘリオードからここまではまだ半月ほどしか経っていない。
帝都を離れた時からと考えても、この旅の中で一度も帝都を想うことはなかった。
いや、その前に・・・。
リリーティアは目を伏せると首を横に振る。
「まだ何も思わないみたい」
そして、眉根を寄せて笑みを浮かべた。
そもそも帝都が故郷だということさえも自分の中では曖昧なのだから。
それは何故なのなのか、それも未だに分からないけれど。
そんな他愛ない話をいくつか交わした後、ユーリたちのもとへ戻るというジュディスにリリーティアは頷いた。
もうしばらくしたら自分も戻ることも伝えて。
「・・・・・・」
去っていくジュディスの背を見ながら、リリーティアはそっと右肩に触れた。
未だやむことのない疼き。
「あなたは----------、」
リリーティアはぽつりと囁きに近い声で呟いた。
先へ行く遠い背に向かって。
---------------どう行動を取るつもりでいるのか。
竜使いとして。
これまでも、彼女はこの旅の一員として、『凛々の明星(ブレイブヴェスペリア)』の一員として、行動している。
エステルに対しては、今のところ何か特別な行動をとっている所を見たことはない。
ただ、だからといって竜使いとしての彼女がなりをひそめているというわけではなかった。
ユーリたちと行動を共にするようになってからも、時折、彼女は何やらひとり行動を起こしていることをリリーティアは気づいていた。
あの時、ジュディスはバウルという友だちの名を口にしていたが、おそらくはそれが旅の相棒だと言っていたあの竜の名前でもあるのだろう。
彼女は必要に応じてその竜と共に、今も尚、ヘルメス式魔導器(ブラスティア)を破壊しているようだった。
だが、それも確実に気取られずに動けそうな時に限ってのもののようだったから、自分が知らないときを含めても、おそらくこれまでに破壊した数はしれてはいる。
それに気づきながら、リリーティアはそれに対しての行動は一切起こさなかった。
その理由は単純で、ただ単に支障がなかったからだ。
ヘルメス式魔導器(ブラスティア)は自分たちの理想に必要不可欠なものだが、世間一般に密かに溢れているそれらは自分たちにとっては重要ではない。
だから、彼女のこれまでの行動も、彼女の正体さえも、あの人への報告には含めなかった。
しかし、こうしてやつへの接触が間近に迫っていく今。
竜使いは何を思って、何を考え、そこにいるのだろうか。
ヘリオードでエステルを狙ったということから、”やつ”に会わせることで、その目的を果たそうとしているのかもしれないと考えてもみたが、これまでの彼女の行動を思うと、そうではないように見えた
”やつ”へと導いているように見えて、導いていない。
去っていくジュディスの背から視線を落とした。
月の光に照らされた足元へと。
ヘリオードでエステルを狙った竜使い。
ダングレストでエステルを狙った始祖の隷長(エンテレケイア)。
竜使いも”やつ”も目的は同じ。
けれど、その理由は---------------?
リリーティアはあの時の竜使いの姿を思い浮かべた。
ヘリオードでエステルを襲ったその姿を。
降りしきる雨の中、空に漂う竜使い。
あの時見せた、竜使いの僅かな戸惑い。
リリーティアは振り返った。
そこにはすでに、ジュディスの、竜使いの姿はない。
あの日と変わらずその手に槍を持った竜使い。
その槍はあの日とは違うけれど。
あの時の戸惑い。
あれは何を意味していたの?---------------、
「-------ジュディス」
それとも、単なる自分の気のせいだったのだろうか。
リリーティアは誰もいない先を見詰め続け、それ以上、考えるのをやめた。
それからしばらくして、彼女は体を翻して再び砂漠へと視線を戻した。
そして、今やるべきことへと意識を向ける。
マンタイクで出会ったあの兄妹の両親を探す、そのやるべきことへと。
そうしてようやく、肩の疼きは消えていった。
だが、またそれはそれで、リリーティアの胸中にはまた違った不快なざわめきが渦巻いていた。
リリーティアは重い息を吐くと、刺すような冷たさから逃れるように肩に羽織った毛布を体にかき寄せた。