第18話 黄砂の街
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星が瞬く夜空。
寝るにはまだ早いこの時間、リリーティアは泉のほとりにひとり座っていた。
マンタイクに外灯はないが、二つの結界魔導器(シルトブラスティア)の輪の光で辺りはぼんやりと照らされている。
泉の水面にもその結界の光輪を映し込んで輝いていた。
数時間前はただじっとしているだけでも汗がにじんだが、昼間と違ってマンタイクの夜は過ごしやすかった。
リリーティアは結界の輪越しに夜空を見上げた。
星たちと共に月が浮かんでいるのが見える。
辺りは昼間よりもさらに静寂に包まれていた。
過酷な環境のせいか夜虫の音さえ一切聞こえず、時折風に揺れられて椰子(ヤシ)の葉が擦れる音が微かに聞こえるだけ。
あまりの静けさにこの街だけがまるで時間が止まったままのような感じがしてくる。
どんな街でもそこの人々が営む匂いというものがある。
当然だが街は人ありきのものだ。
街中にはどんな静かな街でも人の息吹が感じられるものだが、この街はそれがほとんど感じられない。
街が生きていない、そんな感じだ。
それもこれも、ここにいる<帝国>騎士たちのせいなのだろう。
ここにいる騎士団がキュモール隊だということに、これまでの彼らの行いを知るユーリたちは何かと危惧の念を抱いている。
この街のおかしな雰囲気も相まってそれは余計強くあるようだ。
なかでも、やはりというべきかエステルはとても気にしているようだったが。
でも、だからといってどうこうすることは出来ない。
そもそも、今はどうこうする理由がない。
彼らはこの街では何もしていないのだ。
それに騎士団に表立って楯突けば、<帝国>そのものが敵に回ることになる。
ヘリオードでは偶然にもあのタイミングでフレン隊が駆けつけてくれたから良かっただけの話なのだ。
兎にも角にも、騎士団によってこの街が静まり返っている状況にあったとしても、何かをする理由はない。
もしかしたら、もともとこういう静かな街ということもあるだろう。
「(・・・でも、おそらく今よりはずっと賑やかな街だったはずだ)」
リリーティアはこの街を一日見てきて何となくそう感じていた。
それは、この街に住む商売人の人たちは皆気さくさがあったからだ。
店に立ち寄れば、騎士の目があるからか少し態度は挙動不審な感じはあるが、
客を迎える言葉にはどこか親しみやすさが感じられた。
「(あのおじいさんは特にそれが際立ってたな)」
この街の工芸品を売っていたあの店。
その店主である白い髭をたくわえた老父。
自分の店の商品でもあるものを、しかも自分が作っている工芸品を呪われそうな人形だと言ってのける可笑しな人。
わざと怖い顔を作ってみせていた愛嬌に溢れた人柄。
でも、土産として買っていく人がいると聞いたとき、正直理解できないところはあったが、今思えば老父が作ったものだからこそ買って行こうと思うのかもしれない。
店主曰く呪われそうな見た目でも、想いが深く込められて作られているのをそこに感じられた。
その手でひとつひとつ彫られ、想いを込めて描かれた文様。
そうして、あの愛嬌に溢れたあの老父の手で作られたからこそ感じるものだと思えた。
「(だから、土産として買っていく人がいるんだろう・・・)」
作り手の想いが込められているものだからこそ、贈りたいと想うのかもしれない。
贈りたい人を想って。
「(まぁ、でも、それを知らないとちょっと貰った側としては・・・やっぱり戸惑うかも)」
下手をすれば誤解を招きかねないような。
そんな気がして、リリーティアは思わず苦笑を浮かべた。
と、突然に彼女は何かを思い出したようにはっとなった。
「(そういえば・・・・・・)」
不意に降り注ぐように浮かんできた記憶。
それは、遠い過去の記憶だった。
遥か遥か遠くに感じられる記憶。
-------マンタイク。
-------土産。
少し靄が掛かっているような記憶だったが、それでも覚えている。
今の彼女にとって思い出すのが不思議なほど自然に浮かんだ過去だった。
それはもう10年前の話だ。
〈人魔戦争〉の前、〈砦〉から一度帝都へ帰ってきた父。
あの時、父は確かに言っていた。
土産を買ってきたと。
マンタイクで珍しいものがあったと。
親友である、あの人に。
「・・・父はあの時、あの人になにを-------」
「リリーティア」
名を呼ばれ、リリーティアは物思いからはっとして顔を上げた。
たちまち過去の記憶は深い闇の中に沈んでいく。
声のほうを見るとエステルが立っていた。
