第18話 黄砂の街
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リリーティアは街の中を歩き続けた。
街の様子を見ているわけでも、情報を得るために歩き回っているわけでもなかった。
ただただ、街の中を歩いているだけだった。
さっきまでその手に提げていた旅に必要な道具の入った雑嚢(ざつのう)などはパティと別れた後、宿に戻るというユーリにすべてを預けた。
そうして、彼女はこうして当てもなく街の中を歩いている。
街中を歩くリリーティアの脳裏を巡るのは、ギルドの男の言葉とパティの姿。
心無い言葉にも彼女は言葉を返すことなく受け入れていた。
耐えるように、ただじっと。
ギルドの者たちのその不信も、その怒りも、本当ならこの私に向けられるべきものなのだ。
世間を騙し続ける、この私に対して。
そして、彼女のあの笑顔。
あの笑顔は私に向けるられるべきではないものなのだ。
彼女の大切な人を陥れた、この私に対して。
リリーティアは歩き続けた。
街の中をひたすらに。
その足取りは一歩踏み出すことに重さが増しているような気がした。
同時に気持ちまで重くなっているような。
ごろりと何度も大きな石が転がるような、不快なざわめきが揺れて沈んだ重み。
でも、それはこの慣れない環境の中にいるせいだろう。
重く感じるこの足も、黄砂に足を取られているから。
重く感じるこの不快な気持ちも、じりじりと照りつける暑さにやられているから。
過酷なこの場所にいるからだ、きっと。
リリーティアはそう思った。
今は、そう思いたかった。
そう思わなければ----------、
----------「いらっしゃい!」
「!?」
突然の声に彼女の思考は遮られ、同時に目の前に現れたものに彼女の顔は驚きに包まれた。
顔の間近に色黒の面妖な顔が現れたのだ。
彼女は困惑して、何度が目を瞬かせてそれを見た。
よく見るとそれは木彫りに描かれた顔、お面だった。
「悪い悪い。驚いたかの」
そのお面の下から現れたのは、白いひげをたくわえた老父。
声もなく驚いているリリーティアに老父は申し訳ないように笑いかけた。
しわに覆われたその目は垂れ下がり、とても優しげな顔だちをしている。
「これはこの街にしかないお面なんじゃよ」
その声もとても温かみがあり、誰から見ても人の良い人柄といった印象を受けるだろう。
どうやら彼も商売人らしい。
横を見ると一軒の天幕が建てれていて老父はその店の店主のようだ。
これまでの店主と違って、騎士の監視を前に挙動不審な様子が一切なかった。
肝が据わっているのか、ただそこに騎士がいることに慣れてしまったのか、この老父の店主は誰よりも気さくさが際立っていた。
そんな店主が切り盛りしている、その天幕の下には様々な物という物に溢れていた。
色とりどりの刺繍で文様が描かれた布。
幾何学的な模様が彫られた置物。
これもまた複雑な文様が刻まれた首飾りや耳飾りの装飾品。
他の地域ではあまり見られない手工芸品からして、ここにあるものすべてがこの街特有の産物品なのだろう。
その珍しい物たちにリリーティアはその目を移していった。
どれも精巧で美しい物たちばかりだが、中には正直よく分からないものまであった。
それは少し大きな木彫りの人形のような置物。
これもまたこの街独特のものなのか、その置物は鮮やかな塗料で色が塗られているが、
顔らしき部分は子どもの落書きのような何とも表現し難い顔のようなものが描かれていた。
さっき老父がつけていたお面とはまた違った妖面。
あまりに奇抜で独創的なそれは、正直少し理解しがたいもので不思議な工芸品だが、
その子どもの落書きのような顔が描かれた木彫りは大小様々な大きさで数が売られていた。
中には買ったとしてもどう運んで帰ればいいか分からないほどの巨大なものまである。
聞くと、それらの木彫り人形は老父自身が手で作ったものだという。
確かに店の売り場の奥には、その人形を作る作業場があった。
「その木彫り人形にはいろんな願いが込められておるんじゃよ」
「願い、ですか?」
リリーティアは掌(てのひら)よりも少し大きい木彫り人形をひとつ手に取った。
独創的なその置物。
よく見ると、その人形の胴体の部分には何かを抱くように交差している腕が彫られている。
交差された腕の左右の位置にそれぞれ違った文様が描かれていて、胴体には二つの文様が描かれていた。
老父によると、その文様ひとつひとつに意味があるのだという。
色や形、または仕草。
それらはその地域によって深い意味が込められている場合がある。
例えば、東のある地域はその仕草は喜びを意味するものであっても、
ひとたび西の地域へいけばそれは悲しい意味を示すようなまったく正反対の意味をなす。
そのように、この木彫りの人形たちに描かれたもの、
また、装飾品などに刻まれている美しい文様にはそれぞれ意味があるらしい。
それらの文様を組み合わせることで、
幸せを願うものだったり、健康を祈るものだったりと、
さまざまな想いが込められたものになるという。
それだけでなく、魔除け、蛇除け、砂漠で道に迷わないためのお守りなど、呪術的意味が込められているものもあった。
