第4話 歪
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「いつぞやと立場が逆になったな」
寝台に横たわったまま、力のない声でアレクセイは寝台の正面に立つシュヴァーンに向けて言った。
上半身こそ起こしていたが、傾斜を調整できる寝台のおかげであって、寝台から降りることもできない有り様だった。
まだ、長時間の面会は禁じられている。
傍らの円卓の上には、正体のよくわからない品物がいくつか並べられていた。
それは、リリーティアをはじめ、騎士たちによって、瓦礫の中から拾い集められたもので、いずれもすすが付いたり焼け焦げていて、中には変色もしている。
アレクセイはそれらをじっと見詰めていたが、やがて部屋の扉の前で佇むリリーティアに目を向けた。
顔の汚れは綺麗に拭き取られているが、両の手は痛々しく包帯が巻かれていた。
羽織っている深紅の魔導服(ローブ)も、すすと砂埃で汚れ、裾の部分は擦り切れてしまっている。
アレクセイは視線を落とし、どこか遠くを見詰めている彼女に声をかけることもなく、シュヴァーンへと視線を移した。
「・・・・・・ようやく君の心情が理解できた」
あまりに多くのもの含んだ声だった。
シュヴァーンは黙ってそれを聞いていた。
常のごとく。
しかし、リリーティアは僅かにアレクセイのその言葉に反応した。
-----確かに知った。
-----あの時の彼の、彼らの心情を。
-----今になって、ようやく。
彼女は未だにどこか遠くを見詰めながら、ぼんやりと思考を巡らせる。
瞬きひとつしないまま。
騎士団本部壊滅から三日。
今、三人がいる場所は、騎士の宿舎だった。
ここだけが、かろうじて大した被害もなく持ちこたえていた。
宿舎は臨時の死傷者の収容所兼騎士団本部となっている。
「〈人魔戦争〉によって、私は我々が当初考えていたより遥かに強大な相手に立ち向かわなければならないことを知った」
天井に視線を彷徨わせながら、アレクセイは呻くように言った。
「だがそれに囚われるあまり、私はいつしか人間同士の対立を軽視していたらしい。あるいはそれと意識しないままに願望を投影していたのか -------人間同士ならそこまでには至るまい、と。その結果、私は同じ過ちを繰り返してしまった。なんと愚かな。・・・・・・嗤(わら)ってくれ」
だが、シュヴァーンは、シュヴァーンとしてここにいる男は、答える言葉を持たなかった。
リリーティアもそれに言葉を返すことは出来なかった。
今の彼女には、ただ自分を呪う言葉と、他人を呪う言葉しかなかった。
大切なものをまた守れなかった自分に対する後悔。
大切なものを奪った者に対する憎悪。
その心の大半は、彼女自身気付いていないほどに憎しみに溢れていた。
憎しみが正常な思考を奪っていることも。
「現在、本宿舎は第一級警戒態勢以上の警備化にあります。外部の人間はたとえ評議会であろうと接近もできません。あれ以上の手段で攻撃してこない限り、安全に療養に専念できるでしょう」
シュヴァーンは現状の報告を口にする。
アレクセイは微かに皮肉めいた笑みを浮かべて、浅い息を吐いた。
「実際に追い返された議員は、つまり訪ねてきた者はいるのかね?」
「今のところ、ひとりも」
シュヴァーンが首を振ると、アレクセイは頷いた。
「次に何が起きるか、じっと息を殺して待っているのだな。日和見どもめ」
その言葉に、彼の変わらぬ意志の強さがうかがえたが、シュヴァーンは、いつもと違う何かが含まれているような気がしていた。
アレクセイはシュヴァーンをひたと見据えた。
「私は諦める気はない。何度でも人材を集め、組織を再興しよう。私が生きている限り、私の理想は私のものだ」
多くの騎士たちを魅了し鼓舞してきた、情熱を帯びた言葉。
彼の理想。
彼の信念。
その時、アレクセイの瞳が暗雲に覆われるように翳(かげ)るのをシュヴァーンは見ていた。
「だが今度は、まず取り除ける障害をすべて取り除くところから始めよう。そうして初めて我々は前に進むことができるだろう」