彼女はこの泉の近くを散歩していたらしい。
「隣、いいです?」
リリーティアは頷くとエステルはその隣に座った。
その時、リリーティアは彼女の手の中にある物に気付く。
包むように握られているその両手からは宝石がちりばめられた房が垂れ下がっていた。
それは昼間、エステルがこれまでの報酬としてカロルに渡そうとしていた物。
「それ、カロルたちに報酬として渡そうとした・・・?」
「はい。母の形見なんです」
エステルはそっと手を開くと装身具(ブローチ)を見詰めた。
桃色の花を象ったそれは、リリーティアの髪飾り同様にそれもまたハルルの樹の花びらを思わせる。
生前、エステルの母はいつもこれを胸に身に着けていたという。
亡くなってからは形見として引き出しに大切に仕舞っていたのを、
ユーリと共に城へ抜け出すときに部屋から持ち出しのだとエステルは話した。
「エステルのお母さんは、確か・・・」
「ええ、まだ子どもの頃に。・・・リリーティアの両親は?」
「十年前にね。騎士だった母は任務で、魔導士だった父は・・・〈人魔戦争〉で」
「そう、だったんですか・・・」
しばらく互いの間に沈黙した時が流れると、エステルが静かに口を開いた。
「自分が特別だと思ってました。お父さんもお母さんもいないって。でもユーリもカロルもリタも、リリーティアも、独りでがんばってきたんですね」
エステルは装身具(ブローチ)をぎゅっと握り締めた。
世界にはいろんな境遇の中で生きている人がいる。
これまでの旅の中で聞いた話だが、ユーリ、カロル、リタもすでに両親はいない。
ユーリの母親は赤ん坊の時に死別しているから顔すら覚えていないと言っていた。
リタの父親は彼女が生まれてすぐにいなくなり、母親も幼い時に亡くなったためあまり記憶がない。
カロルも幼い時にダングレストで起きた火事の騒動、恐らく〈人魔戦争〉による魔物の襲撃によるものと思われるが、その際に親は亡くなったという。
彼らのように早いうちから両親がいないというのはけして珍しいことではないのだ。
病気や不慮の事故、魔物の襲撃。
そんな境遇に突然見舞われ一人になってしまうということは誰にでも起きうることだ。
「(思えば、私は幸せなのかもしれない・・・)」
リリーティアは自分の過去を思った。
十三年という月日を。
母と過ごした日々。
父の過ごした日々。
両親と過ごした日々はけして十分とは言えなかったが、それでもちゃんと記憶として残っている。
彼らにはない、記憶が。
かけがえのない時間として、記憶に。
その時間のすべて、私は確かに幸せだった。
「(けれど・・・)」
その後には必ずといって辛い記憶が続く。
両親と過ごした幸せな時間を覚えているほどに、それは増していく気がした。
それでも、あの頃の自分はそれでも幸せだった。
辛い記憶の中でも笑っていられた。
だって----------、
リリーティアの脳裏に浮かぶのは、碧(あお)と紺青。
そして、理想を共に描いた、あの補佐官たちの姿。
「-------私には仲間がいたからね。騎士の仲間たちが。・・・だから頑張ってこられた」
それさえも過去に消えてしまったけれど。
リリーティアはそれ以上の記憶を沈め、そっと目を閉じた。
「わたしだって・・・お城の人が面倒見てくれてました。でも、寂しいときもありました。その時は、これを見て母を思い出して自分を励ましてたんです」
エステルは目を閉じてそっと装身具(ブローチ)を胸に当てた。
それは、母の温もりを思い出しているかのようだった。
身の回りの世話のために女中の使用人が傍にいてくれたと言っても、彼女の周りにいたその大半が<帝国>の姫という立場故に、互いの間には一線が引かれていたはずだ。
やはりそれは寂しいものだっただろう。
「でも、この旅を始めてから形見のことすっかり忘れてたんです。たぶん、みんなといたから・・・もう寂しくなかったから・・・」
エステルは装身具(ブローチ)を胸から離すと顔を上げた。
その表情には笑みが浮かんでいる。
その言葉と笑みには、彼女がユーリたちと出会えたことは本当に良かったことだったと、リリーティアは心から思えた。
「だから、もう必要ないですよね・・・」
そういうとエステルは立ち上がった。
その足は泉へと向かう。
彼女がしようとしていることに、リリーティアもその場を立ち上がった。
「エステル・・・捨てるつもり?」
「古い思い出とは決別しないと。みんなそんなものなくても強く生きてるんです」
エステルは振り返ってこちらに微笑んだ。
「わたしだって、こんなものに甘えてるわけにはいかないんです」
でも、そこにはどこか少し寂しげな色が浮かんでいる。