「お嬢さんが持つそれは親が子の幸せを願う想いが込められたものじゃよ」
交差された手の左側に描かれているのが幸福で、右側に描かれたものが健康。
そして、顔が描かれた頭部に文様がひとつ描かれていて、それは子どもを意味するという。
つまり。健康ですくすくと成長してほしい、幸せになってほしいという
子に対する親の願いが込められた木彫りということだった。
リリーティアはまじまじとそれを見詰めた。
文様の意味を知らない者から見ると、複雑な文様が描かれた単なる木彫りの人形にしか見えないが、そこには切実な想いが込められた人形だった。
だからなのだろうか。
見た目は面妖だが、リリーティアのような外から来た旅人たちが土産に買っていくことが多々あるという。
リリーティアはふと思い浮かべた。
幸せや長寿や何か深い願いが込められた木彫りだとして、
誰かからこれを送られたら----------正直、戸惑う。
というより何というべきか、失礼な話しではあるが見た目からしてどうしてもこれは・・・。
「ま、これを貰っても呪われそうにしか見えんがの」
老父は両手に木彫り人形を手にとって、怖い顔を作ってみせた。
怖い顔といっても、どこか愛嬌のある怖い顔で。
「・・・ふふ、ははは」
リリーティアは思わず声をたてて笑った。
自分が言い難かったことを、自身の店の商品でありながらもさらりと言ってのけてしまう。
愛嬌に溢れた老父にリリーティアは感服さえした。
「ふふふ。おじいさん、とても面白い方ですね」
「そうかの?」と、老父は顔一杯しわくちゃにさせて笑った。
優しさに溢れたその笑顔にリリーティアの顔にも満面の笑みが零れる。
とその時、老父が何かに気付いたようにはっとした表情に変わった。
「お嬢さん、・・・前にもここに来たことがあったかいの?」
「?・・・いえ、この街に来たのは今回が初めてですよ」
首を傾げるリリーティアに老父は思い出すように何やら考え込むと、
「わしも歳を取りすぎてしまったの~。昔は、客の顔はよく覚えておったほうなんじゃがなぁ」
老父は頭を掻きながら困ったような笑みを浮かべた。
特にこの店の物を買ってくれた客の顔は一度であっても覚えていたものだったという。
老父はリリーティアの笑う顔を見ていて、ふと前にもその顔を見たような気がしたらしいが、彼女が老父に会ったのはこれが初対面で、ましてマンタイクに来たのが今回が初めだ。
それは明らかに老父の記憶違いだろう。
店を始めてから長い月日が流れて記憶力も衰えてきたことを実感しながら、歳はとりたくないものだと、老父は顎にたくわえた髭を撫でた。
「ゴホン!」
どこからか咳払いが響いた。
はっとして見ると、それは店の近くに立っていた騎士からのもの。
こちらを見てはないが、そのわざとらしい咳払いは明らかにこちらを咎めるものだった。
それに、どことなく威圧的な雰囲気を放っている。
店の商品についての会話だったからか、これまでの二人の会話に関して少しは許容していたようだが、いよいよ、これ以上の会話は慎めということらしい。
だが、そんな威圧的な騎士の雰囲気にも老父は怖気づいた様子を見せず、寧ろ、小さくため息をつくほどの余裕さがあった。
色んな意味でこの老父には感服させられるなと、リリーティアは苦笑を浮かべた。
「引き止めて悪かったのぉ。老いぼれの話し相手になってくれてありがとうなぁ」
「いえ。私のほうこそありがとうございます。お話、とても楽しかったです」
リリーティアは嬉しげに微笑んだ。
その言葉は老父に対するお世辞ではなく、事実、彼女はとても楽しかった。
彼女はもともと知らない事となると、どんな分野であってもそれなりに興味を持つ好奇心に溢れた性質であった。
だから、その地域独特の珍しいものや習慣などの、異文化を知ることも彼女は好きだった。
様々な出来事を経て、今の道を進むことになってから、純粋に知る楽しさを忘れてしまった彼女は自身が気付かないながらも、久しぶりに感じられた楽しさであった。
リリーティアの笑みにその言葉がお世辞ではないことを感じた老父も嬉しげな笑顔を浮かべた。
そして、また咳払いがひとつ。
早く立ち去れと促さんばかりに再び騎士からの咳払いに、リリーティアは老父に軽く一礼するとその場から立ち去った。
少し離れたところで振り返ってみると老父が手を振っていた。
それに応えるようにもう一度一礼すると、リリーティアは笑みを浮かべてその場を後に進み歩いた
彼女は気付いていなかったが、
少し前に感じでいた足取りの重みも、胸の奥に不快に揺れていた重みも、今は消えていた。
砂に足を取られているにも拘わらず、じりじりと照りつける太陽は一層暑さを増しているにも拘わらず。
リリーティアの姿が見えなくなってからも、しばらく老父はひとり考えていた。
振り返りこちらを見た彼女の笑みに、やはり一度会ったことがあるような気がした。
だが、やはりそれは気のせいで留まり、これまでの記憶を手繰り寄せようとしても、
彼女と出会ったという記憶を引っ張りだすことはついにできなかった。
「歳はとりたくないもんじゃのぉ」
老父は、またぽつりと呟いた。