リリーティアは、その声に以前には無かった響きを感じ取った。
だが、感じ取っただけで、今の彼女にはそれがおかしいとは思わなかった。
「私は意識を取り戻すと、真っ先に自分の生存の発表と、帝都の門を封鎖させた。案の定、何人かの議員がこれといって理由もないのに、自分の館に閉じこもった」
アレクセイは何人かの名前を挙げ、一番最後にカクターフの名を口にした。
カクターフの名前を出した時、リリーティアの目が一変して据わる。
同時に、己の心に黒いものが渦巻くのを感じていた。
「数は必要ない。その最たる者を除けば、他はそれで悟るだろう。多くを奪いながら最も肝心なものを奪い損ねたということを。そして、何者を敵にしているのかを、な」
シュヴァーンはただ無言で頷いた。
「これが君らを呼んだ理由だ。私自身がこの有様の今、私には君らしか残されていない。やってくれるか?」
ひとつしか答えを想定していな口調。
彼女は力強く瞳を閉じた。
その瞼の裏に浮かぶのは、
かけがえのない仲間、補佐官たちの笑顔。
-----多くの仲間を奪った。
大切な手紙、写真、場所。
-----多くのものを奪った。
そして、忌まわしき者たち。
-----その報いは受けるべきだ。
リリーティアはアレクセイの問いに、黒い何かを受け入れようとしている自分を感じたが、それされも疑問に感じることはなかった。
それ以前に当然のことだとさえ思っていた。
彼女は瞳を開き、口を開いた。
言葉を発しようとした瞬間、何かざわめきのようなものが耳に鳴り響いたような気がした。
まるで、言わんとしている言葉を遮ろうとしているかのように。
けれど、それさえ彼女は深く気に留めずに、当然のごとく声に出した。
「分かりました」
その声に、シュヴァーンは後ろに振り返った。
彼女はただアレクセイを見据えている。
シュヴァーンは訝しげに彼女を見詰めると、あることに気付く。
彼女の瞳もまた、アレクセイと同じように僅かに翳りかかっているということを。
「君はどうかね?」
アレクセイはリリーティアの言葉に静かに頷き、シュヴァーンに視線を向けて問う。
その問いに、シュヴァーンはアレクセイに向き直った。
「やれと言われるなら。ですが・・・、」
シュヴァーンは一瞬だけ、後ろにいる彼女に視線をやると、すぐにアレクセイに戻す。
「本当によろしいのですね?」
瞬間、リリーティアはシュヴァーンの言葉にはっとした。
彼女の中で、その言葉が頭の中でいやに強く響いたのだ。
それは、何かに殴られたような衝撃にも似ている。
そして、思い当たった。
これまで、彼がこんな風に求められもしない問いを発したことなどあっただろうか。
いや、そんなこと、今まで一度たりともありはしなかった。
彼が放った言葉が、彼女の思考を強く刺激し、彼女の渦巻く心情を激しく揺さぶっていく。
-----本当にいいの?
-----本当にこれで?
-----いい?
-----。
その時、声が聞こえた。
正確にはリリーティアの昔の記憶が蘇った。
それは近くて遠い記憶。
『何かを為す時、その先を見てみるんだ。自分がそれを為すことで、誰が喜んでくれるのか、誰が笑ってくれるのか』
頭に遠くに響く。
それは、父の声。
『よく、考えなさい。その先、その未来に、誰かの笑顔が見えるか?その先は笑顔に溢れているか?』
いつの言葉だっただろう。
誰よりも人の笑顔が好きだった父の言葉。
彼女は唇を震わせた。
そして、目を大きく見開き、瞳を揺らす。
父の言葉が、声が、記憶が、己に強く問いかける。
『誰かの笑顔が見えるか?』
-----見えない。
『その先は笑顔に溢れているか?』
-----笑顔もなにも、何も見えない。
-----どうして?
-----ああ、そうだ。
-----これは、
-----私の勝手(ため)だからだ。
-----私自身だから見えないんだ。
-----自分の顔は自分では見えない。
-----その先に笑顔なんて溢れていない。
-----それじゃあ、今しようとしていることは。
-----私が今思っていることは。
-----その先に見えるものは・・・・・・、