リリーティアはじっと彼女の顔を見ると、彼女の隣に立って泉を見詰めた。
大切な物がなくてもみんな強く生きている。
エステルは、彼女は、そう言った。
けれど、果たしてそうなのだろうか。
いや、それ以前に、だからといって形見と共に古い思い出と決別する必要なんてどこにあるだろう。
「・・・そこにはあなたとお母さんとの思い出がたくさん詰まってる」
「そうでしょう?」とリリーティアはエステルを見た。
彼女は静かにうなずく。
「私にはそういうものないから」
かつてあった、大切なもの。
あの事件でそれらは失ってしまった。
父と母の墓も、写真も、形見と呼べるもの、すべて。
あの陰謀なる光に飲み込まれてしまったのだ。
もう二度と、取り戻せないところへと。
同時に渦巻く醜い感情を胸の奥に秘めて、彼女は笑みを浮かべた。
「だからこそ、エステルにはそれを大切に持っていてほしいって思うよ」
「リリーティア・・・」
リリーティアは泉へと視線を移した。
「それに、・・・いつか必要な時が来るかもしれない。自分を見つめ直す時に」
それがあるからこそ、過去の自分自身を見詰め、前に踏み出すこともできる。
リリーティアはそう思った。
だから、決別する必要などないと。
「そう・・・かもしれませんね・・・。でも、今は持っているとダメな気がするんです。だから・・・」
エステルは少し考えた後、リリーティアをひたと見据えた。
「それまで、リリーティア、預かっておいてくれませんか?」
そして、装身具(ブローチ)をリリーティアへと差し出した。
リリーティアは少し驚いた顔を浮かべる
少し戸惑いながらその装身具(ブローチ)とエステルの顔を交互に見た。
「気持ちがめげたら、またこれに頼ってしまいそうだから」
それでもリリーティアはそれを預かることをためらった。
----------私でいいのだろうか。
これまでのこと、そして、これからのこと。
自分が歩んできた道、自分が歩むであろう道。
自分の生き方を思えば、それは尚更だった。
いくら自分が選んで進んでいる道とはいえ、大切な彼女の母親の形見をこの私が持っているなど。
リリーティアは目を伏せた。
----------ふさわしくない。
そう思えてならなかった。
だから。
「リリーティアだから持っていてほしいんです。どうかお願いします」
自分で持っているべきだと伝えようとしたが、
真剣な眼差しのエステルにリリーティアは思わずその言葉を飲み込んだ。
そして、彼女の手にある装身具(ブローチ)をじっと見下ろす。
しばらくしてリリーティアは顔を上げた。
「分かった。必要になった時はいつでも言って」
大切に預かっておくから。
そう言って、リリーティアは装身具(ブローチ)を受け取った。
ありがとうございますと、エステルは嬉しげに微笑んだ。
そうして彼女は装身具(ブローチ)をリリーティアに託すと、先に宿に戻るとその場を立ち去っていく。
リリーティアはその後ろ姿をじっと見詰め続けた。
その目はどこか憂い帯びている。
「(彼女は精一杯強くあろうとしている)」
本当にやりたい事をやるべき事を見つけるために、自分で決めて、自分から始めたこの旅。
自分なりにけじめをつけ、砂漠に行くこと決意した彼女。
そして、この装身具(ブローチ)を手放すこともけじめのひとつなのだろう。
仲間に頼り、仲間に甘えてきた、彼女なりのけじめ。
これからは、この旅の先では、強くあるために。
過酷な砂漠へと向かうために。
エステルの姿が見えなくなると、リリーティアは腰に提げた鞄から白い布を取り出した。
その布の上に装身具(ブローチ)をそっと乗せる。
その時、房に散りばめられた小さな宝石が微かに煌いた。
「頼ってもいいんだ・・・エステル」
装身具(ブローチ)を見詰めながら、リリーティアは静かに呟いた。
そして、その布で丁寧に包むとそれを鞄の中に入れた。
必要な日が来るその時まで鞄の中に大切に仕舞い込むと、泉へと視線を向けた。
彼女は長い間、そうしていた。
「・・・・・・大丈夫」
どのくらい経った時か不意に彼女は言った。
明日はゴゴール砂漠でも一番暑さが過酷な中央部に入る。
準備も万全に整えたが、そうだとしても砂漠の旅は想像以上の過酷さをはらむだろう。
その時、風が吹いた。
日中に照りつけた暑さがまだ残っているのか、その風はとても暖かい。
それはリリーティアの頬を流れていく。
瞬間、彼女の表情は僅かに強張った。
だが、すぐにその表情はいつものものに戻ると音もなく息を吐いた。
「・・・・・・大丈夫」
彼女は夜空を仰いだ。
その瞳はまっすぐに空を見詰めていた。